「三好さん」
その声に久方ぶりに名を呼ばれ、振り返る。視界にとらえた姿に目を見開けば、彼女はクスリと笑った。
「どうして貴方が…」
「綺麗でしょう?その桜の木」
僕の言葉を無視し、隣に並ぶ彼女は高くそびえ立つ木を見上げた。
この辺りは桜の木が密集しており、この木はその中でも一番のもので。三日ほど前満開になったばかりだから、あと数週間はこの景色が続くだろう。
聞いてもいないのにつらつらと述べるところは、あの頃と変わっていなかった。
「…ええ。ここ最近はずっと寒かったので…」
「そっちは雪降ってましたもんね」
なんで知っているんだ、というのは愚問だろう。もう見る事が出来ないと思っていたその姿が目の前にある。それだけで、ここがどんな場所なのかは、とうに理解していた。
「三好さん」
再び名を呼ばれる。しかし今度は、風が吹けばかき消されてしまいそうなほど小さな声だった。
「何処へ行きますか?」
黒くて、大きな瞳。迷いのないその目には、情けない、一人の人間が映っていた。
「ここなら誰も、何も、邪魔しませんよ」
どういう意味を込めて彼女がその言葉を発したのか。その意味がわからないほど馬鹿ではない。
「そうですね…では、」
小さな手をとり、強く握りしめる。
「貴方の名前を教えてください」
「名前…?」
「ええ。貴方の本当の名前を、呼びたいんです」
「…じゃあ、三好さんの名前も、教えていただけますか?」
「もちろんです」
知らないことばかりで、それでも愛に似たなにかを確かめ合ってたあの頃とは違う。僕らを隔てるものは、なにもない。
「それと、これまでどうやって過ごしてきたのかも」
「…三好さんは欲張りですね」
「スパイとは、相手のことを知ろうとするものですよ」
「もうスパイじゃないでしょう?」
「…そうでしたね」
細く、しなやかな指が絡む。その手はあの頃触れていたものと同じとは思えないぐらい温かくて。彼女がたしかにここにいるということを、証明してくれている。
「でも、そんな事でいいんですか?」
「そんな事がいいんです」
「ずーっと話してたら、日が暮れちゃいますよ」
「構いません」
これからはずっと一緒いられるんでしょう?
僕の言葉に、目を細め屈託なく笑う。ひかりの元照らされた彼女の笑顔は、あの時見ていた何よりも輝いていて。心臓がきゅう、と締め付けられる音がした。
彼女の歩幅に合わせて、ゆっくり歩き出す。さて何から話そうか。考えれば考えるほど様々なことが浮かんできて、迷ってしまうほどだ。ああでも、一番に伝えなければならないことがある。
立ち止まり、彼女の腕を引く。バランスを崩した体は僕の胸へと飛び込んできた。あの頃と同じ、柔らかい香り。
「…三好さん?」
「愛してます」
力の限り抱きしめる。少し迷った後、同じように背中へと腕が回された。
風が吹き、彼女の髪をさらう。隙間から見えた耳が真っ赤に染まっていて。身体の底から込み上げる愛しさに、思わず笑ってしまった。
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