over milk





それは、とある街の大通りを、スレイたち導師一行と一緒に歩いている時だった。

ずっと昔に、スレイたちとは違う仲間と一度だけ立ち寄った事のある街。一行の先頭を歩きながら、街の成り立ちやここに暮らす人々の生活を歴史的観点から盛り上げて熱く語っているスレイとミクリオの声をBGMに、街の風景を見回した。街中の地面や建物の素材が全て煉瓦で統一されているこの街は石造りにも関わらず、無機物由来の冷淡な印象は全くと言っていい程受けられない。そんな所も変わらないななんて、感慨に耽りながら通りに面した建物を見上げ足を動かしていると、二人の会話が脈絡なく途切れる。どうしたのかと視線を二人にやると、話に夢中になっていたスレイと向かいから歩いてきた旅人たちのうちひとりがぶつかったようだった。

「すみません、オレ余所見してて」

ぶつかった拍子に落としたらしい相手の所持品をスレイがしゃがんで手に取る。こっちこそごめん、と口にするその人物を把握して目を瞠った。よく知った顔、よく知った声。その人物がスレイから手渡されたその本にはいくつもの栞や走り書きの紙切れが挟まっていて。私が勧められるままにその本を読んだ時、それらが指し示す箇所を詳しく解説してくれた思い出が脳裏を掠めた。呼吸が遠のいて、全身を血が巡る音が頭に響く。瞬時に乾いた喉に唾液を送る事すら忘れて指先までが硬直する。充足した記憶が奇禍の記憶と交差し始めたその瞬間、

「この栞の数……相当読み込んでるらしいな」

感嘆の色合いで呟くミクリオの声で意識を引き戻される。

「オレも読んでるんです」

そう言ってスレイが嬉しそうに自分の愛読する書物――天遺見聞録を掲げるように取り出すと、相手は噂の導師様と愛読書が同じである事を嬉しいと言ってはにかんだ。そう、この人はこういう人だった。今にも歴史トークを始めそうな気分の高揚っぷりに後ろの仲間は少しだけ呆れ顔で笑って、旅の途中で遺跡があれば立ち寄りたいと言い出すこの人に少しだけだと言いながらも付き合って。――そんな、着の身着のままに全員で旅を続ける人たちだった。その遥か彼方を想起してスレイの肩を小さく叩いた。

「スレイ、よかったら話してあげてよ。今まで行ってきた遺跡の事とかさ」
「え、オレは構わないけど……」

唐突な私の頼みにそう言いながらちらりと相手方を見遣るスレイ。私の声も姿も感知できない相手はスレイの独り言を不思議そうに眺めて様子見をしている。見たところ霊応力はなさそうで、初対面の筈なのにどうしてそんな事をと疑問を目に宿すスレイに「お願い」と一言。それでスレイは疑問を残しながらも了承してくれた様で、後頭部を掻きながら相手に向き直った。

「あの、よかったら旅の話を聞かせて貰えませんか」

遠慮がちにそう言ったスレイに、相手は喜んでそれを受け入れた。後ろの仲間はやれやれと言った風に肩を竦めながらも、自分たちがとっている宿のロビーを使うといいと案内をしてくれる。その場への移動途中、既に歴史トークを始める相手とスレイ。それを見た仲間とロゼが、お互い苦労するねと顔を見合わせた。




宿に辿り着いてロビーの一角に座り込んだ彼らは初めに天族の話を始めた。ずっと旅を続けてきたから、自分たちの知らない事を柔軟に受け入れる事が容易に出来るその人たちに、スレイは自分の仲間を紹介していく。水の天族ミクリオ、火の天族ライラ、地の天族エドナ、風の天族デゼル、そして一人で旅を続けていた私。導師である自分と従士契約をしているロゼを紹介した後、スレイとミクリオは天遺見聞録の所持者と、歴史やこれまで旅をして見つけたものについて熱く語り始めた。そうなっては割り込む余地もないと知っている各々の仲間たちは少し離れた場所に陣取ってその様子を眺める。そうしているうちに、長い間旅をしてきたという点で共通している他の相手方とロゼは中々に気が合う所があるらしく、お互いに知っている旅のノウハウや道具の扱いについて話し始めた。意気揚々と弾む会話を微笑ましく思いながら――そもそも不可能だが――会話には加わらずその様子を座視する。

昔の仲間と今の仲間。どちらも大切に思う自分からするとまさに僥倖。この時代になってからずっと探してはきたけれど、私という人間が存在しない事であの人たちの旅路は大なり小なり変化があったらしく、今まであの人たちの足取りすら掴めなかった。あの時憑魔に襲われた事が偶然だったのが不幸中の幸いだった様で、その結果今回はヴァーグラン森林で命を落とすことは無かったんだろう。あの時皆が命を落としたのが偶然なら、この欣快も偶然の賜物なのかな。そう思うとどうしたって頬が緩むのを抑えきれない。そんな気分に浸っていると、隣に座る風の天族が不意に声を上げる。

「それで、何が目的だグートルーン」

私が街中で偶々出会った人間たちを唐突に引き留めた事を訝しんでいるのだろう。言外に警戒を滲ませロゼを見守るデゼルに端的に答えた。

「相手の人が天遺見聞録の愛読者だから、スレイとじっくり話せたら喜ぶかなと思って」

この事に関しては誤魔化す必要も隠す必要もない。それでも納得いきかねる様子で仏頂面を崩さないデゼル。私とあの人たちの関係性が不明瞭ならそれも仕方ないかと、言葉を付け足した。

「一方的な知り合いでさ。好きなんだ、あの人たちの事」
「…………」

霊応力のない人間と天族の間では珍しくもない関係。本当はそれとは違うけれど、自分でも思う所があるのだろうデゼルは無言の返事を寄越す。それを納得の返事だと受け取ってロゼたちの方へ視線を戻すと、話の途中でちらりとこちらを見たロゼと目が合った。何だろうと思ってそのままロゼを見ていると、ロゼは身振り手振りで私のいる所を指さして

「そこにグートルーンっていう天族がいるんだけど、彼女も鎖鎌使ってるんだ」

と相手方に説明し始めた。どうやら道中での獣や憑魔の撃退法なんかの話をしていたようで、皆それぞれの武器を広げていた。ロゼの言葉に反応を示したのはかつて私に武器の扱いを教えてくれた師で、ロゼが使用した三人称に対して冗談めかしながら若いのか、なんて訪ねてくる。

「天族だから実年齢は分かんないけど、見た目は十代後半ってとこかな」

何の気なしにロゼがそう答えると師は少しだけ大袈裟に反応を返して、一緒に旅をして手ほどきしてみたいが天族相手じゃ自分の方が未熟かと、そう口にした。ロゼは

「グートルーンを連れて行くんならそれなりのモノ支払ってもらわなくちゃねえ。ちょっとやそっとのお代じゃ渡せないよ?」

とあくどい顔をして私を庇う様に手を広げる。そんなに大切にされてるなら連れていけないななんて大仰に肩を竦める師に、他の仲間は余計な事を言うんじゃないと痛烈な突っ込みを入れる。ひとしきり笑いあうと、彼女たちはまた額を突き合わせて話を再開した。

そうしてその夜は同じ宿に泊まり、あっという間に夜は過ぎていった。お互い旅の途中だという事で話は尽きないが、朝には宿を発ち、別れの言葉を交わした。

「昨夜はありがとう。楽しかった」

言いながら右手を差し出すスレイ。天遺見聞録の持ち主はまた会う事があったらその時に続きを話そうとスレイの手を握り、見えもしない天族たちに手を振る。街の出口へと続く通りを進んでいく後姿を私は無言で只見つめた。

「……アイツ等と行かなくていいのか」
「うん」

私のその様子を見て問いかけてきたデゼルに首を振って即答する。本当なら、あの人たちの旅路を守る手助けが出来るならそうしたい。けれど今はその方法も分からない。無事な姿を確認できただけで今は満足しておこうと、そう思った。名残惜しくない訳ではないけれど、死を回避したあの人たちよりも、今なお死に向かっているであろうデゼルの側に私は居たい。

ずっと昔、私が終わりだと諦めかけたあの時に私を放心へ導いてくれたのは誰でもない、デゼルなんだよ。過去の苦悩も決断も知らない、それでもあの時の天族と同じ彼の顔を見て笑みが零れた。

「…………何だ」
「ありがとう、デゼル」

不審そうに私を見下ろすデゼルに礼を言う。時間を遡る事に成功しても、元に戻らないものがある。それでもそれらを受け止める事が出来るのはあの時、貴方が私を立ち上がらせてくれたから。

「訳が分からん……のはいつもの事か」

そう言って呆れ気味に肩を竦めるデゼルに、

「私が分かってるから大丈夫」

と、少しだけおどけて笑って見せた。





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