刺青人皮の情報を得た一行が向かっていたのは、山を一つ越えた先にあるという小さな町だった。
 そこは江戸時代に漁業を中心に栄えた場所で、小さいもののそれなりに人がいるのだという。人に言えない事情を抱えた流れ者の行き着く場としては最適ということだ。
 一行がその情報を得た時刻は、正午までそれなりに時間がある時で。今から向かえば夜には町には着けるだろうというのが、大方の予想だったのだが…。
 山の天気は変わりやすい。先人のその言葉の通り、歩き始めて一時間もしないうちに、一行は前も見えなくなるほどの雨に降られてしまったのだ。
 加えてその雨は数分後には霧雨となり、辺りを白く不確かな状態へと変化させてしまい。通常の雨のように防ぐこともままならず、常に濡れた状態となり徐々に下がっていく体温に一行が出発地へと戻るか検討していた所、目の良い尾形が偶然廃屋を見つけた。
 仮に雨が止んだとしても、夜に山を歩くのは危険だということで、結局この日はこのままこの廃屋で過ごすこととなったのだ。
 廃屋ということもあり寝具などは無いものの、雨風を凌げるだけでも旅の中では有り難いというもの。
囲炉裏に火をくべ部屋と身体を暖めたあとは、疲れもあり各自あっという間に眠りについていく。壁を背に座り寝る者。身を小さくし膝を抱えて寝る者。各々が眠りにつきやすい体勢を取る中、尾形も同じく、外套を掛け物のようにし眠りについた。



 にゃあと甘える声と共に顔の間近くに感じる気配に呼ばれ、尾形は閉じていた瞳を開く。寝起きでほんの少しぼやけた視界の向こう。ぱちぱちと囲炉裏で燃える火を背景にして、一匹の茶色い猫がこちらを見下ろしていた。

「…………」
「…………」
「……どこから来たんだお前」

 夜中に、猫が、なぜ、ここに。単語のみが頭を駆け巡りようやく絞り出した言葉が分かっているのだろうか。猫は再び、にゃあと鳴く。
 室内の灯りは囲炉裏の火のみで、辺りが暗くなってしまえば物事の判断がしづらい。それでもこの猫の毛並みが妙にいいことぐらいは分かる。おそらく、目的地の町で飼われているのだろう。そうでなければ、野生の猫が見知らぬ人間にここまで近付くことはない。
 目的地が存外近かったことに安堵すべきか、それよりも猫が近付くまで気付けなかったことに焦るべきなのか。思っていたよりも自身がこの状態に安心してしまっていることに、尾形は少しだけ頭を抱えた。
 そんな彼の考えなど露知らず。小さな前足が、催促するように腕を叩く。

「にゃぁ」
「…なんだよ。もしかして入れて欲しいのか」
「ふみゃ」

 よほど可愛がられているのか、尾形の言葉に、まるで会話のように返事をしている。
 猫は寒さが苦手だ。少しでも温まれる場所があるのならば、そこで寝たいというのだろう。さらにいえば、安心できる場所というのも重要な要素の一つだ。
 その両方を兼ね備えた場所として選ばれたことは喜ぶべきことなのか否かは分からないが、どちらにしろ「早く入れろ」とでも言いたげに、尻尾の先が床を叩いている。
 尾形はしばし考え小さく溜め息をついたあと、丸めていた外套の裾を猫に向けゆるりと捲りあげた。

「悪いが、ここはこいつ専用でな…他当たってくれ」

 けれどそこには、既に一匹の猫…もといナマエが、尾形の胸元に顔を埋めくぅくぅと小さな寝息を立てていた。
 ──専用。その言葉の通り、尾形とナマエの二人は、つい最近恋仲となった。とはいえ他の者も四六時中共に過ごす中。いくらそうなったとはいえベタベタとくっ付いていられるかと言われると、そんな事はなく。
人前でそういう事はしたくないというナマエの固い意思を尊重する約束を、一応は守り尾形も彼女と一定の距離は保ってきた。
 しかし不意をついて口付けやらなんやらはもちろん行ってきてはいたのだが…それはまた別の話である。
 閑話休題。ならば何故、二人がこうして人目も憚らず共に眠っているのかというと…至極簡単。寝転んだ尾形の隣に、同じようにその身を小さく縮め寝ていたナマエを起こさぬよう、尾形が自身の胸元へ引きずり込んだからだ。
 眠りの浅い尾形と違い、ナマエは一度眠るとそれなりに深くまで潜ってしまう。以前宿場町で宿を借りたとき、朝になってもあまりに目を覚さないため、同室だったアシリパが、どれくらいまでなら騒いでも平気なのかと好奇心に駆られ、隣で踊り始めても起きなかった程だ。
 それを知っていたからこそ、尾形はこれ幸いとばかりに周囲が眠りについたのを確認してナマエを抱き込んだのだ。そして案の定、彼女が起きることはなかった。
 そうして眠ったあと、そこへやってきたのが件の猫様というわけで。
 尾形の断りに、猫は"他の者の縄張りなら仕方ない"とでも言いたげに再び「にゃあ」と鳴くと、囲炉裏近くに眠るアシリパの懐へ、のそのそと潜り込んでいった。
 その小さな後ろ姿を眺めながら、尾形は胸元に眠るもう一匹の猫を見下ろす。外套を持ち上げた事で少し肌寒くなったのか「ん゛ん…」と唸りながら、ナマエは暖を求めさらに丸くなりその胸元へと密着する。
 普段、凛として誰かに甘えることをしないナマエの珍しい姿に、尾形はきゅぅと目を細めると、縮こまる身体を覆い隠すように自身ごと彼女を外套の中へ抱き込んだ。

「………」
「ん…」

 普段こんな風に接触することは叶わないのだ。せめて今ぐらいはと、誘われるように鼻先を柔らかな髪の中へ埋め、すうっと息を吸い込む。
 少しの汗と、それよりも強い、柔らかで甘い香り。芸者が男を誘いその気にさせるための人工的な香りとは違う。これはきっとナマエ自身の、彼女だけから香る唯一無二の甘さなのだろう。

「…ナマエ、」

 滅多に呼ばない名前を舌の上で転がせば、思っていたよりもずっと柔らかさを含んでいたことに、なによりも自分が驚く。ただ名前を呼んだだけ。それだけでも滲んでしまった感情は、いよいよ抱え切れないほど大きくなっているのかもしれない。
 一瞬尾形を襲った、言いようのない甘い感覚。そのむず痒さを誤魔化すように瞳を閉じるが、それでも瞼の裏に浮かぶのは、この猫のように丸くなる愛おしい存在で。そんな自身に呆れて深くついた溜め息ですら、彼女を優しく包んでいる気がした。


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