いくら完璧に自らを隠せるとはいえ、素の自分でいても許される場…つまり協會内だと、ほんの少し彼ら自身の癖というものが出る。それは実井さんもしかりで。つい最近見つけてしまった彼の癖というものが、私を悩ませているのだ。

「っ、う、んん」
「ナマエさん、力を抜いて」
「そ、な、無茶言わないで、くださ、っ」

 唾液の音がダイレクトに脳に響く。熱い舌が凹凸を余す所なく這い、体から抵抗する力を奪っていく。
 私が気付いた実井さんの癖というのが、行為の前又は最中に、やたらと耳ばかり触れてくる、ということだ。まさかこんなこと誰かに相談できるわけもないし、そもそも他人の行為がどんなものかなんて聞きたくはない。だからこれが普通なのか、はたまた彼の性癖なのかは分からない。兎にも角にも、現在この行為が、私を悩ませるものの一つなのだ。

「あー…ん」
「ひっ!」

 ぱくり、なんて可愛らしい効果音が付きそうな素振りで右耳を噛まれる。じゅ、じゅぷ。まるで一番敏感な所に触れられているかのような音を立てながら吸われ、時折漏れる実井さんの甘い声が、吐息が、私の感覚をおかしくさせていく。

「っ、じつい、さ、ん」

 細い指が左耳に触れる。輪郭をゆっくりなぞり、耳朶を柔く押し、耳の裏に触れ、少し形を変えるように揉まれる。その力加減が、触れるか触れないかというような優しいものだから、余計に物足りなさを感じてしまう。

「も、やめてっ!」

 肩強く押せば、存外あっさりと離れていく体。気持ちを落ち着けようと深く呼吸をし彼を見れば、赤い舌がぺろりと唇を舐めていた。その艶っぽさにまた体が疼く。

「気持ち良くなかったですか?」
「そ、そういうことではなくてですね…」
「じゃあ、どういことですか?」

 どうしてこの場でそんな純粋な目が出来るんだ。逆にこちらが間違っているのかとさえ思ってしまう真っ直ぐな瞳に、言っていいものかと迷ってしまう。
 いやでも、言わなきゃ困るのは私だ。恥ずかしい事に、最近では彼がほんの少し触れただけでも反応するようになってしまったのだ。これは由々しき事態である。早急になんとかしなければ。

「な、なんでいつも、そんなに耳ばかり触るんですか…」
「…触られるの、嫌ですか?」
「え!あ、いや、その………嫌ではない、ですけど…」

 じゃあどうして。そんな疑問を含んだ真っ直ぐな目が私を見つめてくる。もうここまでくると、彼は自分の顔がいかに破壊力があるかに気付いているんじゃないかとさえ思えてくる。どんな顔をすれば相手が落ちるのか。心得ている者の態度だ。

「その、さ、触られるとですね…」
「はい」
「むずむずする、というか…」
「はい」
「…と、とにかく、変になるので、触りすぎるのを、止めてもらいたい、んです…」

 もう今なら羞恥で死ねる気がする。なんで私こんなこと言ってるの。いっそ殺してほしい。
 赤くなっているであろう顔を見られたくなくて彼の目から逃れるように俯けば、頭上で小さく、良かった、と呟かれたのを、私は聞き逃さなかった。

「計画通りです」

 何のことだか分からなかった。計画だなんて、この状況ではあまり聞こえのいいものではない。驚いて彼を見るけれど、表情は変わらず笑顔だ。背筋に冷や汗が流れる。

「計画って…」
「あなたがそうなるのをずっと待っていた」
「な、何言って…」
「…パブロフの犬、ってご存知ですか?」

 知っているも何も、有名な話だ。犬にメトロノームの音を聞かせて餌を与える。その際犬は唾液を出すようになる。それを繰り返していくうちに、犬はメトロノームの音を聞くだけで餌がもらえると思い込み大量の唾液を出すようになるのだ。別名を条件反射ともいい、無意識のうちにその行為を行ってしまう、というもの。
 そこまで考えて、彼の発言の意味を、ようやく理解した。

「作り変えたかったんですよ。…僕と同じように結城さんに鍛えられた貴方の体を、僕のものとして」

 再び耳に触れた手は、治まってきたはずの快感をいとも簡単に呼び起こす。底知れぬ恐怖と、それに反する大きな快感に耐えようと唇を噛むけれど、全く意味をなさない。

「そ、なの、無理に決まって…っん、」
「そんな事ないですよ。現にほら、僕が触れるだけでこんなに反応してる」

 楽しい。そんな感情を隠さず顔に出す実井さんからは、普段の柔さは一切感じられなかった。いくら否定したところで、もはや体は言うことを聞かない。
 すっかり作り変えられてしまった。私の体は、いつの間にか私のものではなくなっていたのだ。

「じゃあ、次はここですね」

 するすると降りていった手は、私の手を柔く握りこんだ。指を絡め、彼の親指が節を撫で、意外と硬い手の平に揉まれる。ぞくぞくと体が震え、みっともなく開いた唇からは喘ぎ声が漏れてしまう。分かっているのに、抵抗できぬまま徐々に追い詰められていく。
 きっといつかこの体は、彼の一挙一動に反応するようになってしまう。彼が食事をする時、本をめくる時、煙草を吸う時、肩が触れた時、見つめられた時、私の名を、呼んだ時。
 パブロフの犬どころの話じゃない。ただ本能のままに生きる、獣のようになるのだ。視界が滲み、頬に熱い何かが伝う。震える手で彼の手を握り返せば、体のどこかで喜びが生まれるのを感じた。


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