開花


ロゼがこの遺跡を発って三日。その間私は遺跡内を見て回ったり、遺跡周辺の森を散策したりでなんとか時間を潰すことに成功した。私が何をするにもどこに行くにもフィルが近くにいたのはきっとロゼの指示なんだろうと思うのは只の勘だ。その合間で、私はこれからどうしたいのか、ロゼたちは私の事をどうしたいのか。そんな事を考えていて。結局、それらをはっきりさせるにはやはりあの黒づくめの男と話をしなければという結論に落ち着いた。対した理由なんてないけれど、それでも私の仲間を襲ったあの男については知っておかないと、私は先には進めないような、そんな気がする。





ロゼが遺跡を発って四日目の明け方、彼女率いる商隊が戻ってきた。フィルを始め、遺跡に留まっていた人たちがロゼと今回の商談はどうだった、といった話を始める中、私はあの黒ずくめの男を探す。――あ、いた!ロゼを中心に出来た人だかりから離れて、彼は立っていた。また逃げられないうちに駆け寄り、声の代わりに目いっぱい目力を込めて視線を送る。恐らく私がここに駆けてくる時から見えていたのだろう彼はまたしても大きな溜息を吐いて私の方へと顔を向けた。

「オレに何の用だ」

酷く煩わし気に言う彼に、私は懐から紙とペンを取り出して筆談を試みる。

『私の仲間が殺されて私が殺されそうになった時、あの場所に』
「グートルーン、戻ったよ!……一人で何してんの?」

私が必死でペンを走らせていたその最中、人だかりの真ん中にいたと思った頭領――ロゼがすぐ横にいた。慌てて紙とペンを隠してロゼの方へと視線を向ける。……――ん?一人で?ロゼの言葉の意味を探ろうと自分の隣をぱっと見るが、前と違ってそこにはまだ彼の姿があって。もう一度ロゼの顔に視線を戻すが彼女はさっきの言葉に対する私の返答を待っているようで、ただただその顔に笑顔を浮かべていた。

ちょっと待ってよ。ロゼにこの男の姿は見えていない?だとしたら私があの時意識を失う前に聞いた言葉を発したのはロゼじゃない?それとも間違ってるのはあの時の黒がこの男だと思ってた方?何が何やら分からなくなってきたその時、ふとあり得ないようでいてしかしこの状況の説明ができるひとつの可能性が頭を過ぎる。――まさか、この男の人は……ゆうれ

「今日の夜、森林側の遺跡の入口」

私が恐る恐る視線を男へと戻すと、私の想像を否定するかの様に言葉を置いて男はその場から去っていった。――私と話してくれる気になってくれたのだろうか。その事に関して少しだけほっとするが、私がいつまでも何もない場所を見つめている事に痺れを切らせたロゼがさっと顔を青くして口を開く。

「ちょっとグートルーン、そこに誰かいるとか言わないでしょうね」

珍しく弱々しいロゼの声に苦笑いしながら、私は大丈夫何でもない、と両手を振るのだった。





夜、遺跡内の皆が寝静まった頃を見計らってベッドを抜け出す。昼間と違って肌寒い遺跡内には珍しく灯りはひとつもなく、私の目の届く範囲に人の姿はなかった。もしかして今夜はロゼやエギーユたちは留守なのだろうか。それを知っていて黒ずくめの彼は私を誘い出した?そんな憶測を頭の片隅に浮かべながら、なるべく物音を立てないように遺跡の外へ続く梯子に手を掛ける。

既に慣れてしまった長い梯子を上り切って森林に出るが、入り口付近に人影はなく。ぐるりと周囲を見回すと、少し離れた場所に灯りが灯っているのが目に入った。周囲を経過しながらその灯りを目指して進んでいくと、そこにはランタンとあの黒ずくめの男が。今度は私が来たことに反応を示した男は樹に凭れていた背を浮かせてこちらを見据える。そして開口一番に言ってのけたのはこんな言葉だった。

「オレはお前と仲良くおしゃべりをする気はない」

ならどうしてこんな時間にこの人目のつかない場所まで私を誘い出したの。そう思って身を固くすると、男は帽子のツバを触りながら「だが」と続ける。

「お前の知りたがっている事は大体予想がついてる。ある程度は教えてやってもいい。……このまま放置しておいて騒がれるか――最悪"穢れ"でもされたら敵わんからな」

何やら上から目線な気もするが、私が知りたいことを教えてくれる――その言葉に少し安心を覚えた。しかし男は本当に私と会話をする意思がないらしく、私が会話の為に必要とする筆記用具を取り出す前に喋りだす。

「普通の人間にはオレの姿は見えない。――理由はオレが天族だからだ」

――天族。その言葉は聞き覚えがあった。共に旅をしていた仲間がよく『天遺見聞録』という本を呼んでいて、自分もその本をさっと読んだことがある。『天族』とは、そこに記されていた言葉だった筈だ。

「お前には初めからオレの姿が見えているようだが……あの日、お前の仲間が襲われた時、お前たちを襲ったヤツは人間に見えたか?」

私に質問をする隙を与えないために矢継ぎ早に話すのだろう彼は私にひとつ質問を投げかける。――あの日。初めに仲間が襲われて、気付いた時には私が男に殺されかけていた。気を失うまでに見ていた男の姿は確かに普通に人間だったと思う。しかし言われてみれば、男の周りを何か黒いものが漂っていたようにも思える。天族であると自称した男は私の取った間を答えとして、言葉を続けた。

「アイツが人間に見えていたのなら恐らく命の危険を察知したことで霊応力が開花したんだろうな。オレは確かにあの時あの場所にいた。だがアイツを殺したのはオレじゃない。オレはお前が殺されそうになっているところに割り込んだだけだ。――ある暗殺ギルドが依頼に従ってあの男の息の根を止めた。ヤツは旅人専門の強盗殺人者ってところか。何人も殺していて、犠牲者のうち誰だかの身内が依頼を出していた」

つらつらと私の知りたかった情報を次々と口にしていく彼。あの時私の一番近くにいた黒が恐らく目の前の天族だとして、だとしたらあの時あの男を殺して『眠りよ康寧たれ』と呟いたのはロゼということになるんだろうと、私の直感が告げる。しかし彼の話す事柄にはロゼの情報はひとつもなく、ロゼの事を隠しているのか、そもそもロゼの事は単純に私の勘違いなのか。ともあれ、私の仲間たちの命を奪ったあの男はこの世におらず、そしてあの危機的状況の中私を助けてくれたのはこの男だという事は事実のようだった。――ありがとう。そのただひとつの言葉すら口にできないというのはなんとももどかしい。

あの時に私が姿を見たこの男以外の人物――多分女だとは思うんだけど、彼女の事はどうやら話す気はないらしい。その事以外で私が聞きたかったことは粗方聞き終えたと思う。……実際問題、あの男の話を聞いたからと言って何が変わるという訳ではないけれど、なぜだか話を聞いて気持ちが落ち着いた感じはあった。他にも何かあるのだろうか。そう思いながら次の言葉を待っていると、男は突然顔を逸らして森林の中を見た。私も同じ様に森林の方を向き、その先の暗闇に目を凝らす。……鳥も獣もいないというのに、何故か悪寒を感じて背中を冷や汗が伝った。息を潜めて耳を澄ませると、視線の先から落ち葉を踏む……いや、落ち葉の中を何かが這って移動しているような音が聞こえる。ハッとして隣の男の顔を見ると、彼は舌打ちをして一歩前に出た。

「――憑魔が来るぞ」

どんな存在の事を指すのかは記憶の彼方だが、これも『天遺見聞録』で見たことのある単語だ。やがて森の中から姿を現したのは、数体のゾンビのような風体の何かだった。その複数のゾンビを見ていると、嫌でもあることに気付いてしまう。身に纏う衣や、最早前とは別物だが面影のある毛髪。まさか、まさか――

「避けろ!!」

黒ずくめの彼の叫び声で遠のいていた意識が呼び戻される。半ば無意識にその場の地面を蹴り飛び退ると、今私が立っていた場所にゾンビの一体が飛びかかってきた。その一撃で抉れる地面を見てゾッとする。黒ずくめの彼の傍に走りよると、彼はペンデュラムを取り出して既に臨戦態勢だった。急速に動き出した事態に頭が着いてこず、同じ思考が頭の中を占める。――あの服、あの面影、あの人数。『憑魔』がどんなものか、どんな特性があるか、そんなことはもう覚えていない。けれどこの状況で考えられることはひとつしかない。あのゾンビたちは私の――

「ボーっとしてんな!アレは憑魔だ!今なら殺せる。戦わねえと死ぬぞ!」

声を荒げて言う彼に、しかし身体は動かない。彼の操るペンデュラムがゾンビを襲うが、ゾンビたちが負った傷はたちどころに治っていっているようだった。複数対一人。命の恩人が戦っている所を見て、自分だけ呆けているわけにはいかない。頭を無理矢理納得させて私も武器に手を伸ばす――が、寝床から抜け出しそのままここに来たために何も持っていない事を今更ながら思い出した。そんな私を見て黒ずくめの彼は『マジか』といった顔をする。――いや、まだ手はある。近くに私の扱える武器があるはずだと思い立ち、私は駆け出した。

私の動きに反応を見せるゾンビだがその動きは緩慢で、黒ずくめの彼の相手を務めながら私の後を追うのは不可能の様だ。少しの間とはいえこの場から離れる事を許してほしいと心の中で思いながら、五日前に来た時以来近づきさえしなかった場所に辿り着く。大きな樹の根元。そこに空いた人間大の穴はやはり現れたゾンビの数と同じで。その穴に片っから手を突っ込んで探し物を掘り出す。血と土で汚れたそれを軽く払い、後ろを振り向いてもう一度駆けた。

場所が離れていなくてよかったと思いながら、最後尾のゾンビに手に持った武器――鎖鎌を仕掛ける。旅の最中、獣や悪漢に襲われても自分の身は守れるようにと教わった鎖鎌。自分の師とも呼べるあの人の獲物を手に、私はかつての仲間と対峙した。


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