「ワインって、美味しいんですか?」
 きっかけはその一言だった。
 私室に置かれた大きなソファで、ワイン片手に読書をするレオニダス。その横で、同じく本を読んでいたナマエがふと発した、そんな疑問。
 普段レオニダスが好んで飲むワイン、というよりも酒それ自体に、ナマエは興味を示したことがなかった。いわく、生前一切飲んだことことがなかったので、なんとなく手が出なかったのだそう。
 ただ、今回のワインはゲイレルルから貰ったものということもあり。とりあえずひと口だけでも飲んでみたいという。
 だったら飲んでみるか、と軽い気持ちで。それとあわよくば、今後は共に酒を楽しめるようになるかもしれないという、淡い期待も抱いて。レオニダスはワイングラスに軽く一杯分注ぎ、ナマエへと差し出した。
 ──それがまさか、こんなことになるとは。


「おじさま、これ、おいしいれすねぇ」
「………」

 顔、耳、首筋、デコルテや肩口に至るまで、露出している肌のほとんどがほんのりと赤く染まっている。発せられる言葉も、まともに呂律が回っておらず。纏う空気は、ふにゃふにゃという効果音が似合いそうなほどに頼りない。
 ナマエがひどく酔っているということは、もはや火を見るよりも明らかだった。
 ゲイレルルが持ってきたワインは甘みが強いものだった。ジュースのようなそれはナマエの口にも合ったようで。「美味しいです」という感想と共に、彼女は二口、三口と躊躇うことなく飲み進めていた。──その結果がこれである。
 明らかに覚束なくなった言葉に、レオニダスがまさかとワインボトルを見れば、アルコール度数は普段自分が飲んでいるものよりも高いものだった。甘いジュースのふりをして度数が高い、ということはままある。その分飲み過ぎないよういつもより気を付けなければいけないのだが、初飲酒のナマエにそれは無理という話で。
 よく確認しなかったレオニダスも悪いのかもしれないが、まさかワイングラス一杯も飲み切らずに酔ってしまうとは。流石に予想できないだろう。

「…お前、もう止めておけ」

 まだひと口ほど残ってはいるが、これ以上飲ませるとどうなるか分からない。仕方なく、レオニダスはグラスをナマエから取り上げる。

「んん…らにするんれすかぁ」

 けれどむっと唇を尖らせたナマエは、グラスを取り返そうと手を伸ばしてきた。負けじとレオニダスも反対に腕を伸ばし、さらにグラスを遠ざける。

「呂律も回ってねえじゃねぇか、酔っ払い」
「よっれませんよお」

 諦めないナマエに、もうこうなれば実力行使だとレオニダスは空いた手をナマエの肩に回すと、そのまま押さえつけるように押し留める。しかし加減も引き際も分からなくなっているナマエは、抑えるその手さえ跳ね除けようとしてくる始末。
 もちろんレオニダスが本気を出せば止められるだろうが、これ以上攻防を続けたら、中身をこぼすか、最悪グラスを落としてしまうかもしれない。その方が余計に面倒だ。
 レオニダスは少しの思案の後、ナマエをいなしながら、グラスの残りを呷り、すべて飲み干してしまった。

「あっ!」

 ナマエが声を上げる。その瞬間、レオニダスはナマエの身体を強く引き寄せ。大きく開いたその口に勢いよく噛みついた。そうして、隙間からわずかに舌を差し込むと、飲み込まずにいたワインをナマエの口内へと流し込んでいく。

「……おら、これで我慢しろ」

 小さな喉仏が上下したのを確認すると、レオニダスは最後に薄く開いたままの唇をぺろりと舐め、ナマエを解放した。

「…………」

 てっきり、「もう!誤魔化さないでください!」などとふくれっ面になるかと思っていたのだが。予想に反しナマエはなにも言わなかった。それどころか、ぱちぱちと何度も瞬きをし。まるで確認するかのように、自らの唇にそっと指先で触れている。

「…おい、どうした」

 突然訪れた静寂に、レオニダスはナマエの顔を覗き込む。やや乱暴に引き寄せた自覚はあったため、歯がぶつかり怪我をして、それで唇を気にしているのかもと思ったのだ。
 けれど見たところ、唇に血が滲んでいることも、口内を痛がっているような様子もない。怪我ではないと分かりひとまず安堵したが、そうすると今度は別の心配が生まれてくる。
 酒を飲んでいて騒がしかった人間が、突然静かになる。そうなると大抵次の行動は決まっている。吐くのだ。
 別に吐かれることそれ自体は構わないし、すっきりするならその方が良い。けれどその後、申し訳なさと恥ずかしさで確実に落ち込むであろうナマエのことを考えると、粗相するにしても、せめて然るべき場所でさせてやった方がまだマシだろうと思い。レオニダスはもう一度、「どうした、大丈夫か」と訊きながら、細い指先が撫でる唇を同じように撫でた。

「…!」

 瞬間、ナマエの顔が真っ赤に染まっていく。
 それが明らかに酒のせいではないと分かったのは、赤くなる頬と同時に、涙にとろけ瞼を重くしていた瞳が、大きく見開かれていったからだ。

「な、なんれ…?」
「あ?」
「なんれ今、ちゅーした…え……?」

 戸惑いの色を含んだ言葉に、なんの事かとレオニダスは一瞬首を傾げるも、続いた言葉にようやくその意味を理解することができた。
 ──キスをされて、照れている。あのナマエが。
 それはレオニダスに衝撃を与えるには充分なものだった。
 レオニダスの知る、こうした行為に対するナマエの反応といえば。キスをすれば嬉しそうに自ら舌を絡めてくるし、触れるだけで済ませようものなら、逆に「もっと」と強請ってくる。そういった、いわば大胆なものが多かった。
 もちろん、些細な事ではにかんだりだとかそういった事が、これまでまったく無かった、とはさすがに言わない。けれど少なくとも、たかが触れる程度のこんなキスで、酒のせいではないと分かるほどに頬を赤く染め上げ。あまつさえ目を白黒させるなど、ナマエのそんな反応はほとんど見た事がなかった。

「え、あ…お、おじさま…?」

 ──だからこれは、ちょっとした好奇心だった。
 俯く頤に触れ、そのまま上を向かせる。それでもなお、視線が向けられることはない。相変わらずあちこち泳ぎ、それにくわえ今度は手も、ひたすら閉じたり開いたり、指先も意味もなく擦り合わせたりと、せわしなく動いている。
 文字通りすべてを知っているとさえ思っていたナマエにも、まだ自身の知らぬ部分があるのか。──レオニダスは妙な喜びさえ覚えていた。同時に、心の片隅に、わずかな悪戯心が鎌首をもたげる。

「あ、え……っ?」

 頤から手を離し、落ちた髪を退かす。そうして現れた耳の縁を辿りながら、首の後ろへと回し、そっと細い項を撫で上げる。
 瞳を困惑でぐるぐると回しながらも、触れられることに慣れている身体は素直なもので。指先で撫でられる度、肩は小さく跳ね上がっていた。レオニダスは喉を震わせ、くつりと笑う。

「いつもの似たようなことしてんだろ。なに慌ててんだ」
「う…そ、そう、らけろぉ……」

 触れれば触れるほど、顔どころか耳、首、デコルテから肩に至るまで。上半身の露出している肌すべて、熱を持ち赤く染まっていく。ナマエの心臓がもはや限界寸前だというのは、聞かずとも分かり切っていた。

「な、んか…、」
「おう」
「いつもより…て、れる…?というか……、」
「………」
「はずかしい……、」

 言って、ナマエはついに「なんれぇ…?」と涙を滲ませた。
 レオニダスの言う通りいつもとさほど変わらぬ接触のはずが、どうしてこんなにも恥ずかしく、照れを感じてしまうのか。酔いでまともに考えられなくなった脳内が、ついにキャパシティを超えたらしい。
 酔って、箍が外れて、普段より羞恥のラインが曖昧になる…なんていうのは、まあよく聞く話だが。ナマエはその逆。酔った今の方が、恥ずかしさの限界がかなり早い段階にきてしまうらしい。
 普段の方がもっと恥ずかしい事をしているという野暮は、もはや飲み込んで。レオニダスは再びナマエの身体を引き寄せると、噛みつくように唇を重ねた。そうして薄く開いたそこに、今度は迷うことなく舌を差し込んでいく。

「ん゙、っ!?」

 胸を突っぱねる手を押さえ付け、逃げる小さな舌をわざとらしく音を立てながら絡め取る。身体的な抵抗は酒の入る今意味がないと分かったのか、代わりとばかりに「ん゙んんーっ!」と抗議の声が互いの口内に響いた。

「っぷは、な、なんか、ちゅー、えっちれすよぉ…!」
「そういう事してんだから当たり前だろ」
「うぁ、ッ」

 軽く押されただけでもそれなりに衝撃があったようで。ぐわんと揺れた視界に「うぇ…」と声を漏らしながら、ナマエはソファへと倒れ込んだ。レオニダスはすかさずそこへ覆い被さる。

「あ、う…す、するんれすかぁ……?」
「おう」

 言いながら、レオニダスはバサリとシャツを脱ぎ捨てる。涙で潤んだ瞳が、ソファの下へ放り投げられていくシャツを追うも、すぐに戻り。情けなく下げられた眉尻と共に、レオニダスを見上げていた。

「れも、わたし、は、恥ずかしくて、おかしいからぁ…っ」
「だからするんだろうが」
「え、えぇ…?」

 逃げるように閉じられた眦から、ついに涙がこぼれる。

「う…、おじさまのばかぁ…」
「へーへー」

 ぐずぐず言っているがレオニダスは構うことなく、慣れた手付きでナマエの服も脱がせていく。ものの数秒で上半身のすべての服を剥いてしまうと、現れた胸に躊躇なく触れた。

「あ、うぅ…、」

 胸が敏感なナマエは、いつもならそれだけで力が抜け従順になるのだが。やはり今日はまだまだ羞恥が抜け切らないようで。悔し気に声を漏らしながら、なお小さな抵抗を止めようとはしなかった。
 その手をシーツに押し付け。れお、と舌足らずに誘う声を丸ごと飲み込むように唇を重ねる。
 喉の奥で、ひどく甘ったるい味がしていた。




 気絶するように眠るナマエを腕に抱きながら、レオニダスは、ふー…と長く煙を吐き出し。ついと天井を見上げた。そうして、ひとり噛み締めるように呟く。

「…………悪くねえな」

 ──その後、レオニダスの部屋にはジュースのような、けれど度数はそれなりに高いワインがひっそり常備されるようになったことを、ナマエは知らない。




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