明日のデートは俺の家にしよう。今日も今日とて激務を終え、久しぶりの二人揃ってのお休みにどこかへ出掛けようと提案すれば、隣を歩く田崎さんはそう返してきた。
付き合って三ヶ月。私の家に呼んだ事は数回あるけれど、彼の家にお呼ばれされるのは初めてで。嬉しいやら緊張やらで固まってしまった私に、何もしないよと彼は笑った。そんなのじゃありません言いながらも期待しつつ来た家は、彼らしく物の少ないシンプルな部屋だった。
「おじゃましまーす…」
「いらっしゃい」
おそらく私のために用意してくれたのであろう、確実に彼の趣味ではないピンクのスリッパに足を入れる。真新しいそれはほんの少し固いけれど、ふわふわとしたファーのおかげであまり気にならなくなった。ていうか、田崎さんがこんな可愛いファーのスリッパを買っていたということに驚いた。ありがたいけど。
「適当に座っててくれていいから」
「あ、はい」
私のワンルームより広いリビングへと通され、中央に置かれたソファへ座らされる。ゆっくりと体が沈む感覚に、これまたお高いものだと察してしまう。革張りなのに肌触りはいいし、田崎さん一人暮らしなのに私が余裕で四人は座れそうなぐらい大きいし。なんだかもう、隣に置かれているクッションでさえいい物に見えてきた。
台所へ立つ田崎さんをちらりと見る。棚から出てくるその茶葉も、遠目だけれど英語が書いてあった。そういえばイギリスに留学してたとか言ってたっけ。
真正面へ視線を戻す。家のテレビより数倍大きなテレビに、間抜けな顔をした私が映っている。そしてそのテレビが置かれた棚は壁と一体となっていて、彼の趣味であろうDVDや書籍が多数置かれている。すごい、おしゃれだ。そういえば廊下にも扉がいくつかあった。ここがリビングだとすればおそらくは寝室と…趣味の部屋、とかだろう。それか片付いた部屋を見る限り物置かな。リビングがこんなおしゃれなのだから、きっとそのどちらもおしゃれなのだろう。別に何でもかんで探りたい訳ではないけれど、こんなモデルルームみたいな所、ちらっとでもいいから見てみたい。何より広いから、ちょっと歩いてみたい、なんて。
子供みたいな好奇心が私の視線をさまよわせる。そわそわ、落ち着かない。
「好きに見てきていいよ」
「え、」
「見てみたいんだろ、ずっとそわそわしてる」
ばれてた事に恥ずかしさを感じつつも、せっかく許可が出たのだ。お言葉に甘えてここは少し探検をして来ようではないか。
じゃあ少しだけと立ち上がり、手土産のケーキを箱から出す彼の横を通り廊下へ出れば、四つ扉があった。向かって右手二つは洗面所とお手洗い。よく見たら看板が掛かっている。続いて向かって左。手前の扉は寝室で、黒いシーツに包まれたベッドと、傍に置かれた小さな棚、そしてここにも本棚があった。本当に寝るだけといった感じの部屋だ。なんとも田崎さんらしい。そして最後の扉。おそらく物置だろうと開けてみれば、そこには驚きの光景が広がっていた。
一瞬、ここは人が住んでいるのかと疑ってしまいそうなぐらい殺風景、いや、生活する上で必要であろうものが何一つ置かれていなかったのだ。かといって放置されていたわけでもないようで、埃っぽいこともない。なんなら先ほど掃除しましたというぐらい綺麗な部屋だった。
「気が済んだ?」
不意に、耳元でした声に肩が跳ねる。するりとお腹へ回された腕と感じる体温に、いつの間に背後にいたのかと驚いてしまう。
「び、っくりしました…」
「ナマエの部屋って、これぐらいの広さだったよな?」
「え、まあ、そうですね…」
あいにく私の部屋はワンルームなのでこんなに殺風景とはいかず、物があふれている状態だ。けれどそれにしたってこの部屋は少しおかしい気がする。自分の家に全く何もない部屋があるなんて、よっぽどのことがない限り普通は違和感を覚えて何かしら置いたりしようとするものなのだけれど。
「…ここ、何の部屋なんですか?」
まさか隠し部屋になっていて、床板の下には監禁部屋が…と冗談と本気が半分ぐらいの割合で頭の中を駆け巡る。田崎さんに限ってまさかと思ったけれど、人間どんな趣味を持っているかなんてわからないし。そのまさかもあり得るかもしれない。いやでもここマンションだし、さすがにそれは無い…はず。おそるおそる尋ねてみれば、彼はにっこりと笑った。
「ナマエの部屋だよ」
ピンポーン。まるで見計らったかのようなタイミングでチャイムが鳴り、大東亞引っ越しセンターですという男性の淡々とした声がインターホン越しに室内へ響いた。田崎さんがどうぞと声をかけ開錠すれば、深く帽子をかぶった作業着の人々が部屋へと入ってくる。
「え、」
「ご苦労様です。全部この部屋に運んじゃってください。ナマエ、そこにいると邪魔だからこっち」
「は、え、」
その一言を皮切りに次々と室内へ入ってくるのは、一人用の小さな机に、ベージュのカラーボックス。丁寧に梱包された衣類に鏡台。それらはたしかに、今朝まで私が使っていたもので。
ぽかんと立ち尽くしている合間にも、殺風景だった部屋にはどんどんと物が運び込まれていく。
わずか数分後。殺風景だったそこには、広さは少し違えど今朝までたしかに違う場所にあったはずの自室が広がっていた。
「……………」
「ナマエ、紅茶飲まないのか?冷めるぞ」
「…いやいやいや!」
何を淡々と当たり前のように会話をしようとしているんだこの人は。驚きのあまりソファに座ったまま呆然と一部始終を見ていたけど、どう考えてもおかしい。徐々に冷静になってきた頭が早く理由を聞けと急かしてくる。
「ど、どういう事ですかこれ!」
「ナマエが家を出てすぐ荷造りをしてもらってそのまま運んでもらったんだ。あ、荷造りは全部女性社員の方に頼んだから、心配はいらないよ」
違う、そうではない。私が聞きたいのはそういう事ではなくて。何故こんな事をしたのかという理由だ。そう聞かれるのは分かっているくせにわざと気づいてないふりをする辺り、田崎さんもこの行為に若干の後ろめたさを感じているということだろうか。いや、というか、感じてもらわないと困る。
「ナマエが着く頃に運んでもらうようにしたんだ。前にも世話になった業者だったんだけど、仕事の早さはさすがだな」
「ど、どうしてこんな事…」
「だってナマエ、何度言っても了承してくれないから」
だってじゃない!そんな気持ちを込めて彼を見るけれど、気づいていない素知らぬふりで紅茶を飲む田崎さんの顔は清々しい。
彼の言う了承とは一体何の事なのかというと、実は付き合って二ヶ月経った頃、つまりは約一ヶ月ほど前なわけだが、その頃から「一緒に暮らさないか」という誘いを受けていたのだ。初めに言われた時はそれに素直に嬉しさを感じていたものの、よくよく考えてみると私は田崎さんの家に行ったことがなく、ましてや彼がどこに住んでおりどんな生活をしているのかさえ詳しく知らない状況だった。そんな状態で同棲なんて無理です、と最もな理由を告げれば、田崎さんは「じゃあ家おいで。いつでもいいから」と何かに納得したような提案をしてきた。
また突拍子もないなと思いつつ、じゃあ次予定が合う時にという社会人特有の有耶無耶な約束をし、それが実現したのが今日というわけだ。
つまり了承とは、私が田崎さんと暮らす事への同意だ。私としては、もしすぐに同棲なんてして、お前とは生活が合わないとかこんなガサツだと思わなかったとか言われて捨てられる事にだけはなりたくなかったからこそ、もう少しお互いの生活を知ってからにしようと提案をしたのだ。何より、田崎さんと四六時中一緒とか、心臓がもたない。
とにかく、そういった諸々の理由を込めての提案だったのだが。どうやら彼は、家に来させるからもう良いだろう、という考えになっていたらしい。すごい、とんでもない思考だ。
「だからって一言も無しに…」
「…ナマエはさ、俺と暮らすの、嫌?」
ぐいっとこちらへ身を乗り出し、まるで子供のような瞳で見つめられる。田崎さんは、その瞳に私が弱いということを知っていてこういう事をしてくるからタチが悪い。そしてそれに毎度引っかかってしまう私も私だ。
「い、嫌なわけじゃない、ですけど…」
「けど?」
田崎さんは首をかしげると同時に更に距離を詰め、私との隙間を無くしてくる。そしてそれから逃げようとすると、さらに詰められる。
じりじりと精神的にも肉体的にも追い詰められ、とうとうソファの端まで来てしまった。逃げるように隣にいた鳩のぬいぐるみを抱きしめ自分の顔を隠す。
「し、」
「し?」
「心臓が、もたないん、です……」
言ってしまった。でもこの雰囲気では逃げられそうになかったし、仕方ない。もうこうなったら腹を括って、思っていたことすべてぶちまけようではないか。
「あ、憧れの田崎さんと付き合ってるってだけでも、心臓がはちきれそうなのに、なのに!いっ、一緒に暮らす、とか、そんな事…」
できるわけないじゃないですか。さっきまでの威勢はどこへやら。恥ずかしくて尻すぼみとなってしまったけれど、田崎さんの耳にはきっちり入っていただろう。だって、すごく驚いた顔をしてたし。
恥ずかしさのあまり、鳩が形を変えてしまうぐらい手に力を込める。ごめん鳩。でも私も余裕がないの。
「ナマエ」
田崎さんの手が鳩を退かそうと重なってくるけれど、必死に抵抗をする。無理、今顔見られたら死ぬ。
「ナマエ、こっち向いて」
もう一度、今度は少し言い聞かせるような口調で呼ばれる。ゆっくりと顔を上げれば、待ってましたと言わんばかりに唇が重ねられた。可愛らしい音を立ててすぐに離れると、その胸元へ抱き寄せられる。はあ、と田崎さんが息を吐いたのが聞こえた。
「可愛いな、ナマエは。本当に可愛い」
「な、ど、どうしたんですかいきなり…」
「…ますます手放せなくなった」
間に挟まっていた鳩をぽいっと投げ捨てられ、もう詰められないというぐらい身体が密着する。行き場をなくした手をどこへ置いていいのかわからず右往左往していると、田崎さんは楽しそうに笑い「背中」と一言だけ呟いた。言われるまま背中へと腕を回せば、私を抱く田崎さんの手にも力が込められる。
「俺だって、ナマエと暮らすなんて、考えただけで嬉しさと恥ずかしさで今にも押しつぶされそうだよ。でもそれ以上に、ずっと一緒にいたと思ったんだ」
「…田崎さんでも照れることがあるんですか」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
そういう台詞を恥ずかしげもなく言ってしまうくせに、一緒に暮らすのは恥ずかしいとか、田崎さんの恥ずかしさのポイントがよく分からない。
ああでも、私ばかり一生懸命で、私ばかり田崎さんを好きなのだと思っていた。それがこんな形で打ち砕かれて、あげくこんなに大切に思われてるなんて知ったら、もう何も言えなくなっちゃうじゃないですか。
勝手に人の家のもの運び出したのは、まあ、ちょっと警察という職業的にもどうかと思うけど…ん?そういえば、
「あの、田崎さん」
「ん?」
「部屋の家具、ベッドだけ無かったんですけど…」
「ああ、処分したからな」
「え、」
「俺のベッドがあるし、必要ないだろ?」
「か、買いに行くのは…」
「断る」
なんという傍若無人。どこかの見目麗しい先輩のような言動にまさか田崎さんがと驚きつつも、思い返してみればば彼の傍若無人っぷりは少しづつだが発揮されていた気がする。同棲の話をされた時だって、せめて一度家にお邪魔してからと提案すれば、じゃあすぐに来ればいいとか言い出してたし、一度来たからもう同棲してもいいという随分と歪んだ解釈をしていたし、終いには人の部屋のもの勝手に移動させてるし…。あれ、これ私、結構まずい人と付き合ってるんじゃ…?
「ナマエ」
「は、はい!」
「買い物行こう。準備して」
「う、え、か、買い物、ですか?」
「晩ご飯の買い物。一緒に作りたいし」
言うや否や立ち上がり、私の腕を引いて玄関へと突き進む。棚に置かれていた鍵を乱暴にポケットに突っ込み、二人分のコートを掴んで外に出た。一連の流れがあまりに早い動作で行われるものだから、慌てて静止の声をかけようとしたけれど、不意に見えた田崎さんの顔があまりにも嬉しそうだったから、出てくるはずの言葉は喉の奥へと消えてしまった。
…とりあえず買い出しをして、私がいるだけでこんなに喜んでくれているこの人のために、何か美味しいものを作ってからこの先のことを考えるのでも遅くはないのかも。なんて思ってしまうのは、結局のところこの傍若無人っぷりを許せてしまうぐらい、私も彼のことが好きで仕方ないということなのだろう。
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