「君、一人なの?よかったら俺とお茶でもしない?」
今どき、こんなテンプレートな声のかけ方をする男がいるのかと、ナマエは珍しいものを見ているような気持ちになった。
その夏島は新世界には珍しく、海王類の少ない海域にあった。そのおかげか周辺の島に比べ人も集まりやすいようで、島は観光業を中心に栄えていた。
中でも島の中央に位置するショッピングモールは、新聞でも特集されるほどの規模らしく。初夏を迎えた今は過ごしやすい気候も相まって、かなりの賑わい見せていた。
赤髪海賊団がこの島に上陸したのは先日の早朝のことだった。ログが貯まるまでは五日。一日目に船番だったナマエは、二日目の現在ようやく自由に出かけられるようになり。恋人であるライムと連れ立って、有名だというそのショッピングモールへと来ていた。
今回は日用品の補充といったことも必要はない。二人は特にあてもなくモール内を歩き回り、目に付いた店になんとなく入ったりしながら買い物を楽しんでいた。
そうして、ライムの両手がショッピングバッグでいっぱいになった頃。二人は休憩がてら空いていたベンチに腰を下ろした。
「ここで大人しく待ってろよ」ライムは荷物を置きながら、まるで子供に聞かせるように言い。そのまま少し先にあるキッチンカーへと向かって行った。「子供じゃないんだから」とその背中に小さく呟きながらも、ナマエは言われた通り、右へ左へ歩く人々をぼんやり眺めながら大人しくライムの帰りを待っていた。──ところで、声をかけられたのである。
「今日暑いからさあ。そこのジュース奢るし。ね?」
再び、流れるような台詞。本当にいるんだ、とこぼさなかっただけでも褒めてほしい。
ナマエは座ったままわずかに顔を上げ、ようやく男の全姿を見やる。──なるほど、と思う。
薄茶色の髪に、少し垂れた瞳。きつさのない、人懐っこそうな顔つきだ。それに服装もシンプルで清潔感がある。身に着けているアクセサリー類も、全体の雰囲気を邪魔しない程度に留められている。自分の魅せ方をよく知っているのだろう。
少なくとも初見で、ほとんどの人がこの男にそこまで悪い印象を抱かないだろうということが分かる。もっとも、ナンパというのはまず見た目が重要なのだから、そこを整えているのは当たり前ではあるが。
絶えず続く声を右から左に流しながら、ナマエは黙したまま男を──もといその肩越しに空を眺める。
夏島の昼過ぎということもあり、日差しが強くなっている。雲一つない青空が眩しく、ナマエは思わず目を細めた。
途端、男は話すのを止め。そうしてなにかに驚いたような顔をした後、わずかに喉を上下させた。
「…君の瞳、海みたいな色だ。すごく綺麗だね」
それまでとは違う、どこか恍惚ささえ感じさせる声音だった。──この声をナマエは知っている。海賊になるずっと前によく聞いていた。店に来る客が女に向けていたもの。大げさではなく、きっと生まれた時から聞いていたであろう声。記号としての"女"にではなく、"目の前にいる人"そのものに心を奪われた男が発する、甘さを帯びた声。
ナマエはついに意思を持って、男の姿をその瞳に捉える。ほんのりと赤く染まった男の頬は、ようやく交わった瞳にわずかな喜びを浮かべた。
「ねえ、ほんとに…、」
「こいつに声かけるとは…お前、見る目あんじゃねェか」
言いかけた男を遮るように、聞き慣れた声がナマエの後ろから響いた。直後、男の顔に影が落ちる。
「ライム」
ナマエが背後を振り仰げば、眉間にはこれでもかというほどに深いしわを作ったライムが立っていた。
男はライムを見るなり、「ひ、」と情けない声を上げる。無理もない。どう見ても雰囲気と圧が、堅気のそれではないのだから。
ただ、両手に赤と青の飲み物をそれぞれ持っているその姿は、ナマエからしてみればとても可愛らしいのだけれど。
すっかり委縮してしまっている男をぎろりと見下ろし、ライムは「ただ…、」と続ける。
「こんないい女に男がいるかどうか想像もできねェっていうのは、ちっと頭が足りてねえみたいだなァ…?」
低く唸るような声は、敵船に遭遇したときでも中々聞かないもので。これは慣れていない人は怖いだろうなとナマエは思った。もはや他人事である。
「あ、つ、連れいたんだ。ごめんねー」
人は恐怖を感じると笑いが出るらしい。男はへらりと引き攣った笑みを浮かべると、口早に言い、そうして足早に去っていった。
なんだか安い一人劇場でも見ているような気分だったなと、男の去った方をぼんやり眺めてると、それを遮るように「ん」とライムが目の前にジュースを差し出してきた。
「ありがとう」
「おう」
受け取ると、ライムはそのままベンチの背もたれを跨ぎ、どかりと隣に腰掛けた。
渡されたのは赤い方の飲み物だった。中身はよく見ると二層になっており、下が水のように透明で、上が苺のような赤色をしている。プラスチックのカップには、"レモネード"の文字と、レモンのイラストがロゴとして描かれていた。
「それ、ラズベリーレモネードつってたな」
「へえ、ラズベリー。苺じゃないんだ」
「よく混ぜて飲めだとよ」
半透明のラズベリーカラーの中には、氷と輪切りのレモンが浮かんでいる。日に透かすと反射して、まるで宝石のようにきらきらと煌いていた。
崩してしまうのが勿体ない気持ちさえ抱きながら、ナマエはストローに口をつける。氷の冷たさと、ラズベリーの香り、それとレモンの甘酸っぱさが一気に身体へと染み込んでいった。
「ん、おいしい。これ私好きかも」
「だろうなと思った」
「ライムのは何味?」
「ブルーハワイ」
「おいしい?」
「ん」
訊けば、ライムは無言でストローを向けてきた。
「駄目だよ、口紅ついちゃうし」
「別に構いやしねェよ」
いいからとばかりに、ストローの先はさらに距離を縮めてくる。それでもまだわずかにナマエは迷ったものの、ライムに引く気がないと察し。躊躇いながらもそっと口をつけた。
ラズベリーとは違った甘さが喉を通り、鼻からはミントの香りが抜けていく。ナマエはぱっとライムを見ると、「うん、こっちもおいしい」と口角を上げた。
途端、ライムがぐうと唇を尖らせる。そうして、はあ、となにか感情を吐き出すようにわざとらしく溜息をつきながら、背もたれにずるずると全身を預けた。
「………お前、ああいうの、いちいち相手にすんなよ」
ああこれは拗ねているのだと、ナマエはすぐに分かった。
たぶん、以前のナマエであれば、「相手もなにも、私なにも言ってないよ」などと返していただろう。実際その通りだしその言葉も間違っていないのだが、それではなにも考えが伝わらないことは、あの件以来すっかり分かっている。それに、恋人がナンパされているのを見たら。──まあ確かにあまりいい気はしないだろう。たとえ本人にその気が一切なかったとしても。
そもそもあの大喧嘩のきっかけ自体、ライムがどこぞの女にちょっかいをかけられているのを見たことが起因だったのだから、なおのことそれはよく理解できた。
「ごめん。次同じようなことあったら、すぐライムのところ行くようにする」
まさか謝られるとは思っていなかったのか、その言葉にライムの顔が複雑そうに顰められる。
「いや、別に…お前が悪いわけじゃねェのは分かってるけどよ……、」
なにか言いたげにもごもごと唇を動かしたかと思うと、ライムは再び、はあと溜息をついた。
「……これかけとけ」
そうして少し考えたあと、かけていたサングラスを外し。そのままナマエへとかけさせた。
「え、なに、なんで」
「ナンパ対策」
「なにそれ…」
──男の行いは腹が立つことこの上ない。が、同時にライムには分かる。分かってしまうのだ。あの男が、ナマエに声をかけた理由が。
だからこれはお守りでのようなものだった。明らかに男物と分かるサイズの大きなのものを身に着けていれば、多少なりとも牽制にはなるだろう。
ライムが手を離した瞬間、ノーズパッドが小さな鼻を、すべり台のごとく落ちていく。
「ずり落ちる…」
ナマエは少し顔を上げながら、慌ててテンプルを支えている。
ライムはそれを真正面から見るように覗き込む。やはりそれは大きかったが、それでもナマエが自らの物を身に着けているというその事実だけが、ライムに確かな満足感を与えていた。
「はは、似合うじゃねェか」
「え、本当?」
「ああ…ちょうどいい、ホンゴウにも言われてただろ。今からお前の買いに行くか」
ついこの間ナマエが目を負傷した際、ホンゴウが「薄い色だから、これからはサングラスかけるようにしてもいいかもな」と言っていたのだ。そういう意味では、ちょうどいい機会かもしれない。
そうと決まればとばかりに、ライムは残りのレモネードを一気に飲み干す。立ち上がり、置いていた荷物を全て片方の肩に掛け持つと、空いた手でナマエの手を取った。
促されるままナマエも立ち上がり、二人は歩き出す。
「レンズが薄い色のやつがあるんだよね。可愛いし、それにしようかな」
「あ?黒だろ。黒一択」
「黒サングラスの男女とか、ちょっといかつすぎるでしょ」
「いかついとか、海賊がなに言ってんだ」
「それはそれ」
分かってないな、とばかりにナマエがライムを振り仰ぐ。間から、青い瞳が覗き見える。──ああ確かに、この瞳が黒ですっかり隠されてしまうのは、もったいないかもしれない。それならナマエの言う通り、青がより綺麗に映えるような、薄い色のものがいいのかもと思う。けれどそれだと、あの男のように魅せられる奴が出てきてしまう可能性がある。それでは本末転倒だ。
「………いっそ両方買うか」
「ええ?」
しばらくの沈黙と熟考の末ライムが出した案に、「そんなに必要ないでしょ」とナマエは笑うのだった。
じりじりと身を焼くような日差しが降り注いでいた。船首で双眼鏡片手に海の様子を見ていたスネイクはふと、甲板の隅で積み荷の確認をしているナマエの横顔が、普段とは違うことに気が付いた。
「お、なんだサングラス買ったのか」
その声に、ナマエはぱっと顔を上げる。
「そうなんです。いいのを見つけたので」
ボストン型の、黒いフレームサングラス。シンプルだが、ナマエによく似合うデザインだ。特にレンズが薄いブルーということもあり、レンズ越しに見える瞳は、陽光も相まってさらに鮮やかに映えている。
「似合うな。目もさらに綺麗に見える」
「ふふ、ありがとうございます」
スネイクの言葉にナマエは嬉しそうに笑みを浮かべながら、テンプルをそっと撫でた。その繊指の先をなんとなしに追ったとき、スネイクは「…ん?」と声を上げる。
「どうしたんですか?」
「いや…お前それ、もしかしてライムジュースと同じブランドのか?」
言いながら、スネイクはその大きな上背を屈めナマエの顔──もといサングラスのテンプル部分を覗き込んだ。
「あ、そうなんです。ライムが選んでくれたので…」
ナマエは少しはにかみながら答える。途端、スネイクは呆れと共に「なんだ」とこぼす。
「惚気か」
「の、…っ違います!この前、目を傷めたとき今後はちゃんと予防しろってホンゴウに言われてて…だったら、ライムに聞いた方が詳しいだろうしいいかなって、それで選んでもらっただけです…!」
「はいはい。ごちそうさま」
「聞いてくださいよ!」
一切聞く気のないスネイクにナマエは声を荒げるも、これ以上言えば言うほど、なんだか墓穴を掘ってしまうような気もして。「もう!」と唇を尖らせれば、スネイクは「悪い悪い」と、子供をあやすようにナマエの頭を撫でた。
「まあセンスは流石、ライムって感じだな」
輪郭、目の大きさ、鼻の形。諸々を踏まえ選ばれた形と色。その点はからかいを抜きにしても、やはりよく似合っていた。
スネイクは確認するように再度ナマエの顔を覗き込む。そのときだった。
「さっきから近いんだよこの野郎」
スネイクとナマエの顔の間を、なにかが隔てていた。
聞こえた声から、隔てるそれは掌で、しかもライムのものであると理解したときには、腹の前にするりと回された両腕に、ナマエの身体は後ろへと引っ張られていた。
とんっと背中がライムの胸に当たる。
「なんだよ、いいだろ別に」
「いいわけねェだろ」
相変わらず軽い口調のスネイクを威嚇するように睨み上げると、ライムはナマエを抱き締める腕にさらに力を込めた。そのあまりの強さに、ナマエからは「ぐえ、」と蛙がつぶれたような声が漏れる。
「ちょ、ライム、ぅ、っ」
苦しいから離せと腕を叩く。その訴えに、腕一本の拘束が解かれる。けれどその手は何故かそのまま、今度は頬をむにと掴み上げ。結局ナマエはそれ以上なにも言えなくなってしまった。
ナマエは代わりに、抗議とばかりにライムを横目で見る。すると視線に気付いたライムも、「なんだよ」とナマエを見た。
「……俺はもう行くから、いちゃつくのは俺がいなくなってからにしてもらえるか?」
呆れた声が聞こえ、ナマエははっとスネイクに視線を戻す。けれどその姿はとうに船首の方へと戻っていた。最後までからかわれていた。遠ざかる背中を苦い気持ちで見つめていると、頬を掴む手に再び横を向かされ。身を屈めたライムと目が合う。
「お前なァ…船内でもナンパされてんじゃねェよ」
ほんの少し怒ったように言いながら、ライムの手が頬から離れ、次いで拘束されていた身体も解放された。
「いやあれはナンパじゃないでしょ……」
スネイクのあれは、ただいつもと違う様相の仲間に声かけただけだ。あれをナンパなどと言われてしまったら、それこそ船員全員、毎日ナマエにナンパしていることになってしまう。というより、そもそも仲間という時点でナンパですらないのだが。
呆れたように答えるも、ライムは変わらずむすっと唇を尖らせている。
「だとしても、あんだけ顔近付ける意味あんのか?」
「……いやでも、スネイクさんだし…サングラス見てただけだし……、」
そこを指摘されてしまうと痛い。ナマエは言葉を濁す。ライムの言いたいことも分かる。なにせベックマンほどではないとはいえ、実はスネイクもなかなかにプレイボーイだからだ。
上陸時、宴ではだいたい麗しい女性が隣に座っていたし、ふらりとどこかへ姿を消したと思ったら、翌朝首元に痕をつけて帰ってきた、なんてこともあった。服装を考えて少しは隠せとも思うが、男所帯では別段隠すようなことでもないのだろう。節操のなさに最初はナマエも若干引いてはいたが、そのうちすっかり慣れてしまったくらいだ。
ただ、それはそれとして。そもそもスネイクの中に、ナマエに対しどうこうという感情がないことは火を見るより明らかで。下心など一切ないと分かっているからこそ、あの距離感も言葉も、特になにも感じなかったのだが。
そんな誰でも分かり切っていることを気にするとは。どうやら先日のこともあり、ライムはそうとう過敏になっているらしい。
「スネイクになんて言われた」
「…目がさらに綺麗に見えるって」
「まったく同じこと言われてんじゃねェか」
ナマエの返答に、ライムはよりいっそう顔を顰め。ついには小さく舌打ちさえする始末。
そんなこと言われても、という言葉は火に油を注ぐだけなので飲み込んでおいた。
「お前、やっぱ今すぐあっちに変えろ」
「…黒いやつ?」
「おう」
あっち、とはレンズが黒いサングラスのことだ。「両方買うか」という、てっきり冗談だとばかり思っていたあの言葉はライム的にはかなり本気だったらしく。ナマエがサングラス選びに夢中になっている間にこっそり買ったのだと聞かされたのは、買い物を終えホテルへと戻ったときだった。
ただ言われた通りにそれをかけるのは、ナマエには躊躇われた。
なにせそのサングラス、ライムが普段使っているもののレディースデザインらしく。要するに、お揃いになってしまうのだ。
同じブランドなだけで、あれほどからかわれたというのに。まったく同じものをかけていたらなにを言われるか、いよいよ分かったものじゃない。
「…それは、どこか島降りたときだけって話だったでしょ」
だからそれを渡されたとき、ナマエは「かけるのは上陸時だけ」という約束、もとい条件を出していた。ライムは至極不満そうだったが、それくらいは許してほしい。どこかの島の、名前も知らない誰かの前でならいざ知らず、家族も同然の人たちの前で「お揃いをかけてます」と堂々とできるほど、ナマエの精神は強くはないのだ。考えすぎたということは分かっているが、こればかりは個人の羞恥心の度合いだろう。
「…じゃあやっぱこっちかけろ」
言いながら、ライムは素早く、けれど扱い慣れた丁寧な動きでナマエのサングラスを取り上げ。代わりに自身のサングラスをかけさせた。
「え、ちょっ、なにすんの!」
「うっせェ。対策だ、対策」
「船でやっても意味ないでしょ…!」
やはりずり落ちるそれを落とさぬよう気を付けながら、ナマエは自身のサングラスを奪い返そうとするも、ライムはさらに腕を伸ばし、届かぬ位置まで高々と上げられてしまった。
「せっかく買ったのに!」
「目の保護って意味では同じだから別にいいだろ」
「そうだけど、そうじゃないっ!もー!」
「…なんだあれ」
甲板の隅できゃいきゃいと騒ぐ二人を冷めた目で眺めながらヤソップが呟く。すっかり仕事に戻っていたスネイクは、「あー、あれな」と一瞥することなく返す。
「一緒にサングラスを買いに行ったんだと」
「それではしゃいでる?」
「おう」
「付き合いたてのティーンカップルか」
「似たようなもんだな。お揃いも買ったらしいぞ、さっきから騒いでた」
「うわ、聞かなくていいこと聞いちまった」
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