赤髪海賊団の一行が上陸したその島は、大きな港を有した観光島でもあった。
港から島の中心地へと一直線に続く大通り。その両脇には服屋に雑貨屋、酒場といった、昔からある店が軒を連ねている。けれどそれだけでなく、ここ最近では有名なお菓子の新店がいくつも出店をしているとかで、訪れる人物の年齢は老若男女問わず様々だ。
くわえて、夏島であるここの現在の季節は冬。夏島の冬は気温がそこまで下がらず長袖一枚あれば比較的過ごしやすい時期ということもあり、地元の住民に加え観光客で町は溢れかえっていた。
ログが貯まるのは約三日。出航は四日目の未明ということで、船番の数名以外は各々自由に過ごすこととなっていた。
「お前、行きてェ所とか、買いたいもんとかあんのか」
海賊船が堂々と港に船を着けるのも如何なものかというシャンクスの判断から、レッド・フォース号は中心地から少し外れた桟橋にその身を落ち着けた。
約一ヶ月ぶりの上陸に、散々待てをしようやく許しがもらえた犬の如く陸へと降りていった船員たちの背中を見送りながら、ナマエとライムも後を追うように町へと続く砂浜を歩いて行く。
「んー、とりあえずは日用品の買い足しと…あとは少し洋服と、化粧品が見たいかな」
女一人ということもあり、皆とは異なるものも必要になってくる。そればかりは自分で選び買わなければならないため上陸の度こまめに買い足していたのだが、今回は一ヶ月以上も船の上だったこともありそのストックが無くなりかけていたのだ。
それを買ってしまえば、あとは趣味のもの。そろそろ買い替えるかと思っていた寝間着に、新聞で見かけて気になっていた化粧品。観光島ということもあり、それ以外にも見たいものや食べたいものは色々もある。久方ぶりの上陸も相まって、町を出歩く想像しただけでナマエの心は浮足立った。ざくざくと踏みしめる砂浜の音さえ妙に心地良い。
「買い足し分は多いのか?」
「そうだね…今回一ヶ月分で少し足りなくなりそうだったから、少し多めに買うかも」
「分かった。他は?」
「他のものは特に。ただ見たいなってだけだし」
「分かった」
聞くや否や、「ん、」と手が差し出される。白い手袋に覆われたそれにナマエは一瞬きょとん、としながらも、すぐにその意図に気付き。頬をほんのり赤く染めた。
「……手、繋ぐの」
「おう」
「ん゙ん…」
「なに唸ってんだ」
「なんでもない…」
当たり前のように差し出された手と当たり前のように返された肯定の意に、ナマエは思わず歩みを止め。気恥ずかしさから妙な声を上げてしまった。
そんなナマエの様子にも、そうさせた張本人であるライムは普段と何ら変わりなく。それどころか「早くしろ」と雑な言葉ながら、再び手を差し出している。
ナマエは少し逡巡し、おずおずとそこに手を重ねる。するとすぐに満足げな「よし」という言葉が聞こえ。強く引かれるまま再び歩み始めた。
わずかに芽生えたむず痒さは、とりあえず久方ぶりに履いたサンダルと、歩きにくい砂浜のせいということに無理やりしておいた。
必要なものをあらかた買い終えた頃。小腹を満たそうと休憩も兼ねて二人がやって来たのは、港からほど近い、けれど大通りからは一本裏に入った場所にある、小さなカフェだった。
そこは老夫婦が二人で営んでいるらしく、大通りに面していない分隠れ家的な場所なのだろう。客もナマエとライム以外には数人しかおらず、みな静かにコーヒーを飲んだり、読書を楽しんだり。静かな時間を満喫しているようだった。
ほんのり甘いアップルソーダに小ぶりのパンケーキを食べながら、ナマエは目の前に座りジンジャーエールを飲むライムを見つめる。
「なに見てんだよ」
「いや…」
なんとも歯切れの悪いナマエに、ライムは訝し気な視線を返す。そんな目をしたいのは私なんですけど、という言葉は吞み込んで。わざとらしく視線を逸らしながら、ナマエは誤魔化すように目の前のパンケーキを頬張った。
あの後、町中を歩く間ずっと、ライムはナマエの手を握ったままだった。緊張のあまり握り返せず強張っていた手を解すように包み込み、時折離れようともすぐに繋ぎ直された大きな手は、どこか知らない人のもののようで。けれど視線で辿れば、そこにいるのは慣れ親しんだライムの姿で。
慣れない温度と力強さ。けれど見慣れた横顔。その矛盾が、余計にナマエの心を落ち着かなくさせた。
「…なんか私の買い物にばっかり突き合わせちゃって、ごめんね。ライム、つまらなかったでしょ」
なにか言わなければこの妙な感覚に耐えられないと感じたナマエは、苦笑い混じりに当たり障りのない言葉を紡いだ。
とはいえこれは一応本心だ。日用品はともかく、洋服や化粧品なんかは完全にライムの範疇の外だ。しかも目的があるわけでもなく、ただ買わずに見るだけという、興味のない人間からしたらつまらないであろうそれにも、ライムは文句ひとつ言わず付いてきてくれた。あまつさえ、「大丈夫だから」というナマエを「うるせぇ」の一言で黙らせると、大きな紙袋数個を軽々肩に掛け、荷物持ちまでしてくれて。
短気なこの男がただ買い物に付き合ってくれたというだけでも驚きだというのに。ナマエに荷物ひとつ持たさず。けれど手はしっかりと繋いだまま、なんて。これまでのライムからは想像できないような優しさだ。
申し訳なさそうに眉尻を下げるナマエに、ライムは「あー…」と照れ隠しのように頭を掻く。
「別に…俺がしたくてやってることだしな」
「でも…」
「いいんだよ。つーか、そんなつまんねぇこと気にすんな」
言いながら、ライムの手がナマエへと伸び。親指と人差し指が少し乱暴に口端に触れる。なに、とナマエが驚く間もなくすぐに離れた指先には、先ほど頬張ったからだろう。パンケーキの欠片らしきものが付いていた。
ああ取ってくれたのか、と。突然触れられたことにわずかに動揺しながらも、お礼をしようとナマエは反射的に口を開く。けれど言葉を発する前に、ライムはその手を自身の口元へと持っていき。躊躇することなく、欠片をぱくりと食べてしまった。
「…え、」
「付いてたぞ」
間抜け面、という柔らかな言葉と共に、サングラスの奥で交わった瞳が、きゅっと細まるのが見え。その瞬間、ナマエの心臓はついに限界を迎えた。
「は、あ、あああぁ……」
「んだその変な声」
「なんだって、あ、あのねえ…っ」
静かな店内だ。大きな声は出せない。喉の奥からは耐えるような、小さな唸り声を絞り出すことしかできず。ナマエは熱くなる頬を感じながら、悔し気にライムを見るしかできなかった。
──この男、ライムジュースとナマエがこうした、いわゆる"恋人"という関係に落ち着いたのは、ほんの二週間ほど前のことだった。
その日は快晴で、先日まで降り続いていた雨など嘘のように綺麗な青空が広がっていた。「いい天気だね」「おー、そうだな」雨の名残をとどめた甲板で二人空を眺めながら、何気ない会話をして。太陽の眩しさにナマエがその瞳を細めたとき、不意にライムが「ナマエ」と、彼女の名を小さく呼んだ。それは声の大きな彼には珍しく。隣にいなければ分からなかったであろう程度には小さなものだった。
空から視線を外し、ナマエは瞬きを数回しながらライムを見やる。吹いた風が美しいプラチナブロンドを揺らす姿に、綺麗だな、と。ナマエはほとんど無意識のうちに思っていた。「なぁに?どうしたの」細めた瞳をふにゃりと下げたナマエに、ライムは一瞬わずかに言葉を呑み込み。けれどすぐに息を吸い込むと、強い瞳で彼女を見つめた。
「好きだ」
風の音にも、波の音にもかき消されることはなく。それは強く、そしてはっきりと、ナマエの鼓膜を揺らした。
こうして二人は晴れて恋人同士となったわけだが、今ナマエの中ではとある予想外のことが起きていた。
ライムの行動すべてに、うまく表現のできない、妙なむず痒さを感じてしまうようになっていた。もっと端的にいえば、そう。恥ずかしいのだ。ライムと"恋人"という、その関係性が。
告白を受け入れておいて今さら何をと言われることは充分理解している。けれどこればかりは、長年共に過ごした弊害と言いたくはないがそれに近いものなのだろう。
かれこれ十年近く仲間として、同じ屋根の下、もとい船の上で過ごしてきた。その間男女の壁もなく言い合いもしたし、それこそ殴り合いの喧嘩になりかけたことだってあった。
そんな相手だからこそ、例えば手を繋ぐだとか、当たり前のように荷物を持ってくれるだとか。ましてや、口端に付いた欠片を取り、それを食べるなど。──お前が好きだと、大切だと。そういう想いがひしひしと伝わってくるような、そんな扱いと対応がどうしても恥ずかしく。素直に受け止めることができないでいるのだ。
とはいえ、決してそれらに不快感を抱いているわけではない。好意を受け取ったのだから、ナマエもライムには家族ではなく、きちんと異性としての想いを持っている。恋人として扱われることは嬉しいし、そうして扱われる度、彼への想いを再認識もしていた。
ただ、やはりそれはそれとして。仲間としての期間が長く、男女の壁無く言い合いもした仲ということもあり、恋人として扱われることに漠然とした違和感のような、むず痒さという名の照れを、同時に感じてしまうのは事実で。二週間という、長くも短くもない期間が経った今でも、ライムの言動と、その度裏腹に迷走する自身の感情に、慣れることができずにいた。
「………」
「んだよ」
「いや…なんでもない。……そろそろ行こう」
「あ、おい」
胡乱げにこちらを見やるライムの視線から逃げるように、ナマエは残りのパンケーキを口へと放り込む。そうして丸ごと飲み込み「ごちそうさま」と手を合わせ机上に一万ベリーを置くと、紙袋をすべて引っ掴み店を後にした。
外に出れば辺りはオレンジに染まっていた。この島の港は西に面している。ゆえに中心地へ続く大通りから振り向けば、水平線の向こうへ沈みゆく美しい夕焼けが一直線に見える。この景色も観光の目玉になっていると、カフェに貼られたポスターにも書いてあったほどだ。
海賊として船に乗っているため夕焼けなど見慣れてはいるが、こうして整備された町を照らす夕焼けも、また違った趣があって美しかった。その景色にナマエは思わず目を細める。靄がかかっていた心が、いくぶんか落ち着いた気がした。
「…宴の時間、そろそろだね」
「…そうだな」
「私たちも帰ろっか。早くしないと、お頭が待ちきれなくてさっさと始めちゃうかも」
一ヶ月ぶりの上陸ということもあり、今夜は船内で宴が予定されていた。こんな大きな町にいて何故どこかの店ではないのかというと、理由は単純。大きな街で大人数の海賊、しかも四皇である赤髪の一団が店を占領したとなっては、その後が大変だろうという配慮からだった。海賊が配慮というのもおかしな話かもしれないが、町が大きい分思想も様々。よく思わない人間もいるということだ。その分ルウが普段より大人数を引き連れ買い出しに出かけ、食べ物と酒を山ほど買って来るらしい。どこだろうと、慣れ親しんだ味で騒いで楽しめるのならそれで充分だ。
昼間は各々自由に過ごし陽が落ちる頃に船へ戻って来いという適当具合ではあるが、この空を見るに時間的にはそろそろだろう。ナマエは荷物を持ち直し、沈みかけの夕陽に向かって歩き出す。
「…待て」
けれどそれを止めるように、ライムがナマエの腕を掴んだ。肩に掛けていた紙袋が腕にずるりと落ちる。
「ライム?」
「……」
ナマエは不思議そうにライムを見上げる。強い夕陽のせいでサングラスの奥の瞳は見えず。それでも何かを迷っているように、こちらを見下ろしていることだけは分かった。
再び名を呼ぶも返答はない。代わりに腕を掴む手にさらに力が込められる。その強さはわずかに骨が軋んでいるような気さえするもので。同時に、砂浜で手を差し出されたときから今に至るまで、随分と力加減をしてくれていたのだということにナマエは今さら気が付いた。
「…なあ、」
「は、はい」
「ふ…なんで敬語なんだよ」
「え、あ、いや…な、なんとなく…?」
「なんだそれ」
それまでのどこか重たい雰囲気がわずかに鳴りを潜め。見慣れた様子で小さく笑うライムに、ナマエの心は少しの平穏を取り戻す。けれどやはり、それ以上言葉を紡ぐことは叶わなかった。
掴まれた腕を引かれ、よろめいたナマエの身体はライムの胸元へと飛び込む。強張る身体を逃がすまいと片腕がナマエの腰に回り、むき出しの胸に耳がぴたりとくっつく。途端、耳元で心臓が早鐘を打つ音が聞こえ。まるで呼応したかのように、ナマエの心臓は再び大きく早く脈打ち始めた。
「…今日、別に戻らなくてもいいだろ」
ほんの少し掠れた、くぐもったような。凄んだときに迫力のある低い声が、今ばかりはわずかに不安を抱え。けれどその奥に、隠しきれない強い熱を孕んでいた。
暮れ合いの空。青と赤が入り混じる鮮やかなグラデーション。それにも負けない美しいプラチナブロンドを風に揺らしながら、目の前の男はただ静かに。けれどはっきりとした強さを持って、そう言った。
カフェからさらに一本、つまりは大通りから二本は裏に入った路地に面した、三階建てのこぢんまりとしたホテル。少し古びているが整備や掃除をきちんとしているらしく、窓の木枠や装飾には一切埃が積もっていなかった。
フロントから鍵を受け取り、三階の部屋へと向かう。その間ライムは始終無言で。それが余計にナマエを混乱させていた。
戻らなくていいだろ、と言われたとき。咄嗟に「どうして」と出そうになった言葉を呑み込んだのは、果たして正解だったのか。ただ、自身の手を掴むライムの手が、手袋越しとは思えないほど熱く。そして、そんな返事は許さないとでも言いたげに強いものだったから、おそらくそれ以上に無粋な言葉は無いということだけは、混乱したナマエの脳内でもなんとなく分かっていたからだろう。
けれど同時に浮かんだ、確実に訪れる"この先"に心構えができたかと聞かれれば、それはまた別の話で。
したいか、したくないか。直球でそう聞かれれば、もちろん答えは前者だ。ナマエにとっての"好き"にはそういう意も含まれている。それを上回るのが、どうしようもないほどの羞恥と戸惑いなだけで。
鍵をがちゃがちゃと乱暴に回す音に、逡巡していたナマエの意識は現実に戻る。慌てて顔を上げ「ライム」と男の名を呼ぼうとした瞬間。掴まれていた腕が強く引かれ、部屋の中へと放り込まれた。
「え、あ、あ…っ!」
少々乱暴な扱いに転ぶことこそしなかったものの驚き戸惑うナマエの耳に、扉を閉める音と、次いで鍵を閉める音が聞こえる。静かな部屋に響いたその音がやけに大きく感じられ、ナマエは小さく肩を跳ねさせた。
部屋はやはり古いもののそれなりに広く、シンプルな丸テーブルとセットの皮張りの椅子が二脚。それと大きめのベッドが二台置かれている。明かりがついていないからだろう。窓から差し込む夕陽がそれらをオレンジに染め上げるその様は、何故だか妙な生々しさを纏っていた。
「ナマエ」
「っ、」
いつの間にか背後に立っていたライムがナマエの肩を掴み、くるりと身体の向きを変えさせる。緊張で力が入っていなかったのか、震えて緩んだナマエの手からは荷物がドサドサッと大きな音を立てて落ちていった。しまった、とナマエはほとんど反射で足元へと視線を向ける。けれどそれを遮るように、ライムの腕がナマエの背と後頭部に回り。そのまま強く引き寄せられ、喰らうように唇が重ねられた。
サングラスはいつの間にか外していたらしく。寸前に見えた淡いヘーゼルカラーの鋭い瞳は、燃えるようにナマエを射抜いていた。
「っ!、ら、らい、んむっ」
抵抗しようにもがっちり拘束されているせいで、ナマエは身動き一つ取れず。そうこうしている間にも重なる唇の隙間からライムの舌が滑り込み、一瞬でナマエのそれと絡み合っていた。
呼吸の間にわずかに紡ぐ制止の声をライムがあえて無視しているのか、それとも本当に届いていないのか。足りなくなる酸素に段々と頭に靄がかかり始めたナマエには、もはや何も分からなかった。
抵抗もできないと察したのか、ライムは後頭部を押さえていた手をするりと滑らせると、ナマエのシャツのボタンに手を掛け。ひとつひとつ、いやに丁寧な手付きで外していく。
「っは、あ、はぁ…ら、いむっ」
ようやく離れた唇からナマエは必死に酸素を取り込む。その間も手は進み、すべてのボタンを外し終えると、今度は細い腰に巻かれたサッシュを解き。そうしてすべてをナマエの身体から取り去っていった。一応気を遣っているのか、それらは床に乱雑に投げられることはなく。近くに置かれた椅子の背もたれに掛けられる。
両手がナマエの肩を掴み、痛いほど抱き締められていた身体が、今度は拍子抜けするほどあっさりと離され。下着だけとなった上半身がライムの眼前へとさらされた。
明かりを点けていないとはいえまだ夕刻だ。外もそれなりに明るさがあり、目の前のものははっきりと見えている。つまりそれはライムの瞳に、ナマエの姿がすべて見えているということで。自覚した途端、ナマエの中に羞恥が湧き上がり。今さらではあるが、せめてもとばかりに慌てて腕で隠そうとする。
けれどその手はあっさりライムに掴まれてしまい。それどころかそのまま強く押され、体重を掛けられたナマエの身体は後ろへと傾き。二人はもつれ合うようにしてベッドへと倒れ込んだ。
天井を背にしたライムの髪がはらりと落ち、ナマエの頬をくすぐった。
「……隠すなよ。見せろ」
一見怒りを含んでいるかのようにも聞こえる声音は、その実どうしようもない熱を孕んでいるのだと気付けるのは、それを向けられたナマエだけだろう。鼓膜を揺らし体内へと入り込むその音は、混乱に揺れている脳を、甘く痺れさせていく。
ライムは片手だけナマエの拘束を解くと、その手をするりと滑らせ。寝転び少し横にこぼれた胸を支えるように、下着の上から優しく触れる。童貞でもあるまいに。男にはないその柔らかさを掌で感じ、ライムはくらりと眩暈を覚える。
わずかに呼吸が荒くなったことを自覚しながら、上半身を守る最後の砦も取り払おうと、ライムはその手をナマエの背へ滑らせる。
「っら、ライム!」
それは、半ば叫ぶように自身の名を呼ぶナマエの声によって止められてしまった。
「……なんだよ」
不貞腐れたような声。我ながら何とも情けないとは思いつつ、その叫びがこれまでとは違い本気のものだと気が付いたライムは、唇を尖らせながらナマエを見やった。
「お願いだからっ、少し待って…!」
けれど余裕がないのはナマエも同じだ。状況があまりに怒涛の勢いで進んでいったことに、未だに脳が追い付いていない。
しかもよりにもよって今日の下着はフロントホックのものだ。ライムは気付いていないようだが、このまま背中に手を回せばすぐに気が付くだろう。外されてしまえば、ストラップから腕を抜くよりもずっと簡単に胸がさらけ出されてしまう。
「…言っとくけど、ここで止めるとか無理だからな」
「そ、それは分かってる、けど…、」
「じゃあなんだよ」
ライムの言う通りもうここまできたら、セックスをする、ということについてはナマエも腹を括っている。とはいえその最中、こうして始終言葉数少なく、そしてこちらの制止も届かないというのはさすがに勘弁してほしいのだ。
なにより、自身ばかりがさらけ出しているこの状態。これが何よりの気がかりだった。なにせライムは服はおろか、手袋さえも着けたままなのだから。
「ぅ、わ、私ばっかり脱ぐのは、その…っ」
このままでは本当にナマエ一人が素っ裸にされかねない。痛み分けというのもおかしな話かもしれないが、脱がせるのならせめてそちらも脱いでくれ。そんな意を込めてそう伝える。
ナマエの言葉に、ライムは「…だったら」と静かに口を開いた。
「脱がせろよ」
「…え?」
「俺の服。お前が脱がせろ」
「ええ…!?」
言いながら、ライムは上体を起こし。同時に掴んでいたナマエの手を引き起き上がらせると、スプリングを弾ませ向かい合って座った。
「無理!無理だって!」
「んでだよ、脱がすだけだろ」
「だ、だけって…!」
羽織っていた二枚の上着と、手袋や帽子もぽいぽいっと脱ぎ捨てながら、ライムは慌てるナマエの手を取り自身の赤いシャツへと手を導く。どうやら本気らしい。
自分で言った手前やりたくないとも言えず、ナマエは震える手をボタンに掛ける。ただ、ライムは元々胸元を大きく開けており、とめているボタンなんて裾近くのほんのニ、三個程度。つまりはあっという間に脱がせることができてしまうのだ。時間がかかるのもそれはそれで困るが。
ライムは相変わらず黙ってナマエを見つめたままで。変に頑固なところがある男だ。ナマエが脱がせるまで手を貸すつもりは一切ないのだろう。
ナマエは震える手をなんとか動かし、ようやく一つ目を外す。けれどそこから先、二つ目以降を外すには、まずライムの腰に巻かれたアンティークグリーンのサッシュを解かなければならず。そのためにはライムの背中に手を回さなければいけないのだが、そうなると身体を寄せて、つまりはこのまま抱き着かなければいけないわけで。下着姿のまま抱き着けば、当たり前だが素肌が触れ合うわけで。そうなれば、体温を直に感じてしまう、わけで。
「む、り…」
手の動きがが止まり情けない言葉が漏れると同時に、ナマエの瞳からは、ぼろっと涙がこぼれ。大粒の雫をライムの太ももへと落とした。
さすがに泣き出すとは思っていなかったのだろう。ライムは顔に一瞬驚愕の色を浮かべた後、「あ゙ー…」とばつが悪そうに頭を掻き。ナマエを挟むように伸ばしていた脚を曲げその身体を引き寄せると、そのまま胡坐をかいた自身の膝の上へ、向かい合わせに抱きかかえた。
「泣くなよ…」
「う…な、泣いてない……」
「泣いてんだろ」
どう見ても涙が落ちているというのに泣いていないと言い張るナマエの涙を拭ってやりながら、さすがにやり過ぎたかとライムはほんの少し罪悪感を覚えた。あくまで少しではあるが。
優しく涙を拭う手の温度と、普段のような雰囲気に戻ったことに安心したのか、ナマエも徐々に落ち着きを取り戻し。鼻声混じりに「いきなりごめん…」と小さく謝罪をする。
「…つーか、なんでンな照れんだよ。俺の裸なんていつも見てんだろ」
「裸は見てない…上だけ……」
「同じだろ」
ライムはナマエの頭を柔く撫でながら、そもそもとして思っていたことを尋ねる。
ライムは赤髪海賊団の中では比較的小柄な部類に入るが、それでも女のナマエより一回りか二回りほど大きく、身長差も頭ひとつ分程度はある。それゆえ並べばナマエの目線はライムの胸元辺りとなるため、大きく開けられたそこは物理的な意味でも見慣れているはずなのだ。
なにより、男所帯の赤髪海賊団。女一人のナマエへの配慮が欠けることもあり、夏島近くの暑い日などは、風呂上がりに上裸で出歩く奴など当たり前のようにいた。ライムもその一人だ。そしてその姿もまた、ナマエは何度だって見ているはずなのだ。
ライムの言葉に、ナマエは一瞬ぐっと言葉を詰まらせ。ほんの少し逡巡した後、「だ、だって…」と小さくこぼす。
「普段は…そういう風に見てない、し……」
確かに、ライムの上半身は見慣れているのかもしれない。けれどそれはあくまで日常の中で話だ。こんな雰囲気の中、二人きりで、ましてやベッドの上でなど。どう考えてもセックス以外にすることがないだろうという状況で見るのは、まったくもって意味合いが違うのだ。
「…へぇ?」
俯いたナマエに、ライムは一瞬呆気に取られたように目を見開き。けれどすぐに怪しく眦を細めると、俯くナマエの頬を片手で掴み、無理やり視線を合わせた。
「じゃあ今は、"そういう風"に見てるってことだな」
この状況を作り出した張本人だというのに、何を今さら当たり前のことを。そう思いつつも、その本人から改めて言われてしまえばやはり羞恥は感じるもので。ナマエの顔が、かっと熱を帯びる。
「だ、…っそれは、これから、するからで…ッ」
「そうだよな。俺らは今から、"そういうこと"、しようとしてんだもんなァ」
これから自分たちは、今までの家族や仲間という関係を捨てる。そしてただの"男と女"として、そこに確かな情欲を滲ませた"恋人同士"として、欲を重ね合う行為をするのだ、と。そう自覚させる、酷くわざとらしい言い方だった。
「ナマエ、お前…あれか。仲間だった俺とセックスすんのが、恥ずかしくてしょうがねェって感じか」
もはやオブラートに包むことはしなくなったらしい。羞恥を煽るような直接的な言葉はライムの意地悪だとは分かりつつ。図星なナマエは唇を噛み締め、真っ赤な顔をさらしながら押し黙るしかできなかった。それがさらにライムを煽るとも知らずに。
今日の、というよりあの告白からずっとナマエは妙な様子だった。ライムの言動に都度何とも言えない顔をし。始終もどかしさのようなものを感じている、そんな風だった。嫌悪や不快感を抱いていないことは長年の付き合いで分かっていたが、どうしてそんな顔や反応をするのか。ライムにはその理由が分からなかったのだ。
けれど今、本人の口から聞きようやく知ることができた。しかもそれは、恋人として甘やかされ大切にされ、そうして愛されることがただ恥ずかしかっただけだという、単純で、馬鹿らしくて。けれど何ともいじらしい理由で。
戸惑い混じりにそんな可愛いことを言われてしまえば、我慢する理由など、ライムにはもう残されていなかった。
「可愛いなァ、お前」
たまらない、といった風に呟かれた言葉に、ナマエの肩がびくりと跳ねる。
頬を掴まれているせいで顔を背けることは叶わない。それでもせめてとばかりに、ナマエは涙で濡れる瞳を必死にライムから逸らした。
「おい、目ェ逸らすな。こっち見ろ」
「む、りだって…、」
「お前、無理ばっかだな」
「だっ、て…ライムの、顔、こわい……」
それは怒られて怖いだとか、その形相に単純な恐怖を抱いているのではなく。例えるなら、そう。まるで獰猛な獣に捕食されてしまう小動物のような、喰われることへの本能的な恐怖にも似ていた。ただ、この場合の喰べるの意はそれとだいぶ違うのだけれど。
ナマエの言わんとしていることを理解したようで。「そうだろうな」と、ライムはさして驚きもせずに呟く。
「アホみてェに興奮してるからな」
言いながら、ライムは下半身を擦り合わせるようにナマエの腰を抱き寄せた。ごり、と音を立てて押し付けられた熱は服越しとは思えぬほど硬く、その存在を主張していて。ナマエの喉から、ひゅっと悲鳴のような息が漏れる。
「だから、こっち向けって」
思わずそちらに視線を向けたナマエを再度窘めると、ライムは親指をナマエの唇に滑らせる。
「お前は?」
「え…?」
「興奮してねぇの?」
いっそ可哀想になるほど顔を真っ赤にしたナマエは、問いかけに困ったように眉根を寄せる。
返ってくるのは戸惑いの言葉か、もしくは否定の言葉か。どちらにしろ混乱している状態では同じだろうと、ライムは返答を待つ。
「っ…わ、わかん、ない…」
震える声で紡がれた言葉は予想通りのものだった。けれどすぐに「…でも、」と続き。ライムは再び問いかける。
「でも…、どうした?」
「しっ、心臓、が、」
「……」
「ばくばくしすぎて、痛い……」
子供か、と普段のように出そうになった揶揄いの言葉を、ライムはぐっと飲み込み。代わりに「あ゙ー…」と低く、唸るような声を吐き出した。それは湧き上がる感情を何とか抑え、それでも思わず漏れてしまった声だった。
「ら、ライム…?」
「んだよお前…俺をどうしてェんだ……」
「え、え…?」
抱き締める腕に力を込めより身体を密着させる。隔てる布さえなければ、たぶんすぐにでも挿れてしまっていただろうくらいには、ライムは興奮を覚えていた。ぴきっ、とこめかみに青筋が立つ。
「っ、や、あ…ッ」
逃げるように軽く背を反らしたなだらかな身体を押さえ付け、ライムはさらけ出される細い喉元に顔を寄せる。音を立て何度も吸い付き痕を残せば、その度ナマエはなまめかしい声を小さく上げていた。
「…続き、していいか」
これ以上はどんな言葉も聞いてやれない。だから正真正銘これで最後だという意味を込めて、ライムは確認のように問いかける。
聞いておきながら、肯定の意以外を聞く気はなかった。そして同時に、ナマエが拒絶する気がないことも、ライムは分かっていた。
肩で息をしているナマエは、ぐぅっと目を細め。小さな海をゆらゆらと滲ませながら、ライムを見やる。
「ら、いむ…」
湿り気を帯びた、甘さを含んだ声。その声が鼓膜に届いたときには、ライムは濡れた唇に噛みついていた。
口内に響く嬌声に未だわずかな戸惑いは混ざれど。それでもどこか嬉しそうに、喉の奥へと流れていった。
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