「珍しいな。寒いのか?」

 昼食の喧騒も去り、すっかり人気のなくなった食堂。何十枚と積み重ねられていた皿の最後の一枚を洗い終えたナマエは、目の前のカウンターで食後の温かい紅茶と共に新聞を広げるベックマンに、そう問いかけられた。
 唐突な問いかけに、蛇口を強く捻り水を止めたナマエは、真意を探るようにそろりと視線を向ける。

「…なんでですか?」

 尋ねたものの、返答は分かっていた。読んでいた新聞からわざわざ上げられた顔には、どこかからかうような笑みが含まれていたからだ。
 案の定ベックマンは紫煙を燻らせながら口角を上げると、自身の胸元を指先で、とんとんっと軽く叩く。

「胸元。いつも開けてるだろう」

 もはや意味はないと分かりつつも、ナマエは胸元を隠すようにわずかに身を縮こまらせる。図星だと言わんばかりのその行動に、ベックマンは「やんちゃな犬とでも遊んだか?」と、これまたわざとらしく笑った。
 ──レッド・フォース号はこの日の早朝、とある冬島での一週間の滞在を経て、再び航海へと繰り出していた。数時間後には気候も春のものへと変わり、それまで上着を羽織っていた船員らはみな、普段の身軽な服へと着替えていた。
 けれどそんな中、ナマエだけが普段とは異なる格好をしていた。脚のラインが出る黒いパンツと、細い腰に巻かれたサッシュはそのままなのだが、谷間が見える程度に大きく胸元を開けていたはずの白いワイシャツだけが、今ばかりは何故か鎖骨の辺りまできっちりと正されていたのだ。
 本来ならば特に気に留めるようなことではないのだろう。ただ、この一週間の滞在でナマエは恋人であるライムと共に島へと降りていた。そして出航の数時間前にようやく帰って来たと思ったら、暖かな気候になろうと肌をさらさない。何かありますと言っているようなものだった。
 とはいえこれはベックマンだから気付けたことでもある。おそらくこれがシャンクスならば、ベックマンと同じ言葉を、それこそ本当に心配する意でナマエにかけていたことだろう。もしくはホンゴウであれば、「風邪でも引いたか」とまた別の意味で心配していたことだろう。
 要するに、見つけたのがベックマンで、それを尋ねられるような状況にうっかりなってしまったことが、そもそもナマエにとっては運の尽きだったのだ。

「………副船長」
「ん?」
「恥ずかしいし、情けないことを承知の上での相談なんですけど…聞いてもらえますか」

 ナマエは少し逡巡するような素振りを見せた後、小さく息を吸い、今度は意を決したように顔を上げた。
 キッチンの主であるルウは、昼食が終わりある程度の片付けを終えると残りの食器洗いだけをナマエに頼み、「夜の献立考えてくる」と食料の在庫確認も兼ね倉庫へと行ってしまった。もうしばらく帰ってこないだろう。女性が苦手な彼の前でこの手の話題をするのは憚られるため、話すのなら今しかないのだ。
 思っていたより真剣なナマエの様子に、ベックマンは新聞をたたむと「いいぞ」と返事をする。一瞬煙草の火も消すかと考えたが、繊細なナマエのことだ。そこまでしてしまえば「そんなに大したことではないので…」と委縮してしまうだろう。
 ベックマンは自身の左隣の席を促すように叩く。ナマエは濡れた手を拭き、キッチンからカウンター側に回り込むと、気まずそうにそこへ腰掛けた。

「…それで?お嬢さんは俺になにを相談したいんだ?」

 頬杖をつき、大きな身体をわずかに縮め。さらには小首をかしげるように、ベックマンはナマエの顔を覗き込む。これまでの経緯を無視すれば、まるで「お前のことを知りたい」と言われているかのようなその仕草を、夜の酒場や雰囲気の良いバーで、さらには酔ってほんの少しふわふわした状態でやられてしまえば、確かに落ちない女性はいないだろう。現に素面で真昼間の今でさえ、ナマエの心臓は一瞬高鳴っていたのだから。
 けれどそれは、これから話さなければいけない内容を思うと羞恥と情けなさですぐに落ち着きを取り戻し。ナマエは「えっと、」と一拍置くと、ベックマンから視線から外し。長い睫毛を伏せながら蚊の鳴くような声で呟いた。

「…せ……こ、行為中の噛み癖を無くさせるためには、どうすればいいですかね…」

 言うにつれ尻すぼみになり。元から小さかった声は、最後にはほとんど聞こえないものになっていた。

「…まさかセックス中のことを他の男に相談するとはな」
「はっきり言わないでください…」

 避けられた直接的な言葉をあえて口にすれば、ついに耐えられなくなったのか、ナマエは両手で隠すように顔を覆うと「あああぁ…」と絞り出すように奇声を上げ俯いた。
 ──ナマエが生まれた島には、海賊を相手にした多くの娼館があった。かくいうナマエもそのうちの一つで客と従業員の間に生まれ。手伝いのような形で育てられたのだという。ゆえにというのもおかしな話なのかもしれないが、いわゆる男女の艶事に関しては、この船で誰よりも裏事情含め詳しい立場と言っても過言ではなかった。
 確かに周囲はそういった物事に溢れていた。けれど実際蓋を開けてみれば、ナマエは客を一切取ったことがなく、まして恋人と呼ばれる相手がいたことも、一夜の戯れで身体を重ねたこともなく。セックスの経験が一切ないまま、置かれた周囲の環境だけで知識を蓄えることとなってしまった、耳年増のようなものだったのだ。
 とはいえナマエも船に乗って十年近く経っている。生い立ちを抜きにしても、男所帯の中で長年過ごしているせいか、男側でされる尾籠な話にもそれなりに耐性がついてはいるようで。宴の席でも、少なくともベックマンが見ていた中では気にしていない様子ではあった。
 しかし今のナマエはどうだ。ベックマンのからかいも上手くかわせず、自ら持ちかけた相談も最後まで言えず。直接的な言葉に、顔どころか、隠している胸元まで染まっていると分かるほど真っ赤になっているではないか。
 おそらくその場限りの話題だとか、他者のことなら気にならないのだろう。ただ自身のこと、当事者となると全く別の様相を呈してくるようで。仲間内のことで、なおかつ当事者であるナマエとライム、そのどちらもベックマンにとっては家族並みによく知った間柄であるからこそ、性事情まで筒抜け状態になることが恥ずかしいのだろう。あとは単純に、ライムと"そういった仲"になったことに、やはり未だ慣れずにいる、といった感じか。

「…もう数ヶ月経ってるってのに、まだ慣れねえのか。随分初心で可愛いことで」
「…からかってます?」
「いや?純粋にお前さんが可愛いなと思っただけだよ」
「やっぱりからかってるでしょぉ…もおぉ……」

 数ヶ月前、久方ぶりの上陸で盛大に行われた宴に二人して来なかったあげく、丸二日姿を見せず。そうして出航当日に揃って帰宅するという行動を取った辺りから、「ああ良い方向にいったんだな」と思ってたのだが。懇ろになったらなったで、また別の悩みが生まれるらしい。
 基本一夜限りの関係が多いベックマンにとって、「噛み痕くらいすぐ消えるだろ」と思わなくはなかったが、確かに毎日共にいるとなっては、消える前にまた新しいものを付けられてしまうわけで。そうなると服を満足に着られなくなるのは確かに問題なのかもしれない。現に今こうして、暖かい気候でもボタンをとめざるを得ないのだから。
 ベックマンは一度深く息を吸い込み、肺を煙で満たす。そしてそのまま細く長く吐き出すと、「そうだなァ…」と考えるような素振りをしてみせた。

「いっそ犬みてぇに、"待て"でもさせてみればどうだ?」

 意味ねぇと思うけどなという言葉は、提案した瞬間扉の向こうから感じていた雰囲気がわずかに変化したことを察知し、寸前の所で飲み込んだ。可愛い妹分の相談に乗りはしたが、これ以上藪を突いて蛇どころか虎、しかも雷を扱うものが飛び出してこられては、厄介この上ないからだ。
 会話に意識が集中してしまっているのか、まさかその話題の張本人が聞き耳を立てているとは微塵も思っていないようで。ナマエはなんとも言えない微妙な顔をしながら言葉を続ける。

「それが…言ってるんですけど、全然聞かないんですよね…」

 聞かないのではなく、そもそも聞く気があの男にはないのだろう。さすがに仲間同士の閨事を想像する気は全くないが、彼女をようやく手に入れた際の男の様子的にも、ただひたすらに"自身の手で可愛がりたい"と思っているのは明らかだったからだ。
 あとはまあ、ナマエの性格的にも、恥ずかしがってる間に流されて言えない、といったところか。

「お前さん、なんだかんだそのまま流されちまってるだろ。それが駄目なんだよ」
「う…それは、そうなんですけど…こっちも、その…いっぱいいっぱいで……」
「そうやって前後不覚になってるところ見せると、余計に止まっちゃくれねぇぞ」
「………」

 ぽつぽつと呟かれる一言一句を聞き漏らすまいと聞き耳を立てる男の、姿が見えずとも伝わってくるその真剣さに、ベックマンは思わず吹き出してしまいそうになるのをなんとか耐える。
 男の性格からして、愛する恋人が別の男に悩みを相談しているなど真っ先にその場に踏み込みそうなものだというのに。それが自分自身のことで、ましてや夜の営みに関してとなれば、息どころか気配までも殺し聞き耳を立てるらしい。なんと面白い…もとい、健気なのだろう。

「しっかり言わなきゃ、男ってのは聞かねぇもんだぞ」
「…そうなんですか?」
「ああ。ましてやそれが、どうしようもなく好いた女とベッドの中にいるとなったらな」
「す、好いた、って…」

 ぽっ、とさらに頬を染める姿はなんとも可愛らしい。こういう素直なところがますます劣情を駆り立てそうだと、ナマエをそういう目で見ていないベックマンでさえ思うのだから、恋人という立場ならなおさらだろう。あいつもつくづくも大変だなと、ベックマンは心の片隅で男に同情する。

「でも…じゃあ、どうすれば……」
「そうだなァ…次からは本気で制止してみたらどうだ」
「それで聞いてくれるんですかね…」
「あいつはお前が"本気で"嫌がれば、無理に進めたりはしねぇだろうよ。それはよく分かってるだろ?」
「………」
「まあ、どうするかはお前次第だ。……ああ、それと、」

 ベックマンは一瞬の間を置いて紫炎を吐き出すと、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。そして指先に付いた灰を払い落としながら、わずかに開いたナマエの胸元。鎖骨の間を、トンッと軽く叩いた。「え、」と驚くナマエの耳元に顔を寄せ、わざとらしく熱を込めた声で囁く。

「ボタン、しっかり全部とめておいた方がいいぞ。……上からだと見えちまうからな」

 ナマエはすぐにその言葉の意を察したらしく。「っ副船長!」と慌てて触れられた場所を隠すように押さえている。
 ぐっと息を詰まらせたナマエ。そして扉向こうの男。ベックマンは「ははっ」と、とうとう抑え切れなくなった笑いをこぼしながら、俯くナマエの頭を撫で。そのまま食堂を後にした。



「ま、待って!」

 耳元で大きく響いた声と自身の服を強く引っ張る手に、ライムは細い喉元へ埋めていた顔をゆるりと上げた。

「…あ゙?」

 普段よりやたらと低い声に一瞬怯むも、ベックマンの言葉を思い出し。ここで負けてはいけないとナマエは唇を硬く結び、強い瞳でライムを見つめた。サングラス越しでないヘーゼルカラーの瞳が、至近距離でじっとナマエを見下ろしている。

「噛まないで。…噛んじゃ、駄目」

 そう言うと、ナマエは揃えた指先で、ぺしっとライムの口元を軽く叩いた。それは本当に犬の躾けをしているかのような動作で。あながちベックマンの言葉も間違いではないのかもしれないと頭の片隅で思った。
 時刻は夜十時過ぎ。少し風の強い海域に入ったこともあり、部屋の中には常に波の音と風の音が響いている。これなら多少声を出しても聞かれることはないだろう。
 今日は宴もなく、邪魔が入ることもない。互いに風呂も済ませ寝間着になっていて、仕事もすべて終えている。恋人が二人で過ごすには、今は時間、状況共に最高の状態なのだ。
 だというのに。ベッドに押し倒し、石鹸の香りがする喉元へ顔を寄せた瞬間、まさかの待ったがかけられた。これからというときに突然止められたことに、ライムはあからさまに唇をむっと尖らせる。

「……」
「……」
「…か、噛まないで……」

 こちらが下手に出るのもおかしな話だとは思うが、普段ならば「は?嫌だ」と一蹴にするだろうところを、今のライムは黙ってこちらを見つめていて。何かを探るようなその視線と雰囲気の違いが妙に恐ろしかった。命令しているのはこちらだというのに、ナマエは何故か追い詰められた獲物のような気分になってしまう。

「…もし噛んだら、今日はしないからね」

 まるで自分自身を鼓舞するように、ナマエは言葉を強める。こうしてはっきり言葉にすれば止めてくれるだろうという期待も込めて。ナマエとてセックスをしたくないわけではない。ただ噛み癖をなんとかしてほしい、それだけなのだ。
 ナマエの言葉に、ライムはぴくりと片眉を上げる。先ほど制止をかけた時点で若干機嫌が悪くなっているのは明らかだが、それでもこちらを見つめる鋭い瞳の奥底は、相変わらず何を考えているのか読めなかった。

「……」
「ライム…?」
「…分かった」
「え、」

 細く息を吐く音が聞こえた後。ライムは自身の唇を塞いでいたナマエの手を掴むと、手首の内側に顔を寄せながら小さく呟いた。
 てっきり機嫌を損ね、掴まれた手をそのまま噛まれてしまうのかと思いナマエは一瞬身構えたが、そんなことはなく。ちぅ、と戯れのように軽く吸い付かれ、すぐにほっと胸を撫で下ろす。まさかこんなにあっさり受け入れてくれるとは。言ってみるものだと、ナマエは内心ベックマンに感謝した。

「……とでも言うと思ってんのか」
「え?…っ、い゙──!?」

 しかし次の瞬間。小さな舌打ちが聞こえたと思ったら、手首には鋭い痛みが走っていた。
 すっかり油断していたナマエは思わず声を上げてしまい。何が起こったと見れば、そこには自身の手首をべろりと舐め上げるライムの姿。その真っ赤な舌先でくすぐっている場所には、くっきりと歯形が残っていて。一応血は出ない程度に加減したのだろう。けれど傷痕は視認できるくらいには薄っすらと赤くなっていた。
 突然一変した雰囲気と目の前の光景が信じられず。呆然とその様子を見つめるナマエに、ライムは「馬鹿かよお前」と吐き捨てた。

「他の男にアドバイスされたことに、俺が素直に従うわけねェだろ」

 馬鹿にするようなその乱暴な口調と目付きがいつもと同じものに戻っていることに、無意識のうちに安堵しつつ。ナマエは混乱する脳内で言われた言葉を繰り返す。──何故あの場にいなかったライムがベックマンに助言されたことを知っているのか。そしてここまで不快感を露わにしているのか。
 そこまで考えたとき。ようやく一つの結論に思い至ったナマエは、けれど信じたくはないその答えに「まさか…」とわずに震える声と共にライムを見上げた。
 ライムは、ようやく気付いたか、とばかりにふんっ、と鼻を鳴らす。

「テメェ……副船長にセックスのこと相談なんかしてんじゃねェよ。ナメてんのか?あ゙ァ?」

 これでもかというほど眉間にしわを寄せ、額には薄っすら青筋を立てている。普段より何倍も低い地を這うような声音は、ライムが本気で怒っているのだと否が応でもナマエに理解させた。

「聞いてたの!?」
「…たまたま聞こえたんだよ」
「やだ!なんで聞いてんの!?」
「聞かれたくなきゃ食堂でなんか話してんじゃねェ」
「ゔっ、」

 あんな乱暴なことをしておいて、いきなり正論なんて吐かないでほしい。しかしそれは至極もっともな意見で。この手の話を食堂なんかでするべきではなかった。促されたとはいえ話し始めたのは自分だという後ろめたさもあり、「いきなり正論言わないで…」と苦し紛れに八つ当たりをするしか、今のナマエにはできなかった。逃げるように両手で顔を覆う。

「だいたいお前、いいのかよ」
「なにが…」
「噛まれるの好きだろ。俺が噛まなくなったら、困るのお前だぞ」
「は…、はぁっ!?」

 まさかの発言に、さすがにナマエも言葉を飲み込むことはできず。大きな声と共に顔を覆っていた手を退かしライム睨み上げた。自身の顔が真っ赤に染まっていることにも気付かずに。

「そんなわけないでしょ!?」
「いーや、お前は噛まれるの好きだぞ。」
「好きじゃな…、っ!」

 必至に否定するナマエに、「じゃあ試してみるか?」とライムはにやりと笑い。犬歯が見えるほど大きく口を開くと、ナマエの肩口へ、がぶりっと噛みついた。
 気候によって様々ではあるが、基本的にナマエの寝間着はキャミソールとホットパンツという、いたってシンプル、かつ露出がそれなりに多いものである。しかも今の海域は春。上着を羽織ることもしていなかっただけに、むき出しの肩口に、あっさりと噛みつかれてしまったのだ。
 薄い皮膚へ歯が食い込む痛みへの、わずかな恐怖。けれどそれと同時に、ぬるりと肌に触れた、熱い舌の感触。ナマエの背中にぞくりと汗が伝う。
 再び言葉を詰まらせたナマエに構うことなく。ライムは手首にしたときと同じように、噛みついたそこをべろりと舐め上げる。

「ひ…っ、」

 逃げようとする身体を押さえ付け。ライムははだけたキャミソールの裾に手を掛けると、そのまま胸の上まで、ぐいっ!と一気にたくし上げた。

「ぁ、らっ、ライム…!」

 支えを無くし重力に逆らうことなく横に流れた胸に顔を寄せ、脇との境、柔い肉の部分を甘噛みしてやれば、ナマエの腰が大きく跳ね上がった。
 拒絶の言葉があからさまに色を含んだ声に変わり。ライムはほとんど無意識のうちに口角を上げていた。はやる気持ちをなんとか抑えながら舌を滑らせ、下乳、脇腹、みぞおち、下腹と柔く噛んでいく。その度小さな声を上げぴくぴくと跳ねる身体は、もうすっかり抵抗する気を無くしているようだった。

「ほんと…説得力ねェな」

 ベッドに投げ出されていた右足を掴み、持ち上げる。力が入り浮き上がるくるぶし、引き攣るふくらはぎにも噛みつき。そうして労わるようにまた舐めてやる。
 顔を真っ赤にし、これでもかと眉間にしわを寄せながら。けれど吐き出す吐息に重たい熱を込めながら、ナマエはライムを見つめる。涙の滲む青く美しい瞳には、同時に期待が滲んでいて。交わっただけでライムの背中にはぞくりと熱が走り。下半身はどうしようもないほど疼き始めていた。

「今だってその気になりゃ、俺のこと蹴り飛ばすことぐらいできんだろ」

 足を肩に掛け、ほんのり汗をかいた内ももへと手を滑らせる。するするとなぞり下ろし、ホットパンツの裾から中指を差し込んだ。触れたそこは汗をかいていたようで、ほんのりと湿っている。

「でもな、それをしねェってことは…ナマエ。テメェも俺に噛まれるのが好きってことだ」

 ゆるりと下着のラインを辿り、誘われるようにクロッチへと触れれば、くち、と小さく粘着質な音が響いた。その瞬間、ナマエの顔が茹でられたように真っ赤に染まっていく。
 ライムの言う通り、言葉とは裏腹に反応を示しているナマエの身体は、デコルテまで赤く染め上げ。噛み痕をよりくっきりと、その白い肌に浮かび上がらせていた。

「それで、なんだっけ?…"待て"、でもさせてみたらどうだ、だったか…?」

 あのときの言葉を繰り返す。わざとらしい物言いにびくりと肩を跳ねさせるナマエを、ライムはゆるりと犬歯を見せながら笑う。

「いいぜ。お前が本気で"待て"っつーなら、いくらでも待ってやるよ。…それで満足できるならなァ?」

 見上げる青い瞳にもはや強さはなく。代わりに、期待と、どうしようもないほどの欲をその奥底に含んでいることに、きっとナマエは気が付いていないのだろう。
 喉が異様に渇き、目の前の獲物を早く喰えと脳内が支配される。歪む視界に、唸るような声で「可愛いなァ」と呟きながら、ライムは濡れた唇へ喰らいついた。



「躾は上手くいかなかったみてェだな」
「………」

 朝食の喧騒も去り、すっかり人気のなくなった食堂。何十枚と積み重ねられていた皿の最後の一枚を洗い終えたナマエは、目の前のカウンターで食後の温かい紅茶と共に新聞を広げるベックマンの言葉に、じとりと視線を上げた。
 相変わらずナマエの胸元はきちんと正され、その白いデコルテが明かりの元にさらされることはなく。むしろ先日よりも一層ガードが堅くなっていることから、結果は聞かずとも分かりきっていた。

「…副船長、こうなることが分かってたんでしょう」
「なんのことだ?」
「しらばっくれないで下さいよ…!」

 今にして思えば、そもそもベックマンほどの男が、姿が見えないことを抜きにしてもあからさまに意識をこちらに向けているライムの存在に、気が付いていないわけがなかったのだ。
 そしてそれはライムも同じで。彼もまた、ベックマンがわざとあの会話を聞かせていると気付いていたのだろう。それならばあの怒りようもほんの少しは理解できる。かといって納得したわけではないが。
 結局、二人に掌で転がされていたも同義だとナマエが状況をすべて理解できたのは、夥しいほどの様々な痕が残された自身の身体を鏡で見た、今朝のことだった。

「…もう副船長には相談しません」
「おいおい、そんな寂しいこと言うなよ」
「余計に状況が悪化しかねないので」

 つんっ、と唇を尖らせそっぽを向いたナマエのうなじの辺りには、わずかに赤くなった噛み痕が残っている。シャツの襟のおかげで九割程度隠れてはいるが、少し首を傾けたり、俯いたりした際にちらりと見える、なんとも絶妙な位置だ。そのせいでナマエは気が付いていないのだろう。一応すべて服の下に隠せていると思っているようだ。
 なんとも分かりやすい牽制だな、と思いつつ。喧嘩を売られたような気持ちになりながら、ベックマンは口角をにやりと上げる。

「またアドバイスしてやろうか」
「だからいいですって…」

 食堂、食後のひと時、ルウは裏に行ってこの場におらず、ベックマンとナマエの二人。なんの因果か先日とまったく同じような状況だ。あとは外でライムが聞いていれば完璧だろう。想像しただけで堪ったものではないが。
 苦い顔で拒否をするナマエに構うことなく、ベックマンは自身の首を指先で、とんとんっと軽く叩く。

「見えないところなら噛んでもいい、って言ってみたらどうだ?」

 いらないと言ったのに。反応しなければよかっただけなのに。その言葉と動作に小さく肩を跳ねさせてしまったナマエは、少し逡巡するような素振りを見せた後。「…やりませんよそんなこと」と、蚊の鳴くような声で呟く。
 その瞬間、壊れんばかりの音と勢いで食堂の扉が開かれ。ナマエは、さぁっ、と顔を青ざめさせた。





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