「処女なんです」
「……は、」
この人も女のことで動揺したりするのか。
天井を背に、そのシルバーグレーの瞳でこちらを見下ろすベックマンを、海のように深く青い瞳で見上げながら、まるで他人事のようにナマエは思った。
ナマエの部屋は、船員の部屋が並ぶ居住区画より少し離れた場所にある元倉庫を改造して作られている。そのおかげというのは狭い思いをしている船員たちに対し申し訳なさで些か憚られるが、二人きりになることが難しい船内において、いわゆる"そういうこと"が、比較的周囲を気にせずにできる場所でもあった。
だからもっぱら二人で過ごすのはナマエの部屋だったし、この日も例に漏れず。仕事を終えたベックマンが彼女の元へやって来たのは、美しい夕焼けがもうすぐ水平線の向こうへ沈もうという頃だった。
恋人となって早数ヶ月。そろそろこうなるだろうなと思っていただけに、部屋の中へと彼を迎え入れた瞬間ベッドへと押し倒されたことに、ナマエはさして動揺を見せることは無かった。
互いに見つめ合い、「するんですか?」「ああ」「まだ明るいですよ」「構うもんか」と、まるで内緒話でもするかのようにくふくふと小さく笑い合い。ゆっくりと重なった唇は、啄むようなものから徐々に呼吸を乱すものへ変わっていき。ようやく離れたときには、酸欠にくわえ湧き上がる多幸感に、ナマエの頭は靄がかかったようにぼんやりとしていた。
そんな様子を見下ろしながら、ベックマンは「可愛いな」と眦を細め。少しかさついた手で柔らかな頬を撫でる。そうしてそのまま手を滑らせ、服を脱がすためナマエの胸元へ触れた、その時。ナマエはあの言葉を言い放ったのだ。
瞬間、周囲の空気が一変するのを感じた。
「……誰が、」
「…私ですけど」
「いや、そうだよな…すまん……」
どう考えてもナマエ以外に該当者がいないこの状況で、そんな馬鹿げた質問をしてしまうほど動揺しているらしい。ベックマンらしからぬ様子に、ナマエはなんだか奇妙なものを見ている気さえしていた。
ベックマンといえば、女好きのプレイボーイ。上陸すれば朝帰りは当たり前。泣かせた女は数知れず。この船において、それは誰もが知る常識のようなものになっていた。
そんな男がまさかここまで動揺を見せるとは。まだ陸にいた頃にナマエがよく聞いていた、「遊び慣れた男にとって処女は面倒」という下世話な話は、どうやら間違っていなかったらしい。
「…すみません、今まで言わなくて。処女の相手は面倒だと思って」
あなたのような人には特に、という言葉は寸前の所で飲み込んだ。他意がないといえば嘘にはなるが、それでもここで言ってしまえば棘を感じさせるには充分な言葉だからだ。けれどそれこそが、こうしてベックマンを戸惑わせる要因の一つとなってしまったのだろうけど。
何も言わないベックマンにナマエは続ける。
「だから…言わなくてもいいかなって思ったんです。わざわざ言うことではないのかなっていうのと……言わなくても、ことが始まれば、なんとかなるでしょうし」
ナマエはセックスをしたことはないが、不感でないことは分かっていた。
というのも、恋人となりこうして身体を重ねるに至るまでの数ヶ月の間、まるでセックスを思わせるような深く激しい口付けや、服の中に忍び込んだ手が怪しく素肌を撫で回し、舌で身体の至るところに触れられるといった、ある意味それに近しいことは何度もしていて。その際にもナマエの身体はしっかりと、それはもう嫌というほど反応を示していたからだ。しかも他でもないベックマン本人の、「いい反応」というお墨付きで。だからこそ、まるで事務的な言い方ではあるが、セックスが始まれば処女だとしてもなんとかなると、ナマエはそう思っていた。
淡々と述べるナマエに、ベックマンは相変わらず黙ったままである。処女が面倒というのが図星なのか、そうでないのか。押し黙られるとは思っていなかっただけにその真意は余計に分からなかった。
あとは、もう一つ。彼が戸惑う理由として思い当たることがナマエの中にはあった。けれどそれは同時に、そうではありませんようにと、心の底から祈っていることでもあった。
ナマエは一瞬噛み締めた唇を、ゆっくり開いた。
「……ああそれとも、そもそも処女じゃない…って、思ってました?」
問い掛けにベックマンの肩が小さく跳ねる。その反応に、ああやっぱり、と。ナマエの中に何かが落ちる感覚がした。
──ナマエが赤髪海賊団の船に乗ったのは、彼女が十八歳のときだった。元々治安が良いとは言えない島に住んでいたナマエは、ある日の夜中。五人の男たちに路地裏へ連れ込まれ、乱暴されそうになってしまったことがあった。
だがそこは生まれた場所ゆえなのか。運がいいと言ってはいけないが、それなりの護身術を育ての親に叩きこまれていたナマエは、その五人をたった一人でのしてしまった──もとい、殺してしまったのだ。
身を守るために相手を殴ることはあれど、殺しまでしたことはなかった。治安が悪い島でもさすがに殺しはそれなりの罪に問われる。これで私もお尋ね者かと、頭から降り注ぎ髪をべったり染め上げた血の温かさを感じながらぼんやりと思っていたところ。そこに通りがかったのが我らが大頭、シャンクスというわけだ。
久しぶりの上陸だというのに一日足らずでログが貯まってしまうため、人気のない夜中でも気分転換を兼ねて島を歩き回っていたのだという。そんな最中でこんな場面に出くわすとは、大海賊の頭は運がないらしい。いや、ある意味ではあるのかもしれないが。
薄暗い路地の中から、月明かりを背にしたシャンクスが「なあ、」とナマエに声を掛けた。
「これ、お前一人でやったのか?」
「…ええ、まあ」
「野郎五人も相手して、すげえな」
「私も驚いてます。人間必死になれば何でもできるんですね」
「嘘つけ。大して必死じゃなかったろ」
「…どうしてそう思うんです?」
「それ、全部返り血だろ。見りゃ分かる」
俺と同じ色だな、などと指差すのは、ナマエの髪を赤く染める血。言葉の通り、ナマエは怪我などしていなかった。しいていえば、連れ込まれた際にできた手首の鬱血痕くらいなもので。それすらも血に濡れほとんど見えていない程度だった。必死なら抵抗の傷も付く。けれどそういった普通のものが、ナマエの身体には一切残されていなかったのだ。
この暗闇でその全てを認識した男に一瞬で"厄介なもの"を感じたナマエは、身に着けた処世術をフルに活用した笑顔で、「お兄さん、さっさと島を出た方がいいと思いますよ」と、暗にさっさとどこかへ行けという意を込めて言い放った。
ナマエの言葉に、シャンクスはきょとん、と効果音がつきそうな顔をした後。すぐに「だっはっは!」と大笑い。暗闇に響くなんとも似つかわしくない軽快な笑い声に、ナマエは顔をしかめた。
ひとしきり笑った後、シャンクスは「決めた」と、にっと歯を見せながら、楽しいものを見つけた子供のように笑い、言った。
「お前、俺の仲間にならねぇか?」
運命だなどという言葉を信じているわけではない。ただ、そうして促すように伸ばされた手を、このときナマエは、掴まなければいけない気がしたのだ。
厄介だと思っていた男が見せたその言葉の強さに、気付けばナマエは血で汚れた手を重ねていた。
「…何やってんだろ私。名前も知らないのに」
「そういやそうだな。俺はシャンクス。お前は?」
「…エリザベス」
「ははっ、嘘言うなって」
「どうしてよ」
「お前エリザベスって感じじゃねぇからな」
「うわ…すごく失礼」
「悪い悪い。で?本名は?」
「……ナマエ」
「そうか。ナマエ、これからよろしくな」
そのまま強く手を引かれ、ナマエは暗い路地裏から飛び出す。その瞬間初めて、その男が血のように真っ赤な髪をしていることに気が付いた。
──思い出されたその経緯は、もちろん副船長でもあるベックマンにもシャンクスから伝えられ。後に彼がナマエを気に掛けるようになる理由の一つにもなった。
とはいえ、変なところで適当なシャンクスのことだ。詳細までは話していないのだろうということは、ベックマンの反応を見ればすぐに分かった。おそらく、「夜中に路地裏で野郎五人に囲まれてたのを一人で片付けたみたいで、腕の立つ奴だ」といったところか。これでは"ナマエが乱暴され、抵抗して男を片付けた"、と誤解されてもおかしくはない。現にベックマンはそう思っているようだった。
あの島では女のほとんどは、海賊相手に夜の仕事をしている奴らばかりだ。そんな場所で生まれた女が、夜中に路地裏で男に囲まれていたなどと聞けば、ベックマンにそう思われるのもある意味では仕方のないことだといえた。
ただ、まさかそれで動揺されるとは。さすがのナマエも予想できなかった。ベックマンがそんなことを気にするような男には見えなかったからだ。
これならまだ、処女だから面倒と言われた方が遥かにマシだった。だってそれなら、無理やりことを進めることもできたのだから。
とはいえ実際に処女ではあるから、貰える反応としてはその方が正解なのだが。こうなってしまった以上、いくら「処女なんです!」と言おうと信じてもらえるかどうかは怪しいところだ。
なにより、知らぬ男に暴かれたかもしれないという疑念を抱いた状態では、ベックマンもやりにくいだろう。これはこの先へ進むの自体諦めた方が良さそうだと、もはや握り潰されてしまった心臓の痛みに気付かないふりをしながら、ナマエは声が震えぬように言葉を続ける。
「…お頭は詳しくは言ってないでしょうけど、あのとき乱暴されたのに私が処女だって嘘ついてる可能性もありますもんね。……もし疑念があって抱けないなら……他の人を、抱いてもらっても私は構わな…、っ」
目を逸らしながら早口で捲し立てた言葉は、最後まで言うことはできなかった。大きな手が、口を塞ぐようにナマエの顔を掴んでいたからだ。
「それは違う。それだけは…言うな」
なんとか力を加減しているのだろう。包み込む手は震えていて。それが怒りからくるものだというのは、無理やり合わせられた視線だけで理解できた。あまりの気迫に言葉を詰まらせたナマエは、その大きな瞳にじわりと涙を滲ませる。
分かっている。恋人として言ってはいけないことを言ったのは自分自身だ。悪いのはベックマンではなく自分。そんなことは百も承知だというのに、泣いてしまうのは卑怯だろう。けれど恐怖からくる涙は、分かっていても止められるものではなかった。
青い瞳が揺らめき、小さな海が今にも決壊しそうなことに気が付いたベックマンは、一瞬、はっと息を呑み。強張る手をゆっくりとナマエから離していった。
ようやく自由になった口で、ナマエは涙交じりに謝罪を述べる。
「ご、ごめんなさい…」
「いや…俺も悪かった」
鼻を啜る音と共に拭われた涙はこぼれはしなかったものの、ベックマンを冷静にさせるには充分だった。
「…とりあえず起きれるか」
怒気を沈めながら、ベックマンは努めて落ち着かせた言葉と共に身体を起こす。伸ばされた腕を恐る恐る掴み返しナマエも続けて体を起こした。
ベッドの上。おおよそ直前までことに及ぼうとしていたとは思えないほど重苦しい雰囲気を醸し出しながら二人は向かい合う。よく見れば互いにブーツも履いたままで。一体どれだけ余裕がなかったのかと思いつつ、そんな状態であの発言をしたあの瞬間の自分に、ずいぶん肝が据わっていたなとナマエはぼんやり思った。
「…変なこと言ってごめんなさい。副船長の気分を害するなんて、思ってなくて……、」
言葉と共に項垂れていくナマエのつむじを見つめながら、ベックマンはポケットをまさぐる。けれどそこにお目当ての煙草は無く。そうして思い出したのは、ナマエを抱く際邪魔にならないようにと、マッチと共に机上へ投げ捨てていたということだった。
直前の行動さえ忘れ、しかもそれに今さら気付くとは。ナマエだけでなく自身も相当動揺しているらしい。行き場を無くした手は所在なさげに宙を舞い。情けない顔を隠すように、そのまましわの寄る額に当てられた。
「…お前が、」
響いた声にナマエの身体がわずかに身構えるのを、ベックマンは肌で感じていた。けれどここで引くわけにはいかない。引いてしまえばナマエは勘違いしたままで。ベックマンは今後二度と彼女の肌に触れることはできなくなってしまうだろうから。
「処女だってことは、疑っちゃいねぇ。それに、処女を面倒だとも思ってもいねぇ」
「…そう、なんですか」
「ああ」
「…だったら、どうしてあのとき、困ったような顔してたんですか…?」
ナマエも話し合わなければいけないことは分かっていたようで。俯いていた顔をぱっと上げ、迷いながらも、確信に触れる質問を返す。
「別に困っちゃいねぇよ。…ただ、」
「…ただ?」
一度否定されて少し安心したのか、一瞬言葉を呑み込んだベックマンに、ナマエは身を乗り出し再度問い質す。
この続きをきちんと言わなければならないことは、ベックマンも充分理解していた。けれどそれでも感じるわずかな羞恥心は、慣れないことを言わなければならないからだろう。
ベックマンは紫煙を吐くように、細く長く息を吐き出す。
「……嬉しかったんだ」
ぽつりと呟かれた言葉が、静かな部屋に響く。内容を理解するのに少し時間がかかったのだろう。徐々に見開かれていくナマエの瞳とは裏腹に、ベックマンを自嘲気味に眦を細めた。
「笑っちまうだろ。こんな、いい歳したおっさんが…好いた女が処女で良かったと、柄にもなく喜んじまうなんて」
額に当てられていた手が口元へと滑る。咥えた煙草を指で挟もうとして、そこには何も無いことに気が付いて。ベックマンは自分自身に再び苦笑した。
恋人になったのは最近だ。けれどこの船に乗り、もう片手で数えることができない年月を共に過ごした。だからナマエには分かる。ベックマンが己の気持ちを吐露することにひどく動揺していて。だからこそその言葉が、紛れもない本心だということが。
ナマエは胸の奥がじわりと熱くなる感覚を覚え。その熱さに溶かされた感情があっという間に胸をいっぱいにしていく。気付いたときには、大粒の涙がナマエの太ももを濡らしぼたぼたとシーツへ染みを作っていた。
「そんなこと、ない…」
シーツに突いていたベックマンの手に、ナマエは縋るように自身のそれを重ねる。
「私こそごめんなさい、あんなこと言って……本当はあなたに、め、面倒だって…っ、触れたくないって思われるのが、嫌だった…ッ」
力なく添えた手は小さく震えていた。ベックマンは何も言わない代わりに、その手をそっと包み込む。
「っさ、最初は……処女だって分かったら、セックスもすぐにできないのは面倒だからって、もう触れてもらうことも、無くなっちゃうかもって、お、思って、たんです、けど…っ、」
「………」
「でも、処女って言ったとき、副船長がと、戸惑ってたから…もしかして、それ以外のことが、気になってたのかな、って……」
「…それであんなこと言ったのか」
支離滅裂な言葉ではあるが言わんとしていることは全て伝わったようで。ベックマンには腑に落ちたといった様子で小さく息を吐いていた。
音にした今なら、あれがどれだけ馬鹿げた発言だったのかが分かる。たとえ処女だろうと、そしてあのとき乱暴されていたとしても。ベックマンはそんなこと気にしないだろうし、それどころか、その傷も全て愛してくれるだろう。ナマエの知るベックマンはそういう人だ。
それなのに。ナマエは自分を守りたい一心で、ベックマンの気持ちを蔑ろにし、あまつさえ他の女の元へ行くことを許すような発言までしてしまった。いくら理由があろうと、恋人に"他の女を抱け"などと言うのは、侮辱以外のなにものでもない。
もし逆の立場になったらどう感じるか。まったく考えられていなかった。思慮の足りなさにナマエは自分自身にいっそ憐れみすら覚える。
「っ、あのとき、本当に何もなかったんです。乱暴されてもないし、それまでだって、だ、誰ともセックスなんてしてませんっ」
「ああ…分かってるよ」
「だ、けど、私の生まれた場所のこともあるし、お、お頭に拾ってもらったときだって、じょ、状況が、ああだったし…疑われても仕方ないって。だから、それが気になるなら………っ、私のことは気にしないで、……ほ、ほかの人、とって…ッ」
子供のようにしゃくり上げながらなんとか紡いでいた言葉は、また最後まで言うことは叶わなかった。
頬を伝う涙が、重なった唇の間に落ちていく。それをぬるりと舐め取る温かい舌にナマエが小さく肩を跳ねさせると、ベックマンはゆっくりと唇を離し。頬にそっと手を添えようやくナマエの瞳と向き合った。
「…だから、それだけは言うな」
ひどく優しい瞳だった。少し呆れたように眉尻を下げながらも、それ以上に、どうしようもなく愛しいという感情を全て詰め込んだようなシルバーグレーの瞳が、まっすぐにナマエを見つめていた。
「っご、ごめんなさいぃ…」
物分かり良くいなければだとか、気を遣っているだとか。そんなことはもうどうだってよかった。添えられた手に頬を擦り寄せ、ナマエはただ声を上げて泣くことしかできなかった。
「…泣くな。そんなに泣くと干からびちまうぞ」
甘やかすように柔らかく笑うベックマンが、少しかさついた親指でその涙を拭っていく。それでも涙は止まることを知らないようで。むしろ際限など知らないとばかりにますます溢れて出ていた。
ベックマンは「仕方ねぇな」と言いながらもどこか嬉しそうにナマエを抱き寄せると、横抱きに自身の膝の上へと座らせ。眦へ唇を落とす。
「お互い色々と誤解してんのは分かった。一つずつ解決してくぞ」
「ん…はい……」
「まず、さっきも言ったが、お前が処女だろうとなにも面倒じゃねえ。…むしろ貰えるって考えただけでこの有様だ」
そう言うとベックマンはナマエの手を掴み、自身の下半身へと触れさせた。
触れたそこは、布越しでもしっかり勃ち上がっていると分かるくらい存在を主張していて。その硬さと大きさに、ナマエは掴まれた手を強張らせ。大きく目を見開く。
「は、え…、」
「…これで面倒だなんだと思ってんなら、その認識は改めた方がいいな」
くつくつと笑いながら、ベックマンはナマエの掌に屹立を押し付けるようにわざと腰を浮かせた。より一層掌で感じることになった熱に、ナマエの肩がびくりと跳ねる。
大げさな反応に「悪い悪い」とベックマンは思ってもいない謝罪をしながら、押し付けていた腰を下ろし。代わりに掴んでいた手の甲を親指ですりすりと撫でている。話の雰囲気が重たくならないようにとしてくれているのだろうが、どうにも遊ばれているような感覚がして。ナマエはなんとも言えない気持ちになった。
「次に、そもそも処女じゃねえと疑ってるかどうかだが…それはありえねえ。むしろ言ってもらったおかげで、ようやく確信が持てた」
「…確信ってなんですか」
「お前が処女っていう確信」
「な、」
まさかの言葉に、どういうことだとナマエはベックマンを見上げる。まん丸と見開かれた瞳に見上げられた男は、当たり前だろうとばかりに、にやりと口角を上げた。
「普段飄々としてるかと思いきや、キス一つで顔真っ赤にして。ちっと激しく舌絡めてやりゃあすぐに腰砕けになる。しかもその後もどかしそうに身体を震わせてるとくれば…まあ、男なら気付くだろ」
ベックマンのキスや触れ方は、知りもしないセックスをナマエの身体に想像させるには充分なものだった。薄く開いた唇の隙間から滑り込んだ舌が、ナマエの舌を根元から吸い上げる。ぐちぐちと絡まる唾液を飲み込む度、ベックマンは嬉しそうに笑っていた。そうして震える身体を抱き寄せていた手が服の中へと滑り込み、下着を鬱陶しそうに外す。ようやく離れていった舌が今度はあらわになった素肌を滑り、言えないような恥ずかしい場所にも触れて──、
「っ、」
そこまで思い出したところで、ナマエはわずかに疼いた下半身に気付き。顔を真っ赤に染め上げた。
全部、全部バレていた。どうしようもなく先を強請り、もどかしさを感じている身体も心も、全て。
耳やうなじだけでなく、胸元まで染まっていく白い肌は、見下ろしているベックマンからも丸見えだろう。それが余計にナマエの羞恥を煽っていた。
「まだまだあるが、全部聞かせてやろうか?」
「いいです、もう…勘弁して……」
涙はいつの間にか止まっていたというのに。蚊の鳴くような泣き声を絞り出しながら、真っ赤な顔を自身の胸元へ埋め隠すナマエの頭を、ベックマンは「そりゃ残念だ」とあやすように撫でてやる。
完全に揶揄ってるなこの人、と思いつつ。聞けば本当に全てを列挙しかねないので、ナマエはこれ以上追及しないことにした。自分の首を絞めるからだ。
「だからまあ、九割九分処女だとは思ってたが……なんで言われるまで確信を持てなかったかってのは、お前をこの船に乗せたときの年齢的にも、過去に男がいたとしても不思議じゃないくらいだったからってところだな」
「…十八歳ってそんなもんなんですか」
「そんなもんだ。…あとはそもそもとして、野郎五人を一人で片付けちまうような奴が乱暴されたなんて、考えるはずもねぇだろ」
「……」
「…それに、仮に"そうだった"としても、それはお前が罪悪感を感じることじゃねぇ。ナマエっていう人間にはなにも変わりねぇんだからな」
少し怒気を含んだ声で叱るようにそう言いながらも、ナマエのこめかみに触れるベックマンの唇はひどく優しく。ようやく止まりかけていた涙が再び溢れそうになり、ぐずりと鼻をすすった。
「分かったか?」
「…分かりました。ほんとうに、最低なこと言って、ごめんなさい……」
「ああ…で?」
「え…?」
「これで心配事は全部無くなったか?お嬢さん」
ベックマンはナマエの顎に手を滑らせると、くいっと持ち上げ自身の方へと向けさせる。わずかに涙をにじませる美しい青は、もう不安に揺れてはいなかった。
「…無くなりました」
「そりゃ良かった」
「ん、っ」
嬉しそうに笑いながら、ベックマンはナマエに口付ける。小鳥が啄むように、ちゅっ、ちゅ、と可愛らしい音を立てて何度も触れるこそばゆさを受け入れながら、ナマエは「くすぐったい」と破笑する。
「我慢してくれ。ようやく触れられたんだ」
「ふ、んん…、」
添えられていた手が顎から離れ、するすると身体のラインをなぞっていく。そうしてあっという間に背中へと回された腕は、ナマエの身体を軽々持ち上げ、再びベッドの上へと横たえた。
唇を離し、ベックマンはナマエの顔の横に肘をつく。ひとふさ落ちた灰髪がナマエの頬を撫でる。
「…勝手に一人で想像して突っ走るのは、昔からのお前の悪い癖だな」
「……直せるよう努力します」
「そうしてくれ。今回みたいのはもう沢山だ」
こつんと額が触れ、いい子だと褒めるように再び重なる唇を受け入れながら、ナマエはベックマンの首にゆるりと腕を回す。
一層近くなった距離に、ナマエの胸の中にはどうしようもないほどの幸福が広がっていた。
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