もう君がいないと眠れない


誰かの隣じゃ眠れやしない。

それに気づいたのは何時だったか。物心がつくかつかない頃には、弟や妹が生まれてきて早々に一人部屋を与えられた。おやすみと両親に言って、布団を被り、ぬいぐるみなんか枕元に置いて目を瞑る。最初はまだ幼さもあり寂しいなんて思っていたが、すぐに1人で眠ることに慣れてしまった。そんな私は誰かがそばに居ると眠れない。

まだ小学生だっただろうか。友達からお泊まり会の誘いを貰って意気揚々と参加した。布団を敷いて、恋バナや映画やドラマに出演していた最近人気の俳優の話やアイドルの話。話に花を咲かせているうちに夜は更け、いよいよ寝ようとした。
私より先に微睡みに落ちた友人たちの寝息、寝返りと共に擦れるシーツや布団の音。別に普段はそういう音にも、人の気配にも敏感じゃないのにいつまで経っても眠れない。あれ?お泊まり会が楽しすぎて眠れないのか、その時はまだそう考えていた気もする。
眠気はピークだった。うとうと、さあ眠れる。そう思った矢先に冴える目。それを何回も繰り返し、疲れ果てて、殆ど気を失うように眠りにつく。しかし、すぐに意識は浮上。それを繰り返すうちには朝になっていた。

その他にも宿泊研修、修学旅行、家族旅行、一番下の弟のお守りで一緒に寝た時、お泊まり会。それらを経て気づく。ああ、私って誰かが近くにいると眠れないんだと。例えそれがその当時好きだった彼氏の家に泊まった時も変わらなかった。


私、暗殺者か何かばりに気配に敏感じゃね?某映画の主人公の男が私と同じ質であった。それを見ながら考える。別に特殊な訓練受けてる訳でも、常に命を狙われてる訳でもないんだけどなあ。


誰かが近くにいると眠れない。ああ、私みたい。
1人で寝てる時に誰かが部屋に入ってくると、すぐ目が覚める。うん、分かる分かる。
家族も恋人も関係ない。うんうん。
でも、人肌が恋しい時がある。……いや、私やん。


頬が引き攣るくらい自分に似た設定の主人公を見ながら考える。ははは、何も面白くはないのについ出る笑み。一緒に観ていた妹が不思議そうに首を傾げる。親よりも私が好きだという年の離れた一番下の弟は人の膝をイスにしてスヤスヤ。うっわ、羨ましいなあ。そんなことを思いながらツンと頬をつつく。
私、もう一生彼氏できないだろうな、絶対。てかもし結婚できても寝室は別やな。もしくは滅多に家に帰ってこない人と結婚出来たら幸せかなあ。ああ、でも定年したら老後に後悔するか…。え、じゃあやっぱ一生独身かあ……。ぼんやりとそこまで考えて悲しくなった。ぎゅうぎゅうと弟を抱き締めれば、ムムッと苦しそうな声が聞こえて抱き締める腕を緩くする。そしてはあ、と盛大にため息をついた。何だろう、この人生詰んだ感覚。

弟の頭に顎をのせる。羨ましいなあ。呑気にすやすや眠る弟の姿は心底羨ましい。

あーあ、誰かが隣に居ても安心して眠ってみたい。だってこんなにも人肌が恋しいのに眠れないとか酷くない?


もしそんな相手がいたら、その人はある意味運命の人ってやつだろうなあ。

なんて適当なことをぼんやりと考えた。


◇◆◇


「……__」

何時になくぐっすり眠れたその日は気持ちよく起きることができた。目を開ければすぐそこに鎖骨が見えた。いかにも和って感じのその寝衣の隙間から見える鎖骨をぼんやりと見つめる。

それから身動ぎをして、寝返りを打とうとする。その時初めて自分の体が抱き込まれていることに気付いた。動けない。めっちゃガッチリくっ付いている。無理矢理寝返りをしようと試みる。その瞬間、更に食い込むくらいにくっついてきた。ひえー、心の中で情けなく叫ぶ。そして気づく。あれ、もしかして起きてない?と。

動けないなら動けないなりの行動がある。私からもその体にギュッとくっつく。さっきより近くなった鎖骨にふっと何気なく息を吹きかければ、体がビクッと動いて擽ったそうに笑う声が降ってきた。うん、この人起きてる。少し抱きしめる腕が緩くなったので少し距離をとって、その顔を見上げる。少し眠そうな目と視線が重なる。

「おはよう」
「……おはよ」

ふにゃり、緩められた頬に上がる口角。いや、心臓に悪い笑みだな。

「…まだ寝てていいですよ?」
「うん。……じゃあ寝返り打たせて」
「嫌です」

まだ起きるには早い時間らしい。しかし私の目はすっかり冴えてしまった。それは口に出さず、その余裕たっぷりの彼にそう云えばいい笑顔で断られた。その顔をジト目で見ると、背中にあった腕がゆるりと動いて私の瞼に触れる。何してんの、この人。つい目を閉じれば、ちゅ、なんて音がした。今、額にキスしたな。と思って目を開けるが、目が彼の手に覆われ目の前は真っ暗だった。

「おやすみなさい」
「……おはよう、したいです」
「おやすみなさい」
「………」

さっきのようにまたギュッと抱き締められた。体がポカポカして、少し肌寒い季節には丁度良いが動けない。

「……目、覚めたんですけど」
「この抱き枕はうるさいですね」
「枕じゃないっす」
「次、喋ったらその口塞ぎますよ」
「……」
「おや、静かになりましたか。ちぇっ」

ひえー、また情けない叫び。今、舌打ちした!?何がちぇっだよ。

「……ふあ」

あれ?おかしいな。さっきまで目が覚めていたはずなのになあ。急に眠気が湧いてきて、自分でも不思議な気持ちに浸かっていく。ふふ、なんて笑みが聞こえて私も笑えてきた。

おかしいなあ、私って人が近くにいると眠れない筈だったんだよ。ちっちゃい時からそうだったんだよ。そんな話を何回したところでこの人は全く信じてくれない。その事を知ってる妹と弟たちに証言させてやろうか、本当だからと言ったら不思議そうに彼は首を傾げていたなあ。だって、私と寝る時はぐっすりじゃないですか。そんなことを言った彼に私は確かこう言ったはずた。

そう___、


「幻太郎さん、おやすみ」
「おや、喋りましたね…」
「……寝言です」
「会話のキャッチボールができる素敵な寝言ですねえ」
「……」

彼の体が動いたのに気づき、薄く目を開けると綺麗な顔がすぐそこにあった。

「人がいると眠れないんじゃないんですか?」

ニヤニヤ笑いながら彼はそう零す。彼はよくその問いを私にしてくる。私のあの日に言った言葉が聞きたいのだろう。うとうとしながらも、目を開けてその顔を見た。そしていつものように呟く。

「幻太郎だけ、特別です」
「……っ」

何か息を呑む声が聞こえたが、それを意識するよりも眠気が勝る。口に何かが触れた。すぐそこに彼の顔が見える。

「おやすみなさい」
「おやすみ」

ぼんやり、ゆったり、柔らかい眠気はゆっくりとその波の中に私を引き込んでいく。人の気配も擦れる布団の音も気にならなかった。でも人の温もりは確かにそこにある。すぐに眠気の海に私は溺れて行った。


◇◆◇


「姉ちゃん!人と一緒じゃ眠れないって言ってたじゃん!!俺と一緒も無理って言ってたじゃん!!」

突然、学校帰りにやってきた年の離れた一番下の弟はそう言って私に泣きついた。ついこの間、中学生に上がったばっかりの為か少し学ランがぶかぶかしている。

「うん、眠れない」
「あれ、本当だったんですか?」
「え、幻太郎さんまだ信じてなかったの?」
「ええ、嘘だと思ってましたよ」
「幻太郎さんじゃないんだから嘘つかないし…」

弟の発言に幻太郎さんは私の方を見てそう言う。何回も言ったじゃん、本当だって。

「俺を置いて二人の世界に入るなー!姉ちゃん聞いてるの」
「んー」
「…姉ちゃん。……ええとあんたなんだっけ?げん、げん?」
「有栖川帝統です」

名前が出てこず、首を傾げる弟に幻太郎さんは嘘を吹き込む。彼の口にした名前に弟はぱちぱちとその目を瞬かせた。あー、引っかかってる。

「……ん?え?」
「嘘だよ、その人の名前は夢野幻太郎です」
「なっ、俺を騙したの?」
「さて、何のことでしょう?拙者には分かり兼ねる」
「姉ちゃんこの人大丈夫なのー!?って何笑ってんだよ」

翻弄されまくる哀れな弟を見てつい笑っしまった。そんな私を2人が見る。

「幻太郎さん、程々にね」
「ふ、そうですね。……えっと弟君。夢野幻太郎です。気軽に義兄さんとでも呼んでください」
「……」
「おや、どうしました?」

にっこり微笑む幻太郎さんを弟は呆然と見上げている。

「結婚は!絶対認めない!!」
「おや?それは困りましたね」

まるで頑固親父のようにそう言った弟に、幻太郎さんはははっと笑った。その余裕な顔に弟はぐっと奥歯を噛み締める。

「もう既に結婚してると言ったら?」
「姉ちゃん!嘘だろっ!」
「ええ、もちろん嘘ですよ?」
「姉ちゃん!」

完全に弟は幻太郎さんの言葉に引っかかり弄ばれている。助けを求める視線を感じ、ヒラっと手を振る。

「ちょっと待ってね。お湯沸いたからココア作る」
「それまで拙者と話を__」
「嫌だー」
「おやおや困りましたねえ」

楽しそうに笑う幻太郎さんと、そんな彼に噛み付く弟を見ながらココアを作る。弟はちょっと牛乳をいれた奴が好きだったな。と思い出し、冷蔵庫から牛乳を取りだした。そしてそれを入れて出来上がったものをお盆にのせる。

「はい、どうぞ」

牛乳を入れたものとお菓子を弟に、入れていないものを幻太郎さんに渡す。黙ってそのココアを飲む弟は散々弄ばれたのかムッとしている。ある意味この人と相性が良いねえ。弟は素直過ぎるし、嘘にすぐ流されやすい。そんな所が可愛いんだけどねえ。


「どうぞこれからも宜しくお願いします」
「……姉ちゃんのこと大事にしろよ!」
「ええ」
「姉ちゃんもこいつ嫌になったら帰ってこいよ」
「うーん、もう帰らないかも?」
「え?」
「嘘嘘、嫌になったら帰る帰る」
「おや、それは困りましたねえ」
「毒されてる。……絶対毒されてる」

死んだ目で何かをブツブツと呟く弟は、ココアを一気に飲むと「ご馳走様」と言って立ち上がった。

「帰るの?」
「うん、母さんにおつかい頼まれてる」
「そう、気をつけてね」
「また来てください」

スクールバッグを背負った弟は「お邪魔しました」と言って玄関に歩いていく。その後を2人で追い掛ける。靴を履き、立ち上がった弟はこちらを振り返った。

「じゃあね、姉ちゃんと……」
「義兄さん」
「幻太郎」
「ふふ、呼び捨て」

義兄さんという単語に、眉を寄せた弟は幻太郎さんを呼び捨てにしてもう一度「お邪魔しました」と言って行ってしまった。


「随分シスコンな弟ですね」
「歳が離れてたのでめっちゃ可愛がわりまくったんですよね」
「そんな弟なのに一緒に寝ると眠れないんですか?」
「ええ。……だから言ったじゃないですか」


ココアの入っていたコップをお盆に乗せて、流しに持っていく。水を出して洗いながら、ソファに座ってこちらに視線を送る幻太郎さんをちらりと見た。


「あなたは、特別ですよ」
「ええ、知ってます」

彼は得意気に笑ってみせた。

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