穏やかな海域に、穏やかな天候。船もほとんど揺れることは無く、偉大なる航路内では比較的安定した航海をしていた、まさにその時のことだった。
突然船が大きく揺れ、ナマエの身体が傾く。丁度一歩踏み出したタイミングということもあり、身体は前方へ、あっさりと傾いてしまう。
あれ、これ転んでるな。妙に冷静な頭でそう思いながら、徐々に近づく床に受け身の体勢を取ろうとした、次の瞬間。突然身体の動きが止まり。代わりに腹の辺りに圧迫感を覚えた。
「おい、大丈夫か」
次いで頭上から掛けられる聞き慣れた声に、圧迫感の正体を理解する。顔を上げれば案の定、スネイクがこちらを見下ろしていた。
直前まで傍にいたことに気付かなかったのは、彼が後ろを歩いていたからだろう。揺れで転びそうなったナマエを咄嗟に支えてくれたようだった。
「は、はい、ありがとうございます…」
全体重を片腕に預けているにもかかわらず、重そうな素振りなど一切見せない。それどころかナマエを支えていないもう片方の腕には、ベックマンに渡すつもりだったのだろう丸められた数枚の海図らしきものがあった。
「ずいぶん揺れたな…この海域じゃそんな大きな波はこねぇはずなんだが…」
大きな船ほど揺れには強いとはいえ、ここは偉大なる航路。予想外のことが予想外のタイミングで起こることなど、もはや日常といえる。ゆえにこの波も、もしかすると何かの予兆かもしれない。
航海士であるスネイクにとってその心配は余計に大きいのだろう。「大丈夫か」「あっちの荷物見てくる」と、先程まで雑務をこなしていた船員たちが大慌てで甲板を走り回る音は、ナマエの耳にも勿論届いていた。
「おいナマエ。また揺れるかもだから気を付けろよ」
「………」
予測になかったことというのも相まってか、スネイクはきちんと問題がないか確認できるまで、ナマエを支えようとしてくれているらしい。その証拠に周囲へ大声で指示しつつも、腹の前に回された腕はナマエの身体を、しっかりと守るように抱いたままだった。
しかし、心配するスネイクの声はナマエの耳を右から左へと抜けていく。それよりももっと気になることがあったからだ。
「手でっか…」
思わずこぼれた言葉はスネイクには聞こえていなかったようで。「あ?なんか言ったか?」と問い掛けている。
体躯のいい男たちが勢ぞろいしている赤髪海賊団の中でも、スネイクは頭ひとつ抜きんでている。もちろん物理的な意味で。それこそ、宴でそこかしこに人がいようとも、戦闘で混乱した中でも。意識すれば一瞬で見つけてしまえるくらいだ。
だから彼が大きいことは十分理解していたし、そもそもスネイクという人物を思い浮かべた際まず最初に認識し説明する、ある意味象徴でもあった。
だというのに。突然現れた手の大きさに、ナマエは目を奪われていた。
ナマエの腹を覆い隠せてしまうほどの掌に、頑張れば片手で腰回りを一周できてしまうのではと思うほど長い指。爪先は短く切り切り揃えられ、少しだけ荒れている。インクをよく使うからだろう。皮膚と爪の間は少し黒く染まっていた。
そして全体重預けているにもかかわらず、安定感のある厚み。ナマエの手を二枚重ねてとんとん、といったところだろうか。
背の高さばかりに目が奪われていたが、それに応じて各部位のパーツも全て大きい。当たり前だが何故か頭から抜け落ちていたそのことが、自身の身体に実際触れられ、間近でその大きさを比較することとなった今、ようやく理解できたのだ。
まるで新しい発見をした子供のような好奇心に駆られ、ナマエは添えられたその手を、両手でぎゅっと握ってみせた。
突然自身の手を包み込んだ柔らかな温度に、スネイクの肩がびくりと跳ねる。ナマエはそれに気付かぬまま、支えられていた身体を自力で起こし立ち上がると、掴んだスネイクの手を目の前に持ち上げてみせる。うん、やっぱり大きい。
何も言われないのをいいことに、ナマエの手は好き勝手に動いていく。スネイクの手首を掴むと、そのまま自身の掌と比べ。かと思えば、長い指を握り、付け根から先端までするすると、ゆっくりなぞり上げ。形を確認するように縁を辿ったり、先端をくすぐっていく。
そうして指先に、掌から甲まで。全てを余すところなく触り終えたナマエは、ぽつりと、感嘆するように呟いた。
「すご…おっきい……」
その瞬間。それまで大人しくしていたスネイクの手が、ナマエのそれをがしっと掴んだ。
「ちょ、ぉ…っと、ナマエサン……」
何か耐えるような。それでいて妙に熱を孕んだ、ぎこちない声がナマエを呼んだ。掴まれた手とその声音に、行為を咎められているのだと、ナマエはそこでようやく気付くことができた。
「んあ、ごめんなさい…あまりに大きくて、つい」
「いや…」
「スネイクさんって、本当にどこもかしこも大きいんですねえ」
「………」
わずかに高揚した様子で羨望の眼差しを向けるナマエに、スネイクは顔を引きつらせた。
この女は、自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。男の手を掴み、まるで別のものを掴んでいるかのように散々触り撫で。あげく小さな吐息混じりに、「おっきい」だと?ここが甲板でなければ、その小さな顔を大きいという手で引っ掴んで、無理やり口付けていたところだ。
とはいえこれはスネイクという、ナマエに対し邪な感情を抱いている男の勝手な思考なので、純粋に褒めているナマエは何も悪くない。
いや、その純粋さも確かにこちらを追い詰めるものではあるのだが。少なくともそれは「煽ってんのか」「興奮するから止めろ」などという謂れを受けるようなものではないはずだ。
しかし。ナマエは赤髪海賊団という男所帯に身を置いていることもあり、見知らぬ男から向けられる下卑た感情には敏感だが、何故か"仲間"というくくりには、驚くほどガードが甘いところがある。そこについては、少しくらい自覚させても良いのではないだろうか。良いはずだ。
この間、わずか数秒。勝手な結論を導き出したスネイクは自身の額に手を当て、ふーっと長く息を吐き出すと、「なあ」とナマエに呼びかける。
「他にもあるけど、比べてみるか?」
「何がですか?」
「でけえところ」
「え、いいんですか?」
「ああ」
大きいところ、なんて。馬鹿みたいな言い回しにも何の警戒心も抱いていないナマエは、それどころか相変わらず好奇心を含んだ瞳でスネイクを見上げている。それが余計にスネイクを刺激しているとも知らずに。
スネイクはナマエの目の前に、その長い足を折ってしゃがみ込む。近くなった丸い瞳はそれでもなお、なんの警戒心も含めていなかった。
「スネイクさ、」
その小さな口が自身の名を紡ごうとした、その瞬間。先ほど助けたときの気遣いなど微塵も感じさせないような強さで、スネイクは掴んでいたナマエの手を、ぐいっと自身の方へと引っ張った。
近付く距離を待てないとばかりに自ら縮め、スネイクはがぱりと口を開く。そうしてナマエの唇を、食べるように覆い尽くした。
「……え、」
「…な?口もでかいんだよ」
名残惜しさを感じながらも一瞬で離れれば、未だに状況を飲み込めていないらしいナマエが、ぽかんとこちらを見上げている。その様子に、もう少しくっ付いてても案外いけたかもな、という邪な考えには蓋をしておいた。
「…つーか、お前の口がちっちぇのかもな。余裕で覆えたわ」
今度は覆ったまま、わずかな隙間から舌を差し込み。温かくぬめるその中を蹂躙してやりたい。これまで一夜限りの女たちに長いと評判だった舌は、きっとその小さな口の中をあっという間に支配できるだろう。そうしたらこの純粋な女は、いったいどんな顔をするのだろうか。
蓋をしたはずの感情が再び顔を出し始め、スネイクは思わず舌なめずりをする。相変わらず間抜けに開いたままの口の端を、親指ですり…と撫でてやった。
その瞬間。その言葉に含まれた意味をようやく理解したようで。間抜け面は沸騰せんばかりの勢いでぼぼぼっ、と真っ赤に染まっていった。
「な、あ…っ、」
言葉にならない声と共に、ナマエは慌てて自身の唇を庇うように覆う。どうやらされた行為自体も、今になって脳内が理解し始めたらしい。
「っ、!」
「あ、こら待て」
そうして全てを理解したナマエがとった行動は、逃げだった。人間という生き物は、己の範疇を超えた出来事に遭遇すると、とりあえずその場から逃げ出して考えを整理しようとするものだ。
だからナマエの行動は当然のものだし、それをスネイクも理解していた。だからこそ、脱兎の如く踵を返したナマエの身体を、そうはさせないとばかりに、その長い腕であっさりと絡め取り。自身の懐へと閉じ込めることができたのだ。
背中に感じる硬い感触と、普段は遥か頭上にあるスネイクの顔がすぐ横にあること。その状態に気付き、ナマエはいよいよ首まで赤く染まり。瞳には涙さえ浮かび始めていた。
「やっ、は、離してください!」
「駄目だ駄目だ、逃がさねえぞ。悪戯する悪い子には、男を…つーか俺を煽ることの怖さを、ちゃんと教えてやらねえとなぁ?」
「わ、私、煽ってなんかない…!」
「お、まだ言うか。でも無自覚なのも、さすがにもう許さねえぞ」
暴れる身体も意に介さず押さえつけると、スネイクはにたりと笑みを浮かべ。再びナマエの顎を片手で掴むと、長い舌をちろりと伸ばし。喰らうように唇を重ねた。
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