鍵の開く音に、テレビへと向けられていた意識は一気にそちらへ移る。バラエティの騒がしい声を切り急ぎ足で玄関へ向かえば、近所のスーパーの袋を持った福本さんがいた。飛び出しているネギがきっちり着たスーツと合わなくて、少し笑ってしまう。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「今日は帰ってくるの早かったですね」
「朝少し早めに行ったからな」
袋を受け取り寝室へ消える背中を見送る。その間に大きな冷蔵庫を開け食材をそれぞれの場所へと入れていく。挽き肉にバラ肉、ネギ、キャベツ、人参とじゃがいも。男の一人暮らしって聞くとコンビニ弁当とかカップ麺が多いイメージだったけれど、福本さんは仕込みからなにから全て自分で行う。仕事終わりの家事はとても面倒だと以前母が言っていたから、どんなに遅くなってもできる限りきちんとした料理を作る彼の姿は純粋にすごいなと思う。私だったら絶対に無理だ。しかもその全てがとても美味しいのだから、いよいよ彼にできないことはないのではないかと思ってしまう。
最後にビールを数本入れたところで、いつもの割烹着を着た福本さんが台所に立っていた。今日の献立はなんだろうかと近寄れば、やんわりと頭を撫でられた。
「ナマエ」
「はい」
「俺の鞄、開けてみろ」
撫でていた手が指差すのは、いつも彼が仕事用として使っている黒い鞄。大切な書類が入っているからと普段はあまり触らせてもらえないのだけれど、どうやら今日はいいらしい。
言われた通り開けば、本やペンケースに混じって、鍵のついた小さな木箱が入っていた。いつもはないそれを持ち上げてみれば、中に何か入っているらしくほんの少し重みがあった。
誰かにプレゼントだろうか。けれど私に見ろと言ってきたということは、私へのもの、という解釈をしてもいいのか。迷っていると、いつの間にいたのか隣に座った福本さんが私の手からそれを取り、付属の鍵を錠にはめゆっくりと蓋を開いた。
中から出てきたのは、小さな黒猫の人形と数個の飴玉。掌に乗るサイズの黒猫は、瞳が宝石のように金色に輝く美人顔だった。ぴんと張った髭が可愛らしい。
「猫、好きだっただろう」
そういえば、ここに来る前に家の近くに住み着いていた黒猫に時折餌をやっていたことがあった。野良のわりにとても人懐っこい子だったからよく覚えている。
それを彼に言ったことはなかったはずなのだけれど、何故知っているのか。
そこまで考えて思い至る。初めて会った時から私のこと全てを知っていた人だ。きっとその事も調べていたのだろう。いっそ福本さんが知らない私のことなんてないんじゃないだろうかとさえ思えてくる。
「ありがとうございます…」
お礼を言えば、頬に小さくキスをされる。そのくすぐったさに思わず笑ってしまえば、同じように小さく笑いながら、大きな手に抱き寄せられた。
頭やおでこに嬉しそうにキスをする福本さんの腕の中で、これを彼が選んでいる姿を想像したら、なんだか可愛いし、面白かった。外出を許してもらえたら、今度一緒に買い物に行きたいなあ。
指先で頭を撫でながら考える。せっかく福本さんが私に買ってくれたのだ。何か名前をつけて可愛がりたい。
じっと金色を見つめると、なんとなく目が合ったような感覚がした。
「……ヨル」
一瞬、頭を撫でていた手が止まった。どうしたのかと彼を見上げれば、珍しく目を見開いて、驚いた顔。
「…福本さん?」
「ナマエ、それ、」
「あ、な、なんとなく思いついたんですけど…」
たぶん、真っ黒な体が夜の闇のようだと、無意識のうちに考えていたのかもしれない。だからヨル、なんて安直だけど声に出ていたんだ。それだけ、なのに。
「……そう、か」
どうしてそんなに悲しそうな顔をするんですか。
ほんの少しの期待を含んでいた目がすぐに諦めの色を帯びる。
時折見せるこの目が、私は苦手だった。そんな顔してほしくないのに、私の些細な一言で彼はいつも悲しそうに笑う。
「ふくもとさ、」
「悪い、腹減っただろ。今すぐ飯作るから」
私の言葉を遮り、逃げるように台所へと消える。
その寂しげな背中をどこかで見たような気がして、出るはずだった声は喉で引っかかってしまった。
ねえ福本さん、私越しに誰を見てるの。
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