■ ■ ■


___彼は臆病だった。


ああ、なんで僕が審神者なんて。そう小さく零すも、それはもう今更の話だ。大学を卒業して、普通の一般企業に就職するはずだった。なのに、どうして僕はここに立っているのだ。彼は心の中でぼやいて、それから目の前のそれを見た。

目の前のそれ、__本丸は、彼から見ればお化け屋敷だった。臆病な彼はもちろんお化け屋敷だのホラーだの嫌いだ。大嫌いだ。死ぬほど嫌いだ。


「今からここに入れって。……マジで?」

もう何人行方不明になったか分からない本丸。そこに派遣されることを知ったのは今日だった。というかついさっきだ。


「これは明らかにハズレ、だな」

彼は昔からいつだってハズレくじばかりを引いてきた。いつかはきっと当たりくじを引けるだろうと信じて生きてきた。しかし、今回引いたのもやはりハズレくじだ。神様は僕の人生に当たりくじを用意し忘れてしまったのだろうか。そう天に問うた所で応えてくれる者などあるはずがない。


「……」

ぱちぱち、瞬きをして見るがやはりその景色は変わらない。なんでこんなホラーテイストなお城になっているのだろうか。パンフレットで見た立派な本丸と比べると、その違いのせいで怖さが倍増している気がする。

「何このどす黒い色のやつ」

邪気とかそういうものってこんなに顕著に見えるものなのだろうか?たくさんの疑問が頭の中をぐるりと回った。けれど考えたところで答えなんて返ってこないのだから考えるだけ無駄か。


「……」

この本丸が建っている場所は何やら重要らしいので、閉鎖しようにも出来ないらしい。それを直接聞かされた訳では無い。"相手の心の中を読み取ることに長けた"彼の頭にそのことが流れ込んできたのだ。同時に自分が捨て駒であることだって知った。彼ら曰く、ほぼ死ぬ(もしくは行方不明になる)ことが確定しているようだ。


え、ちょー嫌なんだけど。

そう言いたかったがついぞ言い出せなかった。就活は途中でやめたのでこれからの生活には困る。家族は彼が審神者になることで、大金を手に入れることができるらしい。高校もバイト三昧、大学も奨学金とバイトの掛け持ちでどうにか凌いできた。貧乏な家庭の長男として育ち、災難続きの両親の苦労も、これから進学するかもしれない弟や妹のことも考えるともう引き返せないのだ。

それに、"相手の心の中を読み取ることに長けている"という特技があっても、押しやら圧に弱いせいで散々な目にあってきた。生まれつき弱気な自分に声をかける。

お前つくづく運ないよ。どんまい、と。

「よし」

ずっと門の前に立っているわけにはいかない。意を決して1歩足を前に進めた。肌を刺すピリピリとした何かを感じて、二の腕に鳥肌がたっているのに気づいた。

あ、ここは危険だ。

それを再確認したが、足を止めることはしなかった。


◇◆◇



向けられる視線や敵意は痛いが、"彼ら"はこちらに手を出してこようとはしない。おかしいな、この様子なのにどうして前任たちはいなくなってしまったのだろう?油断した隙にやられてしまうのか?それなら、何人かそれなりに優秀な霊力を持ったやつを派遣してるらしいのにどうしてこの状況は一向に改善しない?


何振りかの刀剣たちと会って、事情を説明して十数分。彼はそんなことを考えながら、本丸を探索することにした。まずは自分がこれから過ごす場所に何があるのかを知っておきたかった。


「うわ…。これ、昼の時代劇の再放送でしか見たことないわー」

彼は臆病な割に好奇心は旺盛であった。探索中、ちょっとした音でひっと引き攣った声を上げ、刀たちと目が合えば一目散に走って逃げるが、探索をやめることはしない。

彼の唯一の特技は、相手と数秒目が合ってないと発動しないので彼らのことを読み取ることはできなかった。というか神様の心って読み取れるものなのだろうか。そんなことをぼんやりと考えた。


◇◆◇



「ん?なんだこれ?お札?」

本丸の奥の奥の奥。もう何年も誰も来ていないように見える廊下の柱に貼られたそれが目に入る。

こんなのがあるとかマジでお化け屋敷じゃん。誰だよ付けたやつ。

これから過ごすところにこんなのが合ったら、夜に1人でトイレに行けなくなるから無理。剥がしていいかな?てか、剥がそ。

「よっ、と」

ちょっとの好奇心と、ふつふつ沸いてきた恐怖心の間で少し揺らいだが、好奇心に任せてそれに手を伸ばす。届かないところにあるわけでないので、簡単に剥がすことができた。これを貼った人、そこまで背が高くないんだろうな。どことなく「頑張って貼りました」って感じのそのお札を見て思う。


「……あ、そういえばこれ剥がしていいやつ?」

剥がした後に、はっとそんな事を思った。剥がす前は「剥がしていいやつ」とか「剥がしてはいけないやつ」という考えが、自分の中にはなかったのだ。

これから生活していく上で「怖いからあってほしくないもの」だからと割と軽率に剥がしてしまった。文化祭のときに調子に乗って作った「見た目だけはいかにもなお札」を剥がした時の気分だったさっきとは違った恐怖を覚える。彼の短所のひとつは考えなしに行動するところだった。しかし、後悔しても今更遅い。

「どうしよ」

そう呟いて、呆然とそのお札を見つめる。すると、それはボッと急に燃え上がったので慌てて手を離す。廊下に落ちる前に、そのお札は灰になって燃え尽きてしまった。

「え、なになに。…燃えた?」

状況が分からない。え、やっぱり軽率に剥がしてはいけなかったのでは?絶対なんかヤバい封印とか解いた系のやつでしょ?そう考えながら、早くこの場から離れようと廊下を早足で歩いていると一振の刀に会った。さっき見た刀たちとは違う刀だった。キョロキョロと辺りを見回していたその刀と目が合うと、顔色を真っ青にしながら近付いてきた。何やら慌てていた。

「なんでこんなとこに...!」
「ちょ、どうしたの?」
「逃げろ!早くここから逃げるべきだ!"ヤツ"が来る!思い出したんだ!…早く!早く行くぞ!」
「え、え?」

どうして彼がそんなに切羽詰まっているのか分からない。"ヤツ"って何?思い出したって何?己の腕をつかみ走り始めた自分よりも背の低いその刀の後ろ姿が目に入る。傷だらけだ。綺麗な顔も、透き通った白い肌も、自分の腕をしっかりと掴んだ指先も何もかも傷だらけだ。そんな風に走ったら、きっと、きっと傷が痛いだろう。どこかで傷を手当しないと。手入れのやり方は何となく聞いたし、手入れする部屋に案内してもらわないと。そんなことをつらつらと考えていると、ふと何かを感じて後ろを振り向いた。

「……?」
「…速度を緩めるな!もっと速く、疾く!追いつかれないように…」

たった今走り抜けてきた廊下の先が何故か真っ暗だった。え、何?なんでそんなに絵の具を垂らしたように真っ暗になっているのだろう。不思議に思って走るスピードを緩めると、自分の腕を掴んでいる刀がこちらを振り返ってそう言った。

「くそ、やはり勘づかれた」
「え?どういうこと?…てか、あの先に何か、何か…」

そう、その先には何かがある。あの黒よりも更にずっと真っ黒な何かがあるのだ。それが猛スピードでこちらに近付いてきている。

「やべ、追い付かれる!」
「……!」


そうその刀が声を上げた時には、もうその刀と真っ暗な"そこ"に沈められてしまっていた。


「__ぃ………」
「……?」

身体は、特に足は何かが絡みついてあまり動かないが、まだ意識はしっかりしている。もしかしてこれが前任たちが行方不明になった原因か?そう考えながら周りを見まわす。ダメだ、何も見えない。ここからの出方も分からない。終わった。僕はここで"終了"だ。そう確信した。

手を掴んだままの刀が小さく何かをつぶやいているのが聞こえた。彼は耳を澄ます。

「いち兄、ごめん。でも俺、今度こそ大将を守ったから…」
「…っ」


___ねえ、兄ちゃん!


頭の中に声が響く。自分からしたらまだまだ小さい弟と妹の声。お兄ちゃんだから、その言葉で今まで散々苦労してきた。

特に苦労したのはやはりお金のことだ。高校を出たら就職しようと思っていたけど、何かあった時のためにと大学を両親に勧められた。選んだのは実家からチャリで通える距離の近場では比較的に安い公立の大学。自分の学びたかったことを学び、自由な時間の殆どをバイトの掛け持ちに費やした数年間。ずっと学びたかったことを学べはしても、頭の片隅にはやはり就職すれば良かったと言う言葉がずっとついてまわる。弟や妹が偶に言う"将来の夢"というやつの成り方について調べると、やはりお金はどうしても必要だった。

就活が始まって少し。まだまだ意気込みだけは廃れてなかったその時期に声を掛けられた。"審神者"にならないか?と。

平凡だった自分が、なれるものが極端に少ない"それ"になれる素質があることを知って彼は少しだけ嬉しくなった。いくつかの資料を貰って確認したのはやはり給料だ。その特殊性故かそれともなれる人間が限られるためなのかそれなりの額だった。そして次にパラパラと資料を捲って目に入ったのは、割と危険も伴うことがあるためか審神者になると支払われるらしいお金と、そしてその近くに小さく書かれた殉職の際に貰える給料だ。桁が違った。死ぬ予定はないが、"もしも"のとき、家族に遺せる"それ"を見て僕は何故か微笑んでいた。

そんな"あの日"が頭を過る。笑う家族の声が頭に響く。


「……」

この刀にもきっと大切な誰かがいて、その誰かもきっと彼のことを___。

「……っ」
「大丈夫」
「は?」
「君はきっとその"いち兄"に会えるよ」

そう言って微笑んだ。暗くて相手の顔なんて見えなかったけれど構わない。平凡な自分に何故か備わっていたちょっとだけ非凡な素質。それがどんな感覚なのかは分からない。けれど、それでも確信していた。大丈夫、だと。

「握って」
「は、何言って…」
「ほら」
「……」

彼の手を握ったままだった刀の手を解く。そして彼の両手を握るようにその刀に言った。刀は目を見開いて、目の前の男を見る。

が、暗すぎて何も見えない。どうにか暗闇の中で手をさ迷わせて、その手を握ることができた。刹那、先程まで暗かった世界に鈍く光が灯る。刀は目を瞠った。

再びその刀を見て、目を合わせていつもの特技を使う。彼の感情が、考えが、何が起こっているのかが何となく流れてきて、彼は瞬きをした。


___ああ、やっぱりこの本丸。異常だ。


それを再確認した。


「大将、アンタもしかして…」
「君、名前は?」
「…後藤藤四郎」
「後藤藤四郎くん」

ぽつりと零したその言葉を彼は繰り返す。そして頭の中で、どうにか"ここ"から後藤を逃がす方法を考える。しかし、平凡な生き方しかしてこなかったせいで、突飛なことは思い浮かばなかった。でも、後藤を助けられる。彼だけはどうにかできる。そんな自信が何故か彼にはあった。

「君は大丈夫だ。ちゃんと帰れるから」
「意味、分かんねえ」
「……僕もどうして自信満々なのか分かんない。でも、大丈夫だよ」
「…!」

そう呟いた時、目の前の刀の彼の姿が消える。それと同時に手のひらには一振の刀が乗っていた。その刀をそっと撫でる。そして目を瞑った。


__どこでも良い。彼を安全な所へ。

そう願った。手のひらが熱い。"何か"が集まっている。そしてそれが弾けた。ぱっと目を開けた。自分の手のひらの上にはもう何もなかった。

「帰れたかな…」

そう呟いて、再び真っ暗になった世界で体勢を変えようと動こうとする。しかし、"それ"はもう彼を"侵食"しかけていた。

思うように動かないらしい身体のことは諦めて、彼はまた目を瞑る。目蓋の裏に浮かぶのは、随分と遠くなった家族の姿だった。もう一度だけで良い、会いたかったな。

「はは、ほんとに。何でこうなったんだろう」

1人だけの暗闇でそう呟いた。そしていつものように思う。


___ああ、ほら。やっぱり僕はついてないね。


「最後も、"ハズレ"だ……__」


◇◆◇



ちっせえ。

決して悪口のつもりじゃないが、自分の弟たちのようにチビだ。彼女を見たとき素直にそう思った。

姿こそ彼女の前に現したことはないが、何回か一方的に見ていたことはある。そのあっと驚くような力とは違い、彼女は普通の人間にしか見えなかった。見えなかったが、そうか"彼と同じか"とも思った。"そのこと"にどれぐらいの刀が気づいているかは知らないが、三日月宗近と薬研と今剣は少なくとも何となくは分かっているはずだ。

まあだからといって、"そう"だったとしても彼のようになるかもしれないが。


「.....」

彼女が廊下を雑巾がけしているのを見つけた。その様子を遠くから見つめる。

「なんで追い返さなかったんだ...」
「変われると思ったからからだろ?」

独り言のつもりだったのにその言葉に返答が返ってきたので振り向く。

誰かと思えば、薬研だ。


「期待しても無駄だってもう分かってるだろ?」
「そうだな。でも今回ばかりは分からないぜ?」
「.....そうだといいな」

そう呟くように言ってから自分の掌を見る。指先の細かい傷に無意識のうちに爪を立てていたらしい。痛みには慣れてしまっていたので気付かなかった。小さくため息をついて手を握りこんだ。

もう何人ここから"人"が居なくなったか分からない。最初は強制的に閉鎖されると思っていたが、どういう訳か政府は"人"を送り込んでくる。彼ら彼女らはきっと力もそれなりにあり、そして良い人間だったのかもしれない。人によってはすぐに変貌したから分からなかったが。

「.....」

脳裏に一人の男の姿が思い浮かんだ。ビクビクと不安げに瞳を揺らしながらも、俺を逃がしてくれた彼。


___君は大丈夫だ。ちゃんと帰れるから


その言葉通り自分はここにいる。また大将を守れなかった自分がのうのうとここに立っている。

必死にいち兄や色んな刀に頼み込んで、本丸からすぐに追い返してもらうようにしていた。中には今ここの審神者になった彼女のように帰らないものもいたが、そいつらの末路なんて皆一緒だ。


__"奴"の力が強くなっている。

1回触れたせいでそれはよく分かる。もしかしたら博多とかはこの感覚が分かるかもしれない。このぞわりとした暗闇がさらに強くなっていて、あの日を鮮明に思い出す。

そんな力を無意識に圧倒している彼女が何者かは知らないが、きっと"彼"と同じで彼女は"半分"なのだ。

「なあ、薬研」
「なんだ?」
「もう後悔はしたくないな」
「ああ」


__次こそは守らないと。


「...とりあえずここはOKかな。この柱の傷はどうしようもないから修繕キットなるものを買って...えっと」
「.....」

独り言を言いながら雑巾とバケツを持って、刀たちを避けるように廊下を歩いていく彼女について行く。この先はあまり近づかない方がいいろうから、と。

それにしても器用だな。まるでみんなの居場所が分かっているみたいだ。


「なあ、大将?」
「へっ、...え?だれ?...ですか」

声を掛けるとビクリとその小さな肩が揺れた。想像していたよりも驚いた様子に少しだけ申し訳なさを覚える。振り向いた彼女はこちらを見るなり首を傾げた。その不安げに揺れる瞳を見て思う。

__次こそはきっと


「その先はあまり行かない方がいいぜ?」

(...助けられた?なんで?)
(俺はまた、守れなかったのか...)
昨日の繰り返し方を教えて
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