冷たい風が肩を撫でる感覚に、ナマエはぱちりと目を覚ました。寝ぼけた身体をむくりと起き上がらせ、ベッド横の丸窓から外を見やる。そうして、ぎゅうと目を細めた。
昨日まで広がっていたはずの青空はすっかり白へとその色を変え。まだ遥か遠くに薄っすらとしか出ていない太陽の光を、煌々と反射させていた。どうやら夜のうちに冬島の海域に入ったらしい。
そういえば、とナマエは思い出す。先日ナマエの部屋を訪れたホンゴウが、「そろそろ冬島の海域だから、シーツとブランケット、冬のものに変えておけよ」と、まるで親のような言っていた。けれどそれに「はいはーい」と適当に返事をした後、言われた通りにした覚えがナマエにはなかった。つまるところ、忘れていたということだ。
ちらりと横目で見た時計は、朝というのもまだはばかられる時間帯で。もうひと眠りしたいところではあったが、冬を意識した途端、身体はすっかり寒さを訴え始めている。
果たしてこんな状態で、薄手のシーツひとつで寝られるだろうか。否、それは不可能だ。現にこうしている今も、寝間着のキャミソールから出た肩がぶるりと震えているのだから。
ナマエはぼんやりとした脳内で少し考えた後、のそのそとベッドから這い出る。脱ぎ捨てたスリッパをつっかけ、ライティングビューローの背もたれに掛けてあった薄手のカーディガンを手に取ると、羽織りながら部屋を出た。
上着を羽織ったとはいえ、下はホットパンツのみだ。風を直に受ける生足はあっという間に冷えていく。ナマエは小走りで、すっかり冷えた廊下を進む。
ナマエの部屋から甲板に出るための方向へと進み、同じく現倉庫の扉を二つ挟んだ、とある部屋。──ホンゴウの私室だ。
医務室は広さが必要な分、幹部たちの私室がある場所とは別の、現在ナマエの部屋もあるこの倉庫エリアに作られている。ホンゴウは立場上ほとんど医務室に入り浸りのため、その隣に私室を構えており。自然と二人の部屋は近くに置かれることとなったのだ。
鍵が閉められていないことを知っているナマエは、ホンゴウを起こさぬよう扉を開け身体を滑り込ませる。予想通りベッドの上には、ナマエの部屋とは異なり暖かそうなブランケットに包まれ眠るホンゴウ姿があった。こちらに背を向けて寝ているせいで顔は見えないが、振り向かないところを見ると起こさずに済んだらしい。
ナマエはホンゴウの元へのそのそと近付くと、柔らかな布団を躊躇なく捲り上げた。丸まった背中はグレーのスウェットを着ている。普段は薄手のシャツが、もしくは裸なことが多いホンゴウが珍しく厚手の服を着ているということは、やはり今朝はそれなりに寒いらしい。
眠気と半々だった寒気が、意識した途端再び襲ってくる。ナマエは膝をつきベッドへと乗り上げると、むき出しですっかり冷えた足を中へ差し込んだ。
瞬間、わずかな痺れと共に足が暖かな空気が包まれる。思わず頬を緩めながら、ナマエはそのままホンゴウの背中へぴたりとくっつくと、すぐさまブランケットを顔の半分まで被った。
より暖かさを求めるように、ホンゴウの腹の前へゆるりと腕を回す。同時に足を絡めれば、身体はあっという間に暖まっていった。ナマエの瞳がゆるゆると閉じられていく。
「ん、あ゙…?」
その時。伏せられたナマエの瞳の代わりに、閉じられていたホンゴウの瞳が、ゆるりと開かれた。同時に背後に感じた気配に、ホンゴウは普段より何倍も低い声と共に首を傾ける。
「は……あ…!?」
背後を訝し気に見つめて、数秒。自身の背中に顔を埋めるナマエの存在にようやく気が付いたホンゴウは、細めていた瞳を徐々に大きく開いていった。
「ナマエ、おまっ、なんでここに…っ!?」
よくもまあ寝起きでその声が出せる、と思うくらいには大きな声を出しながら、ホンゴウは慌てて起き上がろうとする。けれどナマエがぴったりとくっつき、なおかつ腹の前に回された手はがっちりと服を握っていて。身動きはほとんど取れない状態だった。
そのうえベッドは一人用。元々体躯の良いホンゴウで丁度の場所にナマエが入り込んでいることもあり、壁に近いホンゴウが動けば、寝ぼけたナマエが転がり落ちる可能性もあるのだ。
どうしようもない状況に慌てるホンゴウに、当のナマエは「うるさ…」と眉間にしわを寄せ。それどころか「寒いからうごかないで…」と唸りながら、ホンゴウが起きたことで捲れたブランケットを引き寄せ、さらに密着してくる。
そしてホンゴウはといえば。普段ほとんど甘えてくることのないナマエが、寒さという理由があれどこうして甘えてきてくれているということに、嬉しさと愛しさで爆発しそうであった。胸がきゅんきゅんと音を立てて締め付けられる感覚に、情けない声が漏れる。
ホンゴウはとにかく今すぐ振り向いて、この愛しい気まぐれ猫を力いっぱい抱き締めたかった。
「ナマエ〜…そっち向かせてくれよぉ…」
腹の前に回されたナマエの腕を掴みながら、悲痛な声と共に訴える。あまりにひんひんと情けない声を出すものだから、さすがにナマエもこれでは眠れないと察したらしく。「ん゙…」とうめきながら、掴む力を緩めた。
すかさずホンゴウはその手を解き。勢いよく身体の向きを変えると、そのまま自身の胸元へ、思いっきりナマエを抱き寄せた。
ぎゅうぎゅうと痛いくらい密着した身体に、「ぐえ…」とナマエは蛙のようなうめき声を上げる。けれどホンゴウはそれを気にする様子もなく。それどころか「ナマエ〜」と、ひどく甘ったるい声を出しながら、ナマエのつむじにぐりぐりと頬を擦り付けている。
「ほんごぉ…うるさい……」
「急にどうしたんだ?寒かったのか?」
「んん…」
「ちゃんと冬物用意しとけって言っただろ〜」
叱りつけるような口調にもかかわらず、その声はどうしようもないほど緩んでいる。緩みすぎてそのまま溶けていくのではないかと思うくらいだ。
未だ眠気が残るナマエとは裏腹に、ホンゴウの方はすっかり目が覚めてしまったようで。朝から突然舞い込んできたサプライズに、声だけでなく顔もこれでもかと緩ませ。ナマエの顔にかかる前髪を退かし、髪の生え際や、額、こめかみに眦。触れられる場所すべてに唇を落としている。
しばらくそうして一方的な戯れを楽しんでいた頃。ホンゴウは「…あ、」と、思い出したように呟いた。
「悪い、ナマエ…俺そろそろ起きなきゃなんだよな……」
冬島に入ったということもありホンゴウはこの日、朝からベックマンとスネイクと簡単な会議のようなものを控えていた。あの二人も中々に朝は苦手なタイプだが、それでも朝食の時間には起きてくるだろう。
対してこの状態のナマエは、下手をすれば昼前まで寝ているかもしれない。早起きのホンゴウがナマエと共に起きてこない理由をあの二人なら察してくれるとは思うが、それでも一応は約束の形を取っていたわけで。それを無視するわけにはいかなかった。
途端にしょんぼりと眉を下げるホンゴウを、ナマエは半分閉じかけた瞳でじっと見上げる。そうして少し考えた後、ホンゴウの服の裾を掴むだけだった手を、ゆるりとその背に回した。
「………」
「ナマエ…?」
今度はナマエ自ら擦り寄ってきてくれたことに内心喜びながら、ホンゴウは「どうした?」とナマエの顔を覗き込む。
「行っちゃだめ…」
「え、」
「も、少し一緒に…」
ホンゴウという名の湯たんぽがいなくなると困るというのも正直なところ本音ではあるが、それ以外にも、突然の訪問に文句ひとつ言わずに、こうしてべたべたに甘やかしてくれるホンゴウの優しさが、とても心地よく。できればもうしばらくはこの温度を感じていたいと、ナマエはそう思ったのだ。
その言葉を聞いた瞬間、「起きなければ」というホンゴウの意志は、あっさりとどこかへ飛んでいってしまった。
ただでさえ密着していた身体が、もはや一つになるのではと思うくらい強く、ホンゴウはナマエを抱き締めた。ぐっと背中が反り、ナマエは息苦しさで胸元からぷはっと顔を上げる。
「ゔ…ちょっ、と…ほんご、」
「ナマエ〜…ほんっと可愛いなぁ、お前は」
ぺしんと頬を軽く叩くナマエの抗議も、気にする様子はまったくなく。ホンゴウは嬉しそうに眉尻を下げながら、ナマエに頬擦りさえしている始末。こんな姿、船員が見たら目玉が飛び出ることだろう。
「ナマエがこんな甘えてくれんなら、冬島も悪くないな」
「私はやだ…さむい……」
「そんな寂しいこと言うなよ」
「んふふ…」
ナマエは、頬擦りする度ぱさぱさと揺れるホンゴウの髪を退かしてやりながら、現れた額の傷痕を親指でゆるりとなぞり。そのまま首筋を撫で下しながら、刈り上げの感触を弄ぶ。
ホンゴウは「くすぐってぇよ」とその手を優しく掴むと、じっとナマエを見つめる。そうして顔を寄せると、まだわずかに冷たい鼻先へ、小さく唇を落とした。
「…口じゃないんだ?」
「…口にしたら、多分、というか絶対我慢できなくなる」
「そこ断言しちゃうんだ…」
「しょうがねぇだろ。今だって正直やべぇんだから」
「ふ…素直…」
「おう…だからさ、」
「ん…?」
「…今日、お前の部屋行ってもいいか?」
小首を傾げながら訊ねるその声には、わずかに熱が込められている。耳をくすぐる甘やかなその声に、ナマエは胸がきゅぅ、と鳴るのを感じた。
「…シーツとブランケット、代わりに変えてよね」
そう小さく呟き。ナマエはほんのり熱くなる頬を、隠すようにホンゴウの胸元へと擦り付けた。
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