私が死ぬまで夜を吐き出して


___どんなに早く走ろうが、どんなに遅く歩こうが、たとえ落とし穴に落ちようが、どれだけ遠くへ逃げ込もうがお前は必ず俺のところに帰ってくるよ。

なんてその人は真面目な顔で言っていた。そんな恥ずかしい言葉を一体全体どうやったら紡げるのか私には全く理解できなかった。


◇◆◇



「……辛い」

もぐもぐとそれを咀嚼し嚥下する。口の中に広がるその味に思わず顔を顰める。ピリ辛肉まんというのをコンビニで見かけて、衝動的に買ってしまったのを後悔した。新商品という言葉に弱い自分にも、辛いの全然食べれないくせにピリ辛なら行けると思った自分にも腹が立った。水、と考えるが朝に買った飲み物は既に空だったのを思い出してため息をつく。

「舌がヒリヒリする。あれ、絶対ピリ辛じゃない。激辛じゃん」

そんなことをブツブツ言いながら、ポケットの財布から1枚のレシートを取り出す。"ピリ辛肉まん"とそこにはしっかりと明記してある。やっぱピリ辛だったのかな。最近辛いの食べてないせいで、余計に辛いの食べれなくなっただけかもしれない。そんなことを考えながら、レシートを財布に戻すことなく手のひらの上で燃やした。

「さ、さっきから飯食ったり、ブツブツと何か言ったり余裕だな!クソ呪術師!」
「んー?肉まんの話。コンビニで最近出たピリ辛肉まんって知ってます?」
「……き、貴様!この状況でどうして呑気に笑ってられる」

目の前のその男は信じられないものを見るような目で私を見ている。目の前には沢山の呪霊がいる。それはこの目の前の男が喚んだものだ。男は多分ただの一般人だ。一般人だったんだ。呪霊なんて目にも出来なければ、祓うこともできなかったかもしれない。でもたまたま呪力は持っていたのかもしれない。きっとそうだろう。だって、そのせいでこの事態が起こってしまっているのだから。

最近、インターネットの普及により動画配信アプリが人気である。様々なジャンルがある中でいわゆる「ホラー」とかそういったものもそれなりに人気があるらしい。その動画配信アプリでは簡易召喚の儀式が最近話題だ。何も知らない、見えないものからすればただの迷信であるし、術師から見てもそのやり方を見るまでそんな方法があるとは思わなかった。動画の配信者が適当に理論づけて、適当に言葉を発し、適当に象ったそれがどういう偶然か奇跡か、"本物の召喚の儀式"になってしまったのだ。一般人からすればそれはただの度胸試しであり、暇つぶした。「これで霊を召喚できます」なんていうインチキ野郎は世の中に沢山いる訳だし。

今目の前にいるこの男は完全に呪霊に身体を取られてしまっている。ペラペラ喋っているし、知性も普通の人間並にあるかもしれないが所詮は借り物だ。その身体の持ち主はきっとちょっとした才能があったのだろう。面白半分で行なった儀式でまさか本当に呪霊を呼んでしまうなんて思いもしなかっただろう。殺され、身体は乗っ取られ、今や呪霊の思うままになっている。


「ねね、おっさん。私、早く帰って水飲みたいんだよねえ」
「は?どう見ても多勢に無勢、お嬢ちゃんが不利に決まってるだろう。……はは、まさか強がりか?」
「は?そんな訳ないじゃん。あんたは私に触れられずに祓われるよ」

にっこり笑ってやれば、そいつは目を鬼のように吊り上げてこちらを睨みつけた。完全にキレている。まあわざとそうなるようにこうやって軽口をたたいているのだから成功だろう。中途半端に出来上がった知性ほど厄介なものはない。それを怒りは鈍らせてくれる。馬鹿正直にキレて突っ込んできてくれた方が手間なく片付いて早く終わるのだ。


◇◆◇



「もっしもーし。任務終わりましたぁ。迎えはさっき言った通りいらないからね。電車で帰る」

ちゃっちゃと呪霊も片付け、奴らが屯っていた廃ビルから抜け出した。向こうがキレて単純に攻撃してくれたおかげか1時間もせずに任務は終わった。口の中に肉まんの辛さは残っていないが、どうしても水が飲みたくて目に付いた自販機で水を買いながら、任務完了の連絡をする。今日はこれ以外に任務はない。報告書は明日提出だし、さっさと帰ってお風呂入って寝ようかな。最寄りの駅の場所を調べながら考える。徒歩10分のところに目的のところがあった。地図を見ながら歩き始める。


「あ、ここ…」

数分歩くと既視感のある風景が視界に映る。何だっけ?特に目印になるような建物がある訳でもないが何故かとても懐かしい。この辺は任務以外に来たことがない。てことは任務できたんだろうなあ。ぼんやりとした頭の中をいつかの幻影がさ迷い始めたみたいだ。特に何を思い出すでもなくその景色を少しだけ見てからまた歩き出す。歩行者用の道を歩く。5段ほどある石階段を登る。そこで何となしに後ろを振り返った。

何でもない民家。何でもない公園。遠くに聳え立つ高い高いビル。その奥にはぼんやりと淡い色の空が広がっている。

「ここ、まだ学生だった時に来たんだったかなあ」

さ迷っていた幻影がようやく記憶へと昇華したらしい。確かあの頃は悟の態度がクソ悪くって、傑がまだ居て、硝子が髪短くて__、そんな懐かしい思い出が駆け巡っていった。

ここには確か悟と2人で来たんだ。本当は傑が来るはずだったけれど、私が代打になったんだよなあ。なんで傑が来なかったかは覚えてないけど。何となくそこにある思い出を引っ張り出してあの日をゆっくりとなぞった。


◇◆◇



高専生時代、悟は唯我独尊を完全極めていた。今でも割とそうだけれど、学生時代の時はそれがあからさまだった。

ある日、傑の代わりに任務に行くことになり、最近忙しいなあ、とか考えながらこの辺に昔あった空き家へ来た。呪霊を確認するなり勝手に突っ走ってさっさと終わらせて「帰んぞ」と悟は気だるげにサングラスを弄っていた。おかげで何もすることなかった私は、「私いらなくね?なんなら傑と悟で行くほどの任務じゃなくね?」って呟きながら彼の斜め後ろを歩く。私の声が聞こえてるのかどうか分からないが、悟はそれに何も言わずに歩いていく。それをぼんやりと見つめながら、どうして悟と傑が必要な任務だったのかについて考えた。あれぐらいなら悟じゃなくて私だけでもいけたように思える。それとも他にも呪霊がいるのだろうか。でも担任は何も言わなかったし、ここまで送ってくれた補助監督の彼も何も言っていなかった気がする。

そこまで考えて顔をあげれば、すぐ斜め前を歩いていたはずの悟の背中は随分遠くのところにあった。身長差による歩幅の違いもあり、こんなことはよくあることだ。早く追いつかないとグチグチ煩いからなあ、そう思って駆け出そうとした。

ゾワリ

「……予感的中」

少し遠いが背後から感じる嫌な気配。コイツ上手く隠れてやがったな。こんな面倒くさそうなやつがまさか悟の目でも見えなかったのだろうか。いや、すばしっこいし目に捉える範囲にいなかっただけかもしれない。呪霊にもよるが活動範囲が少しだけ広いやつもいるにはいるし。

「直線でこっち来てる。さっきのやつが倒されたことを勘づいたかな」

勘はよく当たるほうだ。それにたかがあれくらいの呪霊を祓うのに悟を派遣する意味もわからなかったわけだし、予想通りだった。急に迫ってきたその気配に構えながら舌なめずりした。「お前、その癖やめろよなあ」なんてすぐ横から聞こえる。チラリと横を見れば、悟が前方を見据えて立っていた。ポケットに手を入れ余裕そうだ。つまり私に"当たれ"ってことだよねえ。1級か準1級くらいなんだけどなあ、この呪霊。まあしくじったら悟がどうにかするかあ、なんて呑気に笑って私も目の前を見据える。住宅地から近いこともあって降りている帳のお陰か、空が真っ暗だ。いつ見てもその光景には違和感しかない。空はやっぱり青がいいなあ。

「来るぞ」
「はいはい」

呪力を放出し、意図的に私に近づくように仕向ける。いつものように私に一直線に"寄ってきた"そいつを見てもう一度舌なめずりした。あ、そういや悟にやめろってさっきも言われたなあ。

「……」

私相手に直線に突っ込むって馬鹿なんかなあ。まあ相手は私の手の内を知らないし仕方ない。直線に勢いよく私に強い力でぶつかればぶつかるほど相手の損傷は激しくなる。相手さんは助走までしてくれたみたいだから、もしかしたら私でも倒せるかなあ。いや、さすがに完璧には倒せないかもしれない。だって1級か準1級でしょ。微妙だなあ。そんなことを考えながら、意図的に寄せたその勢いの良い呪霊に向かって手を向けた。

ドゴォォン!!

すっごい勢いだったおかげで当たった反動も音も凄まじい。勢いよく弾き飛ばされたそれは妙な音を立てて飛び散った。

「倒した?……っいや、まだか…」

飛び散ったから倒せたと思ったがただ分裂しただけみたいだ。しかし先程よりも呪力は感じられない。私の体質上、やつの力をついでに''吸収"したから弱体化はできたみたいだ。

「名前、俺がやる」
「んー、いいよ」

急にやる気を出した悟にバトンパスする。吸収してしまった力が気持ち悪く蠢いてるせいで、急激に体調は悪くなるし、思いっきり当たった右手も痛い。それなりに一緒にいたお陰かその辺の理解はあるみたいだ。悟が私の前に立つ。まあ、こうやって進んでやってくれることは少ないけれど。いつもだったら、この気持ち悪さを引きずって応戦するが、今回はそれなりに等級も高いことや思いっきりぶつかったせいで吸い取りすぎた。はあ、とため息をついてすぐ後ろにあった短い石の階段を登ってそこに座る。


「ここいるからね。当てないよう頑張れー」
「わざとぶつけてやろうか?」
「体調悪いから、ぶつけられても避けれませーん」

気持ち悪いこの力をどうにか己の呪力に変えていく。そこら辺のやつだったら数秒の作業なのだが、相手が相手だし吸いすぎてしまったこともあり時間がかかった。嘔吐きながら、悟の様子を見た。彼のことだ。もう終わるだろう。ちゃんとこっちに来ないようにはしてくれてるみたいだから、やっぱ優しいっちゃ優しいんだなあ。

バァン!!

「ひえ…さ、悟!瓦礫飛んできたんだけど!?」
「うっせ、それくらい避けろよな」

前言撤回だ。頭の上スレスレを飛んでいったそれに思わず叫んだ。あんなの当たってたら脳飛び出るわ!即死確定だったと思いながら、言えば空色の目がこちらを煩わしそうに見る。周りに気配が感じなくなった。どうやら終わったらしい。悟が任務の報告をしている。帳も消えた。あとは帰るだけか。

「おら、帰るぞ」
「はいはい」

相変わらずの気持ち悪さを抱えながら、ゆっくりと立ち上がる。階段のおかげで悟の身長よりも高い位置から彼を見下ろした。上から見ても悟は美形だった。性格さえ直せばどうにかなりそうだ。いや、多少性格悪くても彼ならモテモテだろうけど。そんなことを頭の端で考えながら階段を1段降りた。

「うわっ」

ふらっと目眩がした。目の前まで来ていた悟に思いっきりぶつかりに行く形になる。絶対避けられるから受け身とらなきゃ、とぼんやりと考える。少し驚いたような空色というよりは宇宙色って感じの悟の目が視界に映る。そんな顔普段しないから面白いや。受け身のことなんか一瞬で忘れてそのまま落ちた。

「っぶね、大丈夫か?」
「……うん」

なんだ、やっぱり優しいじゃんか。抱きとめてくれたお陰で地面とチューはしないで済んだらしい。私のファーストキス、良かったね。

「ほんとに?」
「うん。さっき吸収しすぎて気分悪いだけ」
「大丈夫じゃねーじゃん」
「……あはは」

思いっきり胸板にぶつかったのに彼はいつものような愚痴なんか吐かず、本当に心配そうな声音でこちらに声をかけた。これが出会った頃ならこんな声は聞けなかったかもしれないなあ。

「何だかお前いつか消えそうだな」
「……はあ、どういう意味」
「今みたいにフラって落ちてそのまま消えてなくなりそう」
「そんな雪じゃないんだから」
「……」
「何か言ってよ」


まだ落ちてるわけじゃないのに頭がグラグラする。うーん、やっぱあれくらいの呪霊は私にはまだ荷が重いかあ。ああ、そういえば帳が消えちゃってるからこれ人に見られない?見られたら道のど真ん中で抱きしめ合ってる2人になっちゃうんだけど。

それに気づいたのかは分からなかったが、悟が歩き出す。私を抱き上げたまま。私、身長低いから遠目で見たらただの寝ちゃった娘抱っこしてるお父さんとかに見えてそうだ。いつもなら恥ずかしいって言うけど、そんな気力もないし頭も回っていなかった。気がついたらすぐそこの公園のベンチに座らされていた。

「水、いるか?」
「いらない。ちょっとだけ休んでいい?」
「うん。どうせ迎えは時間かかるらしいし」
「そっか」

凭れかかる所がないので、グラグラ揺れていれば悟がすぐ隣に座った。

「身体こっちに預けとけば?」
「うん、ありがとう。なんだか今日は優しいね」
「はあ!?いつも優しいだろーが」
「うーん。うん」
「どっちだよ」

こんなに悟と会話をしたのは久しぶりだ。最近は任務が多くて同期と話すことが少なかった。最近は先輩とかと組むことが多かったしなあ。


「やっぱお前さ、消えそうだよ?」
「そう?」

またその話か。そこまでぽやんとしているつもりはなかったんだけどな。


「俺から見えないところに行くなよ」
「……何それ告白じゃん」
「……」
「でも、それは無理かなあ」

ポツリ呟いた声に悟は何も言わなかった。

「…なんで無理なんだよ」
「だって、悟の方が勝手にどっか行きそうだもん」
「それはない」
「即答」

どうみてもいつもフラフラ掴めないのは悟なんだけどなあ、なんて云う私の考えは伝わってないらしい。私にその気はなくても、悟が勝手に目を離しそうだ。それなのに彼はそれを否定する。


「悟、私のこと大好きなんだねえ」
「そうかもな」
「……ん?」
「何?」

冗談のつもりで適当に言った言葉に、予想外の返答が来て思わずその顔をチラリと見た。「ぜってーねーよ。自意識過剰女」とか言われると思ってたのにびっくりした。

「やっぱ告白じゃんか」
「傑や硝子にいい加減にしろって言われたしなあ」
「話噛み合ってませんけど」
「何で俺、お前のこと好きなんだろーな」
「それは私が1番知りたいな」

急に会話をしてくれなくなった悟に呆れた。こんなムードも何もない告白ってある?最早夢か、からかわれてるんじゃ…とか考え始めた。会話をしているうちに気分が悪いのも少しは治り、悟の身体に凭れかけていた身体を起こした。右肩から温かさが減った気がした。

「名前は俺のことどう思ってんの?」
「うーん、フツー」
「ひっで、振られたじゃん」
「うそ、嫌い」
「よし、1回気を失わせてもう1回聞こう」
「それDVって言うんだよ!?あと冗談だからね。そ、それにね、私も……」

悟って急にアホになるよなあ、って思った。出来心で揶揄ってみたら不穏な言葉が聞こえて慌てて訂正する。こいつやっぱやべー人じゃん。先輩の「アイツはヤベーよ」を思い出した。先輩、その通りだわ。

「私も?」
「……」
「何だよ」

好き、だなんて簡単に口から出てこなかった。ぱくぱく意味もなく唇を動かす。私"も"って言ってる時点で察してほしいのになあ。

「はあ、やっぱ嫌いじゃん」
「ごめん!嫌いじゃない、です!好きだよ!悟、好きだってば」

綺麗な顔が悲しそうに歪んでいく。それに驚きながら慌ててそう言う。するとバッと顔を上げてこちらを見る。目が合った。悟の顔がいつもの意地悪するときのそれになった。やっば、嵌められた……。

「ふーん」
「な、何その顔」
「イケメンだろ?」
「すっごく」
「……」
「……」

何だか気まずい。いつもの私ってどうしてたっけなあ。お互いに無言になった。なんて声をかければいいのか思いつかないし。どうしようか。

「なあ、どうしたらお前は消えない?」
「うーん、どこかに行くつもりはないんだけどなあ。どうせ普通の生活送れないし」
「でも、消えそうだな」
「悟、やっぱ私のこと変な認識してない?……それにそんなに繋ぎとめたければ何かすれば」
「何かって?」
「……監禁はやだ」
「しねーよ、アホか」

さっき「見えないところに行くなよ」とか言ってたやつが何を言うか。


「じゃあ何か言葉をちょうだい」
「はあ、言葉?なんで」
「何となく。だって言葉って呪いじゃん。1度口に出したらどんな形であれそれは何かしらの影響を及ぼしちゃうわけだし」

いい意味でも、悪い意味でも。

「ふーん。……そうだなあ。じゃあ、どんなに早く走ろうが、どんなに遅く歩こうが、たとえ落とし穴に落ちようが、どれだけ遠くへ逃げ込もうがお前は必ず俺のところに帰ってくるよ」
「……何それ?悟ってポエマーだっけ?」
「んなわけあるか、お前のこと呪ってやったんだわ」
「うわー、逃げられなくなったね」

悟って意外と重いんだなあ。急にポエミーになるからマジでビビった。しかもよく恥ずかしがらずにそんな言葉を真面目な顔で言えるなあ。感心する。まあこんな世界で生きてるんだもん。そうなるのも仕方ないのかもしれない。

「……連れて帰ってやるから寝てろよ。顔色やべーぞ」
「んー、うん。ありがとう」

そう言ってまたさっきのように彼の身体に自分の身体を預けた。暖かいなあ、安心する。そう考えながら微睡みに落ちた。


◇◆◇



家に着いた。帰る途中に野菜やらお肉やらを買ってきたので両手が塞がっている。ビニール袋を置いて鍵取らなきゃ、そんなことを思っていると目の前のドアが勝手に開いた。いつから家は自動ドアになったんだ?と一瞬思ったが、目の前に立つ彼が目に入って、さすがにそれはないかと考える。最近お互いに仕事が忙しくて全く会っていなかったので久しぶりだなと思った。目の前でニコニコ笑っている悟はどうやら私が帰ってくるのを察したらしい。

「おっかえりー」
「……ただいま」
「どうしたの?なんかあった?」

私の手にあるビニール袋をさっと取って悟は不思議そうな顔でこちらを見ている。珍しく顔には何も着けていない。あれから随分経ったのに彼は相変わらずだなあ。その美形も衰えてないし、肌を見る限り紫外線すら通してないのかもしれない。まあさすがにそれはないか。いつまでも入ってこない私を見て悟はこちらを振り返る。さっきまで学生時代のことを思い出していたからだろうか。何だか不思議な気持ちになった。

「ううん、なんでもない」
「そう?」
「ただちょっと昔の悟を思い出して懐かしんでただけ」
「昔の俺?」
「学生時代かなあ」
「ふーん」

靴を脱いで彼の後に続く。「…鍵かけた?」と言われて「あ、かけ忘れた」と笑って玄関に戻って鍵をかける。

「そのぼんやりした感じは昔から変わらないね」
「そうかな?そこまでぼんやりしてるつもりないけど」
「僕たちがどれだけ心配したと思ってんの?」
「寧ろそんなに心配してたの?」

悟も傑も硝子も仲良いようで、でもわりと淡白だったイメージがある。それがお互いに心地よかった。

「さっすが名前だね。気づいてないとか」
「……うーん」

別に鈍いつもりはないがよく「気づいてなかったの?」って言われるなあ私。そういえば悟と付き合ってるとかそういう話になった時もこんな感じだった。


◇◆◇



あの2人で行った任務から帰ってきから、悟の元から割と狭かったパーソナルスペースが狭くなった。異様にベタベタしてくるし、どこか行く時に付いてきたり連れ回されたりした。硝子や傑は「やっとか…」ってげんなりしていた。その理由はその時には分からなかった。

「名字さん達って付き合ってるんですか?」

一つ下に後輩ができた。悟があまりにもベタベタくっついてくるから疑問に思ったらしい七海くんと灰原くんが尋ねてくる。

「付き合ってないけど」
「付き合ってるけど」
「……ん?」
「……は?」

お互いの言葉に素っ頓狂な声を上げて顔を見合わせる。七海くんと灰原くんだけじゃない、傑や硝子も「ん?」と不思議そうな顔をしていた。

「あれ2人ってそういう関係じゃないの?」
「私もそう思っていたけど…」

傑や硝子が目をぱちぱちと瞬かせた。そして数秒の沈黙の後、「悟の自意識過剰?」だの何だの言っている。それに「ちっげーよ!」と悟が噛み付いた。そして私の方に近づいてきた。

「え、私って悟と付き合ってたの?」
「そーだろ?」
「いつから?」
「いつからってお前…」

身長の高い悟を見上げるのきついなあ。てか本当にいつから付き合ってたのかな?いやでも私自身全く知らなかったんだけど。当人知らないってどういうこと?確かにお互いに「好き」とは言った。でも付き合おうなんて言葉聞いてないんだよなあ。そんなことを考えていると、悟の後ろに「…何だこの状況」って顔してる4人が見えた。コソコソと何やら話し合っている。「やっぱ、悟の妄想かもね」とか「名前が知らないってことはそうかも」なんて言っているのが聞こえてきた。「聞こえてるっつーの!」と悟が4人に振り向いた。

「ほらあの日だ」
「……?硝子どの日だろう」
「知らない」
「知らないって」

私が心当たりないだけかもしれない、そう思って硝子に聞いた。でも彼女は首を振る。色んなことを話してる硝子が知らないなら私もよく分からない。

「当たり前だろ!」
「悟うるさい。脳の血管吹っ飛ぶよ」
「誰のせいだよ」
「うーん?」
「お前だよ!」

いつになくキレてる?悟に、疲れないのかと場違いなことを考えた。

「いつもあんな感じなんですか?」
「名前は体質上家から出れなかったから、世間知らずなんだ。だから抜けてるというかズレてるというか…」

なんか好き勝手言われてる気もするし。

「分かんねーのか?」
「……あ、もしかして悟がめっちゃポエム言ってた日?」
「ブッ」
「ふっ」
「お前ら汚ねえよ!」

思い返してみてもそれしか思い当たる記憶が無い。思わず呟けば、硝子と傑が吹いた。「お前、どんな告白したんだよ」もう2人とも涙目だ。

「名前、何言われたか教えてよ」
「私も聞きたい」
「自分も気になります!」
「……げ、お前言うなよ」

悟のあの日の言葉かあ。言ってもいいけど……、と悟の顔を見る。いつになく焦ってるらしいその顔を珍しく思いながら口を開いた。

「秘密です」

そう言って、にっこりと笑った。


◇◆◇



リビングで映画を見る。私も悟も下戸だ。普通はお酒を入れるだろうと思われるグラスにジュースを入れる。2人でこうやってゆっくりするのっていつぶりだろう。そんなことを思いながら、悟の身体に寄り添った。やっぱり暖かいなあ。

「私、悟がいなかったら今頃いなかっただろうなあ」
「……急に何?」
「いや、ふと思ったんだ。悟のあの日のポエムみたいな呪いがないと私は……」
「……」

そこまで言って口を閉じた。目の前で繰り広げられる映画のシーンが目に映った。たった数分前まで何ともなさそうだったあの子もその子も、血飛沫をあげて悲鳴をあげて倒れていく。それを見た主人公が慌てて駆け寄って彼らの名前を呼ぶ。「家に帰るんだろ」だってさ。

「私、何にも知らなかったからさ、夢とか希望とかそういうの全くなかったんだよね。痛いの嫌だけど、死んじゃったらそれだけじゃん。別に死ぬの怖いとも思ってなかった」

私って"がらんどう"だったんだ。そう呟くと悟が私の頬を触った。急だから少し驚いた。

「僕の呪いは効いたんだ?」
「効果抜群だよ。何だっけ?愛ほど歪んだ呪いはないだっけ?本当にその通りだね」
「ふうん」
「その歪んだ呪いのおかげで私はここにいるんだもの」

そう言ってにっこりと笑う。悟も微笑んだ。昔のツンとした顔も好きだったけれど、今の悟も何だかんだ大好きなんだな、私。

「名前」
「何?」
「そんなに可愛く笑うと外に出したくなくなる」
「昔、監禁なんてしないよ、アホって言ってたじゃん」
「……言ったっけ?」
「今の顔は絶対覚えてるじゃん。なんか身の危険感じたから硝子のとこ行く…!」
「はいはい」

悟の言葉って冗談のようで本当のことが多いのだ。今のももしかしたら本気かもしれない。そう思ってソファから立ち上がろうとすると、腰に腕を回された。

ああ、逃げられない。

(悟って名前が笑うと他人に見せないようにするよね)
(気のせいだろ)
(気のせいなら退いてよ)
(ヤダね)

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