夢主:オンボロ寮の2年生。学園で唯一の女子生徒。ユウが来るまでは一人で監督生のような役割をしていた。魔法は普通に使える。
監督生:ユウ。夢主の後輩の男子生徒。夢主のことを姉のように慕っている。
監督生として過ごす日々は、その立場上どうしても厄介事に巻き込まれることが多い。目も回るような毎日を過ごすことはもはや当たり前となり、むしろ平和な日などあっただろうかと自ら首をかしげたくなる状態だ。
しかし、毎日そうもトラブルが起き続けるかと言われればそれは否。なんと今日は驚いてしまうほど“平和な日”となってくれたのだ。
朝からグリムが騒ぐことも、後輩であるユウが何かに巻き込まれることも、授業の最中にトラブルが起きることもなく。何事もなく済んだこの平和な一日で一週間を終えられることに感謝をしながら、体を包み込んでくれる温かさにナマエはほっと息を吐く。ほんのりと香る匂いは脳みそを優しく蕩けさせ、気を抜けばこのまま湯船に溶けてしまうのではないかと思うぐらい柔らかかった。
──ああいっそ、このまま眠ってしまいたい。ディープマリンに身を委ねながらうとうとと瞳を閉じた、まさにその瞬間。ナマエの耳に、ガチャンッと無遠慮に鍵を開く音が聞こえた。
オンボロ寮は鏡の間を通過せず来れるということもあり、防犯も兼ねて寮全体にナマエが自ら魔法をかけている。そのため居住者であるユウ、グリム、ゴースト達、そして教師陣以外には、彼女が許可した者のみ入れるようになっているのだ。
今のところこの居住への訪問を許可をしている人物はただ一人。迷うことなくナマエの自室の扉を開き、なおかつ古びた床板を壊さんばかりの勢いで歩いてくる音は、そのただ一人がやって来たと知らせていて。
この先壊されることが決定している平穏に内心ゆっくりと別れを告げると、その瞬間、予想通り風呂場の木製扉が壊されんばかりの勢いで開かれた。
「…フロイド、どうしたの」
扉の向こうにはやはり予想通りの人物がいて。名前を呼ばれたフロイドは、目つきや立ち方全てで、自分は今不機嫌なのだと物語っていた。
「どうしたのじゃねぇし。オレ何度も電話したのになんで出ねぇの」
「だって見ての通りお風呂入ってたし…」
「一時間前からしてたんだけど」
「それは…ごめん。見てなかったわ」
「オレもう待ちくたびれたぁ」
便利だからと洗面所に置いておいた防水魔法を施した時計を見ると、時刻は二十一時を少し過ぎたくらいだ。記憶の中で入浴を始めたのはたしか二十時四十分頃だったはずだから、やはり長すぎるということはないのだろう。ああでも、その前から連絡してくれていたみたいだから、待たせていたのはもっと長い時間なのか。
「早く出て」
「えー…まだお湯入ったばかりだから嫌」
とはいえ今日ばかりはもう少し湯船にいたい理由があった。てっきり肯定の言葉をもらえると思っていたのであろう、ナマエの返答が正反対だったことに面食らったような顔を一瞬見せた後、フロイドはそれまでの不機嫌の中にほんの少しだけ興味が湧いたような表情を浮かべた。
長い足をコンパスの如く広げたったの二歩で浴槽へ近付くと、ナマエと目線を合わせるようにその場にしゃがみ込む。
「なに?風呂に何かあんの?」
「今日入浴剤入れたの。見てて」
フロイドの視線を促すように、ナマエはお湯へ沈めていた手をゆっくりと持ち上げる。瞬間、気怠そうに細められてた瞳が子供のように輝き出した。
「すげ〜!お湯がキラキラしてる!」
ディープマリンのお湯をかき回すと、底の方からキラキラと星屑が浮かび上がる。少し動く度にゆらゆらと揺れるそれは宇宙のようで、はたまた光指す青い海も彷彿とさせるものだった。
フロイドも同じことを思ったのか、紫のシャツの袖口にお湯が染み込むことも気にせずお湯の中へ手を突っ込み、小さな海を堪能している。
「これ何?何で光んの?」
「サイエンス部で入浴剤の制作したらしくて、ルーク先輩がくれたの。海みたいで綺麗でしょ」
「…ウミネコくんがぁ?何でそんなのナマエに渡してんの」
「二人の時間を邪魔したから、そのお詫びって」
四日ほど前だっただろうか。放課後珍しくフロイドが部活もラウンジのシフト入っていないということもあり、たまにはと二人で出かける約束をしていた日のこと。直前になりナマエが学園長からのお呼び出しを受けたためフロイドはしぶしぶ彼女の帰りを中庭で待っていたのだが、そこへなんと天敵であるルークが、それはもう楽しそうな笑顔でやって来てしまったらしく。
本能で逃げ出したフロイドを、これまた本能で追いかけ始めたルークの鬼ごっこは学園全体を使ったものとなってしまい。結局ナマエがいなくなったフロイドを見つけだした時には、すっかり陽も傾き、出かけることができない時間となっていたのだ。
後日、どうやら自身のせいでデートの邪魔をしてしまったということを知ったらしいルークからナマエへと直接謝罪がきたのだが、その際お詫びの品としてこれを貰ったのだ。
人の身では行けない海の中。彼の故郷のようだと貰ったそれを早々に排水溝へ流してしまうのは勿体ない。それに明日は休日だ。のんびりできるこの時間を短くされるなど、たまったものではない。
「ふーん…」
「…あ、そうだ。フロイドも一緒に入る?」
見たところラウンジ終わりに着の身着のまま来たらしく、いつも無くしたと騒いでいるストールはおろかジャケットすら着ていなかった。唯一着ていた薄い紫のシャツと黒いパンツは、そのまま湿った風呂場に入ってきたせいですっかりお湯が染みて色が変わってしまっている。
乾かすついでに入ってはどうかというナマエの誘いに、先程まで構ってほしいと文句を垂れていたフロイドは再び唇を尖らせた。
「…やだ」
構ってもらえるのであれば、一緒に風呂に入ることでその目的は達成できるというのに。予想外の返答に今度はナマエが驚く番だった。
「そう…じゃあ、あと十分ぐらいで出るから。外でもう少し待ってて」
とはいえ疲れているにも関わらず待っていたという恋人をこのまま放っておくのも流石に申し訳ない。のんびりするのは今日は諦めて、身体が温まったら早々に出るとしよう。
もう少しだけ辛抱してくれとフロイドに告げ、棚の上に置いておいたタオルに手を伸ばす。けれどそれは叶わなかった。
「わ、あっ!?」
伸ばした手は大きな手にがしりと掴まれ、勢いよく引っ張られる。足を滑らせ体勢を崩したナマエの身体をフロイドは軽々抱き上げると、躊躇することなく部屋の中へと向かう。
「ちょっ、フロイド床が濡れるっ…それにあんた、服、っ!」
「いーじゃん。どうせ汗かいたら濡れるし、後で洗うから」
それ誰が洗うのよという文句を言う間もなく。やや乱暴にベッドの上へ放り投げられ、もとい落とされると、すぐさま巨体がと覆い被さってきた。ああ、せっかく昨日シーツを干したばかりなのに。
「ああもう…さすがに裸は寒いんだけど…」
あっという間に身体の水を吸い込んでいくシーツが、今度は肌へと貼り付く。その不快感に眉を顰めると、次の瞬間、ナマエの首元へ鋭い痛みが走った。
「っ、い…!」
尖った歯が柔肌に突き刺さるこの感覚はよく知っている。出血こそしていないものの、痕は確実に残るであろう強さで噛まれ、にナマエは顔をしかめた。
人魚ということもあり特徴的な形状をしているフロイドの歯は、一目見れば誰にでも彼のものだと判断できてしまう。ましてや二人が恋人ということは学園中に知れ渡っている以上、歯形がつくようなことをしましたと触れ回るようなものだ。普通に恥ずかしいし、確実にからかわれる。主にフロイドの片割れに。
なにするの。そう咎めようとフロイドを睨み付けるも、交わった視線にその言葉は喉の奥へと引っ込んでしまう。ああこれは、怒らせたらしい。やはりルークの名は出すべきではなかったかと、ただでさえ嫉妬深いフロイドの最も危ないといえる地雷を踏んでしまったことに、今更ながら迂闊だったと後悔の念に駆られた。
「海なら、オレと一緒に行けばいーじゃん。あんなん貰わないで」
「…あ、そっちなんだ……」
「ナマエを一番最初に海に連れて行くのはオレがよかった…」
「え…やだ待って、そんなショック受けること…?」
というか、そもそもあれ海じゃないしね。海っぽいってだけであって、海ではないから。
そう説明したところで目の前の大きな子供はどうにも納得いかないらしく。「よりにもよってウミネコくん…」「二度と近づかねぇようにしないと…」「つうか謝るならまずオレに謝れ…」とかぶつぶつ言っている辺り、ルークのせいという予感は少し当たっていたらしい。
「あー…ごめんねフロイド。もう入らないから」
「…うるせぇ」
「あらあら…機嫌直してよ」
「…………」
先程までの勢いは何処へやら。ナマエの胸へと顔を埋め、子供のようにむくれるフロイドの頭を撫でる。湿ったターコイズブルーを指先でさらさら弄ぶと、ようやく少しだけ機嫌が直ったのか、ちらりと視線を寄越した。
「…じゃあさぁ〜、」
「うん」
「明日オレと海行こう」
「ええ、明日?無理でしょ魔法薬無いし」
「ん、」
ナマエの言葉にフロイドはどこか待ってましたと言わんばかりにごそごそとポケットを弄ると、青白い小瓶を取り出した。
「ああ…だからずっと連絡してきてたのね」
大きな手の中でゆったりと、粘度が高く飲み込むのには難儀しそうな様子で揺れるそれは、以前一度だけ見たアズール特製の魔法薬だ。おそらく今フロイドが持っている物は、普段彼らが使用している物とは逆の、人間を人魚へと変える薬だろう。
フロイドが疲れた身体を鼓舞しラウンジ終わりの遅くにわざわざオンボロ寮へ足を運んだのも、全てこれが完成したことをナマエに知らせたいがためだったのだ。
それなのにナマエときたら。電話に出ないどころか、自身の天敵でもあるルークの名前を嬉々として出すものだから、フロイドとしては面白くなかったという訳だ。
「だからぁ、明日はオレとデートのやり直しね」
海の中だったらウミネコくんにも、誰にも邪魔されないでしょ。
明日のことでも想像したのだろうか。もうすっかり機嫌が良くなったらしく、歯を見せなからにっこりと楽しそうに笑う。
その顔にこの横暴っぷりももはや可愛く思えてしまうのだから、ナマエもそうとうフロイドに甘いのだ。
「…そうね。じゃあ明日のデートのためにも、体力は温存しておきたいんだけど」
「は?それは無理」
あわよくばこのまま機嫌良く眠ってくれないかという願いを込めて遠回しにそう告げるも、ばっさり否定されてしまう。
それどころか言葉にすることで乗り気にさせてしまったのか、濡れたシャツとパンツをいそいそとベッド下へ落としていき、あっという間に下着を残すのみにさせてしまった。
片や下着姿、片や素っ裸。もはや逃げることは叶わない状態に、ナマエはいよいよため息をつく。
「フロイドあなた…魔法薬渡しに来たとか言いつつ、結局これが目的だったのね」
「当たり前じゃーん。むしろぉ、夜久しぶりに部屋に来たら、それ以外に目的ってなくね?」
わりと最低な発言をしているということには、また機嫌を損ねかねない以上、目をつむった方が良さそうだ。
「それにナマエだってさぁ、もうその気なんだし。別にいいでしょ」
「っん、」
するりと胸へ添えられた手が、その柔らかさと硬さを堪能するように蠢く。思わず漏れた声に悔しさを感じながらも、鋭い歯の奥、赤く滑る舌が嬉しそうに蠢くものだから、ナマエは結局また反論を飲み込む他なかった。
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