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__日常。

それは変わらないもの。あって当たり前のもの。いつもと同じこと。少し変化はあれど毎日似たような日々を過ごし、ぼんやりと消化していくもののこと。

代わり映えが無ければとてもつまらないが、変化を求めすぎれば何時しか自分の生きる場所でさえ危ぶまれてしまう。

何かを目指して変化しようと志すのは素晴らしいことだとは思うが、それは己の首を絞めながら歩くことと紙一重なのではないか?そんなことをぼんやりと心のどこかで考えることがあった。

そうならないように私は少しだけ機械的に過ごして生きていた__。


◇◆◇



いつもと代わり映えのない気怠い今日の授業も、担任の先生の長くて眠くなる話が響いたホームルームも終わり放課後になった。

みんなは先生が毎日毎日最早お経でも唱えてるのではないかと思われるくらいには、早口でそして内容も聞き取りにくいという有難い…のかよく分からないお話に「はあ、やっと終わったよ……」と心のなかで呆れながら、ぐっと身体を伸ばしてみたり、欠伸をしてみたり、席を立って歩き回りだしたりと一斉に行動を開始する。この時間を乗り切ったというこの開放感はある意味素晴らしいかもしれない。うん、先生凄いよ。この賞賛を毎日心で送るくらいには先生の話はある意味素晴らしかった。中身は聞いていないが。


部活に行くために大きな部活用のバックを肩に掛け、それとは対称に殆どの教科書を置き勉したため随分と薄い学校指定のリュックを背負って教室を出ていく引退前のサッカー部や野球部。

とある席に集まって楽しそうに笑いながら昨日のバラエティ番組に出演していた最近話題の俳優について話す女の子達。

今日の朝提出の宿題を忘れたため先生から渡された代わりのプリントを欠伸を噛み殺しながら解いていく男子。


「はあ……」

それぞれがそれぞれのことをしている教室の一角で、彼女、伊村真白はそれはもう盛大にため息をついた。
きっと沢山の幸せが逃げていったに違いない、そう思わせるくらいに大きなため息である。
ため息をつくだけついて、取り零した幸せなんてものを吸い込みもせずに重い重い気の進まない気持ちを露わにした。今、とても憂鬱である。


「面談…、面談かあ」

手元にあるプリントには2週間に渡る面談の日程が表で書き連ねてある。日時を記名してある欄の横には生徒の名前があって、最近の休み時間や昼休み、放課後などの時間は、皆それに従って動いていた。真白の視線は一点を捉えていた。自分の名前とともに日付は今日の夕方を示している。部活動が忙しい人を昼にできるだけ回し、その他をそうでもない人の名前がずらりと並ぶ。自分は後者である。まあ帰宅部だからね、放課後は暇だから良いけど。

大きく"進路についての面談"と書かれているそれを彼女はぼんやりと見る。本当にすごくすごく憂鬱だ。
はぁ、とまたため息をつけば、それを見ていた彼女の友達にツンと頬をつつかれる。
ムッとして頬を膨らませれば、別の友達にまた指を押し付けられる。「何するの」と云う意味を込めてその子達をじとっと見れば、クスクスと小さな笑い声が響く。

「私の頬は遊び道具じゃない」

そうムスッとしたまま言えば、「だって面白いんだもん」という返答が返ってきた。私は何も面白くない!と心の中で叫んだ。


そんな彼女たちとしばらく喋っていると面談の時間が近づいてきたことに気がついた。これを乗り切る算段を考えるのを忘れていた。うわー、進路本当にどうしよう。面談の時間が近づいてきたことを伝え、「また明日」と言いながら手を振って席を立ち教室を出た。すぐ後ろから「明日ねー」なんて間延びした声が聞こえてきた。

彼女たちは今日、近くの喫茶店で勉強会をするらしい。明後日にある小テストに備えてだとか。内申点が稼げるなら幾らでも稼ぎたいこの時期だからね。何だかそれが羨ましい。私も行きたかったなあ、なんて考えながら廊下を歩く。


はぁああ、なんて先程よりも大きく溜め息をついたら去年同じクラスだった子がそれを目撃したらしく「幸せが沢山逃げてるぞー」なんて言って笑っていた。「ほらそことそこ」そう言ってその子は笑ってみせる。まるで真白の幸せが見えているかのようだった。この子は相変わらずだなあ。なんて考えながら今度は思いっきり息を吸ってみた。
……しかし、ゴホゴホと噎せたのでまた息を吐いた。余計に幸せが逃げていった気がした。あ、今笑ったな。あはは、なんて可笑しそうに笑いながらその子は手を振って歩いていったので、手を振り「じゃあね」と呟いた。


◇◆◇



キラリ、その部屋にはオレンジ色の鮮やかな陽の光が窓から差し込んでいた。
それに少しだけ眩しいな、と目を細めながら考えつつ担任の先生が来るのをぼんやりと進路室で待つ。
これからの話のことを考えるとため息は止まらない。今日何度その事を考えただろう。はぁ、とまたため息をついて壁にかけてある時計に目を移した。
少し来るのが早かったかな、と思いながらまたぼーっと待っていれば進路室の扉が開いた。



「伊村さんは高校どうするの?」

何処からともなく聞こえてくる運動部の元気な掛け声や吹奏楽部の綺麗な合奏、下校する生徒達の笑い声、それらの音をBGMに担任の先生は真剣な顔つきで私にそう問いかける。ホームルームの時とは違って、この人は授業や1対1で話す時はあまり早口にならない。寧ろ何故あんなにホームルームで早口なのだろう。言いたいことが有りすぎるとか?と疑問には思ったが、それは今は置いておくべきだ。


「…えっと、…まだ考え中です」


そう答えて横に首を振る。なんだよ、私。コミュ障かよ。そう思わせるくらい吃ってしまうのは気にしないで欲しいな先生。
あーあ、早く終わって欲しいなんて心の中で思いながら暫く先生の話を小さく相槌をうちながら聞いた。


偏差値的に行けそうな県内の高校の話や、将来になりたいものなどがあるのなら例えばこういう高校がある、などそんな話。
確かこの前も副担任の先生にほとんど変わらない話を聞かされた気がする。
大体の人が自分の大まかな進路を決めている中、なかなか決まらない自分に対して色々な先生が進路について聞いてくる。
まだ呆れられたり、見捨てられないだけマシかもしれないが、分からないものは分からないのだ。特に行きたい高校もなりたいものもない。趣味はあるけれど、特に仕事にしようとも思わないしなあ。なんていつものようにつらつらと考える。


「……」
「……」


先生が話終わると部屋がシーンと静かになる。おう、無言が辛いね…。
私はギュッとスカートの裾を握りしめ、先生と視線が合わないようひたすら俯いた。
やっば、気まずい。なにこの雰囲気。この部屋を支配する何ともいえない空気にどうすればいいのか皆目検討もつかなかった。

「悩むのは良いことだけどね、もうそろそろしっかり決めてね」

暫くの沈黙のあと先生が口を開いた。

「はい、もう一度考えてみます…」

その言葉に顔を上げてコクリと頷く。
先生は少し困ったように笑い、席を立った。お手数をお掛けして申し訳ないです。

「じゃあ、先生はこれから会議があるから、気を付けて帰るのよ」
「はい」


そう言い残して、プリントを片手に進路室から出ていってしまった。
それを見送って今日2番目に大きな溜め息をついた。


「はぁ、進路か…」


最近口癖になりそうなそれを無意識に発しながら、先程参考にとくれたいくつかの高校のパンフレットをパラパラと捲りながら見つめる。
本当にどうしようか。別に特に行きたい高校はないかな。
あーでも、バイトとかが出来るところが良いかもしれない…、なんて考えてみる。
出来るだけ今住んでるところから近くて、バイトが出来るところ…ね。

「あとは私立は駄目だよね、お金掛かるかもしれないし…」

そう呟いて、一つ一つのパンフレットに目を通してみる。学校によって様々な表紙を飾るそれは少し眩しい。私もこんな風に過ごせるのだろうか。

「ええっと…」

ここは部活を絶対しないといけないらいし、ここは私立。
じゃあここは…、と一つのパンフレットを目に通す。

「…微妙…かな」

本当に微妙。良くもなければ悪くもない、つまり普通。
でも、この中だと家から近いし、バイトだって出来るし確か偏差値もそこそこだったはず……。
たくさんの生徒が先生の周りに集まり楽しそうに笑い合っている写真や、部活を頑張っている写真、文化祭や体育祭などのイベントについて書かれたもの、進路先や卒業生の言葉、制服についてや、学校の特徴、校風が載っているそれをページをパラパラと捲りながら眺める。

よし、決めた。


「…うん。もうここでいいや」


半ば投げやりになりながら呟いた。
あまり悪い噂も聞かないし、何人かの友達や知り合いもここに行くのだと言っていたので、まあ安心だ。
よし、先生に伝えないと。と立ち上がって気づく。あ、先生は確か今から会議だったっけ?それなら明日行こう。

そう考えながら貰ったパンフレットを重ねてからトントンと机に当てて角を揃えた。

「……」

1番上にある先程のパンフレットの表紙を見つめながら考えるのは、ここ最近考えるだけで1番気が滅入ることだ。先生と話すことよりもずっとこっちの方がおっかない。

でも、普通の市立だし。彼らだってそれなりの良心はきっとある筈だ。大丈夫。あの人達もきっとここなら良いと言ってくれる…かもしれない。
脳裏に浮かぶ彼らの顔を思い浮かべれば、ずしりと心が重く沈むような感覚になる。

あーあ、本当に憂鬱だな。
そこまで考えてふと時計に目を移した。ん…、やばくないか?私?

「あ!もう、こんな時間!!帰らないと…」

頭の奥が瞬時に冷えていく、そんな感覚がした。そして慌てて立ち上がり、急いで教室に荷物を取りに向かった。


(今日が早く終わってほしい)
(そして明日がずっと来なければいいのに)
はろー、忌々しき日常
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