アポロンとナマエ、二柱が共に寝ても余裕のある夫婦の寝台の上に落ちていた一本の──髪の毛。
 元々それなりに長髪の二柱が毎晩寝ているのだから、髪の毛の数本くらい落ちているというのは、さして問題ではない。
 問題なのは、それがアポロンの淡く美しいピンクでも、ナマエの闇のような濡鴉でもない。いうなれば、とても暗いピンク。ダークピンクという、見たこともない色をしているということだった。

「……え、」

 思わず漏れたその声を拾う者は誰もいない。何故ならここはアポロンとナマエ、夫婦の寝室で、朝食を終えたばかりということもあり、まだメイドによる掃除が行われていないからだ。


 ことの発端は、ほんの一時間ほど前のこと。この日アポロンとナマエの二柱は、元々予定していた買い物へと出かけるはずだった。
 しかし出かける間際になり、当のアポロンが明日までに終わらせなければならない仕事を残していたことが発覚し。それを知ったナマエは当然の如く「執務を優先してください」と進言をした。
 名残惜しさを微塵も見せずきっぱり言い放ったナマエに、「帰ってからで構わない」「せっかくキミと出かけるんだぞ」とやや不満げなアポロンではあったが、「それなら、終わらせてから行きましょう?ずっと待ってますから」という妻の言葉に、しぶしぶ執務室へと向かったのだった。
 アポロンは元々器用で何事もそつなくこなせるタイプだ。残っている仕事が少しだけで、終わらせてから行こうというナマエの言葉を受け入れたのなら、その通り早々に終わらせてくるだろう。待つのくらいなんてことはない。
 とはいえ突然生まれた余暇に、ナマエはさてどうしようかと悩み。今朝まで二柱微睡んでいた寝室を、メイドの負担を少しでも軽くできたら思い、簡単な掃除を始めたのだ。
 ──そうして、冒頭に戻る。
 摘まんだ見覚えのない毛を、ナマエはしげしげと眺める。
 これは見過ごしてもいいものなのか、それとも見過ごすべきものなのか。判断に困る。もしかすると今後の夫婦関係も大きく変化するであろう可能性を秘めているため、ナマエはわずかに眉間にしわを寄せ「うーん…?」と唸り声をあげた。
 ギリシャの神というのは、愛に生きていると言っても過言ではない。その内容はともかく、語り継がれる数々の神話が、何よりもそれを示しているだろう。その愛を受けるのは大勢でもあり、たったひとりの存在ということもある。
 そしてアポロンもその例にはもれず。太陽神という立場も相まって、その愛はもはや万物全てと言っても過言ではないほど満遍なく注がれるものだった。
 けれどナマエと夫婦となってから、大多数へと与えられていたその愛の形は大きく変わり。現在では、「このままでは愛に殺されるのでは?」と、馬鹿げたことを時折本気で思ってしまうほど、アポロンの愛はたったひとりの妻へと捧げられていた。はずだった。──そんな中で見つけた、どちらのものでもないダークピンク。
 まさかあの方がとは思いつつも、わずかに生まれた可能性に、ナマエはぽつりと呟いた。

「…浮気?」

 思わず口にした瞬間、ガツンッと頭を殴られた気がした。どこかで「何を言っているんだ」と誰かが言っている。
 そもそもとして。神という存在である以上、"ひとりの夫"と"ひとりの妻"である必要など、どこにもないのだ。
 ナマエは元々人間であり、なおかつ一夫一妻制の日本で生きていたためすぐにそういった考えには至らなかったが、神として生まれ神として生きるアポロンにとっては、妻がどれだけいようと何ら問題ではない。ただナマエが、彼の太陽神の愛を受けているのは自身のみと──結局のところ、自惚れていたというだけの話で。
 先程までの自身の思考回路を殴りたい気持ちになった。すでに殴られたに等しい衝撃はあったのだが、そうではなく。物理的な意味で。
 ──けれど、元来何事にも慎重なタイプのナマエがそこまで自惚れてしまうのにはきちんとした根拠があった。
 なにせアポロンはナマエと結婚してからというもの、時間さえあればほぼ確実にナマエと過ごしていたのだから。
 もちろん執務中は除くのもの、それでもナマエがひとり買い物に出たりと突発なことをしない限りは、二柱でいるのが大半だった。
 そんな中で、どうやって別の存在を招き入れられようか。仮にそうでなくとも、そういった存在がいるのなら四六時中ナマエと共にいるという選択肢を、そもそも取るはずがない。──しかしこのたった一本の髪の毛は、その第三者という存在を示しているわけで。
 いっそ聞いてみるべきか。けれどなんて。この毛どなたのですか?とか。そんなつもりは一切なくとも、まるで問い詰めているかのような口調になることは明らかだ。
 とはいえ聞かないわけにもいかない。今回はたまたまナマエが見つけられたからよかったものの、仮にこれをメイドが見つけていたとしたら。──妻を迎えたとしても、やはり遊びは止められないらしい。そんなあらぬ噂を立てられるであろうことは目に見えているからだ。仮にそれが真実ではなかったとしても、夫婦の寝台からどちらの物でもない毛が見つかれば、誰だって疑いたくはなるだろう。
 アポロンという高位の神の妻となったとき、ナマエも嫌というほど、自身に対する根も葉もない噂を耳にしたことがあるからだ。感情がある以上そうした噂話は神も好きなようで。そういった意味では人間も神もなんら変わりないのだと思ったのは、未だ記憶に新しい。
 仮にそういった存在がいるのなら、隠すと怪しいのだからいっそ公にした方が良いと提案すべきなのか──。ぐるぐると頭を駆け巡る考えに、いよいよナマエから小さなうめき声が出始めたとき。背後でガチャリと扉を開く音が聞こえた。

「ナマエ、終わったぞ!」
「!」

 まるでタイミングを見計らったかのような登場に、ナマエは咄嗟に摘まんでいたそれを後ろ手に隠してしまう。
 あかさらまな行動に「しまった」とナマエが思うと同時に、それをアポロンが見逃すわけもなく。案の定「…どうした?」と訝し気に顔を歪めた。

「い、いえ…別に何も」
「……」
「…え、あ、ちょ、あっ、アポロン様…!」

 苦しい言い訳をするナマエの様子にアポロンはつかつか歩み寄り。腕を掴むとやや乱暴に、その手を自身の目の前へと持ち上げた。
 分かり切っていた結末とはいえ見られてしまったことに、ナマエはいたたまれない気持ちになる。──厄介なものを見つけたと怒られるだろうか。いや怒らないにしても、ばつが悪そうにされるか。どちらにしろあまり見たくはないなと、ナマエはアポロンの言葉を待つ。
 そしてアポロンはといえば。強張る手に摘ままれたダークピンクをじっと見つめたあと、それが何なのかを理解したらしく。ナマエからそれを取り上げると、怒るでもなく濁すでもなく。さも当たり前といったように、「ああ、これか」とこぼした。

「うん…やっぱり。戻りかけとはいえ、とても美しく染まっているな」
「え…」

 光に翳しながらどこか嬉しそうに発せられたその言葉と、うっそりとしたアポロンの様子に、ナマエは驚き目を丸くする。

「この髪、どなたのかご存じなんですか…?」

 結局、わざとらしく問い詰めるような物言いになってしまったとすぐに後悔したものの、アポロンは気にしていないようで。戸惑うナマエを、何を言っているんだとばかりに呆れた様子で見下ろしている。

「これはキミのだぞ」

 言い訳か嘘か。どちらかは分からないが、それにしたって適当が過ぎる。その毛を持っている本人がいて、今まさに自身のそれと見比べることもできるというのに。

「いやいや…そんなわけないじゃないですか」

 アポロンらしくない言い訳のような物言いに、ナマエは失礼だと知りつつも否定する。けれどアポロンは否定の姿勢を変えることはなく。互いの意見は平行線のままだ。

「いやキミのだ。オレ様が君に嘘をついているとでも?」
「そ、そうではありませんけど…」
「…ああそうか。キミ、知らないのか」
「え?…っ!?」

 納得しないナマエにアポロンはやや不満げな表情を見せたものの、すぐに合点がいったとばかりに声を漏らした。
 いったい彼の中で何が自己完結したのか。未だ何一つ理解できていないナマエを置いていくように、アポロンは彼女の腰に手を添えると、そのまま強く抱き寄せた。

「えっ、な、なに…っ、」

 突然のことに強張るナマエの身体──もとい腹に、アポロンは手をするりと滑らせ。臍の下、ちょうど下腹部に、そっと手を添えた。まるで情事を思わせるような艷めかしいその手付きに、ナマエはびくりと肩を跳ねさせる。

「"ここ"に、毎晩オレ様の神気を注いでるからな…その影響で、キミの髪はオレ様と同じ色に染まってるんだよ」

 アポロンは添えた手の指先にわずかに力を込めると、まるで思い出させるかのように、ゆるりとそこを撫で上げた。
 ──高位神というのは、ときにその体液までもが、他の存在を変えてしまうほどの力がある。ヘラクレスが神となった一因でもあるゼウスの血、アムブロシアもその一つである。
 しかし今アポロンが言っているものは、当たり前だが血液ではない。彼が"ナマエの腹"に、"毎晩注いでいるもの"など、たったひとつしかない。
 添えられた手の場所と、アポロンの言葉。わずかに灯された熱に揺らぐナマエの脳内は、彼の言葉の意味を理解した瞬間、その熱をかっと頬へ集中させた。

「え、そっ、か、変わるんですか…!?」
「変わるに決まってるだろう。オレ様だぞ?」
「それは、わ、かりませんけど…っ!」

 いつそんな状態に変わっているのか。まさかの事実に言葉を失うナマエの様子を察しているのだろう。アポロンは至極楽しそうに彼女の欲しい言葉を続ける。

「キミが寝た…まあ正しくは気絶したあとだ。その間に身体に馴染んでいってるんだろうなぁ?とても美しく染まっているぞ」

 いちいち気絶したとか言い直さなくていい。けれど確かに思い返してみれば、アポロンとの情交でナマエは限界まで高められ気を失うことがほとんどだ。極稀にそうならなくとも、結局は疲労と眠気が勝り、髪のことまで気が回らなかった。だからこそ気付けなかったのだろう。

「最近は染まっている時間も長くなってきてな。眠っているときは、大抵オレ様と同じ色になっているぞ」
「お、なじ…」
「あれは見ていてとても心地いい…ああもちろん、濡れたように艶が美しいこの色も、オレ様は好きだがな」

 その様子を思い出しているのか。アポロンは嬉しそうにナマエの頭へ顔を寄せ、愛おしむように、さらりと流れる髪やつむじに唇を落としている。
 ──注がれている。それが身体に馴染み、髪を染め上げている。それを当人であるナマエには一切教えず。アポロンはひっそりと、己に染められていくナマエの姿をひとり楽しんでいたのだ。
 そしてアポロンの言葉からして、今回見つけたダークピンクは、徐々にナマエ本来の色に戻っていたときのものなのだろう。だからあんな濃い色をしていたのだ。
 ──過ぎた快楽はいっそつらいのだと、ナマエはアポロンとの情交で初めて知った。浅く入り口をくすぐったと思ったら、みちみちと壁を割開くその動きでさえ、どうしようもないほどの甘さをもたらし。そうして縮こまる奥を突かれ、身体はもっとと言わんばかりに媚び濡れていく。先端が最も深くに口付け欲を吐き出せば、躾けられた身体は歓喜に震え、その熱を全身へと伝えていく。
 思い出してしまった。発端でもある、あの髪の毛を見つけるほんの数時間前まで、ナマエはまさしくその身体の奥底で、アポロンの神気を受け止めていた。そして事が終わったあとも掻き出されることがなかったそれは、こうしている今もなお、ナマエの中へ。じわじわと馴染んでいっているのだろう。
 知らなかったとはいえとんでもない事実を自ら掘り起こしてしまったと、ナマエは顔を真っ赤に染め言葉を失なってしまった。

「…どうした、ナマエ。そんな顔をして」
「な、なんでもない、です…」
「…ああ、そういうことか」
「っえ?…あ!?♡」
「思い出してしまったんだろう?」

 アポロンは強張るナマエの身体を逃がさばかりに押さえつけ。ぐっと顔を近づけながら問い掛ければ、ナマエの潤む瞳は悔しげに歪められた。

「また注いでやろうか。"ここ"に」

 切れ長の目尻をどろりと垂れさせながら、アポロンは普段より幾許か低い声で囁く。
 耳元で響く音の、逃げられないとさえ感じるその重たさに、ナマエはびくりと肩を震わせる。──やろうか、なんて。もはや問いかけですらないその言葉は、答えなど分かっているとでも言いたげであった。
 返事の代わりに吐息をもらすナマエのそんな姿を、アポロンは返事と取ったようで。「ナマエ」と再び名前を呼ぶと同時に腹を撫でていた手をするりと滑らせると、長いスカートの裾をかき分け、隠されていた下着をあらわにしてしまった。
 スカートといっても構造は簡単なもので。一枚の布を巻き付け腰で留めた、いわば巻きスカートのようなものなのだ。ゆえに重ね合わせた部分さえ開いてしまえば、秘めた場所に手はすぐに届いてしまう。
 あっという間に晒された下着に戸惑うナマエを無視し、アポロンは手を進め。迷うことなくその中へとさらなる侵入を果たした。

「ぁ、え、え…!?」
「ああ、そうそう。キミの髪についてだが…」
「ちょっま、あ、っ♡」

 話しかけておきながら、聞かせる気があるのかないのか。糸を操るアポロンの器用な指先は、勝手知ったるとばかりにすんなりナマエのいいところを探り当て。蠢く壁をぐりぐりと押し潰しながら、わずかに湿る程度だった中をあっという間に蜜であふれさせていく。

「さっき、"染まっている時間が長くなってきた"…と言っただろう?」
「ひ、うぅ…っ♡」
「昨晩はその時間が特に長くてな…キミが目覚める少し前まで、美しい色になっていたよ。おそらく今晩か…もしくは明日辺りにでも、すっかりオレ様同じになるだろうな」
「んあ、あっあ、あぁ…!♡」
「あぁ…考えただけで楽しみだ。文字通りオレ様の色に染まり、一目見て"オレ様のものだ"と分かる、キミを見るのは」

 よほど高揚しているのか、らしくもなく口早に述べる姿はいっそ恐怖すら覚えさせるほどで。それが自身の知らぬところで勝手に作り変えられていたことに対する、強者に支配されることへの根源的な恐怖からなのか。それとも、アポロンほどの神が、自身のことで法悦していることへの喜びなのか。どちらの物かも分からぬまま、ナマエは背筋を冷汗が流れていくのを感じた。
 言葉と同時にアポロンの動きは早くなっていく。押し潰すだけだった指先はすっかり根本まで入り込み、指で届く最も奥をこちゅこちゅとくすぐる。かと思えばぎりぎりまで引き抜いて、中指と人差し指が入口をぐぱりと広げる。

「や、っ♡ぃ、!あ゙♡ぁあ、っ♡」

 ナマエはせめて最後の抵抗とばかりに唇を噛み締め耐える。痛まないわけではないが、口から出るみっともない嬌声を、まだ日の高く明るいこの部屋に響かせることがナマエにはどうにも耐え難かったのだ。
 けれどそんなささやかな抵抗がアポロンは気に食わなかったようで。蜜に濡れる入口の少し上、慎ましやかにその存在を主張していた突起へ手を伸ばすと、根本から柔く、けれど確実に快楽を呼び起こす強さで摘まみ上げた。

「あ、あ゙あぁっ…!?♡ あっ、あぽろ、さまっ、そこやだ、あっ♡やぁ、あ、い、いっちゃ、っうあ、あっ、あ゙ぁあ……ッ♡」

 神経の集中する一番の弱点である突起への刺激についに耐え切れなくなったナマエは、声を抑えることもできないまま達してしまった。
 快楽から身体が帰ってこられないのだろう。あ、う、と言葉にならない音を漏らしながら、すっかり力の抜けた身体は何度も不規則に痙攣し。中の指をぎゅうぎゅう締め付けている。
 若干の名残惜しさを感じつつもぬかるむ秘部から指を引き抜くと、アポロンは脱力するナマエを軽々抱き上げ。赤く染まる耳元に唇を寄せ、「それにな、」と囁いた。

「そうやってオレ様に染めてしまえば…いくらキミでも、"別の相手がいる"などという馬鹿な考えは、捨て去れるだろうしなぁ…?」

 ぞくりっ。脳内に直接響いたその言葉が、快感に支配されていたナマエの身体を一気に恐怖へと引き寄せた。
 ──気付いていたのか。あの時一瞬でも浮かび、思わず口に出してしまった。アポロンに対する不貞の疑いと、すぐに「仕方がない」と諦めた、あの思考回路に。
 キミはいったいいつになったら、オレ様に愛されているということを自覚するんだろうな。──妻となったそのときから、親が子供を叱るような声色で散々言われていたことだった。それは、てっきりアポロンの中で、ナマエがそう考えてしまうのは「仕方のないこと」として片付けているのだと、ナマエはそう思っていた。
 それこそが間違いだった。あのアポロンが、ビューティーズと呼ばれる取り巻きたちとの関係を止め、むやみやたらと愛を振りまくことがなくなった時点で、ナマエは自覚すべきだったのだ。
 執着心も独占欲も強いこの神が、いつまで経っても自身の愛を心の底から信じないナマエを、「仕方がない」とただ野放しにするはずがない、と。

「あ、や、やだっ、」
「そうつれないことを言うな」

 いつの間にくつろげたのか、下着をずらしぬかるむ秘部へアポロンの熱があてがわれる。幾度となく交わり躾けられたナマエの身体は、途端に、早く入れとばかりにその先端に吸い付いた。

「っご、ごめんなさいアポロンさまっ、ごめんなさ…っあ゙♡うぁ、あ♡や、ら、や♡やあぁ…っ!♡」

 ぬぷぷっと音を立てて侵入する熱から逃げようにも、抱き上げられているせいで床には足先しかついておらず。ナマエにできるのは、耐えるためにアポロンにしがみ付くことだけだった。
 自らの胸元に顔を埋め、いやだいやだとかぶりを振るナマエの頬に手を添えると、アポロンは捕食するように唇を重ねる。
 隙間から侵入し粘つく唾液ごと舌を絡め取り。頬を歯列を上顎を。小さな舌を何度も愛撫してやれば、その度きゅうきゅうと中が締め付けられた。

「んっ、ゔ、♡は、はぁっ、は、あ、あ…♡?」

 ようやく唇を離した頃には、ナマエは酸欠も相まり焦点の合わぬ瞳から涙をこぼしていて。ぼろぼろとこぼれていくそれをぬぐうように、アポロンはこめかみに唇を落とした。

「まだ外は明るいからな…このまま何度かシても、まあ夜くらいには目が覚めるだろう。その頃にはきっと、キミの髪も美しく染まっているだろうさ」

 ──だから今はオレ様の愛を信じて、一身に受け止めろ。
 その声は強制さを感じさせると同時に、どこか懇願にも似ている気がした。



「…いや、変わってないじゃないですか」

 わずかに夜の余韻を残す白い朝陽を浴びながらシーツの海に身体を投げ出していたナマエの隣。アポロンは鼻歌を歌いながら、宝物を扱うかのようにナマエの髪を梳いていた。
 しなやかな指の間をするすると落ちていくその色は──何故か数時間前と同じ。闇のような、艶を帯びた濡鴉のままだった。

 結局あのあと。夜どころか翌日の朝早くに目覚めることとなったナマエの髪は、アポロンと同じ淡く美しいローズピンクに変わることはなく。元のものと何ら変わらない、闇のような艶を放っていた。
 あれほど今晩辺り変わるのだと豪語しておきながら、実際はなんの変化もない。それに気がついた時ナマエは「この神の予言も外れるのか」とぼんやり思ったのだが、どうやら事はそういうことでもないようで。

「ああ。途中で少し思うところがあってね…やり方を変えたんだ」
「やり方…?」

 思うところがあるならそもそも行為自体をその場で止めてくれた方が良かったのだが、アポロンがそうするはずもない。それよりも今重要なのは、そのあと続いた"やり方"の方だ。言葉選びからして、ナマエの身体に──やはり髪の色に関して何かをしたことは、もはや確実だった。

「…私の身体、いったいどうなったんですか」

 自身の身体のことを他者に聞くなどおかしな話だが、ナマエは怖々そう尋ねる。

「何も心配することはないさ。まあそうだな、簡単に言えば…キミの身体を少し作り変えた」
「は…作り、変えた…?」
「ああ。最初は本気でオレ様の色に変えてやろうとも思ったんだが…言っただろう?濡れたように艶が美しいキミの髪色も、オレ様は好きだと。それが消えてしまうのは…少し惜しいと思ってね」

 ナマエの髪を一房すくうと、アポロンは愛おし気に口付ける。らしくもなく恭しいその行動に、惜しいと、無くしたくないと思っていたのは、どうやら本当のようだと理解できた。

「それに、また一段と美しくなったキミの姿を、わざわざ他の奴に見せる意味もないと思ってな。だから、太陽が昇るうちはこれまでと同じ色だが…太陽が隠れ、月が現れるそのとき、オレ様の色に変わるようにしたんだ」

 他と接し他の目に映る髪はこれまで同様闇色のままだが、夜──太陽がその姿を隠し月が輝くとき。つまりは夫婦二柱だけの時間。ナマエの姿を映すのが、アポロンたったひとりだけとなるそのときには、彼の眷属だと象徴するかのごとく、同じ輝きを放つのだという。
 そんな都合のいい作り変えがあるのかと思いながらも、現に朝陽が昇り始めている今、ナマエの髪は変わっていないのだから、本当なのだろう。そのそも嘘をつくメリットはどこにもないのだから。

「…それ、意味あるんですか?」

 あれほど「染まる様子は美しい」と言っていたのに。夜にしかその色が変わらないのならば、単純な話、見る者はぐっと少なくなる。一目見て分かるのが良いのであれば、それこそ何の意味持たないのではないか。
 至極最もな疑問を口にするナマエに、アポロンは「当たり前だろう」と呆れ顔で答える。

「夜になって、キミがオレ様との閨でそれを目にするその度、これまで腹に注がれた熱を思い出す。……キミがきちんと自覚するには、それで充分だ」

 不貞と自身の愛を疑われたことがアポロンにとっては相当な地雷だったらしく。それならば、他者が一目でナマエは誰のものなのかが分かることよりも、まず彼女自身がきちんと、己は誰のもので、誰に心から愛されているのかを自覚することの方が、夫婦にとっては大切だと。そう思ったのだ。
 散々好き勝手したにもかかわらず未だ棘のある言い方だが、今回に関しては八割ほど自身が悪いと分かっているだけに、ナマエも口を噤むことしかできなかった。ちなみに残り二割は、ひとの身体を勝手に作り変えた非の部分である。
 ギシッ、とベッドが軋み、アポロンがナマエへと覆いかぶさるように寝転ぶ。まさかまだ続ける気かと一瞬強張るナマエを抱き寄せると、アポロンはご機嫌そうに「さあ、起きたら出かけるぞ。昨日のやり直しだ」と瞳を閉じた。
 あなたのおかげで予定が潰れたんですよ、という言葉は飲み込んで。──まあ昼間の見目に変化がないのであれば、夜に多少変わるくらい許してもいいのかもしれない。でもその前に、疑ったことをきちんと謝らなければ。
 労わるように背を叩く手の優しさに、ナマエはぼんやりとそんなことを思った。

 しかし、その日の午後。街へ出た二柱とたまたま鉢合わせたアフロディテからの「ナマエあなた、アポロン様の匂いがすごいわね…」「べったりというか…これはもっと…そうね、うん」「ああ、臭いわけじゃないのよ、ただ纏わりつく"気"のようなものが、下級の神によっては怖がる子もいるかもしれないわね」と、慰めにもならない、何とも言えないお言葉をいただくこととなり。
 ナマエはそこでようやく、"作り変えた"の本当の意味を理解するのだった。

「昼間もそれはそれで変わってるんじゃないですか…!」
「誰も、"髪以外は変わらない"とは言っていないだろう?」


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