※暗チ夢主


「ただいま、ナマエ」
「…おかえり」

 近所のマーケットの袋を片手にどこか上機嫌な声で帰宅したメローネに、ナマエは早々に嫌な気配察した。
 鼻歌なんて歌っちゃって。楽しげなメロディに合わせて紐を解くような、箱を開けたような様々な音が聞こえる。読んでいた雑誌から視線だけ向け、中身を取り出すその背中を観察するけれど、肝心のその中身は背中に隠されて見えない。

「ずいぶん早かったけど、何買いに行ってた、て、え、えっ」

 こつこつと近づくブーツの音に慌てて手元へと視線を戻す。座るのだろうと少しスペースを空けたナマエの隣に、メローネは思った通りどかりと座ってきた。ただし、これでもかというほど密着して。
 元々座っていた場所自体端で、そこからさらに移動したためナマエが今座っている位置は肘掛に膝が触れるぐらい隅っこなのだ。そんなナマエを閉じ込めるような、隙間など許さないとでもいいたげなほど密着してくるメローネに、距離を取ったつもりが墓穴を掘ったかと冷や汗が流れる。

「な、なに、近いんだけど…」
「口」
「は?」
「口、開けてくれないか」

 慌てていたから気が付かなかったが、よく見ると一口サイズのチョコレートを一粒摘んでいて。視界の端に映る机上の華やかな装飾が施された赤い箱と、開封音。読んでいた雑誌に書かれたこの時期を表す名称と、上機嫌な声。それら全てがナマエの脳内で繋がった。

「ほら、早く。手が痺れてきた」

 だったら止めればいいのに、という言葉は飲み込んでおく。色々な意味で女性をリスペクトするメローネにしては珍しい強引さに、ナマエの脳内はますます嫌な予感、もとい現状で埋め尽くされる。しかしその嫌な予感に従い断ると、後々さらに面倒になることも、これまでの経験から分かっていた。
 この状態からの一番いい回避方法は、とりあえず目の前の要求を素直に飲む、だ。例えそれが最悪な二択のうちまだ少しだけマシだというだけであっても、今のナマエにはそれしか道は残されていなかった。

「変なことしないでよ…」
「おいおい、変なことってなんだい」
「おおよそ世間一般で言われる変なことよ」

 この男に一般論を説いても仕方はないのだが、とりあえず今は置いておこう。
 言われるがまま恐る恐る、指一本分ほどの隙間を開ける。これなら何かされても咄嗟に閉じることもできるだろうという、ナマエなりの最後の足掻きだった。
 そんなナマエの様子にやれやれといった素振りで一つ息を吐くと、メローネは持っていたチョコレートをナマエ唇へと押し付けた。

「っ、ん、え、!?」

 近付いた瞬間鼻をくすぐった甘い香りに怪しいものではないと本能が察知し、無意識のうちに迎え入れようとナマエが口を開いた瞬間。何を思ったのか、メローネはそのチョコレートを引き戻し、自らの口へと放り込んでしまった。そしてそのまま、何が起きたのかと当然驚き固まるナマエの頬を両手で掴むと勢いよく唇を重ねた。
 突然のことだったため抵抗は一歩遅れ。ぬるりと入り込んできた熱い舌は、同時に柔らかくなったチョコレートを運んでくる。こいつこれが目的だったのか…!
 慌てて引き剥がそうと肩を掴むも、若干体重をかけてのし掛かられている上に男女の力の差もあるとなっては、ナマエに為すすべはなく。 読んでいた雑誌が無残に床に落ちる音が聞こえた。

「っんんんー!ん、っふ、ぅ、」
「ん、ふふ…」

 長い舌がチョコレートを溶かすように、逃げるナマエの舌へと押し付け絡め取る。広がる甘みを唾液と共に飲み込むも、その性急さに追い付かず口の端を伝ってしまう。抵抗したいたはずの手は、いつのまにか縋るように掴むだけになってしまった。
 鼻から抜ける香りに脳内がいよいよショートしかけたその時。頬を掴んでいた手から力が抜け、するりと胸元へと落ちた。

「っ、な、にすんのよこのバカ!!」

 その瞬間、手離しかけた理性が戻ってきたナマエは、腹筋と腕に渾身の力を込め目の前の男に渾身の一撃をお見舞いする。女とはいえ暗殺業に従事している訳であって、不利な体勢からのアッパーは常人ならば速攻倒れているであろうものだった。

「どうして。チョコ美味しかっただろ?」
「美味しいとかそういう問題じゃないのよ!っああもう、よだれでベタベタ…」

 しかしそこは相手も常人ではないわけで。モロに食らったにも関わらずけろっとしているメローネに若干悔しさを感じつつも、口の端を汚した唾液を袖で拭う。はしたないけど今は仕方がない。

「あ、もったいない。舐めるからそのままで」

 再び頬を掴まれ、遮るようにぺろっと長い舌が口の端を舐める。それが普段のベッドの中と同じ仕草だったせいか意図せず身体が反応してしまい、まるで期待しているような自身の仕草に頬が熱くなる。

「もおお…もったいないって何よお…」
「ナマエのDNAは皮一枚だろうと唾液の一滴だろうと、全部俺がもらわないと」
「ぜんぜんときめかないし意味が分からない…」

 嘘だ。少しときめいてしまった。こんなので、恥ずかしい悔しい。
 赤くなっているであろう頬を隠そうと掌で覆うも、やんわり手首を掴まれ退かされてしまう。ちゅ、ちゅっと音を立てながら頬や額にキスをしながら、親指でふにっとナマエの唇に触れた。

「……」
「おや、もう殴らないのか」
「分かってるくせに、言わないでよ…」

 今度はナマエから手を伸ばす。長い髪を耳にかけ撫でるようにそのまま頬へと滑らせれば、擽ったさに笑みを浮かべ、代わりとばかりに楽しそうに唇が撫でられる。

「…まだチョコあるけど、どうする?」

 どうする?ではない。その言葉の意は、どうしたい?だ。
 首に腕を回し距離を詰めれば、かけた髪がぱさりと落ちカーテンのようにナマエの視界を遮った。淡いピンクに包まれた瞳が、甘く溶けてこちらを見つめている。

「…もういらない」

 ナマエの言葉を聞いた瞬間。メローネは嬉しそうに目を細めると、色づく柔らかなそこへ、吸い寄せられるように唇を重ねた。


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