あれは鮮やかな青が眩しい、よく晴れた日のことだった。
 昼間から豪勢なシャンデリアに照らされた室内には、どっぷりとした体型の男たちと、年甲斐もなく派手に着飾った女たちが何十人と溢れかえっていた。皆片手にワイングラスを持ち、わかりもしない酒の味を上等だと褒めている。
 付き合いだなんだと両親に出席を強いられたパーティーは、時間の無駄という言葉以外当てはまらないほど退屈なものだった。耳に入るのは薄っぺらい内容の会話。金の話か、なにも理解していない政治の話ばかりで。先の大戦で利益を得たばかりの成金どものする身のない会話など右から左。頭に入れることすら不快に感じた。それを部屋の隅に置かれたソファから冷めた目で見つめながら、男はあざ笑うようにため息をつく。
 男はとある華族の生まれであった。さらに幼い頃からの聡明さに加え、日本人らしい端正な顔立ち。どこか達観した物言いがパーティーの場では女性の目を集める的となっているらしく、ここ最近はそれがさらに面倒を倍増させる要因となっていた。顔を覚えるのすら億劫な家からは、ぜひ娘と結婚をと馬鹿の一つ覚えのように連日持ちかけられている。頼んでもいないのに娘をパーティーに連れて顔合わせだというのだから、頭が痛い。
 舌打ちしたい気持ちを抑えるように、男はグラスに残ったワインを一気に飲み干した。

「お隣、よろしいですか?」

 そんな時だった。いつの間に隣に来たのだろう、響いたソプラノは騒がしさの中すんなりと脳内へ入り込んできて。驚いて顔を上げれば、煩わしいほどの色の中、汚れなど知らないような白いドレスと、同じく白く華奢な肢体が目に飛び込んでくる。華やかなドレスを見にまとったご婦人ばかりのこのパーティではいささか地味な印象さえ覚えた。
 しかし流れるように視線を上げた先。薄い灰色と目が合った瞬間、そんな考えは全て吹き飛んでしまった。

「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」

 白い肌、心地よい音を紡ぎ出す真っ赤な唇。首は細く覗く肩も薄い。しかしそのどれもが女性らしい柔らかさを感じさせ、男の目を釘付けにした。
 動揺を悟られぬよう男が浮かべた柔らかな笑みに、女も小さく微笑み返しソファへと腰掛ける。ふわり、不思議と不快でない甘い香りが鼻をくすぐる。なるほど見た目だけではなく、まとう雰囲気や仕草にも気を使っているらしい。女の所作は思わず感嘆の息を漏らしそうになるほど美しかった。

「ずいぶんと退屈そうですね」

 顔には出さないようにしていたはずだった。男はもともと自身の感情を悟られないよう振る舞うことが得意で、特にパーティーに関しては機嫌を損ねては面倒だと常に笑顔を貼り付けるよう意識していた。
 そしてそれは生みの親ですら気づいたことがなく完璧と言っても遜色ない程のものであった、はずなのに。どうしたことか、女はそれをあっさりと見抜いて見せたのだ。

「…どういうことでしょうか」
「ああ、私の勘違いでしたらごめんなさい。なんとなくそう見えたものでして」

 男は動揺を隠せず目を見開いてしまう。それを不快と感じたように見えたのか、慌てた様子で女は謝る。
 その様子に男はどこか違和感を覚えた。なぜかと聞かれてしまうとわからない。だが違和感は確かに生まれていて、それが男の行動を妙に後押ししてくる。

「…お名前は?」

 咄嗟に口をついて出た言葉に内心驚いていた。今までならば、少しでも踏み込んでこようとする無遠慮な人間にはさりげなく一線を引いていたというのに。
 自身の変化に気づいた人間はこれが初めてだった。未知との遭遇に、男は心にわずかなざわめきを覚える。
 もしかしたら、この女は自分を変えるなにかがあるのかもしれない。それは恐怖ではなく、期待と興奮。全身が、この女を探れと、男の感情をまくし立てていた。

「ああ、申し遅れました。私は──」

 艶を含んだ赤が、ぱくりと裂けた。



「すごく似合っていたのにな」

 咥えていた煙草を灰皿へ押し付けながら、田崎は誰に向けるでもなくそう呟いた。情事後特有の艶を含んだ空気の中不意に呟かれた言葉に、隣で寝転んでいたナマエは不思議そうに顔を上げる。

「なにがですか?」
「白」
「しろ…」
「白色が」
「…ああ」

 洋服のことかと納得したように再び枕へ顔を埋める姿に、誰のことですかなどと聞かない、予想通りの薄い反応だと田崎は内心苦笑する。
 窓から溢れる月明かりしかない薄暗い中でも見える肌は、乱されたシーツのように柔らかで、しっとりと手に吸い付く。剥き出しの肩から腕を指の背でなぞれば、くすぐったいですと薄い灰色が楽しげに細まる。

「ナマエは着ないのか?」
「白い服ですか?」
「そう」
「うーん」
「ナマエは似合うと思うよ、真っ白な服」

 自信満々に断言する田崎に妙な感覚になりつつも褒められたことには変わりないと、ナマエは小さく「ありがとうございます」と呟く。

「…でも、真っ白な服ってなんでしょう」

 普段からスーツばかり着ているからか、ナマエは少しばかりそういったことにはどこか無頓着だった。もちろん任務ともなれば田崎ら同様膨大な知識の中からその場に合った物を選択できるのであろう。しかしそれ以外となると彼女はどこか気の抜けた性格になる。それもカバーなのかもしれないが、逆にナマエという人間の本来の姿にも見えた。
 うーん、と首をかしながら、投げ出した足をぱたぱたと動かす。最近見つけた、寝転がり考え事をしている時のナマエの癖だった。

「そうだな…ワンピースとか、ドレスとか」

 ぴくりと、かすかに動いた指先を見逃すはずもなく。田崎は嬉しそうに続ける。

「似合ってたよ、すごく」

 先程と同じ言葉は、今度は確信を突いたようで。一瞬驚いた後、してやられたとなんとも言えぬ表情をするナマエとは対照的に、これが見たかったのだと田崎は満足そうな笑みを浮かべた。

「また着てほしいな」
「…もうありませんよ」
「それは残念。じゃあ他の物を用意しないとな」

 黒いスーツ、黒いヒール。あまり交わらない瞳は、薄くて、けれど吸い込まれそうな美しい灰色。なるほど全てが真っ黒な孤独によく馴染む、魔王の傍らにいるにはぴったりだとそう思っていた。
 けれど本当は真っ白な服が似合う子だった。眩暈がしそうなほどの青空の下、滑らかな肢体をその白に隠しながらも、光に透けたラインがどこか消えてしまいそうな感覚さえ覚えさせる。
一目見た時からもう、虜になっていたのだ。
 我ながら馬鹿げた考えだと田崎は思う。けれどそれは紛れもない事実であって。それに抗い否定すればするほど、人というものは深みに堕ちていってしまう。
 ならばそれを承知の上で受け入れ、そこからどう動くかこそが化け物にとっては重要なのだ。

「海外のものなら、結婚式のドレスは真っ白だからな。きっとナマエにはよく似合う」

 突然の言葉に心底驚いたといった顔をする。今度は誤魔化すような素振りなど見せず、代わりに枕へと顔を埋めてしまった。

「…期待せずに待ってます」

 ぽつりと聞こえた、どこか嬉しそうな声。闇に吸い込まれず届いたその言葉に、田崎は「そうしてくれ」と柔らかくナマエの頭を撫でた。


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