※夢主→毒の扱いに長けているくのたま6年生


 昨夜から降り続いていた雪の影響で、その日の忍術学園はすっかり冬化粧となっていた。
 長屋、教室、運動場。積もった雪は高い場所で一年生たちの腰辺りにまで及び。このままでは教室へ辿り着くことも、運動場を使用することもできないということから、急遽授業を返上し、生徒総出で雪かきが行われることとなった。
 けれどその前段階として。そもそも各人、自身の長屋前を整えろということになり。その通知が学園長から出されたのが、つい先ほど。普段の朝の放送が入る一時間も前のことだった。
 ──寒い。口に出せばいっそう実感してしまう気がして。ナマエは出かかった言葉をなんとか飲み込み、代わりに小さく息を吐き出す。嫌だと駄々をこねる身体を鼓舞し、暖かな布団からゆっくりと這い出た。
 途端に身を包み込む冷気にひやりと肌を震わせながら、布団横の衝立を頼りにおぼつかない足取りで歩くと、昨晩入口横に置いておいた桶の近くに腰を下ろす。
 冬は寒さで井戸の水に薄い氷が張ることがある。特にこうした雪が降る日なんかは、それで洗顔や歯磨きを行うのは拷問とすら思えるほど水温が下がってしまう。だからナマエは雪が降り始めた先日のうちに、朝に使う用の水を桶に汲んでおいたのだ。こうすれば寒い中水を汲みに行かずとも済む。物臭の知恵というやつだ。とはいえ温めたわけでもない冬の水なので、ほんの気持ち程度のものではあるのだが。
 そうして顔を洗い歯を磨き終えたナマエは、まだほんのわずか存在する眠気にあくびをしながら、次は着替えのためにと寝衣の帯をゆるめ始める。

「ナマエ、起きているか?」

 そのとき、ふいに外から名を呼ばれ。ナマエはぴたりと動きを止めた。入口に背を向け、解けかけていた帯を抑え止めながら首だけで振り返り。「はい」と返事をする。

「私だ。小平太だ」

 冬の澄んだ空気のおかげだろう。普段よりはつらつと響く聞き慣れた声に、気配の正体が分かり。ナマエは無意識に強張らせていた身体を、ふっとやわらげた。気を張っているいつもの状態であれば、足音や歩き方、そもそも気配で小平太だと気付けただろうが、いかんせん今は雪が積もっている。ざくざくと踏み潰す音に足取りが乱れ、名を聞くまで何にも気付けなかったのだ。
 膝をずりずりと引き摺りながら、ナマエは帯を直すこともせず障子を開け放つ。

「おはよう、ナマエ」
「…おはよう、小平太」

 勢いよく開け放たれた障子にも驚くことはなく。ナマエの姿を見た小平太は、鼻の頭を赤くしながら、にっと笑った。

「すまない。着替えているところだったか?」
「ううん。ちょうどこれから着替えるかなーって思ってたところ。まだちょっと寝ぼけてたけど」

 はは、と小さく笑うナマエの髪はまだ整えられていないせいか、ところどころぴょこりと跳ねている。小平太はそれを見ながら、「ナマエは朝が弱いからな」と同じように笑った。おそらく寝床を共にした朝のことを思い出しているのだろう。
 小平太はそう言うが、実際共寝をするとなれば、大抵夜中まで身体を重ねることとなるため。最後はほとんど気絶するように眠りにつくナマエが朝に起きられなくなるのは、小平太のせいとも言えるのだ。
 それは言わずとも小平太も分かっているようで。続けて「まあ原因は主に私なんだろうが」などと言っている。そう分かっているのに、おそらく今後も止める気はないのだろうが。

「…あれ?というか、小平太、なんでここにいるの?」

 ふと湧いた疑問にナマエは小首を傾げる。こことは今まさしく二人がいる、くのたまの長屋のことだ。本来であれば忍たまは立ち入り禁止のはずであるこのエリアに、早朝とはいえ何故小平太がいるのか。当然の疑問に、小平太は待ってましたとばかりにナマエを見上げる。

「くのたま六年はナマエ一人だけだから、長屋前の雪かきは一人でやることになってしまうだろう?だから手伝いに来た!」

 言いながら、小平太は「ほら」と両手に持った木鋤を高く掲げた。確かによく見れば、浅緑に星柄の半纏、わらぐつと、寒空の下で動く装備は万全である。

「それはすごく有り難いけど…むしろこっち来て大丈夫なの?」
「私たちの方は皆がやってくれるらしくてな。終わったらこちらに来るから、私だけでもナマエの方に先に行ってやれと」

 六年生は少ないとはいえ、それでも忍たまは六人と片手の指は超えている。くわえて男子ともなれば、早ければ一時間もあれば雪かきは終えられるだろう。
 けれどくのたまはナマエは一人だけ。長屋前だけでも一人でとなればそれなりに時間はかかる。だから彼らは小平太を先に、ナマエの元へと向かわせてくれたのだろう。
 本来は御法度だが、状況が状況だ。今回は特例ということで許されるだろう。それでもなにか言われれば、恋仲であるナマエが無理を言ってお願いしたとでも押し通せばいい。理由など後にいくらでも付けられるのだから。
 なるほど、と思いつつ。同時に、互いに忍務や委員会の仕事などで満足に時間を取ることができない二人を、彼らが気遣ってくれたのだということにもナマエは気付き。今頃せっせと雪かきをしているであろう五人に、内心感謝の念を送っておいた。

「小平太」
「ん?」
「まだ時間も早いから、とりあえず中入って」

 ナマエはきょろりと周囲を見回すと、小平太を小さく手招いた。
 こうして朝一番に来てくれたとはいえ、ナマエはまだ寝衣の状態だ。今すぐに外へは出られない。そんな中小平太をひとりでくのたま長屋の前にいさせるとなれば、後に後輩たちが事情を知るとしても、その場で面倒なことになる可能性が高い。なにより彼女たちだって、男の先輩がいては水汲みだってしづらいだろう。
 ナマエの言葉に、小平太は一瞬、その大きな目をわずかに大きくしながら、「いいのか?」と尋ねる。

「私もまだ準備できてないし。それに、寒いでしょ」

 部屋を暖めているわけではないが、外よりは幾分かマシだ。開けたそこから吹き込む冷気に身を縮こまらせながら、ナマエは「ほら、早く」と急かす。小平太はほんの少し迷ったような素振りを見せながらも、すぐにかじかむ手でわらぐつを脱ぎ捨て。音もなく障子の隙間をすり抜けた。
 後ろ手で静かに障子を閉める。入口に向けられた衝立の向こうには、少し乱れた布団が敷かれたままになっているのが見えた。その衝立も超え、小平太は布団の横に腰を下ろす。窓も開けてないからだろう。やや薄暗い部屋は、寝起き特有の湿ったような、独特の空気で満ちている。
 すん、と鼻をすすれば、嗅ぎ慣れたナマエの体臭が小平太の脳に広がっていく。香を焚いているわけでもないというのに、寝起きでも不思議と香る甘さに、ナマエが自身の腕の中にいる朝のことがぼんやりと思い出され。小平太は身体がむずりと浮足立つのを感じた。

「ごめんね、まだ布団も敷いたままで」

 そんな小平太の機微に気付いていないナマエは、「すぐ準備するから」と言いながら、備え付け箪笥の引き出しから、掌に収まる程度の円形状に巻かれた布を取り出してきた。
 一見巻かれた包帯にも見えるそれが、普段彼女が胸に巻いているさらしだと気付いたのは、小平太に背を向け布団の上に座ったナマエが、眼前で躊躇なく寝衣をはだけさせたからだった。
 ナマエは下ろしていた髪を後頭部でくるりとまとめ上げると、慣れた手付きでさらしを胸に巻き始める。薄暗い部屋の中、目の前で蠢く雪を小平太はただ黙したまま見つめていた。
 衣擦れの音が静かな部屋に響く。一人部屋なことと、そもそも部屋を暖めることもしていないせいで、冬暁の中に浮かぶ肌は寒さに少し粟立っている。
 ナマエは寒がりだ。こうした寒さの厳しい時期、特に裸のときなんかは、「小平太は体温が高いからあったかい」なんて言いながら、隙間がなくなるくらいくっついてきてくれることがある。互いの体温が溶けあい、肌の境界がなくなる。まるでひとつになれるかのようなその時間が、小平太はいっとう好きだった。

「…ちょっと、小平太」
「…うん?」
「見過ぎ」

 さらしを巻く手を止め、ナマエは肩越しに小平太を見やる。咎めるような言い方ではあるが、そこに怒りは含まれていない。まるで子供の悪戯を、呆れながら叱る親のような口調だった。

「いやなに…美しいと思ってな。つい」

 脈絡のない言葉に、ナマエはきゅるりと目を丸くした。
 小平太は膝を床にこすりながらナマエへと近寄る。そうしてその背後に腰を据えると、左腕をするりと、むき出しの腹の前へと回した。

「…さらし巻いてるだけだよ」
「うん。そうなんだが…なんだろうな」

 ただ布を身体に巻いていく。言葉にしてしまえば、確かにそれだけの行動なのだろう。けれどなんとも言い難いものではあるが、それ以上に、淀みなく行われる所作が、小平太の心をどうにも刺激してやまなかったのだ。
 ただそれは言わなかった。小平太は曖昧な返事をしながら、空いた右手を伸ばし。まだ巻き終わっていないさらしの端を掴んでいたナマエの手に、そっと重ねる。

「私にやらせてくれ」

 ナマエの顔を覗き込み、まるい瞳をわずかに細めながら、小平太は念を押すように「いいだろう?」と尋ねる。そこに込められた熱に、これは了承するまで終わらないだろうと早々に察したナマエは、「…はいはい」と呆れたように小さく息をつくと、再びくるりと小平太に背を向けた。

「あまりきつくしないでね。苦しいし、痛いから」
「ああ」

 満足げに返事をすると、小平太はナマエの身体に両腕を回し、するするとさらしを巻き始める。他人からやられるとくすぐったいのか、片腕で一周できてしまいそうな薄い身体を震わせながら、ナマエはくつくつと笑っている。

「こら、あまり動くな。やり辛い」
「ごめんごめん。でもくすぐったくて」

 最終的に、わずかに逃げる身体を後ろから押さえつけるようにしながら手を動かしていき。ようやくすべて巻き終えた布の端を、動かぬようきつめに挟み込んだ。「できたぞ」とナマエの小さな肩を叩く。

「ん。ありがとう」

 確認のように肩や腕、身体を軽く動かしたナマエは、「意外と上手いね」と満足げに頷いた。

「そうか。それは良かった」

 小平太は、言ってゆるりと背を丸め。ナマエの肩口に顔を寄せると、当たり前のようにそこに唇を触れさせた。すっかり身体は温まったのか、白い肌はもう粟立ってはいなかった。
 ぢゅう、と唾液をすする音と共に感じる鈍い痛みに、ナマエは「あ!」と声を上げる。

「今吸ったでしょ」
「うん」
「しかも痕残したでしょ」
「うん」
「うん、じゃない!駄目だっていつも言ってるのに…もー…」
「見えないからいいだろう?」
「そりゃ服着てれば見えないけど…湯浴みのときとか、後輩たちに色々と聞かれるんだよ」

 多感なお年頃の女子にとって、人の色恋ほど興味のあるものはない。こうした閉鎖的な空間だと、なおのこと。
 一応この学園では二人の仲を知っている者がほとんどではあるが、それでもあからさまなところを見られるのは、やはりそれなりの羞恥が生まれるのだ。

「いいじゃないか。見せてやれば」
「…小平太、そんなこと言うタイプだったっけ?」
「いや?普段なら言わないな」
「あら。じゃあ、今日はなんでそんなこと言う気になったのかしらね」
「んー…なんだろうな」

 また曖昧な言い方ではあったが、どうやら今回はちゃんと答える気があるようで。小平太は「んー…」と少し考えるような素振りを見せたあと、瞳を細め、小さく微笑んだ。

「ナマエが美しかったからか、見せたくなったのかもな」

 そう思っていたら、返ってきたのはやはりどこか的外れな答えだった。「…やっぱりどういうこと?」と尋ねるナマエに、小平太は「細かいことは気にするな!」と今度はいつもの如く大きく笑い。もういいかと、辛抱堪らんとばかりにナマエの細い身体を抱き締めた。そうして再び肩口に音を立てて吸い付く。

「あ、こら。もう」

 呆れたように言いながらも、やはりナマエは小平太の行動を咎めたり、まして抵抗することもしない。色々聞かれる、などと苦言を呈するのは、こうした雰囲気で生まれた羞恥を誤魔化すための可愛い反応のようなもので。こうして触れ合えることを、結局のところナマエも楽しんでいるのだ。
 そしてそれを小平太も分かっているからこそ、言葉を尽くすし、愛情を示す行動は惜しまない。

「んー。ナマエー」

 小平太は半纏の前を開くと、ナマエの身体を自身の膝に乗せ中へと抱き込んだ。二人でくるまり、ナマエの首筋にぐりぐりと頬を擦り付ける。

「やだぁ、小平太、くすぐったい」
「いいだろう。最近こういうことできなかったんだから」

 大きな犬のような甘え方に、小平太の髪に鼻先を埋めながら、ナマエも嬉しそうにくふくふと笑う。寝衣を脱いで冷えていた身体が、足先までぽかぽかしていく感覚がひどく心地よかった。
 ふと、小平太がナマエを見上げる。数秒見つめ合い、互いに小さく笑みをこぼし。睫毛を伏せ、どちらからともなく顔を近付けていく。──そのときだった。

「おい馬鹿二人。いい加減出てきて手伝え」

 外から呆れを含んだ声で呼ばれたのは。その声の主が仙蔵だということは、意識がはっきりした今なら、ナマエはすぐに理解することができた。
 つい数十分前にも似たような状況になったなと思い外へと意識を向ければ、「朝っぱらから何をやっているんだ!」「いっそ二度と出て来られないようにしてやるか」「それは駄目だよ留三郎…」「もそ…」「ほらみろ。長次もいいって言ってるぞ」と、雪の日の早朝に似つかわしくない喧騒がしている。どうやらいつの間にか、六年生全員が集まっていたらしい。
 おそらく、先に行ったはずの小平太がいない上、ナマエの部屋の前にわらぐつが置かれ。さらには部屋の中から小さく話し声が聞こえることから、二人が雪かきそっちのけで乳繰り合っていると気が付いたのだろう。朝っぱらから同級生のそんな絡みを聞かされる身にもなれという恨み言だ。

「残念。来ちゃったみたい」

 こうなってはしかたがない。というより、自分の長屋の前をやってもらうのだから、早く準備をしなければ。それまでの甘い雰囲気を断ち切り、ナマエはあっさり小平太から離れよう離れようとする。
 けれど小平太は腕を掴みそれを制した。小平太、と。ナマエは咎めるように、男の名を呼ぶ。

「ナマエ」

 駄目だよと続くはずだった言葉は、返事のように呼び返された自身の名と、口を覆った大きな手によって無情にも飲み込むこととなってしまった。
 ナマエの首筋に小平太の唇が触れる。まるでこれから事に及ばんとばかりのその行動に、「あ、」と思ったときには、分厚い舌が、べろりとそこを舐め上げていた。
 触れたり、軽く吸い付いたり。声を上げながら戯れるような、可愛らしいものではない。ぬめる舌のその熱さは、互いの体温を溶かし分け合う夜を、思い出させるような。そんなものだった。

「っ…」

 ナマエの背筋がぞわりと粟立つ。思わず漏れそうになった声をなんとか飲み込めば、その熱は腹の中へと入り込み。下腹の奥底をぞわりと疼かせる。

「…ナマエ。私は先に行っているぞ」

 ひどく静謐としていた。まるで、自ら生んだ熱の在所を知らぬとでもいうような声音と共に、小平太はあっさりと身体を離してしまう。
 けれど離れるその直前。温かく、ほのかに湿り気を帯びた無骨な手が、疼いた腹をゆるりと撫でていく。そこに熱が生まれたのだと気付いている。そんな手付きだった。
 小平太は半纏を脱ぐと、すっかり寝衣のはだけた赤い肌を隠すように、ナマエの肩に掛けてやる。温もりの残る半纏を胸元に抱き寄せるようにしながら、ナマエは名残惜しげに、離れた小平太を見上げた。
 その視線に気が付いた小平太は、やはりすべて分かっているというように、ゆるりと瞳を細め。小さな笑みと共にナマエの頭を優しく撫でると、静かに部屋を出ていった。
 そうやって出ていくときでさえ、ナマエの姿が外に見えぬよう、障子をわずかにしか開かないところだとか。自分も名残惜しいのだと、熱を込めた視線で、言外に告げるところだとか。──この男の、こういうところがずるいのだ。いつだって結局最後には、優しく包み込んだてのひら上で、ナマエを暴き、乱してしまう。そんなところが。
 ナマエは頬に両手を当てる。学友らの騒がしい声を背に受けながら、赤くなっているであろう頬を叱咤するように、ぺちんと叩いた。





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