※色々と裏設定はあるのですが、今回は『夢主は蘭ちゃんより年下で一人暮らしをしている』的なことを頭に入れて読んでいただければ問題ありません。


「駄目だろ〜相手確認せずに開けたら」
「…そうですね、今痛感してます」
「いい勉強になったじゃん。相手が俺で良かったなぁ♡」

 何一つ良くないという言葉は瞬時に飲み込んで。今はただ、驚く速さで滑り込まされた足先と閉められなくなってしまった扉に、ナマエは後悔する他なかった。


 なんてことのない休日。静かなのもなんだからと付けっぱなしにしていたバラエティの中で、今日のゲストだという芸人が大口を開けて笑った瞬間。うるさいと咎めるようにチャイムが鳴った。
 一人しかいないこの家への来訪者といえば宅配ぐらいなもので。ちょうど一昨日頼んでいた荷物があったこともあり、ナマエは何の疑いも持たず「はーい」の言葉と共に扉を開けたのだ。
 ──そうして、冒頭に至る。
 これについてはチャイムを押した張本人である蘭の言葉通り、相手を大して確認していなかったナマエの責任でもある。それは本人も重々理解しているし、今後訪問者に対してはまずチェーンを掛けて対応するという方針に切り替えるだろう。
 それはそれとして。真っ向から力業で来られてしまえば、当たり前だがナマエは蘭には勝てない。あの後抵抗虚しく開け放たれた扉からずかずかと入り込んできた蘭は、テーブルの上に本屋の袋を放り投げると、先ほどまでナマエが座っていたソファへその腰を下ろした。まるでそこが自分の定位置であると言わんばかりに。

「なぁ〜にむくれてんだよ」
「…むくれてはないです」
「お前がいつも読んでる雑誌、最新号が出てたから買ってきてやっただろ」
「いや頼んでないですね…」
「じゃあ読まねえの?」
「…読みますけど」

 出て行けと言ったところで素直に出ていくわけはない。けたけた笑いながら「この芸人うっせぇな」と勝手にチャンネルを変える蘭の横に座り、近所の本屋のものであろう袋から雑誌を取り出す。
 秋の新作、と大きく書かれた言葉と共に、モデルがテラコッタの口紅を持っている。そういえばちょうど口紅なくなるところだったなとページをめくっていると、隣でテレビを見ていた蘭が不意に「あ、」と声を漏らし、その身体をナマエの方へと向けた。

「…どうかしました?」
「うん。良いこと思いついたから、お前ちょっとあっち向いて」

 無視をしてもいいかとも思ったが、横から感じる無言の圧に一瞬で負け声をかける。
 すると蘭はそれがさも当たり前のように、にこにこ笑顔で、これまた当たり前のようにただ一言そう言った。返事を聞く素振りは微塵も見られない様子に、ナマエは顔を顰める。もはや命令だ。
 蘭の言う"良いこと"が実際に良いことだったことなど一切ないのだが、逆らって良いことがなかったのも、また事実で。それならば素直に従った方がまだマシだと、ナマエは言われるがまま蘭に背を向ける。
 素直に従ったのは正解だったのか。ご機嫌な様子の蘭はそのままナマエの後ろに周ると、纏めていた髪を解き、勝手知ったる様子でドレッサーから櫛と手鏡を取り出した。なんで場所知ってるですかという言葉は飲み込んで、大人しく身を委ねる。

「お前頭ちっせぇな」
「それは脳味噌が足りないとか、そういう…?」
「はー?なにそれウケる。違うに決まってんだろ」
「はは、ですよね……ところで蘭さん、何やってるんですか…?」
「ん?んー…」

 集中しているのか、それともただ面倒なだけなのか。おそらくどちらもではあるが、曖昧な返事のみで望むような答えが返ってこない。これは大人しく終わるのを待っていた方が良さそうだと雑誌に視線を戻す。
 とはいえ、背中越しでも何をされているのかぐらいは感覚で分かる。意識は完全にそちらに集中してしまい、悲しいことに内容は全く頭に入ってこない。
 梳かした髪を左右で二つに分け、それをさらに三つに分ける。そのうち二束ずつを掴み交差させたら、残ったもう一束とも交差させて…。繰り返されるその動作に、ナマエは一つの答えに辿り着く。

「蘭さんもしかして…みつあ、」
「でーきた♡はい」
「はっ、あ…?」

 まさかと思いながらも尋ねようとした瞬間、持っていた雑誌を掴まれたと思ったらぽいっと投げ捨てられ、代わりに手鏡を渡された。
 そこに映っていたのは、部屋の中なのだからと簡単に一纏めにしていたいつもの髪型ではなく。背後でにこにこと笑みを浮かべる蘭と全く同じ、三つ編みだった。

「………」
「お揃い♡可愛いな〜」

 一瞬で顔が死んでいくナマエとは対照的に、楽しげな細長い指先が三つ編みを弄ぶ。まるで痛々しいカップルのような光景に思わず解いてしまおうと手が伸びるも、その手はあっさりと絡め取られ、代わりに「解かないよな?」と、まるで怨念が込められたような強さで掴まれる。怖いし、痛い。

「あ、そうだ竜胆に送ってやろ。ほらこっち向いて」
「ええ〜もおぉ…」

 勘弁してくださいという呟きは蘭の鼻歌にかき消される。抵抗するナマエの肩を掴み身体を寄せると、頬をむにっ、とくっ付け写真を撮り始めた。
 携帯というものを持ち始めてから一度も自撮りというものをしたことがないナマエにとって、角度や表情を変えながら何度もこの姿を写真に収める蘭の行動は些か理解しがたいが、これで彼の満足感が満たされるのならばそれが今後の自分のためにもなるのだ。下手に刺激をすべきでないと、されるがまま身を委ねる。
 数枚、もとい数十枚ほどシャッターを切った蘭はようやく満足したのか、構えていた携帯を下ろしなにやら高速で文字を打ち込んでいる。おそらく先ほどの言葉通り、写真を竜胆に送るのだろう。というか、終わったなら離してほしい。投げ捨てられてしまった雑誌の続きが読みたい。

「蘭さん、終わったなら離して…」
「お前、今日一日これでいろよ」
「ええ…あとで夜ご飯買いに行こうと思ってたんですけど…」
「じゃあ尚更このままなぁ〜」
「………」

 離してくれという言葉は当たり前のように無視され、依然がっちり肩を組まれたまま会話を続ける。
 灰谷蘭という男と知り合い関係を続けていく上で重要なのは、諦めることだ。抵抗をしたりだとか、少しでも彼の意にそぐわないことをすれば機嫌を損ねもっと面倒なことになる。そもそも、話を聞いてもらえなくなる。今も聞いてもらってはいないが。

「お、竜胆も用事終わったらこっち来るって。じゃあそのまま迎え行って買い物してくるか」
「…なんか当たり前のように私の家来ることになってます?入れませんよ、帰ってもらいますからね?」
「俺優しいからさぁ、荷物持ちしてやるよ」
「…ああ、じゃあ」
「うん」
「ちょうど今うち、お米が無くなりまして」
「…ははっ、いい度胸してんなぁナマエは〜」


BACK | HOME