はじまりは





なんて楽しい人生で、なんてつまらない最後なんだろう。――私の首を絞める男の向こう側で倒れる仲間を見てそう思った。物心ついた時から旅をして来たのに、その終わりもこんなにあっけないものなのか。せめてもの救いは、きっと仲間たちは苦しむ間も無く命を断たれたという事、ただそれだけ。最早諦観しか浮かばない頭も段々とぼやけて来たその時、目の前の男が呻き声を上げながら地面に崩れ落ちた。男の手が離れた私の体も支えを失って勿論倒れこむ。薄れゆく意識の中で視界の端に映ったのは赤と黒。地面に打ち付けられた体を動かす気力もなく、そのまま瞼を閉じた。意識が完全に途切れる直前、低い女の声が「眠りよ、康寧たれ」と呟いたのを耳にした。





優しい風が頬を撫でた気がして、思い瞼を動かす。私の頭が最初に認識したのは無機質な石造りの天井。まったく見覚えのない景色に視線を辺りに巡らせた。見るとそこは全体が石で覆われた広い部屋で、明らかに人家ではない作りをしていた。全くもって繋がらない思考をそのままに上半身を起こしてもう一度部屋を見回す。すると、別の部屋に繋がっているであろう部屋の入り口付近に男が壁に寄りかかって立っているのが見えた。

帽子を深くかぶり黒い衣装を身に着けたその男は私を一瞥するとふらりと部屋を出ていく。あの男は誰。ここはどこ。そういった思考が働き始めると同時に、自分が意識を失う前の光景が脳裏にフラッシュバックを始める。――血の海に倒れる仲間たち、死の恐怖。そして、最後に見た赤と黒。ただ鈍い頭痛が頭を苛むだけで不思議と悲しさは感じず、まるで現実味のない夢の中にいるようだ。ひとまずこの部屋を出てここは何処か、さっきの男は何者かを確かめないと。そう思い、ベッドから下りようと冷たい石畳に足をおろす。と、その時――

「目が覚めたみたいだね。大きな外傷は無かったみたいだけど、どう。身体は平気?」

そう軽快な声を上げながら、部屋の入口から赤毛の少女が現れた。少女に続いて男が三人と女がもう一人部屋に入ってくる。思わず身構えると、赤毛の少女は両手を振ってにこやかに敵ではないと告げた。

「警戒しないで。あたしはロゼ。商人。ここは私たちの拠点のひとつなんだ。ヴァーグラン森林で倒れてたのを見てここに運んできたの。……仲間の事は、残念だったね」

少女――ロゼはそう言って、苦い顔をして見せる。気を失う前に見た黒はさっきの男だと思ったけれど、この少女はあの場にいた人物の事を知っているのだろうか。さっきの男があの場にいた一人だとして、もう一人いたあの女がこの少女だったりするのだろうか。点と点がふわふわと頭の中に浮かんでいくが、それらを線で繋げられる程の思考力はまだないし、今はまだ何も考えたくなかった。とにもかくにもロゼの言が本当なら少なくとも怪我の手当てはしてくれたらしい。ひとまずお礼は言わないと。そう思い口を開く――が、

「――――」

口は動くが声が出ない。特段喉が痛いわけでも、口内に異常がある訳でもない。その様子を見て、ロゼの隣で腕を組む顎に髭を蓄えた男が口を開いた。

「声が出ないのか。無理もない、目の前で仲間が――」
「ちょっとエギーユ!」

ロゼに肘で小突かれ、エギーユと呼ばれた男は言葉を途中で詰まらせる。失言だったと顔を顰めるエギーユに顔のよく似た少女と少年は揃ってやれやれと肩を竦めた。改めて言葉にされると少しだけ胸の奥が苦しくなるが、正直今は自分が言葉を発することが出来ないという事の方が現実味があってショックを感じる。どうしたものかと頭を悩ませていると、ロゼが苦笑いを浮かべながら部屋の入り口を指さした。

「とにかくさ、あたしらも暫くはここを中心にして動くから、それまではここに居なよ。あんまり一人にはならないで欲しいけど、ある程度自由に動いてもらって構わないし」

ロゼはそう言って私の肩に優しく手を置く。私は言葉の代わりに深く頭を下げて、感謝の気持ちを表した。





その日の夜は短い時間だけだったけどぐっすりとよく眠れた。夢を見ることもない深い眠りから目が覚めた時屋内の灯りは既に消されていて、私が眠る部屋で起きている人間は一人もいなかった。この建物が石造りだからか底冷えがする中で起き上がり、ベッドから抜け出す。部屋から出るとそこは広間のような大きな部屋で、どうやら遺跡の一角のようだった。その部屋の中で唯一灯りが点いている場所にはロゼとエギーユがいて。私が起きたのを察したらしく二人同時にこちらに顔を向けてきた。なんとなく外の空気を吸いたくて、この遺跡から出たい事を身振り手振りで伝える。

「外に出たいの?こっちだよ」

どうやら上手いこと私のジェスチャーが通じたらしく、ロゼが立ち上がり外へと通じる道を案内してくれた。

「あたしも一緒に行くよ」

どうやら仲間を失ったばかりの私を心配してくれているらしく、ロゼはそう言って私に笑いかける。きっと他にも私を一人にしたくない――というより、一人で出歩かれては困る理由があるんだろうと何となく感じるが、それでもロゼの笑顔は今の私には有り難く感じた。

長い梯子を上ると、そこはまさに私たちが最後に踏み入れた森林だった。夜の森林は空気が澄んでいて、つい深呼吸をしてしまう。そんな私を見て、ロゼは意を決したように口を開いた。

「……こっち、来てくれるかな」

そう言って遺跡の入り口から離れるロゼ。何事かと思いながら素直についていくと、幾分か離れた場所でロゼは立ち止まる。見ると、大きな樹の根元に標のように石が数個置いてあった。その数は私が長年旅を共にしてきた仲間の数で。

「ここに弔ったの、あんたの仲間たち。……ほんとは言おうかどうか迷ったんだけど、何も伝えないってのも気持ち悪いと思って」

ロゼは地面に視線を落したまま静かにそう言う。それを聞いて、頭がじわじわと現実に浸食される感覚に陥った。仲間の顔が、声が、思い出が鮮明に蘇ってくる。走馬灯の様だと感じながらも、森林の木々を揺らす風がこれは現実で、私だけが生き残ってしまったのだと告げていて。俯いたまま一つだけ涙が零れた。慰めるようにロゼが私の頭を撫でたがそれ以上涙が零れることはなく、仲間たちと過ごした日々を思い出して立ち尽くす。それから暫くして、「冷えるからそろそろ戻ろうか」と言うロゼに続いて遺跡に戻った。





翌日は鈍い頭痛に苛まれながら目を覚ます。昨夜の深い眠りを恋しく思いながら起床すると、遺跡の中は慌ただしい雰囲気に包まれていた。広間に顔を出すと、私に気付いたロゼが「おはよう」と声を上げながら駆け寄ってくる。聞くと、何人かはここに残るが、今日殆どの人間で商売に出向くためにここから離れるらしい。

その為の準備でみんな忙しなく動いていると、そういう事かと納得していると、昨日見かけたよく似た顔の男女の片割れ――トルメがロゼに『頭領』と地図を持ってきた。どうやらロゼがこの商隊を取り仕切っているらしく、あれこれと指示を出している姿に驚いてしまう。旅をしてきた中で『人は見かけによらない』という事は身に染みて分かっていたが、それでもこの若さ――それも女で、『頭領』と呼ばれる立場だとは。それも周りの人たちの態度を見るとロゼを心底信頼しているようで、なんだか関心すら覚えてしまった。

呼び戻されていったロゼをぼうっと見ていると、視界の端に見覚えのある黒が映ったのに気づく。ハッとしてそちらを見ると、私と同じように壁にもたれ掛かりロゼを見つめる男の姿があった。昨日私が目を覚まして時、初めに目にしたその男。私が気を失う前にあの場所にいたあの男なら、私の仲間を襲った男の事を知っているかもしれない。そう思い、その男の元へと歩み寄る。すぐ隣まで近づき声を掛けようとして、ようやく自分の喉が役に立たないことを思い出した。あの男は何者か、なぜ私たちを襲ったのか、そしてあの男はあの後どうなったのか――。色々と聞きたいことがあるが、どれも言葉にする事は叶わず只男を見つめるだけに終わる。

男は少し間を空けてようやくこちらに顔を向けた。帽子と前髪のせいで目が合うことはないが、品定めをされているようで居心地の悪さを感じる。しかしこちらも負けじと視線を逸らさずその向こうにあるであろう瞳を見つめ返した。暫くして男は大きな溜息を吐き、帽子を更に深くかぶり直してぼそりと呟く。

「――オレの事が見えるのか」
「――――?」

それってどういう――そう思ったその時、「おーい」とロゼが私に呼びかける声が聞こえた。振り向くとそこには笑顔で歩み寄ってくるロゼが。しかし私の目の前で難しい顔をして立ち止まったかと思うと、おもむろにペンと紙を差し出してきた。

「名前、教えて。呼び名がないと不便でさ」

屈託のない笑顔でそう言うロゼに苦笑いを返しながら私は紙にペンを走らせる。グートルーン――そう紙に書き込んで顔を上げると、ロゼは先程とは違う種類の笑顔を浮かべて私の肩を小突いた。

「……笑えたじゃん。――それじゃ行ってくるよ、グートルーン。じゃあフィル、留守の間よろしくね」

そう言ってロゼは手を振る。――所謂『良い人』とは違うのだろうロゼはしかし、気を遣う素振りもなく一朝一夕で私の中から昨日の出来事を薄れさせてくれた。私を見つけてくれたのがロゼでよかった。そう思いながら、私は先程気になることを呟いた男の方へと顔を向ける。しかしそこにはもう男の姿はなく、どこに行ったのかと広間を見回すがロゼたちと行ってしまったのか結局その姿は見つからない。訊ねたいことはたくさんあるが、きっとロゼが帰ってくる頃にはまた見つけられるだろうと思い直した。

その後は特にすることもなくかといって他に行く宛のない私は、遺跡の中で静かに過ごす以外の選択肢はなく。他の人と話すことも出来ず、時折話しかけてくるフィルと短い筆談を交わしながら遺跡の中を見て回ることにした。……と、いってもだ。遺跡に関して特別な知識があるわけでもなく、仲間と旅した時に立ち寄ったいくつかの遺跡の思い出をぼんやりと思い出しながら狭い遺跡の中を眺めるだけに終わる。そんな感じでその日は暇を潰すことに成功し、なんとか夜までは寂しくもなく悲しくもなく、無為な一日を過ごした。





商隊の荷を運ぶ馬車――その屋根の上に寝そべってデゼルは考える。ロゼが拾ったあの少女……自分たちの姿を見ていないという判断から、ロゼやエギーユは彼女の様子を暫くみてこのままならば放っておいても問題ないだろうと判断したようだった。しかし、だ。今でこそ少女は冷静に見えるが、近しい者を何人も同時に失ったばかりなのは確かなはずで、いつあの心身が穢れに侵されても不思議ではない。――ロゼや自分に穢れを近づけるのは何があろうと避けなければ。一体どうしたものか……。纏まらない思考をデゼルが持て余し始めた頃、セキレイの羽の馬車列はヴァーグラン森林にある拠点――ティンタジェル遺跡群に到達した。




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