夜空の足跡を追いかけた


*黒の時代の話です

ぼんやりと空を眺めていれば幾つかの流れ星を見た。
短い尾を引いて瞬く間に流れ落ち消えていく。人は時折それらに向けて3回自分の願い事を云うらしい。
あんなに疾い速度で夜空を過ぎるそれにどうやって願いを伝えるのかは知らないし、きっと迷信に近いものなのだろう。
生憎自分は流れ星にお願いをしたり、見れたことに感動したりするような質ではないのでふーん、流れ星かあといつもならそう考えるだけに終わるのだが、今日はちょっとだけそれを信じてみようなんて柄になく思った。
何となく心の中にあるとある思いを願ってみる。

「……」

丁度1つの流れ星が数秒間にも渡って空の端から端を流れていったため、3回唱えることが出来てしまった。それに少々驚きつつもまあこんなこともあるのかと思いながらまた暫く夜空を突き抜ける矢のようなそれを見ていた。



◇◆◇



ある日、ふといつものように死にたくなってふらりと散歩に行くかのように外へと出かけた。

その日は中也とか中也とか中也とか無駄に私の邪魔をしてくるやつが居なかったから、ある意味暇な一日を送っていた。
雑踏の中を通り抜けて、あまり人が通らない路地を進んでいけば、通い慣れた橋が歩いて少ししたところにある。そこへ辿り着けば橋の欄干に体を凭れかけて暫くの間、川の水面を揺蕩う葉っぱや黒ぽい背中を偶にちらつかせながら泳ぐ鯉をぼんやりと眺めていた。


「…よし」

それに飽きたら次は橋の欄干を乗り越える。
改めて川を見ればキラキラと輝いていた。

うんうん、ここは相変わらずいい川だね。

なんて考えながら微笑し、落ちるタイミングを図る。
よし、心の中でもう一度そう呟き体を前へ傾けようとした。
そう傾けようとした。
しかし、とある声によってそれは妨げられた。


「おい!太宰!」
「えっ、あ、中也…っ!うわっ」

既に少しだけ前へと傾けた姿勢だったためか、それとも予想外のことが起きたために驚いたからか、聞き覚えのある誰かに声を掛けられ、それが誰かを認識した途端に足を滑らせて真っ逆さまに落っこちた。
少し遠くから焦ったような声が聞こえたが今はそれどころではない。
自分のタイミングで落ちた訳では無いせいか思わず水の中で藻掻いてしまった。
いつもならただ水に流されるだけで、まあそれなりには苦しいのだが今回は違う。
藻掻いたことによって口の中に入ってくる大量の水、そして酸素を得ようとする体のせいでいつもの比にならない程苦しい。私は自殺を試みるのは好きだが、こんな苦しい思いをして死にたくはないわけで…。
ああ、本当に困ったな…。これじゃあ自殺というよりある種の事故に違いではないか。
ほんの少しすれば体に力が入らなくて途端に意識が遠のいていく。
ぼんやりと水中から水面を見つめた。ふと、昨夜見た流れ星がチカチカと視界にチラついたような気がしたが、きっとそれは気のせいだ。
段々狭くなった視界の端で何かが動いた。
殆ど無意識のうちにそれに手を伸ばせば、ぐいっと引っ張られる感覚があったがそれを感じた時、既に意識は深い深い深淵へと墜落しようとしていた。



◇◆◇




「…ん、ここは…」

目を開ければ薄暗い部屋の天井が映る。自分がいつも寝起きしているあの部屋の見慣れた天井ではない。しかし、何処か見覚えがある気がする。そんなことを思いながら寝かされていた寝台(ベッド)から起き上がれば、自分に掛かっていた毛布が落ちる。
そのせいで目に入った自分の来ている衣服が灰色のスウェットになっていることに気がつく。ブカブカのそれを見て沢山の疑問が頭の中を埋めつくしていくのが分かった。
うーん、自分はさっきまで何をしていたんだっけなあ。最近は随分と詰まらない非日常を送っていたから、あんまり記憶が無い。それに自分はこんな服を持っていないんだよな…。ということは他の誰かの服か。
そんなことを考えながら、その服の匂いをスンと嗅いでみた。


「………」

あれ…、この匂い知ってる。
凄く凄く知ってるんだけれど…。
と思いながら初めてその部屋を見回した。そしてすぐに色々なことを理解した。
まずこの部屋の造りからして、ここはポートマフィアの誰かの自室に違いない。だから天井に何となく見覚えがあったのだろう。
そして次に寝台の横の箪笥の上に無造作に置いてあった黒い帽子。ああ、うん。もう誰の部屋か分かった。ついでにおまけとばかりに先程(だと思われる)の記憶も思い出したし…。
はあ、とため息をつきながら落ちてしまった毛布を拾い、そして畳む。それを寝台の上に置いて立ち上がろうとした時、木の軋む音が聞こえてきたのでその部屋の扉の方へと目を向けた。

ギギッという音を発しながら開いた扉の外には、少し不機嫌な表情を張り付けた中也が立っていた。その彼の頭は濡れており、手には1枚のタオルがあった。

「よう、起きたかよ。大莫迦野郎」
「うん、起きたよ。ついでに云っとくけど私は中也より莫迦ではないし、ましてや野郎でもないからね」
「ちッ、そンだけムカつくくらい元気ならまあいいけどよ」

忌々しげに此方を睨む中也に満面の笑みを向ければ、また舌打ちをされた。全く心外だなあ、もう。


「よくも私の自殺の邪魔をしてくれたね」
「はあ!?手を伸ばしてきたのは手前のくせ…」
「…えっ、わ、私が?」
「…おう」


私が手を伸ばした…?

私が救いを求めた…?

そのことに思わず目を見開いた。日頃あんなに死にたいと思っているし、死に対する恐怖もきっと他の人より薄いだろう。なのに、なのに何故自分の気持ちを無視して手を伸ばしたのだろう。生憎、意識が途切れる寸前の記憶は曖昧なので殆どないが中也の表情から、それは嘘ではないのだろう。
あーあ、と項垂れる私を見て中也が目を細めた。
その目が何だか怖くて、はあとため息を1つ。どうにかこの雰囲気を変えたいなあ。

「ねえ、中也」
「あ?なンだよ」
「私の服を着替えさせたのってさ、中也?」
「………」

そう尋ねれば明らかに目を泳がせた。気まずそうに小さく頷いたのが見える。

「その、…すまねェ」
「ふーん、まあ別に中也ならいいんだけどね」
「……は?」
「え?」

私の発言に何やら驚いた顔をする中也。私は何か可笑しなことでも云ってしまったのだろうか。と疑問に思ったが口には出さない。
何故だか若干顔が赤い中也がかわいらしくみえてしまって、我ながら気色悪いと思う。いつもあんなに嫌だの、嫌いだのと云っているのに今日は何故だかそんなことを思わないし、お互い口には出していない。不思議なことがあるもんだな。


「なンでだ…、なンで手前は…」
「ん?」
「なンで手前はそンなに死にてェンだよ?」
「……」

髪を拭きながら寝台に座る私の前まで来た彼はそう云った。
嗚呼、彼からそれについての問いを聞く日が来ようとは…と何だか変な気持ちになった。
幾度となく誰かに聞かれるそれに対しての明確な答えと云うもを実際は殆ど持っていない。
何となく、と云うわけでは無いのだけれど形がしっかりと形成されてはいないのだ。
そう云えば、中也からその質問をされたのは初めてだと思いながら曖昧に笑えば、顔を顰められた。

ちぇ、あの名高き某大企業の社長すら心酔したこの微笑みに見惚れないとか流石中也…恐るべし。

一応云っておくけど、自分の顔が無駄に整っているのは自覚済みである。最初は真逆ねと思っていたがこうも周りに綺麗だと云われ、そして云い寄られ、挙句には閉じ込められそうになった私だ。まあ、適当にあしらったけれど、そんなことがあれば嫌でも自覚するしかないよね。

…おっと話の筋かずれてしまった。

まあ何やかんやこの微笑みが効かないやつは滅多にいないと思う。ああ、でも彼は私の顔などとっくに見慣れているだろうしこれが当然なのかもしれないな…。

「さあね、なんで私は死にたいんだろうね…」

色々な建前はあるけれど、このあやふやな本音を言葉に出すのはどうも難しい。
だから、聞いてみた。
きっと云われるであろうその言葉のことは予想できているから、口から出ることに慣れたその言葉をいつものように吐き出した。


「ねえ、中也はさ…。私に生きてほしいって思うの?」

そう聞けば案の定眉間に皺が寄る。ほら云われるぞ、私。いつものようにあの言葉たちの中のどれかが発されるはずだ、と。

「ああ、生きてほしいね」
「……っ、…え?」

衝撃が走った。
物理的にも精神的にも衝撃が走った。気が付けば私の視界にはあの見慣れない天井と中也の顔だけが映っている。
ああ、これは所謂押し倒されたってやつだ。
だが、今はそれどころではない。彼は今何と云った?生きてほしいと云ったのか?
いつもみんなが云うように、死にたいなら死ねばいいだの、知ったことではないだのというようなものとは真反対のそれに固まる。
彼だってよく云っていたじゃないか。私が自殺したあとにはなんで手前生きてんだ、とか何とか云っていたじゃないか。


ぱちぱちと驚きのままに目を瞬かせていれば、中也は得意気に笑って見せた。


「傑作だな、太宰。いつもは俺が弄ばれてるンだから偶には俺だッて……ッてはあ!?なンで泣いてンだ!?」
「中也…先刻のは本当?本当に生きてほしいって…?」
「はあ!?本当だよ!!手前が死ンだら今までされた分の嫌がらせを誰にやり返せばいいンだよ!そ、それに…」
「…?」
「…いや、何でもねェ」


生きてほしいって云われた。
初めて誰かから生きてほしいって…。
どうしようか、全く…これは困った。私ってちゃんと涙ながせるんだね。なんて思考を変えようとするけれど、どうしても彼が云った先程の言葉が脳内を支配する。

「…ありがとう、中也」
「はあ!?何だよ…気色悪ィなァ」
「酷いなあ、本当に。…だって初めて生きてほしいって云われた…」
「…ふーん。そうかよ」

涙が止まらない。こんなの初めてだ…。しかもこんな姿を見せてしまっているのが中也だと考えると何だか癪である。
でも、仕方ないよね。だってだって彼の口から出たその言葉は、私が1番云って欲しかったこと。

確かに自殺を試みようとする自分が悪いのかもしれないけれど、いつだってみんなの反応は決まって死ねばいいじゃんの一つだけだ。
誰も止めようなんてしてくれない。まあ、止められても自殺をやめようとは思わないだろうけど…。
なんて矛盾した考えが渦巻く。


「中也、願いごとが叶っちゃった」
「はあ?願いごと?」
「うん、昨日ね、…流れ星に願って、みたんだ」

誰かに生きてほしいって云われてみたいって。
そう云えば彼は目を見開いた。ほら、なに変な顔してるのさ。なんていつもの調子で言葉が出てきてくれれば良いのに涙のせいでそこまでは叶わなかった。

…そう云えば、涙ってどうやったら止まるんだろう。

もう流石に嫌だよ、私。
中也に泣き顔見られたし、泣きすぎて身体中の水分持っていかれそうだし…。なんて思っていれば不意に中也の顔が近くなった。それに驚いていれば、奪われる唇。そして止まる涙。


「……え?」
「クソッタレ、いい加減泣きやめよ!」


いや、え?中也は私に何した?
停止しそうになる頭を精一杯に動かして辿り着いたのは一つのこと。


「ギャー、中也なんかと接吻したとか何それ、泣きたい!」
「はあ!?手前の先刻までの可愛らしい雰囲気は何処に捨てやがったンだよ!?」
「…中也に可愛らしいとか云われたよ…。もう1回自殺してくるねぇ」
「おう!行ッてきやがれ!」

中也の無駄に硬い胸板を押せばすんなり引いてくれたので、そのまま立ち上がり扉の方へと歩く。後ろでギャーギャー騒いでいる中也が何だか面白い。


「…太宰」
「…何、中也?」

扉を開けて外に出ようとすれば呼び止められたので振り返る。


「死ぬンじャねーぞ。自殺すンのは手前の勝手だが、生きて帰ッてこいよ」
「…それ、自殺って云わないんだよ。中也は莫迦なの?」
「…っ!明日は朝から大事な任務だからサボんなよってことだよ!」
「あー、はいはい。お気遣いありがとねー」


そう云えば中也は疾く出ていきやがれ!と舌打ちしながら叫ぶ。全くこの男はすぐに頭に血が上るんだから、と忌々しく思う。
あ、最後に言わなきゃいけないことがあったんだった。


「…ああ、中也。あの恥ずかしい帽子は疾くどうにかした方がいいよー。何なら捨ててあげようか?」
「…手前ッ!!お前を川に投げ捨ててやろうか!ああ!?」
「…あはは。やれるもんなら」


そう云って彼が此方に早足で近づいてくる前に扉を閉めれば、内側からゴツンと何とも云えない音が聞こえてきたので素早く彼の部屋を退散することにした。


ふふ、今日は何だか凄くいい日だ。


(生きてほしいって云われてみたい)
(そんなことを願ったって…)

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