※夢主が機関の関係者ではなく、いちカフェ店員です


 大東亞文化協會からさほど離れていないカフェーに田崎が訪れたきっかけは、神永からの誘いだった。
 「可愛い子が多いんだよ」笑顔でそう言う男に面倒臭さ半分、興味半分といった感じでついていったそこには、たしかに目を引く給仕が沢山いた。欧米人のように目の大きな女性もいれば、典型的な日本人の細目ではあるものの、それが逆に涼しさを生んでいて綺麗という単語が似合うような女性もいた。
 なるほど神永がわざわざ連れて来るわけだ。同じように連れて来られた甘利もそう思ったらしく、どことなく上機嫌だった。

「失礼します」

 凛とした声がして、次いで机上にコーヒーが置かれていく。淹れたては格段に美味いと神永が言っていた通り、鼻を掠める香りはいつも協會で飲んでいるものよりずっと良かった。

「コーヒーが三つになりますね。何か他に注文こざいましたら、お申し付けください」

 ありがとう。お礼を言おうと顔を上げた次の瞬間、田崎の口から出ていたのは、全く違った言葉だった。

「君、名前は?」



 カップを傾け液体を口に含めば、途端に香ばしさが口内に広がる。小さく息を吐き、ちらりと視線を目当てのものへと向けた。白いフリルのついたエプロンを身に纏い厨房とホールを慌ただしく行ったり来たりするその女は、名をナマエといった。
 神永に連れて来られたあの日以来、田崎は週に4日ものペースでカフェーへと足を運んでいた。目当ては言わずもがな、彼女である。神永が可愛い子揃いというだけあり彼女も整った顔をしてはいるが、それでも周囲の女達の方がよっぽど見目は麗しかった。ではなぜ惹かれたのか。詳しいところは正直田崎自身にもわからなかったが、過程や理由はどうであれ結局目を奪われてしまっているのだ。そうなればあとは押すのみだと、持ち前の人当たりの良さでナマエにアプローチをしかけに通っているというわけだ。もちろんコーヒーの旨さもあるが、それは単なる付属品に過ぎない。

「すみません」

 片手を軽く上げれば、気づいたナマエはきょろきょろ周囲を見回し、そして少しの照れくささと困惑を混ぜたような顔で田崎の元へやって来た。
 あの日声をかけてからというもの、田崎の元へ注文を取りに来るのは決まって彼女となっていて。タイミングを見計らい他の給仕が手が離せない状態で呼んでいるというのももちろんあるが、それ以外にもどうやら彼女の給仕仲間数人が協力をしてくれているらしく、田崎の元に必ず彼女が行くようにしてくれていたのだ。
 これ幸いと言わんばかりに田崎は些細なことでナマエを呼び、注文ついでに世間話に見せかけたアプローチを行っていた。

「はい、ご注文でしょうか…?」
「君は、甘いものは好き?」
「え、は、はい」
「じゃあこの店で君の好きなケーキを教えて欲しいな。俺も食べてみたいから」

 歯の浮くような台詞でさえ様になってしまうのが田崎なのである。ここ数日彼からのアプローチを受けていたナマエは途端に顔を赤くしながら、メニューの一つを指差した。
 彼女の頬と同じように赤く染まる苺が乗ったそれは、おそらく田崎一人だったら食べないであろう可愛らしいものだ。

「これが、特に美味しいです。甘いんですが、その…しつこくなくて、」
「ああ、じゃあそれを貰おうかな」

 かしこまりました。緊張を必死に隠そうとしているのがわかるほどの声色でそう返事をするナマエに、田崎は内心ほくそ笑んでいた。
 正直、落とせない自信がなかったわけではなかった。けれど声をかけたその日のうちに夜を共に過ごさなかったのは、今までの女とナマエに対する想いが、田崎の中では決定的に違っていたからだった。今までの彼の女性に対する立ち振る舞いをナマエは知らないとはいえ、初対面でいきなり名前を聞いてくる男を軽いと思わない女はいない。それを田崎はわかっていたからこそ、自身の容姿と性格や話術に自信を持ちつつも今までナマエに決定的な言葉を与えてこなかったのだ。
 出会って間も無くデートに誘ってくる男たちとは違う。そしてその場限りの軽い言葉でもない。毎日とは言わずともこつこつ通い確実にアプローチはしつつも、押しすぎず、かといって無関心を装うわけでもない。そんな駆け引きが、田崎にとっては確信的に、ナマエにとっては無意識のうちに行われていたのだ。こんな姿、仲間に見られたら確実に必死すぎだと笑われてしまうだろうと田崎自身苦笑してしまうほどだった。
 そしてそんな地道な努力の甲斐もあり、最初はほんの少しのときめきを感じつつも警戒心を解かなかったナマエもすっかり田崎に心惹かれているのは、誰が見ても一目瞭然だった。
 ──ようやくだ。ナマエが去ろうとするタイミングを見計らい、置いていたマッチの箱を肘で彼女の足元へ落とす。うっかりやってしまったように声を漏らすことも忘れずに。

「おっと、」
「あ、」

 機関生にとってはわざとらしく見えたであろうその仕草も、一般人である彼女にはわからない。疑う事なく拾い上げると、膝を折ったままそれを田崎へと差し出す。

「ごめんね。ありがとう」

 受け取りつつ、離れようとするその小さな手を引き止めるように握れば、彼女は途端に体を固くした。
 今にも泣き出しそうな瞳で見つめられ、田崎は生まれたほんの少しの加虐心をなんとか飲み込み、代わりに用意していた言葉を吐き出す。

「あ、の、」
「ね、そろそろ俺のこと…本気で考えて欲しいな」

 ほんの少し生まれてしまった緊張感を誤魔化すように、ナマエの爪先に小さく唇を落とす。驚きで目を見開き声を発することもせずぱくぱくとただ口を動かす姿は、まるで金魚のようだと田崎は思わず笑ってしまった。
 確信があっても言葉が欲しいと思うのは、人間として仕方のないことだと思う。
 今度こそ困惑は消え、代わりに期待に満ちた黒い瞳が田崎を見つめている。そして決心したらしく、一度閉じられ再び開く唇から発せられる言葉を、田崎は玩具を買ってもらう子供のように心待ちにしている自分に気づき、たまにはこんなのも悪くはないと、そう思ったのだった。


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