それは、早朝から駆り出されていた任務の終わり。現場近くの公園でフローターの到着を待っていたときのことだ。

「神々廻さん…これ見て」

 公園横のコンビニで、神々廻が自身のコーヒーを購入するついでに買ってやった(正しくは強請られ買わされた)たい焼きを黙々と食べていた大佛が、ふと思い出したようにそう呟き、スマホを見せてきたのは。

「食べながらスマホ弄るのは止めよな、大佛。行儀悪いで」

 もはや届かぬことは分かり切っているお小言を述べながら、神々廻は差し出されたスマホを見やる。
 映っていたのはナマエの写真だった。──こちらを向いてにこりと微笑むその手元には、薄いグレーの皿に乗せられた色鮮やかなフルーツタルトが置かれている。その横には、アイスティーであろう琥珀色の飲み物と、ロゴの書かれたナプキン。
 女性ばかりの背景から察するに、どうやらカフェで撮った写真のようだ。

「ナマエやん。どしたんこの写真」
「この前お出かけした」

 その写真に、神々廻はそういえばと思い出す。
 ──それはつい一週間ほど前。ナマエと神々廻、互いの任務終わりが丁度重なり、帰りがてら夕飯を食べに行ったときのことだ。
「明後日オフになってん。せっかくやし、どこか行こか」
 ORDERに属する神々廻に決まった休日はない。大抵が前日、酷いときはその日の朝に「今日休んで平気ですよ」と総務から連絡を貰うことでようやく休暇を得ているくらいだ。
 仮に事前に完全オフとなっていたとしても、午後からひっくり返される、なんてことはざら。一般企業なら一発労基案件だが、殺連というブラックではそれがまかり通ってしまうのである。
 そんな多忙な神々廻とは異なり、ナマエのオフはそれなり決まった曜日になっている。明後日はちょうどその日。だから神々廻は、ほとんど重なることのないオフを終日共に過ごそうと、提案したのだが。
「ごめんなさい…その日は、ずっと前から大佛ちゃんカフェに行く約束してて…」
 予想に反し、ナマエの返答は断りのそれだった。
 聞いたところによると、以前から大佛と「次にオフが重なった日に一緒に出掛けよう」と約束をしていたのだという。
 毎回というわけではないが、ORDER内でも人手が必要な任務にバディとして当たることの多い神々廻と大佛は、オフが重なることがままある。今回もそのパターン。明後日の神々廻のオフは、つまり大佛もオフということで。だからようやくその約束を果たそうと、そういうことらしい。
 ──なるほどそうか、ずっと前から、ねえ。
 その返答に、神々廻は顔にこそ出さなかったものの「ほーん…」と吐き出した声は、分かりやすくトーンが落ちていた。
 めったに重ならないオフに、彼氏を放って友達と過ごす。それに一瞬にして不満が生まれたことは否定しない。
 けれど、そもそも神々廻のオフが決まったのは今日の今日で。しかも外出の提案に至っては、今このときなのだ。ふたりが出掛ける約束をしていたのはそれよりずっと前のことなのだから、そちらが優先されるのは当たり前のことで。
 いや、もっといえばそれ以前に。「俺を放っておくのか」と一瞬でも考えた、この束縛思考。我ながらなんて気持ちが悪いのか。恋バナをする上司なんてキツいと思っていたが、今の自分の方がよっぽどキツい自覚がある。
 神々廻はうっかり出かけた感情を呑み込むと、「…じゃあ今回は大佛に譲るわ。その分、今から構ってや」と、申し訳なさそうにしているナマエをそのまま自宅に連れ込み。結果その日の夜はそれなりに濃厚な時間を過ごせたので、まあそれはそれで良かったのだが。
 おかげで翌日の仕事はとてもスピーディーに終わらせることができた。愛の力は偉大だ。

 そんなことをぼんやり思い出しながら、神々廻はコーヒーをひとくちすすり、改めて写真を見る。
 恋人にではなく、友人に見せる顔。これはどう足掻いても神々廻には出せない顔なので。屈託のない笑顔はとてもとても可愛いと、しみじみ思う。

「そういや、一緒にカフェ行くとか言うてたな」
「うん…あと、これも見て」

 言って、大佛は写真を次へと送る。
 今度の写真は服を見ているところのようだった。細身の黒いスカートを手に取り、鏡の前で合わせている姿。

「お買い物にも行ったの。お揃いのスカート買った」
「ほお、そらよかったな」
「これも…あ、」

 そのときを思い出しているのか、大佛は楽しそうに画面を親指で横へ横へとスワイプしていく。
 けれど片手だからか若干やり辛いようで。小気味よく送られていた画面は、ふいにアプリの並ぶホーム画面に戻ってしまう。

「…あ?」

 そのとき、一瞬だけ見えたものに神々廻は思わず声を漏らしていた。

「間違えた…」

 だがそれを確認する間もなく。大佛がたい焼きをぱくりと咥え、スマホを自身の顔の前で持ち直し今度は両手で操作し始めたものだから、それ以上確認することはできなかった。
 食べながらの操作を指摘した直後に、咥えたまま弄るというさらに行儀の悪いことをあっさりやってのける大佛に、もはや「行儀悪いで」という言葉は無意味だろう。神々廻は胸中ため息をつく。

「あった…これ」

 再び目の前にスマホがやってくる。

「近い近い、なんも見えへんて」
「ナマエさんがクレープ食べてるところ」
「なにそれむっちゃ見たいわ。スマホ借りてちゃんと見てもええか?」
「うん。…そのフォルダ、ナマエさんとお出かけした写真フォルダだから、全部見て平気」

 それはむしろ、見ろ、と含むような物言いだった。
 神々廻はスマホを受け取り、フォルダ名を確認する。たしかに「ナマエさんとお出かけ」と書いてあった。
 サムネイルをざっと見ただけでも、映っているのはその名の通りほとんどナマエで。そんなフォルダをわざわざ作ったのかと、大佛らしからぬ行動に驚きとほんの少しの違和感を抱きながらも、神々廻は写真をまた次へと送る。
 ──今度はカフェでなく繁華街らしき場所。先ほどのフルーツタルトとは打って変わり、トッピングの一切ないシンプルなクレープにナマエは満面の笑みを浮かべている。よほど美味しかったのか、次の写真では目を丸くし、またその次では大佛にも食べさせようとカメラにクレープを差し出す姿が映っていた。
 ケーキを食べたから、今度は甘さ控えめにしようとシンプルなものを選んだのだろう。そんな姿が想像できて、神々廻は思わず笑みをこぼしていた。
 他にも、クレーンゲームをしている横顔、公園のベンチでなにやら飲んでいる姿、アクセサリーを選んでいる様子…エトセトラ。映るのはどれも楽しそうな写真や動画ばかり。中にはふたりで自撮りをしているものなんかもあった。
 ナマエと一緒とはいえ大佛がこんなに積極的に写真を撮っていることが、神々廻はかなり驚きだった。普段は写真を撮るどころか、スマホを弄る素振りすらほとんど見せないというのに。よほどナマエと一緒に出掛けられたことが楽しかったのだろう。

「ん、えらい色んなとこ行ったんやな」

 あとでいくつか送ってもらおう。なんて考えながら、神々廻はいつの間にかたい焼きを食べ終えていた大佛に「見してくれてありがとな」とスマホを返す。

「うん…いろんな所に行って、夜ご飯も一緒に食べた」
「そらよかったなァ」
「そのあと、私がナマエさんのお家に行きたいって言ったら、連れてってくれたの」
「はーん」
「そのままお泊まりもして、一緒に寝た」
「そうなんや〜…」

 その言葉に、それまで凪いでいた神々廻の声が、わずかに音を下げた。
 ──神々廻がナマエの恋人となり、早数ヶ月。実は神々廻は未だナマエの自宅を訪れたことがなかった。
 これもオフの取り方と似ているのだが。神々廻は任務で方々へ赴くため、帰宅時間どころか、下手をすれば数日間どのセーフハウスにも帰れないことだってある。
 そんな中でさらにナマエの任務状況と合わせながら逢瀬を重ねるのは中々に難しく。自然と、任務終わりの束の間の時間をどちらかの自宅で過ごすということが多くなり。そうすると、少しでも長く共にいるためには一ヶ所だけのナマエの家に向かうより、いくつか拠点がある神々廻の家の方が選択肢として上がりやすく。結果、過ごす時間のほとんど、どころか今のところすべてが神々廻の自宅となっているのだ。
 とはいえ神々廻とてナマエの自宅に行きたい欲はしっかりとあったし、本人にもそれは伝え「ぜひ来てください」との返事もいただいていた。だからいずれお邪魔させてもらえば、なんて。そんな悠長に構えていたのだが──まさか大佛に先を越されるとは。
 とはいえそんな恋人事情を、大佛が知るはずもない。先ほどの束縛思考同様、完全に八つ当たりのこの感情は我ながら気持ちが悪いので、ぐっと吞み込んでおく。
 いや、今はそんなことより──、

「…なんや大佛、えらいナマエのこと話してくれるなァ」

 いやに饒舌な大佛に、神々廻はほんの少し違和感を覚えた。

「……そうかな?」
「おお。自分がそないに色々話すなんて、珍しいで」

 けれど、そもそも通常時でもなにを考えているのか分からない大佛のことだ。楽しかったことを伝えたいだけ、というのも全然ありえる。現に珍しいと言われて、「そうなんだ…」と初めて気付いたように呟いているのだから。
 買い物に行って、そのまま家に泊まって楽しく女子会なんてものをして。男の神々廻には分からないが、そんな流れは女友達としては普通なのかもしれない。
 そう、普通──そのはずなのに。生まれた少しの違和感は、話すうちもはや無視できないほどに大きくなり。神々廻を、ひどく落ち着かない気分にさせた。

「…………大佛」
「なに?」
「ナマエと過ごすん、楽しかったか?」
「うん」
「そら良かったなあ」
「うん」
「……なあ、いっこ聴いてもええか?」
「うん」
「自分、ナマエのこと好きやろ」

 その問いに、束の間、静寂が訪れる。大佛はまっすぐに前を向いたまま一切表情を変えず。それどころか常となんら変わらぬ様子で「うん」と頷き。そうして、

「好き」

 淡々と呟いた。
 その横顔はとても静謐としていて。様相も相まってか、それは神に永遠の愛を誓うかのようにさえ、神々廻には視えた。

「ほお…そうかい」

 口にして、神々廻もようやく違和感の正体に気が付く。
 これは──同族嫌悪だ。直接的な言葉を使わぬよう何重にも包まれたようでいて、その実、ひどくあからさまな物言い。目の前の人物が、自身の大切な物を奪おうとしていると、本能が告げていたのだ。
 と同時に、神々廻の中にわずかな罪悪感が生まれる。露骨でないとはいえ敵意にも似た感情を、よりにもよって相棒でもある後輩にぶつけてしまったのだから。

「ナマエさんも私のこと、大好きって言ってくれた」
「…そら良かったなァ」

 とはいえそんな後悔の念は、続いた言葉にあっさりと消え失せたが。
 はぁ、と神々廻は小さくため息をつく。──そもそも、ナマエの恋人は自分なのだ。少なくともそれは揺ぎ無い事実なわけで。ならばこの煽りに、ことさら慌てる必要はない。
 落ち着けと自身に言い聞かせ、神々廻は残りのコーヒーを呷る。苦味が喉を通り抜ける感覚が、いくぶんか気分を冷静にしてくれる気がした。

「……でもね、ナマエさんの好きと、私の好きは違う」

 ふいに、大佛がこぼす。打って変わりどこか寂しさを帯びたその声に、神々廻は思わず大佛へと視線を戻す。
 その横顔は、やはりなにを考えているのか、よく分からなかった。

「それにナマエさんは、私よりも神々廻さんの方が……好きなの」

 長い睫毛が白い頬に影を落とす。
 ──なにも分からないと言ったが、さすがにこれは分かる。悲しいのだ、大佛は。おそらく、人生で初めて抱いたであろう感情を、他でもない、教えてくれたそのひとに届けられぬことに。伝え切れぬもどかしさに。

「だから、ちょっと悔しいけど…いまは一緒にいられれば、それでいい」

 そう言って神々廻を見上げた大佛の顔は、やはり寂しそうな、けれどどこか嬉しさを滲ませているようにも視えた。
 ──これも分かる。きっと、ナマエと過ごしたときを思い出している。それが大佛の雰囲気を、やわらかなものにしているのだ。
 感情の起伏が分かりにくい大佛にこんな顔をさせられるナマエに、長年相棒をしている神々廻はいっそ尊敬の念を抱いてしまう。けれどそれは同時に、大佛のナマエへの想いがそれほど強いということの証明に他ならないので。そのナマエの恋人たる神々廻にとって、やや複雑なことは否めないが。
 それにしても、"いまは"、ね。
 一見物分かりの良く見えるその言葉に含まれている真の意味は、「なにかあればすぐにでも奪ってやるからな」といったところか。
 なんという宣戦布告。しおらしいふりをして真正面から宣言するとは。いっそ清々しい。
 これが有象無象の輩であれば放っておくところなのだが。なんだかんだ言いつつナマエも大佛には甘いから、仮に本気で想いを告げられたとしたら──それが恋愛云々の類かどうかは別としても、ほんの少し心が動かされるであろうことは、なんとなく想像できてしまった。
 とはいえそうなったところで、神々廻とてナマエを手放す気など一切ないのだが。

「……あ、」
「あ?」
「でも私、神々廻さんのことも好きだよ」
「…そらどうも」

 肩から力が抜ける。ただの敵意だけなら、こちらも恋人としての余裕を持てたのだが。大佛の純粋なこの思考は、なんというか、敵意だけでない分どうにもやり辛いのだ。
 もう何度目とも分からぬため息とともに、神々廻は空になったコーヒーカップをぐしゃりと握り潰し、公園のゴミ箱へと投げ捨てた。

「……大佛ィ」
「なあに」
「とりあえず、まずはスマホの壁紙変えよか。ナマエにすな」

 先ほど、大佛が写真をさらに見せようとスワイプしていたときの誤操作で、一瞬だけ見えた壁紙。あまりに瞬間的だったことと、まさかという思考であの時はなにも言えなかったが、色々聴いた今ならはっきりと断言できる。──あれは、ナマエの写真だ。しかもカフェへ出かけた日とは、別日に撮ったであろうもの。
 何故分かったのかなんて、当然だ。なにせその写真のナマエが着ていた服、さらに詳しくいうと柄シャツは、神々廻が貸したものだったのだから。
 以前、仕事終わりにナマエが神々廻の家に泊まったとき、彼女の仕事着のスーツを駄目にしてしまったことがあった。駄目といっても破ったとか、決してそういう野蛮なことではない。ただ縺れるようにベッドに雪崩れ込んだ結果、パンツやジャケットはもとより、ワイシャツに至るまで、汗やらなんやら色々な液にまみれにしてしまったというだけ。
 当然仕事終わりのナマエが着替えなんぞを持っているはずもなく。神々廻の自宅に泊まり用にと置いてある服もラフな部屋着のみ、外を出歩くのは少し躊躇われるようなものでばかりで。そのため、車で送るからと神々廻の私服の中からなんとかサイズの合いそうなものを貸すことになり。そこで着せたのが、他でもないそのシャツだったのだ。
 灰青紫の柄シャツ。中々ない色合いに引かれて購入したのにくわえ、オーバーサイズぎみに着ていて可愛かったことまでしっかりと記憶しているから、見間違えるはずもない。
 ちなみにその日はナマエはオフ、神々廻も仕事は夜からということで時間があったため、ついでに少し足を伸ばしてドライブデートをしながら帰ったので、それも相まって余計に覚えていたのだ。

「壁紙見たの…?」
「不可抗力や。ええから、絶対に変え」
「神々廻さん…嫉妬ばっかりすると嫌われるよ」
「やかましい、ナマエはこんなことで人を嫌いになったりせんわ。…あとは、持っとるナマエの写真、今すぐ全部送ってもらおか」
「え、嫌…」

 スマホを守るように胸元で握り締める大佛に、「なんでお前がその態度取れんねん」と神々廻は強く顔を顰めた。




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