春が熟れた


思えば昔からパシリ体質であったように思う。中学の時も同級生の男子にことあるごとに使いっ走りにされていたし、高校に入ってもそれは変わらなかった。まだ入学してすぐだというのに、他中だった男子、しかも不良に絡まれた。ことあるごとに、彼は「名字ちゃーん、これ買ってきて。購買行くのめんどう」だの何だの言い、時には休みまで呼び出してきやがった。半ば脅され、強制的に交換させられたその連絡先の名前を見るのが嫌だった。

「あいつ名前のこと、彼女だって言ってたよ」
「え?」
「まあみんなそれはないって分かってんだけどさあ」
「嘘でしょ?」
「一方的な片思いだよ。しかも妄想癖でもあるのか、名前のこと完全に彼女だって思ってるらしいよ?」
「……ええ、なんで?」
「……うーん、とりあえずその自分の顔を鏡で見ておいでよ。ご愁傷さま」

しかも彼は私と付き合っている、という認識らしい。いや初耳だけど。パシられてることを相談すればそんな話を聞いてしまった。しかも友人は訳の分からないことまで言われた。顔?なぜ私が自分の顔を確認する必要があるのだろう?まさかなんかついてる?え?うそ、はっず。そう思ってお手洗にダッシュしたがいつもの自分の顔がそこにはあるだけで特に変わったことはなかった。からかわれてただけかもしれない。

嫌ならちゃんと断りなよ、友人は私に苦笑してそう言っていた。分かってる、そう言ったものの私にはどうしても彼を突き放すことができない理由があるのだ。


___名前 早くシろ こいツを 食っチマってもいいんだナ?

「なあ、名字ちゃーん、この500円で何でもいいからパン買っといて。2つな。俺、呼び出しくらっちまってさあ」

__ハヤクしろ

「うん、わ、分かった」
「じゃ、よろー」
「うん」

そうコイツだ。私が彼と初めて会った時からコイツはそこで彼の首にその爪を向けて立っていた。一体彼がソイツに何をしたのかは分からない。なぜそのバケモノは彼にいつもその異形な形をした爪を向けているのかも分からない。私がそのバケモノと目を合わせてしまったのが全ての始まりだったのだ。


そう、私はこの摩訶不思議で奇妙なそのバケモノが見えるのだ。誰にも言ったことはない。それは生まれた時から普通に私のそばにあった。目を合わせればニタニタ笑って追いかけてくるのだ。対処する方法なんて知らないから私は知らぬふりをするか逃げ回ることしかできないのだ。たまに触れるとふわりと消えることがあるのだが、それは毎回できるわけでもない。だから私はやっぱり見知らぬふりで逃げることしかできないでいた。


そんな私はある日、普通の高校に通えなくなった。所謂呪力?なるものが私にあるらしく、しかも私は呪霊、つまりあのバケモノが見える。そしてどうやら祓うことができるらしい。とある事件で私を助けてくれた五条先生の説明が適当だから半分以上よく分からなかった。あの先生は呆然とする私に色々適当な説明をし、そして「あ、名前ー、君さあ転校ね?」と馴れ馴れしく名前呼びで呼んできて、勝手に転校の手続きまでしやがった。私に説明する前に親を言いくるめたらしい。親は元から放任主義でしかも呑気な質のせいで簡単に承認しやがったのだ。

そして転入?したのは良いが、私の同期は伏黒君1人だけだった。え、2人ってまじ?しかもこのイケメンとですか?とは思ったが、彼は任務というものによく行くらしいので1回しか会ってない。何なら五条先生には転入したその日以来1回も会ってなかった。

呪術高専に来たのは良いが、彼らには会えないし学長はめっちゃ怖い。暇な時間は時間を持て余して何をすれば良いのか分からなかった。だから学内を散策しようと思った。しかし、誰も案内してくれる人なんていないので、キョロキョロと見慣れない学内を見回しながら歩き回る。

ひっろいなあ、てかここどこだろう?あはは、完全に迷子だどうしよう。

声には出さないがだいぶ焦っていた。冷や汗をかきながら辺りを見回す。階段をのぼって、外の景色を見る。いやあ見慣れない景色だなあ。うん。

「……はあ」

思わずため息をつく。さっきまでの意気揚々とした小学生ぶりの探検心は、今や寮にちゃんと戻れるかなっていう不安にすり変わっていた。

ちょんちょん

「は、はいっ!」

誰かの手が肩に触れた。慌てて振り返る。そこには1人の男の子が立っていた。最近流行りのマッシュ?のような髪型で口元を隠している。この学校には目を隠してる人に、口を隠してる人、色々いるなあ。

「何かご用ですか?」

私以外には伏黒君しか同級生がいないので、多分先輩だ。気だるそうな目が私を捉えている。

「……」
「あ、あの……?」

首を傾げればその人は私から目線を外した。なぜだかめっちゃ目が泳いでる。思わずもう一度声をかければその肩がビクッと震えた。そしてもう一度私と目を合わせる。そして何かを私に差し出してくる。

「あ、これ……。わ、私のです!拾ってくれたんですか?」
「……」

彼は何も言わない。でもしっかりと頷いた。彼の手にあるキーホルダーは友人と遊びに行った時にお揃いで買ったものだった。昨日外れてしまったのだ。スカートのポケットに入れていたのだが、落としてしまったらしい。

「ありがとうございます!」
「……」
「……」

勢いよく頭を下げる。先輩?はあわあわと首を縦に振るだけで喋らない。思わず顔を上げてその目をじっと見つめる。私と話したくないのかもしれない。

「しゃけ」
「へ?しゃけ?」
「つ、ツナマヨ。明太子…」
「え?」

さっきからどうしたのだろう?なんだろ、しゃけとかツナマヨとかって。

「せ、先輩?ですよね?」
「しゃけ」
「……」
「……」

彼は頷く。そして2回目のしゃけ。彼の手には私のキーホルダー。

「お、おにぎりの具?」
「しゃけ」

彼はまた頷いた。3回目のしゃけ。私の頭の中には3つのしゃけ、1つのツナマヨ、明太子というメモが出来上がる。そういうのを覚える癖を身につける原因になった前の学校の不良の彼を思い出す。「あ、名字ちゃーん。きょうはおにぎりの気分だわー」というあの声が頭を響いた。

ま、まさか私はここでもパシられるのか。いや、でも先輩がキーホルダーを拾ってくれたのは確かだし、お礼は必要。でも、それをしたらこれから先ずっとパシられたりしない?いや、でもお礼はいる。あと、1年は私と伏黒君だけ。目を付けられた?

頭の中ではそれらの思考がぐるぐると回る。

「せ、先輩。購買ってどこですっけ?」
「高菜」

彼は廊下の向こうの方を指をさす。ついでに高菜という言葉。教える代わりに高菜も追加?私は震えながら頷く。先輩は不思議そうに首を傾げた。その手にはまだ私のキーホルダーが人質のように握られていた。

「こ、ここで待っててください!」
「?」
「えっと…、しゃけ3つ、ツナマヨ1つ、明太子1つ、高菜1つですね!分かりました!いってきまーす!」
「……!?」

良かった。財布を持ち歩いてて。私は先輩が指した方に走る。何やら驚いた表情をしていたが、そんなことより待たせたら更に増えそうで怖かった。

「すぐ戻ります!」
「……お、おかかー!」
「つ、追加された」

どうかおにぎり売っててくれ、と願いながら走る。"廊下は走っちゃいけません"なんて私の頭にはなかった。時間が経つと1つずつ増えていくらしい。それに身震いしながら走れば、すぐそこに購買が見えた。近い。

パンやおにぎりなどの軽食に文房具なども売っていた。先程のおにぎりの具を復唱しながらおにぎりを手に取る。良かったー、ちゃんと全部ある。たくさんのおにぎりを会計に持っていくとおばちゃんが「あらまあ、いっぱい食べるのねえ」とニコニコしながら袋に入れてくれる。それに苦笑してからお礼を言って、またさっきのところに戻った。


「なあ、こんな所に棒立ちしてどうしたんだよ?」
「明太子…高菜」
「は?ここで待ってろって言われた?誰に?」
「すじこ」
「可愛い子だってよ、真希。告白?」
「さあな」
「おかか」

そこには先輩の他に、眼鏡の女の人とパンダが居た。

「ぱ、パンダ……」
「お?」
「誰だ?」
「……は、はじめまして。1年の名字名前です!あ、あだ名は"××のパシリの名字ちゃん"でした!パシリでいいです!」

やっば、何か緊張していらないことまで言ってしまった。これじゃあ自分からパシッてくださいって言ってるようなもんだ。

「……お、おう」
「五条先生もだけど、天使みたいな美形って変な奴が多いのか?」
「しゃけ」
「?」

やっぱり変な自己紹介のせいで反応は芳しくなかった。初対面なのに、初対面なのに……と心の中で割と傷つく。

「えっと、名字?」
「は、はい!」
「明太子」
「…そうだな」
「うん、顔はいいな」

……明太子?(多分)先輩たちの会話はよく分からないが、微妙な顔をされている。あれ?と首を傾げながらどうしようと俯く。自分の片手のおにぎりの入った袋が目に映った。

「あ」
「ん?どうした?」
「こ、これどうぞ、です」
「何だこれ?おにぎり?」

さっきの先輩にその袋を渡す。女の先輩とパンダの先輩?もその袋の中を覗き込む。そこに入ってたものを見て3人(2人と1匹?)とも首を傾げた。そういえば、このパンダさん喋ってね?と場違いなことを考えながらその様子を見る。

「こ、これは?」
「すじこ」
「キーホルダー拾ってくれたお礼です。えっとしゃけ3つ、ツナマヨ1つ、明太子1つ、高菜1つ、おかか1つですよね?」
「は?」
「お前、パシッたの?」
「……おかか」
「ん?おかか2つでしたっけ?」
「……おかか」
「……み、3つ?」

先輩は私の問いに首を振る。他の先輩が「あー」と声を上げた。

「えっと名字、その…それ勘違いだ」
「へ?」
「コイツは語彙がおにぎりの具しかないんだ」
「しゃけ」
「?」
「つまりおにぎり買って来いってことじゃなくてだな」
「しゃけしゃけ」

勘違い?どういうことだろう。それに語彙がおにぎりの具ってどういうことだ?頭の中は疑問符だらけである。

「コイツは狗巻棘な。呪言師ってやつでな。その性質上普段の語彙がおにぎりの具なんだよ」
「は、はあ…。狗巻先輩。呪言師。語彙がおにぎりの具?」
「しゃけ」
「"そうそう"だってよ」
「で、俺がパンダ。で、こっちが真希だ」
「まあよろしくな」
「……は、はい!よろしくです!」

ガバリ、頭を下げたものの実際何も理解できていなかった。語彙がおにぎりの具?語彙がおにぎりの具?頭の中で繰り返す。そういう人に会ったことがなかったため、ピンと来ない。

「明太子」
「"キーホルダーどうぞ"だとよ」
「あ、ありがとうございます」

狗巻先輩はコクコク頷きながら渡してくれた。

「つ、つまりおにぎりは?」
「あ、ああ。買って来いって意味じゃなかったってことな。まあ初対面じゃあ仕方ない」
「……っ」
「な、なるほど」

両手を前で合わせて先輩は「ごめんなさい」と言うように頭を下げた。

「あ、頭上げて!ください!ちゃんと話聞かずに購買に走った私が悪いんです」
「おかか」
「まあちゃんと話聞いてたら、今の倍のおにぎりになっただろうな」
「…うん」

あわあわと頭を下げたままの先輩に慌てる。それに対し先輩は首を横に振る。私も首を振る。

「買っちゃったのは仕方ないんで、是非食べてください!」
「お、おう」
「すじこ!」
「お金払うってよ?」
「いえいえ、大丈夫です!パシられ慣れてるんで!」
「いや、それはそれでどうなんだ!?さすが何とかのパシリの名字ちゃん?だっけか?」
「はい!パシリでいいですよ?」
「いや、名字って呼ぶわ」
「どうぞ好きに呼んでください」

先輩はまた微妙そうな顔をしている。変なこと言ったかな?

「す、すじこ」
「"せめて割り勘"だとよ?」
「いえ、キーホルダー拾っていただいたので」
「……め、明太子」
「"大したことしてない"って」
「いえ、大切なものだったので」
「……意外と頭かたいな」
「しゃけ……」

そうだ。このキーホルダーは"もういない"あの友人との大切なものなのだ。無くしたらそれこそ呪われそうだ。そんなことをぼんやりと考えた。

「じゃ、私はこれで!」
「あ、おい」
「明太子ー!」
「あー、行っちまった」

先輩たちに頭を下げて、廊下を進む。なにやら聞こえてきたが会話はよく聞こえなかった。目の前の角を曲がる。そして曲がってすぐ立ち止まった。


……ここどこ?


「せ、せんぱーい!」
「あ、帰ってきた」
「どうしたんだ?」
「高菜??」
「……そ、その寮ってどっちですか?」
「……」
「……迷子か?」
「お恥ずかしながら」

その後は先輩に案内されて無事寮に着いた。何ならそのまま私が買ったおにぎりをお昼ご飯にしてお喋りした。伏黒君も五条先生もいないなら学校の中案内してやるよ、と言うありがたい申し出までしてくれた。


◇◆◇



「お、悪いな」
「いえいえ、真希先輩!じゃんじゃんパシッてください!」
「さすが何とかのパシリちゃん」
「××のパシリの名字ちゃんです」

真希先輩に買ってきた飲み物を渡す。その後ろでパンダ先輩が私の前の学校でのちょっとしたあだ名を呟いた。

「そいつって彼氏?」
「す、すじこ…!?」
「棘、動揺隠しきれてないぞ」
「いえ、ストーカーばりに粘着質だった同級生の不良です」
「……片思いってやつ」
「なんか勝手に付き合っているとか言ってらしいですよ?びっくりです」
「ヤベー奴だな」
「あはは、そうかもしれないですね」

懐かしいその人を思い出しながら笑う。彼は元気だろうか。あのバケモノは五条先生が祓ってくれたしなあ。そんなことを考えていれば、携帯に着信が入る。そこには懐かしい名前があった。

「あ、××君だ」
「っ!!」
「棘、だから動揺隠しきれてないって」
「ちょっと出ますね?」
「おー」

先輩立ちに断りを入れて、携帯のその画面をタップしようとする。

___『出るな』

その言葉に思わず拒否ボタンを押していた。

「と、棘先輩!」
「こら、嫉妬深い男は浅はかだぞ。嫌われるぞ」
「う、たかな…」

ホーム画面に戻った携帯を見つめる。そしてあの日々を思い出す。

「……うーん、まあいいか。今じゃあ住む世界も違うし。この電話に出るとまた学校から住所だけじゃなくてアレもコレも聞いてきて毎日電話してくるだろうしなあ」
「す、ストーカーかよ」
「す、じ、こ!」
「そうですね!ここは心を鬼にして出ません!今までありがとう××君!」
「しゃけしゃけ」

棘先輩と2人で頷き合う。携帯を制服のポケットに入れた。

「さっすが名前、そして棘も勝ち誇った顔してやがる」
「何か言いました?」
「いや、なんでも……」

うげぇ、と顔に書いてあるパンダ先輩の方を見れば、首を振った。そしてしきりに棘先輩とアイコンタクトをとっている。

「明太子、高菜」
「何ですか?これ……チョコ?え、貰っていいんですか?」
「しゃけ」
「先輩ありがとうございます!」
「……っ、しゃ、しゃけ」

ポンと肩を叩かれる。棘先輩の方を見た。彼はポケットからチョコレートを取り出して私の掌に乗せた。早速、1つ口に放り込む。

「お、美味しい〜!」
「……っ」
「ど、どうしました?体調わるい?」
「おかか」
「……やっぱり顔良いな。五条先生よりヤバいんじゃね」
「棘、自業自得だな。自分がしかけた罠にやられてやがるぞ」

チョコを堪能していると目の前の棘先輩が顔を覆い隠して蹲った。え?体調悪い?大丈夫ですか?そう聞くが先輩は蹲ったまま首を横に振った。

「あっれー、何してんの?」
「あ、五条先生!」
「や!相変わらず今日も名前はかわいいねえ」
「お世辞?」
「まさか!あ、そうだ笑ってみてよ」
「こ、こんな感じ……って先輩?」

いつもの調子の五条先生にニコッと笑おうとすると、私の前に棘先輩が立つ。

「……ヤキモチ?」
「お、おかか!」
「ふうん、まあいいや。担任だし、いつでも見れるしさ!」
「おかか!」
「やっぱヤキモチじゃん」
「ど、どうしたんです?」
「えっとねー、名前が可愛く笑ったところを見せたくない……って、コラ、先生に向かってそんな顔しないの」
「……」

何故かバチバチしてる2人をみて首を傾げる。後ろの先輩2人は気にしてないのか、何やら話し込んでいる。


「おーい!名前!」
「あ、悠仁!任務終わったの?野薔薇と伏黒君は?」
「あいつらはもうすぐ来るぞ!それにしても今日も可愛いなあ」
「まーた、始まった。一応、ありがとう」
「お世辞じゃねーって!……って、せ、先輩!こ、怖いっすよ!?」

伏黒君と2人だった1年生に新たに2人同期が増えた。そのうちの一人である彼は、私の後ろを見て顔を青くする。

「すじこ…」
「お、俺、着替えてくる……」
「あ、うん。……変なの。ね、先輩」
「しゃけ」


(何、もしかしなくても名前に首ったけ?)
(気づいてないのは名前だけだろ)

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