朝焼けに染まる教室で、ナマエはかじかむ手を温めるように息を吐いた。ここ最近めっきり寒くなり、特に朝方の協會内は古さも相まって温度がとても下がる。吸い込む息さえその冷たさに喉が悲鳴をあげるぐらいだ。
 そんな協會内の各部屋を、全員が起き出し行動を始めるまでに暖めておくのが冬のナマエの仕事であり日課でもあった。加えて軽くではあるものの建物内の掃除もしているため、時間はいくらあっても足りず。冬になるとナマエはまだ辺りが薄暗い時間帯に起床するのが当たり前だった。
 全開にしていた窓を閉め隅に置かれたヒーターのスイッチを入れる。少しして壊れたような音を立てて動き出したそれが機能したと感じるのは、あと三十分は後になるだろう。古いせいで全体が温まるまでに時間がかかるためだ。
 一息つき腕にした時計を見れば、針は五の辺りを指していた。あと一時間ほどで全員が起き出す。もうゴミをまとめれば終わりとあって、最後だとばかりに気合を入れ塵取りと共にしゃがんだその時、食堂の扉が静かに開く音がした。
 こんな時間に誰だと顔を上げれば、そこには早朝にもかかわらず普段のようにスーツを着こなし寒さなど感じさせない様子の田崎がいた。
 冬場は寒さもあってか全員外出の回数が夏場より減り、なおかつ起床時間がやや遅くなる。つい先日がちょうどその日だったらしく、日付が変わる頃には床に着いていたことは知っていた。しかしそれを踏まえてもこんなに朝早く起きてくるのは珍しく。「お早いですね」というナマエの言葉に田崎は返事をする。

「今日は早く目が覚めたんだ。音が聞こえたから、もう起きてるのかと思って」
「そうだったんですね…あ、おはようございます」
「ああ、おはよう」

 見上げたまま挨拶をするナマエの横を通り過ぎ水場へと向かい、昨晩福本が洗い伏せておいたグラスに水を注ぐ。乾いた喉を通り全身に広がる冷水は気合いを入れるのにちょうど良い。
 ナマエに聞こえぬよう田崎は息を吐き、しゃがみ込むその背中へと視線を向けた。普段は女性にしては背の高めな彼女だが、しゃがみ込むとその華奢さが浮き彫りになる。それこそ、本当に触れたら壊れてしまいそうだと感じるくらいには。

「…ナマエ、代わるよ」

 せっせと塵を集める姿は動物のようで可愛らしい。思わず緩む頬に田崎は本来の目的を忘れそうになるが、そんなことを思いながら、田崎は此処へ来た本来の目的を果たすため口を開く。

「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、もうすぐ終わるので」

 間髪入れずに断りの返事をするナマエに、予想通りだと言わんばかりにその手から箒と塵取りを取り上げた。すぐさま驚いた様子で自身を見上げたナマエに、これまた予想通りだと田崎は微笑む。

「手が冷たい。それじゃかじかんで上手くいかないだろうから、温かい紅茶でも飲んでてくれ」
「でも…」
「残りは俺がやるから、代わりに俺の分の紅茶も淹れくれないか。そうしたら、全員起きてくるまで二人でゆっくりできるだろ?」

 その言葉にナマエは田崎のこれまでの行動の意味を全て理解したらしく。どこか申し訳なささは残っているものの、「…分かりました」と炊事場へと向かう。ようやく自身の考え通りにことが進んだと、逆に田崎は満足げに掃除を始めた。

「…田崎さんって、少し押しが強いところがありますよね」

 戸棚から紅茶の瓶を取り出しながらどこか悔しげにぽつりと呟くナマエに、当の本人は一瞬きょとんとするものの、すぐにどこか申し訳なさげに眉を下げてみせる。

「そうかな…嫌だった?」
「……そういうところです」
「はは、バレてたか」

 人畜無害、さわやかな青年のフリをしてその実やや強引で。しかもそれがおそらく自身に関することのみにときたら、さすがのナマエも言葉をつぐんでしまう。
 何よりこうした行為が馬鹿にされているとひねくれて捉えるほど、ナマエの根性は曲がっていないからだ。

「じゃあ強引ついでに、今日の夜一緒に街へ出ないか?」
「…嫌だって言ったら?」
「ナマエはそんなこと言わないよ」

 わかっていると言わんばかりの口ぶりでさえ強引だというのに、あっさりと本心を見透かされてしまえばもう為すすべはない。しかたないですね、とほんの少しの反抗を混ぜたため息を吐き出せば、それが答えだと理解した田崎は至極楽しげに微笑む。

「じゃあ講義が終わったら執務室まで迎えに行くから。なに食べたいか考えておいて」

 湯気の立ち込めるカップの中に砂糖を一つ、静かに入れナマエへと差し出す。じわじわと形を崩して行くその様が、まるでその熱に抗えずこの状況を享受している自身のようだと、ナマエはなんともいえぬ気持ちになる。考えすぎと言われればそれまでではあるが、一度生まれた感覚とはなかなか拭えないものだ。
 遠慮することなく自身を貫くその瞳から逃げるように視線を落とし、すっかり砂糖のいなくなったカップへと触れる。冷えていたはずの指先がじんわりと痺れた気がした。


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