『ああ、ナマエか?こっちは今練習が終わったところだ。お前の方はちょうど日付が変わる頃だろう?クソ真面目なお前のことだ、明日に備えてもう寝てるだろうが…どうしても言いたくてな。
…誕生日おめでとう。お前と同じ時代に生まれ、出会えたことに感謝している。
おそらく一番に祝うというのは難しいだろうが、きっと俺からの留守電だと分かれば、お前は何よりもすぐに確認するだろ?何時でもいい。これを聞いたら連絡をして来い。
ああ、そのときはビデオ通話にしろ。きちんと顔を見て言ってやる。寝てるんじゃないかとかいうクソ気遣いは必要ないからな。
……じゃあな、愛してる』
「………どうして全部お見通しなのよ…こわ…」
起床後、アラームを止めるために手に取った携帯に届いた通知の数に驚きながら、その中のでやけに目立つ一つをタップする。耳に当てた瞬間響いた心地よい声を聴きながら、その内容にナマエは何ともいえない気持ちになった。
なぜなら声の主──カイザーの言うことは、一部の隙もなくその通りだったからだ。それこそ、どこかで見ていたのではないかと思うぐらいには。
先日二十三時に就寝したナマエは、翌朝──つまりは誕生日当日の、六時過ぎに起床した。
その日は休日ということもあり特に急いでもいなかったため、アラームを止めた後、ベッドから出ることもなく携帯を確認していたのだが、高校の友人たち、そして青い監獄で友人となった潔らといった面々から届いたお祝いのメールの中で一つだけ形の異なる通知があり。それがだた一人だけ、留守電を残していたカイザーだったのだ。
名前の通り上に立つことに長けているからだろうか。人の気持ちの理解がよくできている。特に、『日本人ならば、友人とはいえ日付が変わった瞬間相手に電話をするのは躊躇し、祝いはメールで済ませるだろう』だろう、とか。そういうこと。
実際電話をしてきていたのはカイザーだけで。その結果一人だけ目立つ通知となり、ナマエが最初に祝いの言葉を聞くことになったのだから、まさしく彼の狙い通りだったのだろう。
「…とりあえず顔だけ洗ってこよう」
そして彼に言われた通り、ナマエはこの後素直にカイザーにビデオで国際電話をかけるのだ。八時間の時差があるドイツでは、おそらく二十二時頃。連絡は何時でもいいとは言っていたが、遅すぎると彼の翌日の体調にも支障をきたす。早いに越したことはない。
けれどさすがに、寝起きの顔をそのまま晒すのは気が引ける。すでにやることやっている仲なのだから今更ではあるが、気分的にだ。
ナマエはベッドから勢いよく飛び出ると、寝起きで縺れる足で洗面所へと階段を駆け下りた。
諸々終えて、現在時刻は六時半。ドイツは二十二時半。まだ電話をしても平気な時間だろう。
ナマエは五角形の青いロゴが描かれたアプリを起動しそれをバックグラウンドに送ると、そのままビデオ通話アプリへと切り替えカイザーの連絡先をタップする。
起動したそのアプリは青い監獄で独自開発された翻訳アプリで。今回で出来た海外選手陣との繋がりの継続と、その際の会話をスムーズに進められるようにといったものだ。
使い方はとても簡単。起動したまま通話をすれば、超性能小型同時通訳イヤホンと同じ役割を電話でも果たしてくれるという優れものだ。
ナマエとしては、こうした会社開発のものをプライベートなことに使用するのは避けたかったのだが、「俺たちとの仲を継続させたいんだろ?」という、ある意味では本来の意に即しているカイザーの発言により、結局かなりの頻度で使用することとなっている。
もっともカイザーとしては、お互いそれが無ければ言葉が通じないことと、そうして尤もらしい理由付けでもしない限り真面目なナマエは電話をしてこないだろうと分かっていたがゆえの発言だった。
そもそもプロジェクトの終了後、無理矢理ドイツに連れて行かないという時点でカイザーにとっては最大の譲歩で。こうしてアプリを利用することぐらいは許せ、という考えなのだろう。
とはいえ当初は渋々であったナマエも、連絡をするようになってからわざわざ国際電話かけ放題のプランに入っている辺り結局はカイザーとの電話を楽しんでいるのだから、どっちもどっちである。
『はい』
「え、か、カイザーさん?」
『俺以外に誰がいるんだ』
「それはそうですけど…」
数度響くと思っていたコールは、たった一回で通話へと切り替わり。すぐにカイザーの顔が画面に映し出された。その髪型がハーフアップにされていて、なおかつラフな格好で大きなソファへ腰掛けていたことから、シャワーを浴び終えたところだというのがすぐに分かり。青い監獄での在りし日が、一瞬ナマエの脳内に思い出された。
まさかそんなすぐにつながるとは思っていなかったため心の準備ができておらず。思わず言葉を詰まらせたナマエに、カイザーはくつくつと笑っている。
電話をかけておいて準備ができていないとはどういう意味かと思われそうだが、なんとなく、気持ちの問題なのだ。
こほん、と一息置き、ナマエは本題に入る。
「…留守電聞きました。お忙しかった中、わざわざありがとうございます」
まずはお礼を述べる。練習の合間を縫ってわざわざ国際電話をしてきてくれたのだから、これは当たり前だろう。
しかしカイザーは、「はあ〜」とわざとらしく、大きな溜め息をついた。こんな分かりやすく態度に示して許されるのは彼くらいなものだ。
いや別にナマエとて許しているわけではないが。まともに受け取ると面倒だと受け流せるかどうかの問題だ。「なんで溜め息…」と零したナマエに、カイザーはどこか拗ねた子供のような、けれど真剣さも滲ませた顔でナマエを見つめる。
『おいおいナマエ、それは違うだろ』
「違うってなにが…」
『"忙しい"とか、"わざわざ"とか。俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない』
あの鋭く青い瞳が、それはお前の本心なのか、と言っているようだった。もっと別に言いたいことがあり、そしてそれを恥ずかしさという言葉で隠してるのだろう、と。カイザーは全て分かり切っているのだ。
図星をつかれナマエは一瞬言葉を詰まらせるものの、ここまで気付かれていては誤魔化しは利かないだろう。諦めたように小さく息を吐くと、ぽつぽつ言葉を紡ぎ始める。
「…朝起きて携帯を確認したら、すぐ着信に気付いたんです」
『ああ』
「時間がちょうどこっちの日付が変わったときで…ドイツだと夕方くらいだから、練習が終わった頃なのかなって」
『そうだな。その通りだよ』
「練習で疲れてるはずなのに、まさかぴったりの時間に連絡もらえるとは思ってなくて。しかも留守電まで残してくれて…気を遣わせてしまったのかなって、少し申し訳なく思ったんです…」
『………』
先ほどと同じ、カイザーを気遣う言葉ばかりが出てくるものの、ナマエが必死に言葉を探している様子に気付いているのだろう。今度は静かに耳を傾けている。
彼は「聞きたいのはそんな言葉じゃない」と言っていたけれど、これも確かにナマエの本心ではあるのだ。こうしてきちんと聞いてくれる点についてはありがたかった。
「でも、それと同時に…あなたが私のことを、そこまで大切に考えてくれていたっていう事実が…なによりも、嬉しくて」
無意識のうちに俯いていた顔を上げ、ナマエはカイザーを見つめる。恥ずかしいけれど、ここまでしてくれた相手の目を見ずに伝えるというのは失礼だろう。
意を決して見つめた先にいたカイザーの瞳は、先ほどの追及する鋭さなどどこへやら。その目尻をわずかに下げ、愛おしいものを見つめる目つきで、ナマエを見ていた。
きゅうっ、と胸が締め付けられる感覚に襲われながら、ナマエも小さく微笑んだ。
「…ありがとう、カイザーさん。私も、あなたに出会えて、おめでとうって言ってもらえて、今ものすごく…幸せです」
なんとか紡いだ言葉を最後まで聞き終えると、カイザーは至極嬉しそうに足を組み直し、肘掛けへと右肘をついてみせた。わずかに晒された首筋の薔薇も、どこか誇らしげに見える。
『…やっと素直に言えたな。普段もそれぐらい素直だといいんだが』
「普段も、言えるならちゃんと言いますよ…ただカイザーさんが色々斜め上なこと求めすぎなだけです」
『そんな冷たいことを言うな。…お前の気持ちが聞けて俺も嬉しい』
恥ずかしがり屋のナマエが必死に伝えた後も、こうしてわずかな冗談交じりにきちんちと受け取ってくれる。人としていかがなものか、と言われるカイザーではあるが、懐に入れ愛すると誓った相手にはとても優しい。そしてナマエもそれが分かっているからこそ、こうして素直になろうと思えるのだ。
『そういえばナマエ』
「はい?」
『どうだ?祝いの言葉は俺が一番だっただろ?』
「あー…そうですね。まさしく言っていた通りの流れでしたよ」
『だろうな。そうでなきゃ困る』
得意げに笑う顔に、バレなくてよかったとナマエは内心思う。カイザーからの連絡を一番に聞いたのは間違っていないのだが、実際友人からの連絡の中にも「もう寝てるんでしょ〜?」「学校でまたお祝いさせてね!」といった内容は含まれており。真面目なナマエが誕生日前日とはいえ遅くまで起きているわけはないから電話は避けようと考えていた人物は複数名いるので、その点についてはカイザーがナマエを一番理解していたというわけではないのだが…それを言えば機嫌を損ねかねないので、ここは黙っておこう。
「…あ、そろそろ寝なきゃですよね。…遅くまですみません」
しばらく近況を報告し合っていたところ、ふと見上げた時計の長針が七を指していた。ドイツでは二十三時を回っている。もう三十分近くも話していたのかと気付き、そろそろ終わらせなければということにわずかな寂しさを覚える。
今生の別れというわけでもないのに。嬉しさが大きかったことが、余計にそう感じさせるのだろか。
寂しさを悟られないよう、声に力を込める。
『なんだ、もういいのか。俺はまだまだ話せるぞ』
「駄目です。明日も練習あるんでしょう?プレーに支障が出ます」
『そんなことで影響が出るほどヤワだと思ってるのか』
「そうじゃないですけど…カイザーさんには、いつでも万全な状態でいてほしいんですよ」
『…相変わらずクソ真面目だなぁ、ナマエちゃんは』
「なんとでも」
ナマエの気持ちが嬉しかったのだろう。その言葉に完全に納得はいっていない様子だったものの、カイザーは素直にそれを受け入れた。
「じゃあな」と電話を切ろうとするカイザーに、ナマエは寸前で待ったの声をかける。
『どうした?』
「………」
『ナマエ?』
「……電話、本当にありがとうミヒャエルさん。私も愛してます」
今度は照れもなく言えた気がするのは、カイザーの優しさと愛情に触れたからだろうか。言えたぞ、と満足げなナマエの様子に、カイザーは右手で頭を抱える体勢になると、ふう、と小さく息を吐く。途端に色を変えた雰囲気にナマエは身構える。
「え、ど、どうしたんですか、体調でも悪いんじゃ…」
『いや違う…参ったな』
「じゃあどうし、」
『今すぐ抱きたくなった』
「……何言ってるんですか」
『お前がそんなクソ可愛いこと言うからだろ。あ゙ー…なんでお前はドイツにいないんだ』
「そんな簡単に行けるものじゃないですし…というかそういう問題じゃないと思うんですけど…」
『………』
「…カイザーさん?」
『このままテレフォンセックスでもするか』
「おやすみなさーい」
とんでもない発言が聞こえた瞬間、ナマエは迷うことなく電話を切っていた。勢いのまま切ってしまったことに若干後悔しつつも、元々通話を終えるつもりだったのだから、まあ良しとしよう。
あのカイザーがかけ直してこないところを見ると、ナマエの気遣いはしっかり伝わっていたのだろう。最後の言葉のみ若干本気な様子ではあったが。それはそれだ。
一時間にも満たない会話ではあったが、心は充分に満たされていた。今日はいい一日になるだろうな、となんとも晴れやかな気持ちになった瞬間、不意に「ナマエ!ちょっと来て!」と慌てる母の声が響いた。
温厚な母がこんなに慌てるなど珍しい。ナマエは部屋を飛び出すと、急ぎ階段を降りる。
「どうしたのお母さん、そんなに慌て、て…」
尻すぼみになっていった言葉は、困惑に溢れるリビングへと霧散してしまった。
それもそのはずだ。なんせ、それなりに広いはずの戸建て住宅のリビング半分を埋め尽くすほどの大小様々な段ボールの山が、そこにはあったのだから。
しかもまだ届いているらしく。開け放たれた玄関から配送会社の人であろう数名が、引っ越しのようにバタバタと出入りしている。
「なんか、あんた宛に大量の荷物が届いてるんだけど…どういうこと?しかも海外から……」
「………」
青ざめた母の言葉と共に差出人を確認する。その全てに『Michael Kaiser』と滑らかな字で書かれていたことから全てを察したナマエは、今すぐ電話をかけ直したい衝動をなんとか抑えるように頭を抱えるのだった。
現在、時刻は十六時の少し前。ドイツでは朝の八時になる頃だ。
ナマエは携帯を手に取り、履歴の一番上をタップする。当たり前だが目的は、目の前で山積みになっている荷物の数々についてカイザーに尋ねることだ。
この時刻であれば、以前聞いていたカイザーの朝のロードワークも終わっているはずだから、迷惑はかからないだろう。
今度はテレビ通話ではなく普通の通話だ。リビングから掛けているため、カイザーの声まで母に聞かれたとあっては、娘が突然知らない外人と電話していると大事になるからだ。ドイツから大量の荷物が届いた時点で、もはや既に遅いのかもしれないが。
さきほど同様わずかワンコール繋がる。おそらくナマエが再びかけてくることが分かっていたのだろう。声だけでも感じ取れるほどカイザーは上機嫌だった。
『ああ、ナマエ。こんなすぐに電話をかけてくるだなんて、そんなに俺と話したかったのか?』
「ええ話したかったですよ。決まってるでしょう」
『なんだ、ずいぶん積極的だな…やっぱりあのときシといた方がよかったか』
「そういう事じゃなくて…!」
言いたいのはそういう事ではないと言葉に込めると、カイザーは、「分かった分かった」とナマエを宥めるように笑う。
『お前が言っているのはプレゼントのことだろ。気に入ってくれたか?』
「…確かに、素敵な物ばかりでしたけど、」
大小様々な段ボールの中から出てきたのは、洋服や香水、アクセサリーや腕時計といった身に着けるものから、ハンドクリームや紅茶、果てには有名店のコーヒーまで。そのほとんどが、以前青い監獄でカイザーが愛用していたブランドのものだった。
どれもが洗練されたものばかりだったことから、「素敵ですね、それ」と世間話のように褒め、その度「欲しいならやろうか?」と言われるので、さすがに悪いとやんわり断っていたのだが、まさかそれを覚えていたのではないだろうか。…彼ならありえるから怖い。
『なんだ、不服そうだな。日本では誕生日を迎えた奴が盛大に祝ってもらうものなんじゃないのか?』
「間違ってはいないですけど…それにしたって何なんですかこの量は…」
『俺のお前への愛の量だ』
「…多すぎません?」
『俺としてはそれでも足りないぐらいなんだがな…それに、離れてる今はこうして目に見える形にすれば、ナマエチャンはくだらねえクソ想像をしたりしないだろ?』
カイザーのその言葉に、ナマエはぐうの音も出なかった。まさしくその通りだったからだ。
──元々、カイザーはなぜ自分を選んだのか、というのはナマエにとっても最大の疑問だった。それは立場の違いや国の違い、様々なことが理由としてあげられるが、一番は"天才と凡人"。その一点だ。
世界で活躍するカイザーと、怪我が理由で引退した、いち一般人。誰だって大小あれど、劣等感には苛まれるだろう。それを承知の上でこうして彼と恋人となり今に至るわけだが、それでもその感覚が拭えたかといわれると、そんなことはない。払拭できないであろうことは、とうの昔に分かっていた。最終的にこういった感情は、どう付き合っていくかが重要なのだ。その意識でナマエも彼と接していたが、どうやらそんな行動と思考全てお見通しだったようで。
完全に言いくるめられ黙り込んでしまったナマエに、カイザーは「そういえば、」と続ける。
『ナマエ、お前今は一人か?』
「え、あ…いいえ、リビングにいるんで母が一緒です」
『一番背の高い大きな箱を持って、今すぐ部屋に戻れ』
「え?」
『いいから早くしろ。ああそうだ、それは丁寧に持てよ』
「丁寧に!?ちょ、ちょっと待って…!』
言われるまま慌てて背の高い箱を探すと、カイザーの言う通り、確かにそれはあった。しかもそれは他の箱とは少し毛色が異なり。茶色ばかりの中でただ一人、何も書かれていない真っ白なその身に、送り状と、ドイツ語でいくつか単語が書かれているだけだった。
何か壊れ物だろうかと恐る恐る底に手を差し込み持ち上げるも、その大きな見た目に反し、箱は驚くほどあっさりと持ち上がる。見た目とのギャップにわずかな疑問を抱きながらも、電話口で「早くしろ」と急かすカイザーに促され、ナマエは急ぎ足で階段を駆け上った。
『開けてみろ』
部屋に到着するなり、音だけにもかかわらずまるで見えていたかのようなタイミングでテレビ通話へと切り替えるよう言われる。
相変わらずの横暴さは感じつつも、確かに箱を開けたりするのであればその方が都合は良いので、ナマエは素直にそれに従う。何より、また顔が見れるというのであれば彼女としてもそちらの方が嬉しいのだ。
携帯をスタンドに立てかけカイザーからも自身が見えるよう固定すると、そのまま白い箱に手を掛ける。無機質にも見えるその箱が自身へのプレゼントだと分かっていると、こうも期待に胸が高まるものだとは。子供の頃を思い出しながら丁寧に箱を開けた瞬間、ナマエのブルーグレーの瞳に飛び込んできたのは──。
「青い、薔薇……」
窮屈そうな箱の中、その身を崩さぬよう持ち手部分で固定され、白いレースと紙に丁寧に包まれた──青い薔薇の花束だった。
日本は元々花束を贈る習慣というのものがあまりないため、ここまで大きなものは見たことがなく。圧倒され言葉を失うナマエの様子にカイザーは「綺麗だろ」とどこか嬉しそうだ。
「すごい…こんな大きな花束、青い薔薇で作れるんですね……」
『日本では見たことないのか?ドイツでは青い薔薇なんて、もう見慣れたものだぞ』
「日本はそもそも花を贈る文化があまりないので…」
花を崩さぬよう慎重に箱から取り出す。外に出るとまたその大きさがすごい。両手で抱えるには少し大変なほどだ。
いっそ恐ろしいほどの深い青に輝く薔薇は、まさしくカイザーの首筋に咲くもので。そして下で結ばれた金色のリボンも、余計にそう感じさせた。
「…あれ、」
その姿に圧倒されていたとき、ふと箱の底に何か落ちているのに気が付く。拾ってみると、それは厚紙でできたアイボリーカラーのメッセージカードで。おそらく花弁を傷つけないようにと別に入れたのだろう。花束とメッセージカードなんて、なんともロマンチックだなと思いつつそれを見ると、そこには荷物の差出人と同じ綺麗な筆跡で一言、「Egal was kommt, ich werde dich nie verlassen.」とだけ書かれていた。
いくらドイツ語を勉強中の身とはいえ、まだまだ単語を理解するのがやっとの状態だ。文章を出されてしまえば、辞書を取り出さないと何が書かれているのかは分からない。
「え、えが…なんて書いてあるんですか?」
『くく、さあな』
「あ、そこは教えてくれないんですね…」
『当たり前だろう。勉強しているのなら、ちゃんと自分で調べてみろ。…難しい文じゃないから、すぐ読めるだろうよ』
それはまさしくその通りなので、その言葉は甘んじて受け入れる。メッセージカードをじっと見つめるナマエを、どこか楽しそうに見ているのが些か気になるところではあるが。
せめて発音だけでも聞けないだろうかと思っていたとき、どこからか着信を知らせる音が鳴り響いた。少しくぐもって聞こえることから、おそらくカイザーの方からだろう。
カイザーもそれに気が付いたらしく。通話している携帯とは別のものを鞄から取り出し、内容を確認している。あれはおそらく仕事用携帯なのだろう。そこへネスからの連絡が入っていたのを、ナマエは何度か見たことがあった。
カイザーはざっと内容を確認し画面右上に表示された時刻へと視線を向ける。そろそろ練習へ向かう時間だった。
恋人との逢瀬を邪魔されたことに苛立ち、カイザーは誰に対してでもなく舌を打つ。けれどチームの練習へ行かないわけにはいかず。犬のようにこちらを待っているナマエへと向き直る。
「どうしたんですか?」
『…悪いが、もう行く時間だ』
「あ、そう、ですよね…すみません、驚いたとはいえ、朝の忙しいときにいきなり連絡してしまって」
『だから構わないって言ってるだろ。愛しい恋人からの連絡なんていつ来ても嬉しいものだ』
「ま、また連絡します。…練習頑張ってください」
『ああ……またな、ナマエ』
名残惜しさを感じつつ通話を終える。偶然とはいえ、まさか一日で二度も声が聴けるとは思っておらず。しかも零れんばかりの愛情と、優しい言葉と共に。
心がこれ以上ないほど歓喜しているのか、ナマエは、まだ耳にカイザーの声が残っているような気さえしていた。
そしてそれは、カイザーも同じで。通話を終えた後、ナマエのアイコンが表示された画面を見つめひどく愛おしそうに微笑んでいたことを、彼女は知らない。
──この薔薇は少ししたらドライフラワーにして、ずっと大切に飾っておこう。少しでも寂しさを感じたらこれ見て、すぐに彼を想えるように。
あの愛おしさを詰め込んだような甘い声に呼ばれた自身の名が、いつまでも鼓膜に響く。
ナマエは丁寧に書かれたメッセージカードを、胸元で強く握りしめた。
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