「あ、そういえば明日からまた出張でさぁ、四日ぐらい会えなくなっちゃうんだ」
「そうですか…分かりました。無茶しないようにしてくださいね」
「…冷たくない?もう少し悲しんでくれてもいいと思うんだけど」
「…先生の出張で今さら悲しんでなんかいられませんよ……で?」
「ん?」
「ん?じゃなくて。わざわざそんな話するなんて、なにか私にしてほしいことがあったからなんでしょう?」
「さっすがナマエ♡よく分かってるね」
「まあ…伊達に先生の婚約者やってないんで……」
「うんうん。じゃあさ、お願いがあるんだけど…」

 まるで朝の挨拶のような気軽さで行われていた会話。五条とナマエの情事の始まりは大抵こうなのだが、その日ばかりは少し違った。ナマエの制服のボタンに掛けた手を止めた五条が、まるで子供のような口調で、お願いがある、と。そう言ったのだ。
 なめらかな肌触りのシーツに押し倒され、まさにこれから情事を行うといった雰囲気の中突然提示された"お願い"とやらに、ナマエの脳内には瞬時に"聞いてはならない"という警報が鳴り響く。しかし同時に、聞かなければそれもまた面倒なことになるというのも、これまでの経験から痛いほど理解していた。
 何故ならこのお願いが、なんてことのない平凡な内容だったのなら、五条がこうして改まって、逃げ場のない状況で言うはずなどないのだから。つまり今のナマエには、内容がどうであれ聞く、という選択肢しか残されていないのである。

「…なんですか」
「うん。あのねぇ……一人でして、それを動画に撮らせて?」
「…うん?」
「一人でして、それを動画に撮らせて?」
「…え?」
「だからぁー」
「いや、聞こえなかったわけではないです…」

 なにを言ってるんですか。思わず出そうになった言葉を、婚約者といえど今は教師という目上の立場の人でもあるのだからと、何度目か分からないがなんとか飲み込む。
 代わりに信じられないようなものを見る目だけはそのままにしておくが、それでも五条にはなんの意味もない。ただ興奮を煽るだけになっているようで、白い睫毛に覆われた瞳は弧を描いている。

「ね、お願い聞いてくれる?」
「いや…普通に嫌ですけど」
「えー、じゃあ写真でいいから」
「なんでそこ譲歩したみたいになってるんです?嫌ですよ…」
「…一人でしてるところ、見せて?」
「だから、嫌って言ってるんですけど」
「………」
「………」
「……見せて」
「だから嫌ですって、っいひゃいいひゃい!」

 間髪入れず返されるナマエの言葉に、瞳と同じく弧を描いていた口端が一瞬ぴくりと動く。そして次の瞬間、ボタンに掛けられていた指先はナマエの頬を滑り、そのまま柔らかな肌を、あろうことかぎゅっと摘み上げた。
 力加減はしていると分かるものの、まさか人の頬を抓るなどという行動に出るとは思ってもおらず。五条のまさかの行動に、ナマエは抗議の声を上げる。

「なっ、何するんですか!」
「だってナマエが僕のお願い聞いてくれないからー」

 勢いよく顔を左右に振ればその手はあっさり離れたものの、唇を尖らせ不満を吐く姿は小さな子供のようだ。
 いや、子供のようだではなく、子供だ。しかも"子供"と書いて"くそガキ"と読む方の。

「なんでそんな嫌がるの?僕だったら、ナマエに見せるってなったら大興奮するけどなあ」
「それ多分…というか絶対に先生だけですよ…」
「えー、だって、想像の中で普段できないあーんなことやこーんなことをしてくれる可愛い恋人が、そんなことされているとはつゆ知らず僕のオナニー見てるなんて、もう想像しただけで……あーやばいな、勃ってきた」
「…今のは聞かなかったことにしますから、とりあえず退いてください。あとと本当にその気持ち、一ミリも分からないです」

 いくら育ての親兼婚約者だとはいえ、そんな性事情まで開けっ広げにされても困る。初めてを捧げて以降、散々身体を暴かれておいて性事情も何も今さらないのかもしれないが、それはそれ、これはこれだ。
 退いてくれの意も込めて五条の胸を押し返すも、涼しい顔していったいどこからそんな力が出ているのか。微動だにしない身体は退くどころか、ふにふにと弾力を楽しむようにナマエの胸を弄んでいる。

「嘘だあ。じゃあナマエは一人でするとき、なにオカズにするの?」
「そもそもしません」
「え、一人でしたことないの?」
「ないです」
「ふーん…」
「………」

 あ、これはさらに良からぬことを考えてるな。気付いたところで、これまた逃げようがないナマエに今できるのは、なにを言われても冷静に対処ができるよう様々なパターンを脳内でシュミレーションするのみで。
 といってもその想像を嫌な方向に容易く超えてきてしまうのが、五条悟という男である。そうでなければ教師という立場の人間が、仮にも教え子でもあるナマエに"一人でしているところを見せろ"などという、犯罪まがいの発言はしないのだ。

「じゃあ、僕がナマエの気持ちいいところ教えてあげるから。一緒に頑張ろ?」

 ほらやっぱり!心の中で、呆れにも似たツッコミを一人でしてしまう。
 なにが悲しくて恋人にそんなこと教えてもらわなければならないのか。そもそも『頑張ろう?』という、まるで譲歩していますといった態度が、こちらのことを考えているようで、その実自分の欲望に忠実だと体現している。
 やはり何処までいっても五条悟は五条悟なのだ。こんなことでそれを再確認したくなんてなかった。もはや呆れも物も言えない。

「そうだよねえ。ナマエには昔からずっと僕がいろんなこと教えてあげたんだから、これも教えてあげなくちゃだよね」
「……先生、もしかしなくても私が断る理由、一人でしたことがないから怖がってる、って…思ってますよね」
「え、違うの?」
「先生ほんと、そういうところですよ」

 くわえて在らぬ方向へ勘違いをしているのだから、よけいに救えない。たとえ色々教えててもらったのが事実だとしても、そこには物事に対する情緒や思考、呪いとの向き合い方など、もっと感動的なものがあったはずだ。彼の言う"いろんなこと"とは、まったく違う。

「嫌です。やりません」
「もー。なんでそんなに頑ななの?」

 まるでこちらがわがままを言っていると言わんばかりの態度に若干腹が立つが、ここは下手に反論して話を長引かせてしまうよりも、正直に自分の気持ちを言った方が引き下がってくれるだろう。…いや、引き下がる可能性は限りなく低いが、一人でしているところを見せろというとんでもない要求から逃れられるのなら、正直に言ったほうがマシだ。なにより、セックスをするならするで、せめて普通の状況の方がいい。
 五条と過ごすことにより鍛えられてしまった素早い思考回路を駆使し、この状況での最適解と思われるものを導き出したナマエは、仕方ないとはいえそれでも拭えない恥ずかしさをなんとか押し殺し、その解を述べる。

「一人でするとかより、その…先生が触ってくれた方が、絶対気持ちいいし……」

 こういうことは、おそらく堂々と言った方が逆に恥ずかしくないのかもしれない。しかしそう分かっていても、それができるかどうかは別だ。言葉にするにつれ襲ってきた羞恥に耐えきれず尻すぼみになってしまった言葉は、最後には聞こえるか怪しいものとなっていただろう。
 けれど至近距離にいる五条には、小さいながらも確かに聞こえていたようで。ナマエの胸を弄んでいた指先をぴたりと止めたと思ったら、眉間にぐっとしわを寄せ、おそらく吐き出すはずだったであろう息を、小さく喉を鳴らし呑み込んだ。

「え、ど、どうしたんですか…」
「…今日は見るの諦めるから、代わりに普通にえっちする」
「……なんで?」
「あんな発言されたのに何もしないとかありえない」

 そう言うや否や、五条は目隠しを乱暴に外しそこら辺へ放り投げてしまった。ナマエの目は思わずそれを追うも、頬を掴まれ、現れた碧眼と無理やり視線を合わされる。
 伏せた白い睫毛の奥に見える瞳は、心なしか瞳孔が開き、まるで空にぽっかりと穴が開いているようだった。
 ああこれは、冗談抜きでまずい。

「い、いやいやいや。先生、悟さん、お、落ち着いてください」
「俺はおかしくない。落ち着いてる」

 全然落ち着いてない。一人称が元に戻っている時点で、全然落ち着けてない。
 五条は慌てるナマエの身体を押さえつけると、なにかに急かされるように制服のボタンを外し、現れた白い首筋に噛みつく。ぬめる舌を這わせ音を立てて強く吸い付けば、本能的な恐怖からかナマエの身体が強張った。

「せ、せんせ…っ」
「触られるのがいいなら、余すとこなく全部触る」
「っ、ん、」
「それで、すごく気持ちいいって顔……俺にたくさん見せて」

 甘ったるく煮詰めた蜜のような声には、ナマエに触れて、鳴かせて、とびきり甘やかして、なにもかも分からなくさせてしまいたい。そんな思いが込められていた。
 どろりと何かが体内へ侵入する感覚に、ナマエは息を吞む。あっという間に剥かれてしまった衣服はベッドの下へ落とされていて、逃げることは本格的に叶わなさそうだ。まあそもそもとして、五条との情事から逃げるという選択肢自体、ナマエには最初から露ほどもなく。ただ前述のやり取りがやり取りなだけに、素直に受け入れるのは少し悔しいというだけなのだが。
 ゆるりと腕を持ち上げ五条の首へと絡み付ける。ふわふわ揺れる白髪に頬を寄せながら、わずかに赤く染まった耳元で、小さく囁いた。

「…いっぱい触ってくださいね、悟さん」


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