「勝負をしよう。至極単純なものだ」
ずいぶん昔からの顔なじみであり顧客の一人でもあるクロロが、まるで随分と前から準備していたかのように冷静な声音でそう言った。
春の訪れを感じさせる柔らかな日差しが降り注ぐ、とある日の午後。街の大通りに面したカフェのテラス席で、名物だというプリンをナマエが口へと運んだ、まさにその瞬間のことだった。
「…勝負?」
食事の中でも一番大切とも言えるひと口目に投げかけられた提案に、ナマエはプリンのほのかな甘みを堪能する間もなく、喉の奥にその欠片を流し込み。訝し気な視線をクロロへと向ける。
「なによいきなり。もしかして、ポーカーがしたいとか言うんじゃないでしょうね」
「それもいいが、今回は違うな」
コーヒーをひと口すすり、クロロはナマエを見やる。下された髪の隙間から覗く黒い瞳は、訝し気なナマエとは対照的に、まるでこれからおもちゃで遊ぶ子供を思わせるようなものだった。
「一対一。念を使った、サシでの勝負だ」
まさかの言葉に、ナマエは思わず「…はあ?」と眉を寄せる。
「驚いた。あんた、どこぞの変態と同じ思考回路になっちゃったの?」
「そんなわけないだろ」
みなまで言わずとも、ナマエの言う人物が誰かは即座に察したらしい。被せるように否定したクロロの声と顔には、あからさまな嫌悪感が浮かんでいた。まあ確かに、あの厄介な奇術師と同列に扱われたらナマエだってこうして顔に出してしまう程度には不愉快だ。まあ、分かっていてあえてそうしたのだが。
ただ今回は思わずそう言ってしまう程度には、クロロの発言は信じられないものでもあった。ナマエは「ごめんごめん」とわざとらしい謝罪をしながら、ふたくち口目を運ぶ。
「俺だって、ただ闘りたいわけじゃない。理由があって、これが最善だと思ったからだ」
やりたくなかったけど、仕方なく。そんなニュアンスを滲ませながらクロロはそう言ったものの、闘うことが最善だなんて言い出す辺りナマエからしてみれば同じなのだが、今度は何も言わなかった。
それでも、常に冷静で、歳の近い顔馴染み兼顧客である奇術師とブラコン野郎の二人に比べればまだ常識的なこの男がそれを最善だと選択したからには、それなりの理由があるのだろう。
「…冗談じゃないわよ。あんたと本気の勝負して、私に何のメリットがあるっていうの」
けれどそれがナマエにとって最善かと言われれば、否。負けるつもりは毛頭ないが、それでも今クロロと闘えば、しばらくはまともに仕事ができないであろうことは火を見るよりも明らかだからだ。
クロロにとっては最善、という勝手な都合で、意味も理由も分からない闘いに命を懸ける気はなどナマエにはさらさらなかった。
けれどこの返答は想定済みだったのだろう。クロロは小さく笑うと、「あるさ」と続ける。
「お前が勝てば、俺はお前を諦める。仕事だけ。お互い自分の利益のみを追求する元通りの関係になる」
ナマエは今度こそ驚きを隠すことができなかった。目をまん丸くする様子をクロロは楽し気に見ている。おおよそこの提案をした張本人とは思えない様子だった。
──悪名名高い盗賊集団であるクモの頭であるクロロと、裏社会では名の知れた情報屋であるナマエが知り合ったのは、二人の共通の知人でもあるイルミを通じての依頼が始まりだった。
次に盗みに入る場所に念能力者がおり、その人物の念能力をお宝のついでに盗みたいが、少し厄介な立場にいる。そいつの念能力の詳細を調査して欲しい、と。
かのクモの頭が、一介の情報屋に依頼とは。正直最初に話を聞いたときはナマエも驚きを隠せなかった。旅団にはかなりの情報処理担当がいると聞く。その人物では駄目なのかとも思ったが、わざわざ依頼してくるということは、それでも難しいことがあったのだろう。同時に、外部の人間だからこそ依頼をした、というのは容易に想像ができた。あとはまあ、難しい仕事ではないというのも受けた理由だ。
結果として、ナマエはクロロの望む以上の成果を上げることができ。そのおかげで盗みは予定よりも簡単にできたようで、クロロを通じて旅団メンバーからも感謝の言葉をいただくほどだった。
そうしてできた繋がりは、仕事以上、友人未満というような奇妙な関係として、数年経った今でも続いている。元々年齢が近く、価値観もそれほどかけ離れていないということも理由なのだろう。少なくとも共通の顔馴染み二人よりかは、こうしてカフェでお茶をする程度には居心地が良いのは確かだった。
しかしそこから、何をどうしてそうなったのか。どうやらクロロはナマエとは別の感情を持ち始めたようで。そのことにナマエが勘付いた、もとい勘付いてしまったのは、こうした職業についているが故にものなのだろう。この時ばかりは己の勘の良さを恨んだ。
そしてナマエが気付いたことにも、クロロは気付いていたようで。以前より頻度の増した依頼に、ここ最近はいよいよ旅団も関係ない、個人での依頼やプライベートでの接触も増えていた。
それをのらりくらりと誤魔化しつつ躱しつつで、数年ほど経ったある日。ついに決定的な言葉を言われた。「俺のものになれ」、と。
盗賊の頭をやるような人間だ。その思考を慮ることなど最初から無理にも等しいことではあるが、それでも何故そんな考えに行きついてしまったのか。ナマエも頭が足りないわけではない。むしろ一般人よりもはるか上の脳みそを持っている自負はあるが、それでもいくら考えようとも、その真意を探ることはできなかった。
けれどもそんな中でも、確実に言えることが一つだけある。「あんたみたいな男は、嫌」ひとつでも決定打があったときに返そうと思っていた、拒絶の言葉だった。そのときのクロロの表情を、ナマエはよく覚えていない。
てっきりそれで終わるとナマエは思っていた。曖昧な関係に終止符を打ったのだから。けれど予想に反し、クロロはその後再びナマエを呼び出した。あの日からたった一週間後のこと。それがまさしく今日だった。
そうして告げられた、先ほどの一言。クロロは諦めてなどいなかったのだと、ここにきてようやくナマエは気が付いた。きっぱり断ったつもりだったことで油断していたせいでもあるのだが、今度は勘の良さが発揮されてはくれなかったらしい。
「…そっちが勝ったら?」
もはや答えなど聞かずとも分かっていた。それでも問いかけたのは、実はとっくに諦めていて、少し警戒しているナマエを揶揄っているだけかもしれないという、わずかな希望に縋りたかっただけなのかもしれない。
「俺のものになってもらう」
けれどクロロの返答はそれをあっさり打ち砕いてしまった。──欲しいと一度でも思ったものは必ず奪う。それがクロロという男だということを、否が応でも確信させる返答だった。
「……それじゃあ釣り合わないと思うんだけど。どちらにしろ、今後もあんたと関わることにはなるんじゃない」
「そうだな…まあ、そこぐらいは許してくれよ」
ふと、それまでの重い雰囲気がなくなり。代わりに咎められた子供のように、クロロは少し苦笑しながらそう言った。
その顔はずるいのではないか。ナマエの発言に少なからず傷付き。そして自身で提示した条件とはいえ、もし本当にただの知り合い程度になってしまったら、悲しいと思う。──そう容易く想像できる程度には寂しげな様子に、途端にナマエに妙な罪悪感が生まれる。
もしかしたらそれこそがこの男の狙いなのかもしれないが、それでもなお好意を拒絶するほどナマエも捻くれてはいないし、なにより、なんだかんだ言いつつもそこまで淡泊な間柄でもなかった。
それに、ここまでのらりくらり躱してきたことに対しての罪悪感というか、居たたまれなさと申し訳なさくらいはナマエの中には多少なりともある。それに本当にこれで最後だというのなら、それも互いにとって良い終止符になるのかもしれない。
ナマエは少し逡巡しながらも、最後に絞り出すように「…分かった」と了承の言葉を発した。
「で、いつがいいの」
「今日。これから」
「ずいぶんと性急ね…」
「そりゃ、ずいぶんと焦らされたからな」
「………」
「どうした?」
「いや…あんた、やっぱりヒソカに悪い影響でも受けた?」
「気味の悪いことを言うな」
この短時間で二度もあの男を思い出すことになろうとは。ナマエは脳裏に浮かんだ、恍惚としたあの気味の悪い笑みを振り払うように一つ息を吐くと、「分かった」と二度目の了承をする。
「ああでも…せっかくだからこのプリンくらいはゆっくり食べさせて」
このカフェを指定したのはクロロだった。店の名物は同時にクロロの好物でもあり。それを食べてみて欲しいと、呼び出しの際言われていたのだ。せっかくなら、きちんと味わっておきたい。
ナマエの言葉に、クロロは一瞬、きょとんとした顔になり。けれどすぐにくつくつ笑うと「そうだな。ゆっくり味わってくれ」と、再びコーヒーをすすった。
水が窓を強く叩く音に、ナマエの意識が暗闇から呼び戻される。ゆっくり瞼を持ち上げ視線を窓へと向ければ、外の景色が見えないほど大粒の雫が硝子へと打ち付けられていた。どうやら大雨らしい。
今日は立て込んだ仕事も、やらなければいけない用事もない。久しぶりの休日を、雨音をBGMにしてもう少し寝て過ごすのも悪くないかもしれない。ナマエはわずかに感じた肌寒さにシーツを手繰り寄せながら、ぼんやり外を見つめる。
「起きたのか」
不意にベッドがぎしりと揺れる。わずかに身体が後ろへ傾くと同時に、低く、どこか怪しさを含んだ声がナマエの耳元で響いた。肩越しにちらりと見れば、首にタオルを掛けたクロロがナマエを見下ろしていた。どうやらシャワーを浴びていたらしい。雨の音で気付けなかった。
返事をするより前に、普段より幾分か落ち着いた黒髪の先から落ちた雫が、ナマエの剥き出しの肩とシーツを濡らしていく。
「…髪、ちゃんと拭いてきてよ。シーツが濡れる」
「今さらだろ」
ダブルサイズのベッドは半分が乱れ、二人分の体液で濡れてしまっている。クロロの言うことはもっともなので、ナマエもそれ以上は言わないでおいた。どうせ洗うのは洗濯機なのだから。
シャワーを浴びて綺麗になったにもかかわらず、クロロは気にせずベッドへと腰掛ける。散らばるナマエの髪を梳いて纏めてやりながら、汗でわずかにぺたつく首筋を指の背でなぞっている。
「声、凄いことになってるな」
「誰のせいだと…」
「俺だな」
「……」
「水でも飲むか?それとも、もう少し寝るか」
「…起きてる、けど、まだもう少しここにいる」
「そうか」
そのくすぐったさにわずかに身を捩りながらナマエが返事をすれば、クロロは「じゃあ俺も、」とシーツを捲り上げ、躊躇することなくナマエの隣へと寝転んだ。
「え、ちょっと、」
「ん?」
「…シャワー浴びたんでしょ。また汚れるよ」
「そうしたら今度は一緒に入ればいいだろ」
どうやら本当に気にしていないようで。クロロは片肘をつき上体を少し起こすと、背を向けるナマエの身体を自身の胸元へと抱き寄せた。風呂上りで温かく柔らかい肌が、少し冷えたナマエの背中にぴったりと触れ、じんわりと熱が広がっていく。
「それに、今はこうしてたい」
言いながら、クロロはするりと左手を滑らせ、ナマエの左足の付け根に触れる。まるで確認するかのように何度もそこをなぞる指先に、ナマエの脳裏にはあの日のことがぼんやりと思い出されていた。
──もたれ掛かったコンクリートの壁は冷たく、血を流した身体から体温を奪っていく。呼吸をする度胸が痛み、肋骨が折れているであろうことは容易に想像ができ。ここまでやられたのはずいぶん久しぶりだなと、ナマエはどこか他人事のように思った。
近づいて来る足音にゆるりと視線を上げれば、黒いコートに身を包んだ男がこちらを見下ろしていた。その男──クロロの名を小さく呼ぶ。唇の端から流れ出た血が呼吸の度顎を伝い、服へと染みを作っていた。
クロロはナマエの目の前へしゃがみ目線を合わせると、宝物を触るかのような手付きでその血を拭い。少し腫れた頬を指の背ですり…と柔く撫でた。この状況になんとも似つかわしくない、優しい仕草だった。
「…そろそろ行くか」
どこに、と。ナマエが返答する前に、クロロは彼女の膝裏と背中へと手を回し、その身体をゆっくりと抱き上げた。脱力する女を優しく横抱きする男。それだけ聞けばまるでお伽話のようだと思うだろう。現実はその男こそが、女を痛めつけた張本人なのだが。
ナマエの耳元で心臓の音が響く。あれだけ激しく闘り合い、そして望み通りの結果になったにもかかわらず、その音は一定のリズムを刻んでいる。クロロにとって、こうなることは全て予定調和。動揺することでもないらしい。分かってはいたが、つくづく腹の立つ男だとナマエは思った。そして、結局いいように操られてしまった自分自身にも。
「どこに入れたい?」
「…なに、が」
「イレズミだ。メンバーは全員入れてる」
「イレズミ…?……ッ!」
靄がかかりほとんど働かない頭でも言葉の意味は理解できたようで。いつもより数秒遅いながらも辿り着いた答えに、ナマエは身体が痛むこともすっかり忘れ。クロロの胸へと腕を突っ張り、解放しろとばかりに暴れ始める。
けれど怪我のせいで力は入らず。なおかつ両腕でがっちり抱えられているため、抵抗はほとんど無意味で終わってしまう。それどころかクロロはじゃれつく子猫を相手しているとでも言いたげに、「まだ動けるのか。すごいな」などと余裕の表情である。
「っメンバーになることは、了承してないんですけど…!?」
「心配するな。お前なら歓迎してもらえる」
叫んだことで酸素が足りないのか、再び目の前が暗くなり始める。低く唸りながら「ふざけんな……」と呪詛のようにこぼせば、クロロはふっ、と小さく笑い。ナマエの、血に濡れながらも柔らかく流れる髪に顔を埋め、つむじに小さく唇を落とした。
「安心しろ。これでもかってくらい、大切にしてやるから」
一人分のブーツの音が廃墟に響く。冷えた身体にじんわり染み込む他人の体温と、ゆりかごのような心地よい揺れに、ナマエはついに闇の中へと意識を手放した。
──あまりに鈍感すぎたのだと、ナマエは思う。目が覚めたときには既に二週間が経過しており、手当のためにと脱がされていた服の下には、クモが一匹。我が物顔でこちらを見上げていたのだから。
手当をしてくれたのはメンバー達だと後から聞いた。取れかけていた足を繋ぎ合わせてくれたのはマチで、抗生物質等々や衣類の準備はパクノダとシズクが。食料や場所の提供は他のメンバーという話だった。
主なことを女性達に任せたのはクロロの裁量なのだろう。元々依頼を兼ねて彼女達含めた旅団メンバーとは交流があり、彼らもそれなりにナマエを信用していたことも大きかったのかもしれない。とはいえそれも、いずれナマエを仲間にした際に妙な軋轢を生まぬようにと、クロロが長い時間をかけて周到に仕組んだことなのかもしれないが。今となっては知ったところで意味などない。
結局ナマエはクロロの思惑通り。心身ともに"クロロのもの"となり、くわえて旅団の一員となってしまったのだった。
「ナマエ、寝るのか?」
軽く肩を揺さぶられ、過去へ飛んでいた意識が戻ってくる。はっ、とクロロを見上げれば、伺うように顔を覗き込まれていた。
「…寝ない…起きてる……」
「じゃあこっち向いてくれ」
寝るのかと聞いたわりに、ナマエが本当に寝てしまい放っておかれたらそれはそれで寂しいらしい。クロロはナマエの肩を掴み仰向けに転がすと、すぐにその上へと覆い被さった。
昨晩、眠りに落ちる前に暗闇の中でぼんやりと見続けていた光景が、今度は明るくなったおかげでよく見える。濡れている髪の間から覗く黒い瞳が、構ってくれ、とばかりにナマエを見下ろしていた。
「ふ…髪がくすぐったい……」
「俺を放っておいた罰だ」
「なにそれ…」
ようやく交わった視線に満足したのか、クロロはナマエの乱れた前髪を退かすと、現れた額にちゅっ、と音を立てて唇を落とし。そのまま鼻先を戯れるように触れ合わせた。時折頬を撫でる毛先の冷たさに、ナマエの肌がほんの少し粟立つ。
互いの睫毛が絡まってしまうのではと馬鹿なことを考えるくらいには近い距離に、この男もこんなことをするのかと、ナマエは妙な気恥しさを覚えた。
「っ、ちょ、なにして…、ッ」
「ん?」
じゃれつくような仕草とは裏腹に、クロロの手は怪しくナマエの肌の上を滑り。むき出しの胸へと添えられる。その柔らかさを堪能するように指先を沈み込ませながら、空いた片方の手は、再び左足の付け根へと辿り着いていた。
「あっ、ま、待って…、」
「やだ」
「やだ、じゃな…っん、ぁ」
制止の声を聞く気はないらしい。驚きで強張るナマエの身体を軽く押さえつけると、クロロはイレズミを確かめるように、何度もそこを撫でている。
少しずれているとはいえ昨晩散々繋がっていた場所に近いところを触られてしまうと、身体は否が応でも反応してしまう。
「ん、ぅ…っ、」
「あ、こら。噛むんじゃない。傷になるだろ」
声を抑えるためナマエは咄嗟に下唇を噛む。けれどそれが我慢をするときの彼女の癖だと知っているクロロは、触れていた胸からすぐさま手を離すと、わずかな隙間からナマエの口内へと親指を滑り込ませ、乱暴に割り開いた。
「あ゙っ…ら、ったら、さわらない、れよ、っ」
「それは無理な注文だな」
「ん゙、むっ、」
みっともなく開かれた口の端からこぼれた唾液が、クロロの手を伝う。ナマエが話す度指先を掠める小さな舌や、腹の中を思わせる温かさに若干の名残惜しさを感じつつも、クロロはそこから指を引き抜き。代わりとばかりにすかさず唇を重ねた。
隙間から即座に舌を滑り込ませ、縮こまるナマエのそれと根元から絡ませ合う。ぴちゃ、くちゃ、とわざとらしく立てられる音は、外の雨音にも負けないくらい大きく、二人の脳内に響いていた。
「っん、ぅ…ふ、ん、ぁ…ッ」
「はっ…ナマエ、ん…」
淫猥な音に、溶け合う体温。未だイレズミを柔くなぞる指先。誤魔化しようのない快感が、ナマエの背中をぞくぞくと駆け上っていく。
そしてそれはクロロも同じようで。呼吸のため唇がわずかに離れる度吐息交じりに、小さく甘い声を漏らしていた。
呼吸が苦しくなろうとお構いなしに絡まる舌に、ナマエがいよいよ限界を感じ。いっそ殴ってやれば離れるだろうかと、右手にオーラをわずかに纏わせ始めたとき。それを察したかのようにクロロはあっさりとナマエを解放した。
「お転婆だな、ナマエ」
「は…しつこいのが悪い…、」
悪戯する子供を叱るかのような口調は、けれど確かに妙ないやらしさを含んでいた。
「お前は強化系なんだから、流石に殴るのは勘弁してくれよ」
「だったら殴られないようにして…」
笑いながら、クロロは上体を起こすと、掛けていたシーツを躊躇なく剥ぎ取り。彼女の身体を灯りの元へとさらけ出す。途端に肌を撫でた冷気に、ナマエの眉間にしわが寄る。
「…寒い」
「ごめんごめん」
全く心のこもっていない謝罪はいつものことだ。分かり切っているナマエも一言悪態を吐くだけで、それ以上は何も言わなかった。
さらされた身体をクロロは静かに見下ろすと、再びイレズミへと触れる。宝物に触れるかのようなその手付きは、あの日ナマエの血を拭ったものとまったく同じだった。
「……嬉しそうね」
「ああ」
これ以上ないほど愛情を注ぐくせに、最終的には興味を無くし全てを手放してしまう。それは"盗んだ物"という物理的な存在だけではなく、場所や、それこそ人そのものにも適用される。仕事相手としてクロロと長年接してきたナマエには、それが痛いほど分かっていた。クロロとはそういう男なのだ。
最終的に捨てられる未来があるのなら、最初から一緒にならなければいい。ナマエがクロロの想いを長年見て見ぬ振りをしていたのは、そんな理由からだった。
情報屋などという特殊で孤独な職業をしているせいか誤解されがちだが、好いた相手に放っておかれれば多少なりとも寂しさは感じるし、愛を与えられればそれだけ幸せだとも感じる。ナマエはそういう単純な人間だ。
だからこそ、クロロの気持ちを受け入れたとして。好きになっても最終的に捨てられてしまうのならいっそ拒んだ方がまだマシだと。そう思っていたのだ。
けれど結局ナマエは勝負に負け、クロロの想いを受け入れることとなった。経緯は褒められたものではないが、それでもそのことを後悔はしていない。
「……クロロ」
そうして一緒になった、何を考えているのかよく分からないと思っていた男は、根本は柔和で、欲しかったものを手に入れれば喜び。そして惜しみない愛情を注ぐ。愛した人への約束は、決して破らない。以外にも単純一途な、普通の人だった。
小さく名を呼び、イレズミをなぞる手を軽く引く。ナマエの言わんとしていることを察したクロロは、「どうした?」と甘やかす声音と共に上体を倒し、再びナマエへ覆い被さった。
「続き、するんでしょ」
「していいのか?」
「今さら…というか、そういうこと聞かないで」
「ごめんって。拗ねるなよ」
広い背中にするりと手を回し今度はナマエから口付ける。クロロは少し驚いたものの、すぐにベッドとナマエの間に手を差し込み。これ以上ないほど強く抱き締め返した。
混ざり合う全てがこれ以上ないほど心地良いと、心の底からそう思えた。
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