椅子に深く腰掛け、その長い脚を惜しみなくさらけ出しているカイザーは、なにやら難しい顔でノートパソコンをじっと眺めている。何をそんな難しい顔で見ているのかと後ろから覗き込むと、そこにはフィールドを走り回る潔が映っており。同じ光景を数時間前に見た記憶があることから、それが今日の試合のものだということは、すぐに理解できた。
あれだけ激しい試合をしたにもかかわらず、すぐにプレーの分析をしているなんて。それが出来る辺り、やはり彼は一流なのだと感服してしまう。人間的には少し問題はあるが、それを差し引いても素晴らしい貪欲さだ。
背後にナマエがいることに気付いたカイザーは、まるで足元にやって来た飼い猫を愛でるような手付きでナマエの頭を撫で始める。実際には座っているカイザーを少し上から覗き込むような体勢なため、うっかり彼のチームメイトであるネスに見られたら怒られそうなものだが、そこは急だったので許してほしい。
とはいえわしゃわしゃと撫でるカイザーの手付きはどこか嬉しそうなので、彼自身はあまり気にしていないのかもしれないが。
「ちょ、止めっ…あれ、」
「ん?どうした、ナマエ。俺の顔に見惚れてたか?」
当たり前のように行われたその動作に軽い抵抗をしていると、ナマエはカイザーの雰囲気がいつもと違うことに気付く。それに思わず声を漏らすと、すかさず呆れるような返答がされるのは、もはや様式美だ。
当初は対応に困っていたそれにも、「いや違いますけど」と冷静に返せるようになったのは、慣れというものなのだろう。恐ろしい。
脱線しかけた話を戻し、ナマエはその"違和感"を指摘する。
「眼鏡、掛けてるんですね。いつもコンタクトでしたっけ?」
そう。カイザーの雰囲気がいつもと違う理由は、彼の掛けている"眼鏡"だった。
白い肌に映えるシルバーに縁取られたラウンドタイプの眼鏡は、テンプル部分に細いグラスコードが付けられている。普段使い用というよりは、ファッションアイテムの一つにも見えた。
雪宮のように普段は眼鏡で、試合中にゴーグルへと変えている選手ももちろんいるが、実際接触プレーの多いサッカーでは、コンタクトの方がなにかと便利なことも多い。
ましてやカイザーの場合、この青い監獄で出会って以来眼鏡かけている場面を一度も見たことがなかったため、もしかしたら日常のほとんどをコンタクトで過ごしているのだろうかと、そう思ったのだ。
「ああ、これか。度は入っていない。ブルーライトカットのやつだ」
「あ、なるほど。それなら私も持ってます」
言葉の通り、外された眼鏡のレンズにはうっすら色が付いている。その眼鏡が一瞬サングラスにも見えてしまうのは、ナマエが普段使っているものとは違いファッションアイテム要素の強い形や、そもそもカイザーという男が持っている、ということもあるのだろう。何を身に着けても様になってしまうというのは恐ろしい。
脳内に浮かんだ自身の眼鏡を思い出しながら、「じゃあこの姿はある意味レアなのか」とぼんやり考えながら、ナマエは視線をモニターへと戻す。
今気づいたが、この映像、ほとんど潔のみが映されている。おそらく彼だけにフォーカスしたものなのだろう。執着しているなあとは思っていたが、まさかここまでとは。
恋人として若干複雑な感情を抱きながらも、まあ今に始まったことではないしと流していると、不意に「なんだそれ」と、どこか不機嫌にも感じられる声音が、ナマエの耳元で響いた。
「聞いてないぞ」
「え?」
「眼鏡を持っているなんて、聞いてない」
それまでの朗らかな雰囲気が一変、突然感じた不機嫌な様子にナマエは一瞬慌てるも、次いで飛び出た発言にそれは吹き飛び。代わりに面倒な気配を察知してしまう。
しかしここで雑な態度を取ってみろ。それこそ後々面倒なことになり、最悪の場合自分が被害を被るのだ。ここは相手をするのが一番だと、出会ってから短いながらも恋人という立場に納まっているナマエは、嫌というほど理解していた。彼の不機嫌スイッチはどこで入るか、そしてなにで切れるのか未だに把握できていない部分もあるのだ。
なによりモニターを見るため彼の隣に顔を近づけていたせいで、今まさに肩を抱かれ逃げられない状態になっており。二重の意味で逃げ場などとっくに無くなっているのだから。
「…そりゃ、持ってるなんて、わざわざ言うものでもないですし」
「見せろ」
「は?」
「眼鏡を掛けて、俺に見せろ」
二度も言わせるなと言わんばかりの態度ではあったが、思っていたよりも普通の要求に間抜けな声が漏れる。早くしろとばかりにあっさり解放され、代わりに部屋の隅に置いていた社内用鞄の方向へ、カイザーが顎をしゃくる。持ってきているんだろ?と、もはや中身など分かり切っている様子だ。
「はあ…じゃあちょっと持ってきますから…」
眼鏡なんぞ掛けていったい何になるんだと思いつつも、それで気が済むのであれば構わない。ナマエは渋々鞄を漁り、黒いケースに入れられた眼鏡を取り出す。元々ナマエ自身も目は悪くないものの、この仕事を手伝うと決まった際、パソコン仕事が中心だとアンリに言われていたため事前に購入していたのだ。
丸い形は同じだがその縁は黒く、テンプル部分はゴールド。急遽買ったものとはいえそれなりに気に入っており目も疲れ知らずとなっているので、大変重宝している。
取り出したそれを慣れた手付きで掛け、「これでいいですか」とカイザーへ向き直る。
「………」
「……なんか言ってくださいよ」
「中々いいな」
「そ、そうですか?」
「ああ。エロさが増す」
一瞬、褒められたと喜んだものの、続いた最低な発言にいったい何と返せばいいのか。無視をしたいがそれは得策ではない。ナマエは、以前流行った目の細い狐のような顔になりながらも、「…どうも」と一ミリも思っていない返事をなんとか返す。あと、"増す"ということは、元々そういう風に感じていたということだろうか。なんとも複雑だ。
ようやく絞り出したその返答に隠し切れない呆れが滲んでいたにもかかわらず、カイザーは上機嫌である。彼にとっては、試合会場もしくはナマエが一日の仕事を終えたときといった、眼鏡をあまり必要としない場所でしか接触ができていなかったため、こうして彼女の新しい部分を知れたことに喜びを感じているのだ。
それを今のナマエが知れば少し見方も変わるかもしれないが、それは言わず彼女を揶揄うのも、またカイザーの楽しみの一つなのである。もっとも先ほどの発言は本音であるから、否定も弁明もする意味などないのだけれど。
「ナマエ、こっちに来い」
すっかり上機嫌となったカイザーは、幼子を呼ぶような手付きでナマエを自身の元へ呼び戻す。これも従わないと面倒なので素直に近付くと、目の前に立った瞬間腕を強く引かれ、カイザーの膝の上に横抱きで乗せられてしまった。正しくは、座らされた、だが。
流れるような動作でいつの間にか抱き止められていたナマエは、ぐっと近くなった距離に身体を強張らせる。
「まだ慣れないのか。クソ可愛い奴だな」
「な、慣れるわけないでしょうこんなの…」
分かりやすく身を固くしたナマエに、カイザーは楽しげに笑う。
そんなこと言ったって、彼は今の自分の姿がどれほどの破壊力があるか理解しているのだろうか。
試合時とは全く違い、普段下ろされ靡いている髪はハーフアップにされており、首筋の青い薔薇がいつもよりずっとよく見えている。なにより近付いた際気付いたのだが、どうやらナマエが来るより前にシャワーを浴びていたらしく。その逞しい体躯は高級そうな黒いバスローブに包まれていた。
といってもその胸元は肌蹴ており、腰で結ばれた紐がかろうじて隠すべき場所を隠しているのみで。文字通り頼みの綱だった。
青い監獄にはサッカーをしに来たはずなのにそんなもの持ってきていたんですねと思いつつも、直視できない刺激的な光景にナマエは分かりやすくどぎまぎしてしまう。
慣れないのは、ミヒャエル・カイザーという男の恋人である以上もはや仕方ないことなのだ。彼はいい加減自身の魅力を武器にしないで欲しい。強大すぎするから。
「も、いいから離してください…」
「いいだろ。愛しい恋人の初めて見る姿なんだ、少しぐらい堪能させろ」
愛しい恋人。そんな恥ずかしいことを至極嬉しそうに言われてしまえば、ナマエはそれ以上なにも言えなくなってしまう。
諦めたとばかりに大人しくその腕の中に収まる。ぴたりと右耳をくっ付けた胸元からどくどくと心臓の音が聞こえ、わずかに落ち着く気さえした。
抵抗を止め寄り添ってきたナマエに、カイザーはますます上機嫌になったらしく。左手の四本の指の背で、とても愛おしそうにナマエの頬に触れている。こしょこしょと撫でられ、なんともむず痒い。
「ナマエ」
しばらくそうしていたと思ったら、不意にその手は止まり、代わりに名前を呼ばれる。「なんですか」と続くはずだった言葉は、顔を上げた瞬間すっかり喉の奥へと消え失せてしまった。
青い瞳と視線がかち合ったときには、カイザーの唇が、ナマエのそれに重なっていたからだ。
「っん!う、う…!」
「っ、」
しかし、触れたと認識した途端に響いた、ガチャンッという金属同士が触れる音に、唇はあっさり離れてしまう。
その音の正体が、掛けっぱなしの眼鏡同士がぶつかったせいだと気付いたのは、一呼吸置いた後だった。いつもはお互いそんなもの無い状態でキスをするから、ついその距離感で触れてしまったのだ。
唇が離れたことにカイザーは煩わしそうに舌打ちすると、自身の眼鏡と、あれほど気に入っていたナマエの眼鏡を躊躇することなく取り払ってしまう。
あんなに「いい」と言っていたのに、外すときはずいぶんあっさりしているなと、テンプルを開いたまま無造作に机上へ置かれる二つの眼鏡を視界の端に捉えながらぼんやり思っていると、「ナマエ、こっちを向け」と命令される。
短期間で心身共に沁みついてしまった、カイザーに"従う"というコマンドに、ナマエの身体は動く。
カイザーの右手がやや乱暴にナマエの顎を掴むと、噛み付くように再び唇が落とされる。今度は迷うことなく、ぬるりと舌が侵入を果たした。
「ん、っはぁ、あ、んん…っ」
「は、…」
わずかに漏れる甘い吐息が脳内に響き、ぞくりと腰を震わせるナマエに、カイザーはどこか嬉しそうである。
顎を掴んでいた右手はするりと滑り、背の高いカイザーに合わせ顔を上げたことで露わになったナマエの首筋を撫でている。
そこはカイザーの青い薔薇が美しく咲く場所で。以前そこに同じものを入れないか?と、彼が冗談混じりにナマエへ提案していた場所でもあった。
「っあ、かい、ざ…は、んぅ…♡」
右手はゆるゆると首筋から鎖骨の辺りを撫で、左手はがっちり腰を支えているため、逃げることはできない。
触れられた箇所から生まれる快楽に、ナマエの声には艶が帯び始める。いよいよ限界を迎えそうになったそのとき、まるで分かっていたとでも言いたげに唇が離された。
ようやく解放されたことで一気に流れ込んだ空気に、ナマエは咳き込みながら呼吸を整える。
「は、あ…はあ…」
「相変わらず息継ぎが下手だな、ナマエちゃんは」
「そっ、そっちが変な体勢、取らせるから…っ」
「そうか」
非難を込めるも、小さく笑うだけで悪いとは一切思っていないようだ。
カイザーは動画を止めパソコンの電源を切ると、なにを思ったのかナマエを抱いたまま、勢いよく立ち上がった。
突然の浮遊感に驚いたナマエは、あれほど恥ずかしがっていたにもかかわらず、咄嗟に思い切りカイザーへ抱き着いてしまう。
「ちょっ、高い怖い!下ろしてください!」
「駄目だ」
「駄目!?やっ、ほんとに下ろして!おっ、重いでしょ!?」
「そんなワケないだろ」
言葉の通り、カイザーは重さなど微塵も感じないといった様子で歩き出す。その足取りは迷うことなく、隣の寝室へと向かっている。
カイザーら海外チームの面々はこの青い監獄に招聘されているため、潔たちのようないわば修行の身である強化指定選手たちよりは、当たり前だが高待遇だ。ゆえに各個人にはメインルームの他に、ベッドルームと地続きの計二部屋が、共同ではなく個室として与えられている。さらにそのベッドルームに関しては、落ち着いて過ごせるようにと防音性がバッチリなのだ。
そのためそこに連れ込まれてしまえば逃げ場はなく。文字通り最後なのである。どんどんと近づく部屋にナマエの焦りは加速する。
「え!?ちょっと何してるんですか!?」
「このまま帰すと思ってるのか?ずいぶんクソ可愛い思考回路をしてるんだな」
「いや私まだ仕事が…っ!」
「終わりだそんなの」
「勝手に決めな、っわあ!」
話している間にも歩みは勧められ。広いとはいえ二部屋しかない場所だ。あっさりたどり着いてしまった寝室のベッドに、雑に放り投げられてしまった。
横暴だ!と抗議の声を上げようと起き上がった瞬間、ナマエの視界には、かろうじて結ばれていた紐を解きバスローブを肌蹴させ、鍛え上げられたその肉体を惜しみなく晒すカイザーの姿が飛び込んできた。それこそ、大切なところまで丸見えだ。
「ぎゃー!何やってんですか!」
「これからセックスをするんだ。脱ぐのは当たり前だろ」
「はあ!?やりませんよ!」
直接的な発言にいよいよ逃げなければと、ナマエはスプリングを軋ませ立ち上がる。けれどカイザーがそれを許すはずもなく。
ガシッと腕を掴まれ、全体重をかけられる。曝け出された身体を見ないようにと必死に顔を背けていたナマエは、足を取られ再びベッドに倒れ込んでしまった。
カイザーは、これ好機とばかりにナマエに馬乗りになると、頬を引き攣らせながら自身を見上げる様子に、にっこり笑う。
「あ、の…私まだ、シャワー浴びて、なくて」
「いいじゃないか。俺はそれでもクソ興奮するから構わないぞ」
「勘弁してくださ、っんぅ…!」
あのカイザーにそんな性癖があるなんて知りたくなかったし、言わなくてよかった。
冗談かどうか定かではない発言に顔を青ざめさせ必死に抵抗するも、うるさいとばかりに再び唇が重ねられる。先ほどの中途半端な刺激で高ぶっていたナマエ身体は、口で抵抗しつつも喜んでカイザーを受け入れていた。
「…ああそうだ、これを忘れてた」
唇を離し、繋がる銀の糸を絡め取りながら、カイザーはサイドボードに置かれたなにかを取りナマエへと掛ける。寸前で思わず目を瞑ってしまったが、耳に掛かる慣れた感覚に、それは先ほど取ったはずの眼鏡であると分かった。
掛け直させるほど、そんなに気に入ったのかと思いながらうっすら目を開けるも、そこには相変わらず眼鏡を掛けていないままのカイザーがいた。
まさか、自分だけが眼鏡を掛けているのか。
「へ…」
「せっかくだからこれも楽しまないとなぁ?」
「った、楽しむためのものじゃないんですけど…!?」
──結局その後、ナマエのみ眼鏡を掛けたまま一回。
キスができなくてやっぱり邪魔だなと、痺れを切らしたカイザーに外されて一回。
ミヒャも掛けて、と。ナマエが快楽でぐずぐずになったときにしか呼ばれない名前でおねだりされ、それに興奮して一回。
眼鏡を掛け直し、もはやなんの抵抗もせず甘えて全て受け入れるようになったナマエの写真を撮りながら一回。眼鏡一つで散々楽しむことになり。
その結果、「カイザーさんって眼鏡女子が好きなのか…?」とナマエが勘違いすることになるのだが…それはまた別の話である。
BACK |
HOME