※氷帝学園三年生マネージャー。U-17代表合宿にはコーチとしての勉強をさせてもらうため、大会運営側に特別枠として招待されたとかそんな感じ。(※なんでもありのパラレルです。ここ大事)



 U-17合宿所の図書館には驚くほどの蔵書が収容されている。おそらく長期間同じ場所で過ごす選手たちへの配慮なのだろう、その種類は多岐に及び、全て読みきるまでにどれ程かかるのだろうと、それを初めて見た時ナマエは喜びを隠せなかった。
 本来の目的はコーチとしての勉強のためとはいえ、ほんの少しは自由な時間もあるわけで。それを好きなだけ読書に回せるのならそれほど喜ばしいことはないと、ナマエは練習後の早々に片付けを済ませ意気揚々と向かった。のだが…。その高揚感は、目の前に立ちはだかる壁によってあっさりと打ち砕かれてしまった。
 ナマエはどちらかといえば、女子では背の高い部類に入るほどの身長の持ち主だ。大概の物は手を伸ばせば届いてしまうため、これまで何かが取れないう状況は経験したことがなかった。
 しかし、今いるのは高校生の男性ばかりが使用する図書館だ。さらに蔵書の多さもあってか、本棚が通常より大きく作られていることは、ある意味予想ができた、納得すべきことなのだ。

「…………」

 どうしたものか。目当ての文庫本はあまり読む人がいないのか、無慈悲にも一番上の棚からナマエを見下ろしている。届かないのであれば脚立を持ってくればいいのだという声も聞こえてきそうだが、それが面倒だからこうして悩んでいるのだと、誰に対してでもなくナマエは答える。
 というのも、実は初めこそナマエもきちんと脚立を使おうとこの図書館をくまなく探していたのだが、そこまでして借りる人物がそもそもいないのか、図書管理室はおろかどこにも見当たらなかったのだ。
 ここには無いとなると備品貸し出しを頼まなければならない。しかしそのためには階段を降り用具室へ向かい、必要書類を書き借りたそれをここまで持ってくるという、なんともめんどくさい手順を踏まなければならないのだ。
 本は読みたい。しかしそのその手順が億劫だ。けれどそれをしなければ本は読めない。
 この堂々巡りを10分ほどしていたのだが、このまま無駄な時間を過ごしてもしかたがないと、舌打ちしたくなる気持ちをなんとか抑え脚立を借りに行こうとした、その時だった。

「どうした」
「う、わあ!」

 高い本棚の陰から音もなくぬらりと現れたのは、まさにこの場に相応しい身長の持ち主、越知であった。
 予想外の人物、さらにあまりにも唐突な登場の仕方にテンプレートのような反応をしてしまう。そんなナマエの様子に悪いと思ったのだろう、普段と変わら落ち着いた声で越知は「すまない」と小さく謝る。

「こ、こちらこそすいません…!まさか越知さんがいるとは思わなくて……」

 先輩に謝らせてしまったと慌てて謝り返すナマエに、越知は「いや…」と意味ありげに小さく呟くと、なぜかそのまま黙り込んでしまった。

「…………」
「…………」

 気まずい。それ以上ぱったり会話がなくなってしまい、どうしようかとナマエは視線を彷徨わせる。いくら自身の通う学園の元先輩だとしても、それ以上の繋がりはほとんどない相手だ。まして越智のような無口な人物が相手となっては、さすがのナマエもどんな話題を振ればいいのかわからない。

「えっと、その…越知さんもなにか本を借りに来たんですか?」
「ああ。少し読みたいものがあってな…お前もか」
「そうなんですけど…」
「…けど?」
「…あー…一番上にあるので取れなくて……今脚立を借りてこようかと…はは…」

 図書館に本を借りに来る以外でなんの用事があるのだとは思いつつも、苦し紛れに出した話題に意外にも越知はきちんと返答をする。
 中学生、まして勉強のためとはいえいきなり入り込んで来た女のナマエをあまりよく思っていない高校生は多い。だからこそ、まさかまともに返事をしてもらえるとは思っておらず。無意識のうちに作っていた壁がほんの少しではあるものの無くなったそこで、すっかり頭から飛んでいた一番の目的を思い出す。
 およそ日本人離れした身長の持ち主である越知であれば目当てのものも軽々取れるのだが、まさか先輩に取らせる訳にもいかない。一瞬浮かんだ失礼であろう考えを振り払い、「それじゃあ…」と立ち去ろうとした時、それを制止するかのように越知の手がナマエの腕を掴んだ。

「これでいいか」

 その言葉を聞いた次の瞬間、ナマエの目の前には、欲して止まなかった本の背表紙と、埃の積もった棚の向こうにある、借りた本を読むために置かれたであろう机たちが見えた。

「…え、」
「どうした」
「え、や、ど、どうしたって、」

 なぜ持ち上げられているんだ、そもそもなぜ持ち上げたのだと。聞きたいことは山ほどあるけれど、混乱で口から出てくるのは言葉にならない言葉ばかりで。
 脇に差し込まれた手はしっかりとナマエを持ち上げていて、これなら落ちる心配はないなと妙な関心さえ抱いてしまう。人生において間違いなく体験することがないであろう高さの目線に妙な感動を覚えつつ、ようやく冷静に状況を飲み込めてきた頭の中は早く下ろすよう告げろと警告を出し始めた。
 いや待てしかし。越知の様子を見る限り確実に、からかおうなどとい悪意があるわけではない。そしてここで下ろせと暴れたら目当てのものは取れないどころか少し険悪な雰囲気になり、さらには結局最初に出した結論である脚立を借りに行くという事態になりかねない。それはできるのであれば避けたい。それならばここは大人しくその好意に甘え本を取るのが妥当ではないのか。なにより一番まずいのは、下手に長引かせてこの状態を誰かに見られるということだ。
 この間約3秒。最も丸く収まるであろう考えに行き着いたナマエは、大人しく目当ての本を取り出す。それを見た越知はゆっくりとナマエを下ろた。

「あ、ありがとうございます…」

 この歳になって誰かに抱き上げられるというおそらく二度とないであろう恥ずかしい体験をさせられたという事実はどうであれ、越知のおかげで本が取れたことには変わりない。頭を下げお礼を述べれば、越知も小さく「ああ」と返事をする。

「…………」
「…………」

 まずい、また無言の時間がやってきてしまう。しかも今は先ほどに比べ、越知のまさかの行動によりナマエの中に妙な照れが生まれてしまっている状態だ。それならばさっさとお礼を言い立ち去ればいいものの、越知がなんの動きも見せない状況での立ち去りはなんだか申し訳ないと、よくわからない思考が彼女に無理矢理会話を続けさせる。

「えっと、その、す、すいませんでした…」
「…なにがだ」
「先輩にこんなことさせてしまって…私重かったですよね、はは」
「いや…むしろ軽い方だと思うが」
「え、そ、そうですか、」
「ああ。以前から、華奢だから持ち上げたら軽いだろうなとは思っていた」
「き…いや、あ、ありがとうございます……」

 場の空気を変えようと自虐的な話題を出すも、予想外の返答に逆に照れが倍増してしまう。瞳が見えない分なにを考えているかわからないからこそ、この言葉もなんの意味を持って越知が発しているのか皆目見当もつかない。
 わかりやすく戸惑いを見せるナマエに、越知はなにを思ったか、その大きな手でナマエの頭をそっと撫でた。
 越知のその行動で、それまで必死にフル回転させていたナマエの思考は今度こそ本当に固まってしまう。すっかり使い物にならなくなった喉では出るはずであった声が詰まってひく、と妙な音が鳴る。

「…あの時も思ったが、近くで見ると可愛いな。苗字は」

 そう言いながら、越知の手はナマエを撫で続ける。冷たいと思っていた大きな手はとても温かくて、その体温をじんわりとナマエへと伝えていく。
 なんだこれは。普段の様子からは想像もできないほど優しい声色と温度に。そしてなにより、小さく、けれど確実に聞こえた単語に、ナマエは全身の熱が一気に上がっていく感覚に襲われる。
 冗談、だろうか。いやまさかあの越知さんがそんな。

「…………」
「…………」
「…一応口説いているつもりなんだが」
「え、」

 再び間抜けな声が出る。冗談ではなかった。驚きでぱっと顔を上げたナマエの、頭三つほど上。
 越知が選手としてなんと呼ばれているのかは知っていた。その異名から、隠れたその瞳は冷たいものなのだと勝手に思い込んでいた。
 けれどどうだ。見上げた先、青と銀の隙間からわずかに覗く瞳は、確かに熱を持ってナマエを見つめていて。
 かちりと合った視線に、まるで捉えられたかのように身体は動かなくなってしまう。けれどそれは決して、背筋の凍るようなものではない。むしろ、

「…怖がらせたようですまなかったな」

 その視線と言葉、なにより感じた自身の思いに気づかないほど、ナマエも鈍感ではない。
 小さく謝り瞳を隠して立ち去ろうとするその背中に慌てて腕を伸ばす。

「ま、待って!」

 引っ張られながら掴まれたジャージと言葉に遮られ、越知は歩みを止める。ナマエのまさかの行動に驚いて振り向けば、それまで戸惑いがと困惑が滲んでいたナマエの瞳が、意志を持ってしっかりとこちらを見据えていた。

「その…」
「………」
「よ、よかったら、少し、お話でも、…し、しませんか……!」

 最後は半ば勢いに任せて発せられた言葉とは裏腹に、ジャージを掴む手が震えていることには気がついた越知はその手を解きそっと握り返す。
 一回り以上小さな手がぴくりと一瞬反応を示すも、拒絶する様子はない。

「…本はよく読むのか?」
「え、あ、は、はい…」
「じゃあ、お前の好きな本を教えてくれ。俺も今度読んでみるから」
「は、はい!」

 その言葉に、ナマエは嬉しそうに返事をする。
 コートの向こうから見ていた、跡部ら同級生と話す時のような屈託のない笑顔。ずっと自身に向けてほしいと思っていたそれがようやく見れたことに、つられて越知も小さく笑みをこぼした。



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