ハンドルを捻り水を止め、洗い立てのタオルを身体に巻きながらシャワー室から出る。どうせ誰もいないからと素足でぺたぺたと歩き、ナマエは洗い立てのシーツがが濡れることも構わず、裸のままベッドへと腰掛けた。
この海域は夏島が近いこともあり、有難いことに風呂上がりに裸でいても寒さをあまり感じない。濡れた髪をタオルで挟み込み水気を取っていると、視界の端に見えた時計の針が、丁度てっぺんを超えたのが見えた。
「ナマエ、起きてるか?」
静かな室内に、こんこんと扉を叩く音が響く。部屋の灯りは扉の下から漏れているはずだから、部屋の主が起きていることには気付いているのだろう。けれど静かな船内に気を遣い、伺うように小さく叩いた。そんな音だった。
「はぁい。どちら様ですかぁ?」
続いて掛けられた言葉にナマエは髪を拭く手を止めぬまま、時計から扉へと視線を向け。眠気も相まって、少し間延びした声で尋ねる。
「俺だ。スネイク」
聞き覚えのある低い音で告げられた名前に、ナマエの身体が一瞬動きを止めた。
自身の名前を聞いた瞬間ナマエが少し息をつめたことに気が付いたのだろう。気を遣うような声音でスネイクは続ける。
「悪い、寝てたか?」
「いえ…起きてました。どうかしました?」
「少し聞きたいことがあって…入っても平気か?」
大丈夫ですと言いかけて、ナマエは寸前のところでその言葉を飲み込んだ。お伺いを立てたにもかかわらず、許可を得ていざ入ってみれば、タオル一枚で部屋主に出向かられるなんて。それはいくらなんでもまずいだろう。ただの痴女だ。
暖かい気候のおかげで肌寒さを感じなかったのと、一応上司であるスネイクを待たせたら悪いという感情に、うっかり何も考えずに返事をしようとしたことに反省しつつ。ナマエはクローゼットを開けながら少し声を張って返事をする。
「ごめんなさい。ちょっとだけ待っててもらっても良いですか?」
言うや聞くや否や、「おう」と返って来た言葉に、ナマエは慌てて洋服を引っ張り出し身に着けていく。
「んな慌てなくても大丈夫だぞ」
がたがたと棚をひっくり返す音が聞こえたのか、扉の向こうからは笑う声が聞こえた。どうやら音だけで全てバレていたらしい。
「…すみません、お待たせしました」
寝間着用のキャミソールとホットパンツを身に着け、最後にタオルを肩にかけながら、ナマエは扉を開けた。
「おう、急にわ…るかったな……」
「いえ、お風呂入ってただけなので。大丈夫ですよ」
扉の向こう、灯りを背にしたナマエの姿を見た瞬間、スネイクは言葉をつまらせた。それもそうだろう。なにせ許可を得て、慌てて服を着ている音さえ聞こえていたというのに。扉を開けてみればそこにいたのは、ほとんど下着同然に薄着のナマエだったのだから。
「どうぞ、入ってください」
「おう…」
一瞬にしてぐらつきかけた理性を、スネイクは奥歯を噛み締めることでなんとか耐える。いや、正直別にこのまま襲ってしまってもよかったのだが、本来の目的はそれではない。こんな時間に狙っている女の部屋を訪れているのだからもちろん下心はあるが、それは一旦置いておいて。
スネイクは促されるまま小さな扉をくぐると、ベッドに腰掛けたナマエの隣へと案内されるのやんわりを断り。扉近くに置かれていた丸椅子を引っ張り出し腰掛けた。といっても部屋はそこまで広くはない。ましてやスネイクの大きな身体では、少し手を伸ばせば、無防備なナマエに簡単に触れてしまえそうな、そんな距離だった。
「その、急に来て悪かったな」
「いえいえ。ちょうど出たところだったんで、大丈夫ですよ」
「…なんだ。ならもっと早く来てればよかったかな」
何かあれば簡単に崖から転がり落ちていきそうな理性をなんとか保つために、スネイクは冗談交じりにそうこぼす。そんな気持ちなぞ露知らないナマエは、呆れたように「もう」とため息をついていた。
「冗談だよ。…それより、開ける前にちゃんと誰か聞く癖はちゃんとついたみたいだな。偉い偉い」
呆れるナマエに逆に意地悪く言ってやれば、今度は彼女がぐっと息をつまらせる。まるで親に叱られた子供のようなその表情だった。
「えっと、それで、聞きたいことがあるって話でしたけど…」
ナマエは誤魔化すように咳払いをひとつすると、スネイクに尋ねる。
「ああ、少し相談があってな」
「相談…?」
ナマエは大幹部ではないが、彼らと親しくできる程度には古株だ。それでもやはり年下ということもあり、妹のように扱われることもしばしばある。そんな彼女に、あのスネイクが相談とは。しかもこんな夜に、わざわざ離れた場所にある部屋を訪ねてまで。それを私がなんとかできるだろうか。
そんな不安が無意識のうちに表に出ていたのだろう。わずかに身構えた様子のナマエに、スネイクは「あー、悪い悪い」と笑い交じりに続ける。
「そんな重い話じゃねえよ。ただ、髪の手入れの仕方を教えて欲しくてな」
聞こえてきたまさかの単語に、ナマエは身体から力が抜ける感覚を覚えた。
「髪、ですか」
「ああ。伸ばそうと思ってんだ」
そう言いながらスネイクは自身の襟足を触る。まだ短い紫の髪が長い指先をするする滑る様子を見つめながら、ナマエは"長髪のスネイク"という姿に、想像を巡らせてみる。
少し暗く灰みがかった紫の髪は時々寝癖が付いていることや、湿気の多い海域では襟足がうねっていることもあったから、きっと少し癖があるのだろう。伸びたらゆるくウェーブがかかるかもしれない。それに、短髪の今でもそこまで傷んでいないところを見ると、きちんと手入れをすれば艶も帯びるだろう。
艶を帯びウェーブのかかる紫が、陽の光に照らされ風に靡く。その光景はきっと、とても美しいはずだ。
「…いいですね。すごく似合うと思います」
「ありがとな。それで、せっかく伸ばすならそれなりに綺麗にしていこうと思ってんだけどよ…ここじゃそれも難しいだろ?」
「そうですねえ」
「でもお前の髪っていっつも綺麗だから、どんなことしてんのかと思ってな」
言いながら徐々に苦い顔になっていくスネイクの気持ちが、ナマエには痛いほど理解できた。この船に乗り始めた頃、ナマエも似たような悩みを抱えていたからだ。
当たり前ではあるが、船の上では常に太陽に当たり続ける。潮風にも晒され、戦闘が始まれば血を浴びることだってある。そして風呂には毎日は入れない。といってもレッド・フォースは大きい船ということもあり設備も充実しているので毎日の入浴は可能だが、そこは個人の裁量次第だ。
そしてなにより、スネイクは航海士だ。海図を書くため部屋に引きこもることもあるが、大抵は海の状態を随時確認するため、甲板に出ている時間も、見張り台にいる時間も人よりずっと多い。
同じように長髪の男は何人かいるが、そもそも彼らには"髪をきちんと手入れして綺麗にする"という概念が、こう言ってしまうとなんだがあまり無く。それなりに整えてはいるが、手入れと呼べるほどのことはしていなかった。
だからこそスネイクはナマエを頼ったのだろう。彼女の髪は一目で手入れが行き届いていると分かるほど美しいのだから。
想像していたよりもずっと単純な内容に、ナマエは肩から荷が下りる感覚を覚える。同時に、スネイクが自身の髪を綺麗だと思ってくれていたことに、ほのかに照れのような、妙な気恥ずかしさを感じた。
「えっと、体質もあるとは思いますけど…とりあえず私が使ってるもの見せますね」
そう言うとナマエはベッドから立ち上がり、「ちょっと待っててください」と洗面所へと向かう。脱衣所と兼用になっているため目隠しように吊るされたカーテンの向こうから、ごそごそと何かを漁る音が聞こえた。しばらくして麻紐で編まれた正方形の籠を持って戻って来た。
アクアグリーンのチューブに、アイボリーのポンプボトル。持ち手がスポイトタイプのものに、粘度がある液体が入ったライムグリーンのボトル。他にも大小様々ある籠の中身を、ナマエはベッドの上に並べていく。
「私が今使ってるのはこれくらいです。島で良いのがあればそれに変えたりしてますね」
「すげえな…これ全部髪のやつなのか?」
「はい。例えばこれとかは乾かす前につけるもので、こっちは日中につけるもので…」
ひとつひとつ手に取りながら使用タイミングや用途を説明していくナマエに、スネイクは慌てて制止の声をかける。
「ちょ、っと待ってくれ…混乱しそうだ…」
まるで海図を書いているときのように難しい顔で目頭を押さえるスネイクに、ナマエは「そんな難しく考えなくて大丈夫ですよ」と笑う。
頭の良いスネイクがここまで混乱している姿を見るのは初めてで、ナマエは面白いものを見たような、なんだか得したような気分にさえなっていた。
「一度に全部使うわけじゃないですから。特別なときとか…本当にたまにしか使わないやつもありますし」
そう言ってナマエが手に取ったのは、ローズカラーのとろりとした液体の入った、グレーの筆記体で商品名が書かれたボトルで。シンプルなデザインは他より少し良い物だというのは、一目でスネイクにも理解できた。
「…特別なときって、例えば?」
貸してくれと言い、ナマエの手からそのボトルを受け取りながらスネイクは尋ねる。中身を確認するように揺らした瞬間、わずかに花のいい香りがスネイクの鼻孔をくすぐった。
「そうですねえ…私は上陸のときに使ったりなんかしてますけど」
「ふーん…」
その返答を聞きながら、スネイクは上陸時のナマエを思い出す。海賊である以上陸に特定の男を作っていることはないだろう。そもそもナマエが上陸する度その動向をさりげなく探っているのだから、その可能性がないことはスネイクも分かってるのだが。
けれど、それはそれとして。ナマエがこの香りを身に纏い上陸している、ということ自体が面白くないのは確かだった。何故ならスネイクがこの香りを"いい匂い"と感じたということは、他の男共も同じことを思うはずだからだ。
同じ男だからスネイクには分かる。いい香りがいい女からすれば、男の視線なんて簡単にそちらへと向く。そうしてその女が遊べる相手なのかどうか、値踏みをするのだ。ナマエがそういった目を向けられるというのは、まあ早い話、気に食わないということだ。
「…なあ、」
「はい?」
「この"特別なとき用"って、買ったのどこの島だ?」
「え?あー…確かふたつ前に上陸した島、でしたかね」
「その島限定の物とかか?」
「いえ…確か普通に量産品だったはずですよ。この前の島でも見かけましたし」
買った場所も専門店ではない。色々な雑貨を売っている場所だったから、少なくともこの海域で取れる何かを使っているだとか、そういう特別なものではないはずだ。そういったものはもっと、島全体で観光の一つとして扱うはずだから。
値段的にも普通だったはずです、と思い出しながら伝えれば、スネイクは握ったそれをじっと見つめ。「じゃあ、」と不意に口を開いた。
「貰ってもいいか?これ」
「…スネイクさんが?」
「ああ。…駄目か?」
「構いませんけど…」
「ありがとな。次の島で新しいやつ買ってやるから」
「いえ…お気遣いなく……」
まさかの申し出に、きょとん、とした顔になるナマエをに、スネイクは返事を聞くや否や、ボトルをその大きな掌の中へと収めてしまった。に、っと笑ったその顔に、欲しがった理由を話す気がないのだということは、ナマエにもなんとなく分かった。
「…あ、じゃあせっかくだから、シャンプーも一緒にお渡ししますよ」
「シャンプー?なんで?」
「本格的に綺麗にするなら、シャンプーから変えないと。オイルだけじゃ、せっかくのケアも無駄になっちゃいますから」
「ふーん…大浴場のじゃ駄目なのか?」
ナマエの言葉に、スネイクは大浴場に置かれているシャンプーを思い出す。ここ数年内容が変わっているところを見ない辺り、それ自体もこのオイルと同じく、どこの島でも売られている量産品なのだろう。粗悪とは言わないが、値段相応のものといったところだ。
「駄目ですよ。絶対駄目。あれ、確かコンディショナーと一緒になってるやつでしょう?髪きしきしになりますよ」
「そういうもんか」
「そういうもんです。…あ、でも気を付けてくださいね。うっかり大浴場とか脱衣所とか、誰かの目に付く所に置きっぱなしにしておいたら、あっという間に使われちゃいますから」
「はは、なるほどな。…じゃあ、遠慮なく貰っておくわ」
経験があるのだろう。ナマエは言いながら苦々しい顔をしていた。
一目見て女物と分かるものは、イコールナマエの物。そんなルールがこの船にはある。それを分かっていながら遠慮なく使ってしまえる奴といえば、大幹部の誰かくらいしかいないだろう。そしてその無神経者はおそらく、同じように髪を伸ばしている者で。つまりはまあ、一人しかいないのだが。
スネイクの返事にナマエはにっこり笑うと、「今持ってきますね」と再び洗面所の奥へと向かった。
「………」
今度はその背中をただ見送ることはせず。スネイクは静かに立ち上がると、外したサングラスをポケットへとしまいながら、一歩二歩、その後を音も立てず追いかけていく。
部屋とを隔てるカーテンをわずかに開くと、備え付けの棚を漁るナマエの後ろ姿が見える。シャンプー捜索に夢中なのだろう。肩紐がわずかにずり落ちているのも気にしていないようだ。
スネイクは逃げ道を塞ぐように背後へと立つと、ナマエの身体へと影を落としながら、その手元を上から覗き込む。
「え…わっ、」
「おー、シャンプーもすげえ種類があんな」
個人の部屋に付けられた洗面所だ。決して広くはない。ナマエだけならいざ知れず、身体の大きなスネイクも一緒となってしまっては、ナマエは身動きを取ることすら難しかった。
その距離の近さを認識した途端、ナマエの身体は分かりやすく強張る。今まで気付かなかったが、スネイクも風呂に入ったのだろう。石鹸の香りが、ほのかにナマエの鼻をくすぐった。
「お前が今使ってんのどれ?」
「えっと、こ、これです…指通りがよくなって、まとまりやすくなるやつで…、」
「なるほど。だから濡れてても、こんなにさらさらしてんだな」
スネイクはナマエの髪を一房一房すくうと、感触を楽しんでいるのだろう。軽く持ち上げては、何度もさらさらと落としたりを繰り返している。耳元で響く声は低く、どこか熱を孕んでさえいた。
いつの間にかスネイクは棚に片手をついていたようで。ナマエの目の前には棚。背後にはスネイク。左右には壁とスネイクの腕。文字通りその中へ捉えられてしまったのだ。
先ほどまでの和やかな雰囲気は何処へいったのか。一気に心臓を高鳴らせる、艶を帯びた雰囲気へと変貌してしまい。ナマエは少し冷えていたはずの全身が、酷くじっとりとした熱を孕んでいくのを感じた。
「あ、の…スネイクさ、っ」
襲い来る羞恥に耐え切れず、とにかくこの状態をなんとかしたいと口を開いた瞬間。スネイクはそれを遮るように、髪を掬っていた手を、ナマエの腹の前へ、するりと回した。
瞬時に言葉は喉の奥へと引っ込み。吐き出せなかった言葉は、代わりに熱となってナマエの頬を赤く染め上げていく。
蛇の如くゆるりと動く手は二本になり、ナマエの身体を背後へと引っぱる。露出の多さが災いしてか、触れ合う肌の面積が広く。二人の体温が混ざり合うのが、いやに生々しかった。
「…ああこれ、花の香りか」
「んっ…、」
ナマエの耳の裏に鼻先を埋め、スネイクはすうっと息を吸い込む。濡れた髪の向こうからほのかに香るホワイトリリーに思わずうっとりとため息をこぼせば、くすぐったかったのだろう。ナマエが小さく声を漏らす。けれどその中に、拒絶や恐怖の色は混ざっていなかった。それが余計にスネイクの興奮を煽っていく。
もはや二人に言葉はいらなかった。スネイクは腹に回した手を、その身体を堪能するように上へと這わせていく。
みぞおち、胸、鎖骨、肩、首筋。そうして辿り着いた顎先を掬うと、ナマエの顔を、そっと後ろへと振り向かせた。
「あ…、っ」
大きくまるい、海の色。溢れんばかりの涙を溜め込み、長い睫毛を震わせたその瞳は、そこに確かな期待の色を含ませながら、切なそうにスネイクを見上げていた。
濡れてわずかに吐息を漏らす唇を、労わるように、可愛がるように。けれど最後には、その呼吸の全てを喰らい奪っていく。
苦し気な声と共にスネイクの腕に縋りつくナマエは、それでも乱暴な愛撫を受け入れるように、途切れ途切れに何度も男の名を呼んでいた。
「…あとで髪、ちゃんと乾かしてやるから」
手入れの仕方を聞きに来たというのに。濡れたままなど、以ての外だろう。けれど今これを止められるかと聞かれれば、それは無理と即答できる。それはナマエも同じだった。
みなまで言わずとも理解できたのだろう。服の中へ滑り込む手に身体を振るわせながら、ナマエは小さく、何度も頷いた。
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