「あ、え…?」

 その違和感にナマエが気が付いたのは、自身の背後から聞こえる聞き慣れたはずの声が、知らない音となって脳内へ響いたからだった。

「え、なに、なんで…」
「…Was ist los?」(…どうした?)

 困惑するナマエに腰の動きを止めたカイザーは、何があったと尋ねる。けれどそれがナマエに届くことはなく、代わりに彼女の耳に聞こえたのは聞き慣れない音のみで。そこでナマエはようやく、翻訳に必要なイヤホンが外れてしまったのだと気が付いた。
 ──超性能小型同時通訳イヤホン。それはネオ・エゴイストリーグの開催に伴い、言葉の通じない各国の選手陣らとの交流、および今後の指導を円滑に行うために支給されたもので。職員としてチームを超えて彼らと接触する機会の多いナマエにとっては、なくてはならないものとなっていた。
 ほぼ二十四時間付けっぱなしのそれは、もはや身体の一部といっても過言ではなく。現にナマエはそのまま風呂に入ろうとしてしまったことがあり、髪を結ぼうと耳に触れた際付けっぱなしだったことに気付き、慌てて外したことがあるぐらいだ。
 だからこうして行為に及んでいるときでさえ、イヤホンは付けられたままで。一糸纏わずなこの状況でも、厳密にいえばそれは付けたままなのである。とはいえ思い出したからといって外すかと言われれば、これがなければ言葉を理解することもできなくなるので、そんなことはしないし、できないのだ。
 それほどまでに大切なものが今、外れてしまった。おそらくカイザーがナマエの耳に何度か触れたことで緩んでいたのだろう。いくらさんざん溶かされぐずぐずになった脳内でもさすがに慣れない音には敏感になるらしく、飛んでいたナマエの意識は一気に冷静に戻り、外れてしまったイヤホンはどこにいったのかと探し始めた。
 今しがた外れたのならば、顔のすぐ横に転がっているだろうか。けれどそれならこの真っ白なシーツに落ちたことをカイザーが気が付かないはずはない。うつ伏せで枕に顔を押し付けていたナマエとは違い、彼は全体を見下ろしているのだから。
 しかし困惑の声を上げたナマエの様子に、カイザーは疑問を浮かべている。ということは彼の視界にイヤホンは映っていないのだろう。ならばどこへ。もしやベッドの下?それとも見えないだけで自身の身体の下に入り込んでしまったのだろうか。そうならば早く拾わなければ。あれがなければカイザーとの会話が成り立たない。なによりあんな高価なものをうっかり壊しでもしたら。正直そちらの方が問題だ。
 それまでぐずぐずに溺れていた快楽などどこかへ吹き飛び。ナマエは焦った様子で辺りを見回す。

「ど、どうしよう…どこいった…いっ、」
「Hey, was machst du? Schau mich an.」(おい、なにをしてる?こっちを見ろ)
「まっ、カイザーさ、イヤホンが…っ!」

 けれどカイザーは、それまで腰を掴んでいた手であちらこちら動くナマエの顎をわし掴むと、後ろを向かせ無理矢理視線を合わせた。どうやらナマエの意識が自身に向いていないことに腹が立ったらしく、その声はわずかな怒りを含んでいるたことだけは理解できた。
 言葉が分からないことに加え怒気を含んだその声音に、ナマエの身体はびくりと跳ねる。まるで悪いことを叱られた子供のようにな気分になりながら背後にいるカイザー恐る恐る見上げた。
 そうして自身へと向けられた彼女の大きな瞳に脅えが含まれていることに気付いたのか、カイザーの鋭い瞳が少しだけ見開かれる。

「…Ich verstehe.」(…なるほど、そういうことか)
「っや、やだ、カイザーさ、やだぁ…、」

 どうにもおかしい。まったくこちらの言葉に耳を傾けようとしないばかりか、自身の言葉に恐怖を抱いている様子のナマエにさすがに違和感を感じたカイザーは、もしやと思い至り、散らばるナマエの髪をかき分けその耳に触れる。案の定指先に慣れた感触がしないことから、彼女のイヤホンが外れてしまったことにようやく気が付いた。

「う…こわ、怖い…、こわいぃ…っ」

 うつ伏せで姿が見えない、というのも相まっているのだろう。背後にいるのは確かにカイザーだと頭では理解できているというのに、聞こえる言葉が分からないだけでまるで知らない人のようで。大丈夫だから落ち着けと必死に働く理性と、意味の分からない音がひたすら響き脳内を支配するこのちぐはぐな状況にナマエはわずかな恐怖を覚え、喉を引きつらせる。
 悲痛な声と共にぼろぼろ涙を零し始めたナマエに、さすがのカイザーも驚いたらしく。顎を掴んでいた手を離すと、困惑したように数度視線を彷徨わせた。そして小さく息を吐く。

「…Nicht weinen. Es ist nicht beängstigend, es ist okay, also beruhige dich.」(…泣くな。怖くないから、大丈夫だから。落ち着け)
「ふ、うう…っ」
「………」

 逃げるように枕へ顔を突っ伏したナマエの後頭部に手を添えると、カイザーは壊れ物を扱うかのように撫で始める。普段どれだけ揶揄っていようと、ナマエに本気で泣かれると弱いらしく。困ったように視線を彷徨わせながら、こうして声音を柔らかくすることしかできないのだ。
 そのぎこちない手付きが、ナマエのよく知る普段のそれで。姿がよく見えないながらも背後にいるのはカイザーなのだと、ようやく頭が落ち着きを取り戻していく。同時に、まるで子供のようなことで泣いてしまったとじわじわ羞恥心が浮かび始めた。
 状況が状況だったとはいえ、突然泣き出したことと彼を拒絶してしまったことに申し訳なさを感じながら、「カイザーさん…」と、震える声で呟いたナマエに、カイザーは一瞬喉仏を上下させると、ふぅ、と小さく長く息を吐き出した。

「…Hey, ich werde es einmal herausziehen.」(…おい、一旦抜くぞ)
「あっ、急に、んん…あ、ッ!♡」

 名前を呼ばれ顔を見たことでナマエが落ち着いたと察したカイザーは、彼女の腰を掴み直すと、気遣うようにゆっくり、中へ挿入ったまま放置していた自身を抜いていく。
 壁を擦りながら出ていき、抜ける寸前腹側を小さく抉っていった先端に、ナマエは小さな声を上げ軽く達してしまい。目の前のシーツを力いっぱい握りしめた。
 息を整える間もなくうつ伏せの身体が持ち上げられ、くるりと向きを変えられる。正常位になり不安に揺れるナマエの顔が見えると、カイザーは上半身をぐっと倒し、安心させるようにその頬へ唇を落とした。
 頬、涙の零れた目尻、こめかみ、額。ちゅっ、ちゅっと可愛らしい音を立てながら顔中に触れていく。ようやく向き合えたカイザーの顔は、さすがに悪いことをしたと、どこかばつが悪そう歪んでいて。珍しいその様子に、ああ彼も心配してくれたのだとナマエは安堵する。

「ん…泣いてごめんなさい。もう、大丈夫」

 ようやく涙を止めたナマエの様子に安心したのか、カイザーはどこかホッとしたような表情になると、最後とばかりに唇へ軽く口付けた。離れる直前、どこか名残惜し気に下唇を舐めていく感触に「ん…っ」とわずかに声を漏らすと、熱のこもった青い瞳が、鼻先でこちらを見下ろしていた。冷めたはずの熱がぶり返すのを感じる。
 高鳴る胸の音が聞こえるのではないかと思うほど静かな状況は、口の達者な彼といるときには珍しい。会話がまともにできないとはいえ、慣れないこの状況に戸惑うナマエは、声を震わせカイザーの名を呼ぶ。

「あ、の…カイザーさん、イヤホン…」

 落ち着いた今なら冷静に探せるかもしれない。そんな淡い期待を抱くも、ナマエの呼びかけにカイザーは答えない。それどころか無言でいるその様子に今度は意味合いの違った不安を抱いてしまう。
 再び揺れ始めたブルーグレーの瞳に誘われるように、カイザーはわずかに開いた唇から舌先を覗かせると、ゆっくりと笑みを広げながら、赤く染まるナマエの耳元へそっと唇を寄せた。

「Ich mag,」(好きだ、)
「ひっ…!」

 至近距離で囁かれた言葉に、ナマエの身体が大きく跳ねる。

「あ、あ…カイザーさ、なんで…っ♡」

 その意味は分からないままだというのに反応する自身の身体に、ナマエは困惑の色を浮かべる。そしてなぜカイザーがそんなことをするのかというのも、また理解できていないといった様子だった。
 逃がさないようにと、カイザーの両手がナマエの頬を包み込む。彼女にその真意は伝わっていないと理解しながらも、ドイツ語でひたすら愛の言葉を、耳から脳内へ直接響かせる。

「Ich mag…, Ich liebe dich.」(好きだ…、愛してる)
「っ、んうぅ…♡」

 少しくぐもった、低く甘い声。けれどその内容は分からない。分からない、はずなのに。その音に慣れている身体はゾクゾクと震え、何も無くなってしまった中が、寂しいとばかりにきゅうっ…と切なく収縮を繰り返している。
 ああもう私は、この人の声音だけでも、この上なく満たされるのか。

「っ好き、ミヒャエルさん、あぅ…♡」

 それが答えになっているのかは分からない。けれどどうしても伝えたいと思ったその言葉に、カイザーはぴたりと動きを止める。通じない言葉はもはやうわ言と同じはずなのに、自らの名前にしっかり反応できるのは何故なのだろう。
 ああそうか、そもそも名前の発音はそのままだから、呼ばれたことはなんとなく分かるのか。考えのまとまらない頭ではそれに気づくことも遅れてしまうようだ。

「ふ、あ…♡はあ、あ゙っ、ああぁ…っ♡」

 頬に触れていたカイザーの両手が、身体の線をなぞりながら下りていき膝裏にかけられる。そのまま自身の腰へナマエの脚を絡めさせると、腰を押し付け再び熱を挿入していく。
 胎内を蹂躙しようとずぷずぷ音を立て侵入してくるそれに、ナマエからは抑えられない嬌声が漏れ出す。縋るようにその広い背中へ腕を回すと、どこか嬉しそうにカイザーの口角が上がり、小さな声で何をか囁いていた。これは分かる。おそらく、「いい子だ」と褒めているのだ。
 ──嬉しい。ナマエの瞳に、歓喜で涙が浮かぶ。

「っうぅ、あ゙、ひ、ぁああ…♡」

 ゆっくりと気遣いながら、けれど的確に奥をこちゅこちゅと刺激する熱にナマエは腹の奥底が喜びに震えるのを感じて。漏れる声を止めることもせず、堪らないとばかりにカイザーの腰により一層脚を絡み付け、下半身を隙間なく密着させる。
 普段ならこんなこと絶対にできないが、何故だか今は、少しも離れたくないと、何かに背中を押されたようだった。
 付き合い始めてから、カイザーの身体を傷付けたくないと短く切り揃えるようになった小さな爪が、彼の背中を引っ掻く。わずかとはいえ肉を抉られた感覚は痛みを伴うはずなのに、言葉がわからない分積極的な様子のナマエに、カイザーは小さく吐息を漏らしながら、どこか恍惚とした笑みを浮かべていた。

「ミヒャエルさっ、あ゙、んゔぅ、好きっ、すきっみひゃ、みひゃぁ♡」
「…Oh, ich bin es auch.」(…ああ、俺もだ)
「は、ぁ、おくっ♡奥とんとんされるの、っきもちぃ…あぅう♡っや、あっ♡も、あ゙、いっちゃ、い゙ぅ♡ あっ、らめ、いくっ♡い、っぅ──あ、あ゙ぁああ…ッ!♡」

 限界を訴えるナマエの言葉に、カイザーは彼女の背中と腰へ腕を回すと、弓なりにしなるほど強く抱き締めた。
 肩口に顔をうずめ、耳元で小さく何度も愛を囁きながら、蠢く奥へ迷うことなく精液を吐き出す。

「ふぁ♡あっあ゙あぁ………っえ?な、っなんで、あ゙、やあっ…♡みひゃっ、ぁ♡も、動かないれ…♡あぅ、は、あ゙♡ またいっちゃ、いっ、うぅ、うゔぅ…♡〜〜〜ッ♡」

 快楽でだらしなく仰け反り曝け出された細い首筋に吸い付き、いくつも痕を残しながら、カイザーは最後の一滴まで出し切らんとばかりにゆるゆると腰を動かす。その度勢いを無くした潮がぴゅっぴゅっ、と吹き出し彼の腹を濡らしていた。

「Komm schon, öffne deinen Mund.」(ほら、口開けろ)
「ん゙むっ、ゔ、んゔぅ…っ♡」

 四肢を痙攣させ軽く達し続けるナマエの呻きにも似た声を飲み込むように、カイザーは顔を上げると、今度は濡れた唇へと噛み付いた。
 隙間からぬるりと入り込んだ舌がナマエの舌を絡め取り吸い上げれば、苦しいはずのそれも彼女には快感になるらしく。力なく背に回されたままの腕が、強請るように再び背中を掻いていた。



「………」
「おい、何してんだ」
「激しく後悔中です……」
「…何を後悔することがあんだよ」
「…だって…あんな、あんな…っ!」

 綺麗に拭かれさっぱりした身体で布団にくるまり、蓑虫のような状態で負のオーラを発するナマエに、カイザーは呆れた様子で声をかける。その音がようやく聞き慣れた日本語になってくれたことに、ナマエは安堵の溜め息をつく。イヤホン、壊れてなくて良かった。
 わずかにシーツの隙間を開けそこから外を覗くと、濡れた髪から水が滴ることを気にする様子もなく、その青い薔薇を晒しながらミネラルウォーターを飲んでいた。どうやらこちらが眠っている、もとい気を失っている間にシャワーを浴びてきたようだった。ペットボトルの蓋を閉め、スプリングを軋ませながらベッドに腰かけたカイザーは、訝しそうな目付きでナマエを見ている。
 怖いと泣いたこと。カイザーに気を遣わせたこと。耳元で囁かれる声に感じ、甘えたこと。快感に耐え切れず、まるで子供のように抱き着いたこと。途中でなまじ理性を取り戻してしまっただけに全て鮮明に思い出せるそれらに、ナマエは顔から火が出そうだった。比喩ではなく、物理的にそうなるのではと本気で思ってしまうぐらいに顔は熱を帯びていた。

「それのどこが後悔するところなんだ?俺をちゃんと感じてた証拠だろ」
「そ、そういうのはいちいち言わなくていいです……」

 恥ずかしがると分かっていてわざとそういった言葉を選ぶカイザーをどこか恨めしげに見つめるも、当の本人は一切気にする様子はなく。それどころかどこか上機嫌で、シーツにくるまるナマエの頬を指の背で撫でている。
 とんでもない痴態を晒してしまったことに何とも言えない気持ちになりながらも、「それに…」とナマエは続ける。そもそも謝りたいのはこのことだった。

「カイザーさんも、イヤホン取れて私の言葉が分からなかったのに、あんな風に拒絶しちゃって……すみません……」

 しばらく考えた後、カイザーは「ああ、」と思い至ったような顔をする。

「別に構わない。…それに、"好き"だの"気持ちいい"だの、色々聞けたしな」
「は…、」

 確かに、なんとなくではあるが言った覚えがある。だが何故。イヤホンが外れていたカイザーに、日本語の"好き"という単語が理解できるはずがない、のに。
 その瞬間、脳内を過った予感にナマエの身体中からは一気に大量の冷や汗が流れ出す。まさか、そんなことあるわけない。
 顔を青ざめさせ、「まさか、イヤホン…」と零したナマエに、カイザーは、ようやく気付いたかとばかりに目を細める。その青色の奥が悪戯っぽく光っていたことには、気付かない方が良かったのかもしれない。

「ずいぶんクソ可愛く鳴いてくれたなぁ?ナマエちゃん♡」

 ナマエがイヤホンを探して視線を彷徨わせていたとき、顎を掴みどこか怒った様子で見下ろしていたにもかかわらず、すぐに何かに気が付いたような素振りをした後、怖いと泣きじゃくるナマエを落ち着けさせ、突然柔らかく甘い声で囁くようになっていた。
 ──何故気付けなかったのだろう。その時点で既に彼は状況を全て察していて。その上で戸惑うナマエに説明をするでも、共にイヤホンを探してやるでもなく。自身のみ言葉が分かる状況を利用し、少し楽しんでやろうとさえ考えていたのだ。
 何を根拠に、"自分も外れのだから、相手もそうだろう"。"自分も分からないのだから、相手も分からない"などと思い込んでいたのだろう。
 けれど普通に考えれば都合の良すぎるその解釈も、とろけた脳内なら何故か当たり前だと感じられたのだ。快楽とは恐ろしい。
 突然突き付けられた事実に絶句するナマエは、シーツを剥ぎ取るカイザーに抵抗することもできず。あっという間に再び組み敷かれることとなった。
 濡れて濃くなった青のグラデーションから水滴が落ち、ナマエの頬を濡らす。「ちゃんと拭かないと、風邪引きますよ」という気遣いの言葉も、「シーツが濡れます」というお小言すら出てこない。
 カイザーは呆然としているナマエの頬を撫でると、指先で耳元へ触れる。確認するかのように爪がイヤホンを引っ掻き、抑えきれないとばかりに笑みを浮かべた。

「今度は俺の言うこと、きっちり聞いておけよ?」

 カイザーが口角を上げると共に染まる頬と熱い吐息が、その興奮度合を物語っていて。どうやら変なスイッチを入れてしまったようだと気付く。
 頬を引きつらせ、「カイザー、さん」と小さく名を呼べば、答える代わりに唇が触れる。せっかくシャワー浴びたのにいいんですか、というはぐらかしも、丸ごと飲み込むように。
 快楽に溺れたみっともない声も、求めて、甘えるように名前を呼んだことも。気持ちが良いと、好きだと零したことも。全て彼の耳には届いていたという。
 その上で幻滅されることなく。それどころかナマエが甘え、素直に言葉にしたことでこんなに嬉しそうにしているのだから、「結果良かったのか…?」と一瞬でも思ってしまう辺り、ナマエ自身もカイザーにはとことん弱いのだ。
 もはや出すこともできなくなった抗議の声を飲み込み、肌の上をなめらかに滑る手の快感に身をゆだねながら、ナマエはぼんやりとそう思うのだった。
 …いや、やっぱり騙してたことは許せないな。それはそれだ、うん。


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