2人のいる世界は変わらないで


__この世界は瞬きする間にも、ゆっくりとそして劇的に変わっていく。


「__名前?」


変わらないと思っていたものは、いつの間にか変わってしまっていたり、大きく変わったと思っていたものは見直してみると意外とそこまで変わらなかったりする。


「ねえ」


瞬く間に過ぎる"1秒"が積み重なって出来上がった世界は、いつの間にか大切なものたちを置き去りにして勝手に進んでいってしまう。後悔したって、苦しくたって、何をしたって勝手に進んでいつの間にか有耶無耶にしてしまうのだ。

それに翻弄されながら、生きていくことが時々堪らなく恐ろしく思えてしまうこともあった。


「ねー、名前」
「.......!」

彼、__五条悟が私の名を呼んでいることに気づいた。ぱっとそちらを見れば、「はあ、やっとこっち見た」と不満を滲ませた綺麗な顔が思ったよりも近くにあって驚く。

悟が「はい」と言って、私にホットミルクの入ったマグカップを渡してくるので受け取り、一口飲んでから目の前のテーブルの上に置いた。悟もココアを飲むと、同じようにテーブルに置く。


「これ、ありがと」
「べつに」


じんわりと身体が温まってほっとする。先程まで脳裏にあった様々なものが解けて、溶けて、やんわりと広がっていくようなそんな感覚に陥った。


こういうことをあまりする人ではなさそうだけれど、何だかんだコーヒーやらココアやらホットミルクやらは昔から悟が準備をしたがった。だから私も特に何も言わずにそれを享受する。

__こういうのは相変わらず変わらない。

このやりとりさえ、私をゆったりと安心させることの一つだった。


彼とは結構長い付き合いになるが、容姿は高校の時とはあまり変わらない。変なアイマスクを着けるようになったが、それの下はいつだって見慣れた綺麗すぎる顔が存在していた。

そんな彼の美しさを構成する一つである瞳が急にこちらを射抜く。相変わらず青くて冷た過ぎず、でも決して暖かくはない、けれど優しい色の目をしている。

じっと見過ぎていたかもしれない、と目を逸らそうとするけれどそれよりも早く彼が口を開いた。


「ねえ、聞いてよ」
「何?どうしたの?」
「俺さあ......」

性悪さや飄々としていて掴みどころのない所はあまり変わらないが、随分言葉遣いは穏やかになったように思える。

相変わらずちょっと、いや結構苛つく言動もあるけれど、それはそれで慣れたし、なんだかんだ嫌いでもなかった。

そんなことを考えながら、彼の話を聞く訳だが、内容は正直に言うと仕様もない。それよりも懐かしい一人称が耳に残って、私はそれに気を取られた。


「懐かしいね、それ」
「は?」


ぽつり呟けば、少しだけ彼の顔が歪む。彼の話を聞き流していることへの不満なのか、私が急にそう言ったことに困惑しているのか、それとも両方なのかその綺麗な瞳がしっかりこちらを見詰めていた。


___こういう時の顔は"相変わらず"だ。


何となくみんな変わってしまって、置いてけぼりをくらった気分でいたが、意外にそうでもないらしい。私はなんだか嬉しくなってニコリと笑う。すると更にその顔が歪んだ。


「何でニヤニヤしてんの?」
「んー?」
「んー、じゃなくて」

頬を彼の大きなてによって引っ張られる。「いて、いてて」と言いながらもにニヤニヤと弛緩する顔はそのままだ。

悟は私の頬から手を離すと人の膝を枕にするようにして横になった。彼の身長にも対応できる海外製のソファーが彼の動きに合わせて軽くバウンドした。

膝の上に乗った悟を見下ろすと、しっかりとこちらに目を合わせて口を尖らせている。つまらなそうにこちらを見る顔が何だか子供っぽい。そういえば態度も先程からアラサーのくせして、子どもみたいだ。


「僕の話、ちゃんと聞いてなかったでしょ」
「うん。だって大した話じゃなかったし」
「うわ、ひっど」

昔からそういう所変わんないね、と私から返ってきたそれに悟はうんざりしたように小さくため息をついた。私は私で先程の懐かしい一人称が元に戻ってしまったことに少しだけ悲しい、なんて思ってしまった。


「.......」
「.......」

無言で暫し見つめ合う。この時間は一体何だろう?そう聞いても良いだろうか悩んでいると、彼の上に置いていた手に手が重なる。


「擽ったい」
「ちっちゃい」
「離して」
「なんでこんなに違うんだろうね。柔いし」


会話のキャッチボールをお互いにする気はないらしい。たまにこんな日もある。そしてお互いにあまり気にしていない。

やわやわと人の指を勝手に触る彼の指は冷たくも熱くもない。私のよく知る体温だ。


あの頃とは"自分"を構成している細胞も血液も何もかもが新しくなってしまっている。それでもこの関係だとか、温もりだとか、懐かしい思い出とかは変わらない。変わってしまうこともあるけれど、確かに私の胸には残っていて、ちゃんと私を構成している。


「悟」
「んー?」
「私たちって"変わらないね"」
「そ?お前は随分大人っぽくなったと思うけど」

昔はちんちくりんで.......、なんて言ってからかうようにこちらを見上げる彼にむっとすればカラカラと笑われた。

「でも、確かに変わらないところもあるよね。"俺たち"」
「.......っ、うん、悟は相変わらず性格悪い」
「はあ!?そこはイケメンって言うところでしょーが。それか最強」
「はいはい、イケメソ、イケメソ」
「いけめそ、ってなに?この僕への扱い酷くない?」
「気の所為だよ」


__ああ、本当に変わらない。

いっぱい変わったことはあるけれど、沢山苦しい思いもしたけれど私たちは変わらない。

何が面白いのか分からないのに肩を並べて笑い合って、よく分からないことで喧嘩して、一緒に何かに立ち向かって、懐かしい苦しみに溺れる。

ふとした時に昔のようになる悟も、先生をする悟も、時々遠くを見据える悟も全部全部……__。


「はあ、堪らないなあ」
「急に何言ってんの?」
「ううん。.......これからも、悟と居られたらなあって」


こんな仕事をしていると明日すらどうなるのか分からない。あと1秒後、私は彼とともに居られないかもしれない。世界はたった1秒で変わっていく。緩やかに劇的に変わっていく。


「__いれ、.......っ」

居れるよ、きっとそう言ってくれようとしたんだと思う。

けれど、彼の返事を聞きたくなくてその唇にキスを落とした。この体勢は背中が痛いけれど、そんなことよりもこの溢れ出しそうな感情の方が痛い。不確定な未来への恐れと、苦しくてでもかけがえのない過去への悔恨とか、そんなものに押しつぶされそうだ。


悟は"最強"だけれど、私は.......。


いや、でも最強な悟でもいつかはどうにかなってしまうかもしれない。私よりも先にどこか遠くに行ってしまうかもしれない。

あの傑だって、いつの間にか遠くに居なくなってしまったし。


「.......」
「.......」


普通の人よりも"死"だとか"別れ"だとかが多いこの世界で私たちが生きていくためには、これ以上変わりたくないともがきながら、それでも変わっていくものを享受しながら、恐ろしいものを相手に戦って、色々なものを得ては失い苦しんで、息をしていくしかない。


「__名前」
「悟」


唇を離せば、憎ったらしいほどに綺麗な顔が目に入る。見慣れた、愛おしい、懐かしい、忘れたくない顔。その輪郭をゆるりと撫でてから私は笑いかけた。


「.......」
「そろそろ眠ろう?」
「うん」


悟がゆっくり起き上がる。それからテーブルの上のココアに手を伸ばすので、私も倣ってホットミルクを飲むことにした。

とっくに温くなってしまっているけれど、変わらない優しい蜂蜜の甘さが大好きだ。

「__おいしい」


(この時間が永遠になってくれたなら)
(私たちもサヨナラなんてしなくていいのに)

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