「起きたか」

 唐突に明るくなった視界と、見慣れた横顔。同時に右半身からじんわり伝わる温かさに、ここがどこで、これまで自身が何をしていたのか。ぼんやりと靄がかかっていたナマエの脳内が少しずつだが状況を理解していった。

「すいませ、私、寝てた…」
「構わねェよ」

 B級隊長の会議があるから待ってろ。そう弓場に言われたナマエが作戦室に訪れたのは、覚えている限りでは約二時間ほど前のこと。
 普段は誰かしらがいるのだが、その日は珍しく誰もおらず。他隊の作戦室に一人というなんとも手持無沙汰な状態となったナマエは、気付かぬうちに寝てしまったようだった。
 他隊の作戦室で寝てしまったあげく、恋人とはいえ隊長の膝の上で眠りこけてしまうとは。なんて図々しいことをしているんだ。
 情けなさに若干の気まずさを感じているナマエを察したのか、弓場はため息と共にそれまで読んでいた本を机の上に投げ置くと、気にするなと言わんばかりにナマエの身体を引き寄せる。
 珍しく強引なその行動に驚きつつも、誰もいないということが分かっているだけに、大人しく腕の中へと収まった。
 視界の端にとらえた時計が示すのは7の数字。今日はこのまま弓場の自宅へと向かう予定だから、もうしばらくはこのままでいても構わないだろう。
 そういえば、こうしてゆっくり会えたのは随分久し振りだと思い出す。本部所属で隊長でもある弓場と、支部所属であるナマエが生活のリズムを合わせることは難しく。ましてや大学生と高校生では、同じ学生といえど内容は大きく違うもので。こうして二人きりで会えたのは、およそ一ヶ月ぶりのことだった。

「…拓磨さーん」
「…何だ、ナマエ」
「ふふ、」

 たまにはいいだろう。芽生えた悪戯心に押されるように背筋を少しだけ伸ばし距離を縮めると、ナマエは弓場の首元へゆっくりと腕を回した。
 普段は照れてあまり行動を起こさない彼女の突然の甘えに今度は弓場が驚きつつも、特に抵抗する理由もなく、されるがまま身を任す。
 寝起きで温かい身体を猫のように擦り寄せ、何度も名前を呼べば、その度に弓場も飽きることなく返事をする。
 紡がれる音の心地良さに吸い寄せられるように、視線を上げた先。上下に動く少しだけ厚い上唇を何度か甘噛みすると、咎めるように軽く背中を叩かれた。

「コラ、悪戯すんな」
「ん…ふふ、わっ、」

 その声色が本気でないことを分かっているナマエは、小さく笑いつつさらに唇を重ねる。数度音を立てて軽く吸ってみれば、今度こそ少し焦ったように距離を取られてしまった。
 まずい、さすがにやりすぎたか。今更湧いてきた焦りにナマエの背筋が凍りかけたのも束の間、すぐに距離は縮まり、今度は耳へと唇が触れた。

「ふ、はは、拓磨さんくすぐったいです」
「おめェーも同じことしてただろォが」
「ん…っ、」

 同じように音を立てて耳から頬、頬から顎先へと滑った唇は、待っていたといわんばかりに薄く開かれたそこへと再び重ねられる。
 蛇のようにゆるりと侵入する舌を抵抗することなく受け入れれば、ナマエの肩が小さく跳ねる。

「っん、ぅ…」

 弓場との行為で、ナマエは一つ気が付いたことがある。
 元々どんな物事にも真正面から向き合うタイプの弓場は、こちらが素直になればその分きっちり、同じだけの対価を支払ってくれる人間だ。
 それは対象が誰であろうと変わりなく。彼曰く「貸し借りなんかが生まれると対等でなくなるだろォが」なのだそう。
 ただその支払いというのも、恋人という立場になると少し比重が変わるらしく。いわばその立場になった人間しか知り得ないことが、いい意味でナマエの予想を大きく裏切るものだったのだ。
 まさに今がいい例で。ナマエが気まぐれで仕掛けたほんの少しの悪戯に対し、弓場は倍以上の、それこそ恐ろしいほどの甘さを含んだ行動で返してくれる。全身を包み込むような熱は優しいくせに、抗うことを許さないような強引さも持ち合わせていて。

「ふ、あっ、はぁ、はあ…」
「…鼻で息しろっていつも言ってんだろォが」
「そ、そんな簡単に言わないで下さいよぉ…」

 すっかり力の抜けた身体で、ほとんど無意識のうちに距離を取ろうとするも叶うことはなく。それどころか背中が仰け反るぐらい強く抱き締められ、曝け出した喉元にも唇が触れていく。

「拓磨さ、帰らないんですか…、っ」
「帰る場所は同じなんだ。多少遅くなっても気にするこたァねえだろ」
「そ、うですけど…っ」
「最後までする訳じゃねェ。今は何も気にすんな」

 彼の性格上公共の場である作戦室で行為をするとは思わないけれど、それでも普段人の出入りが多い場所では、やっぱり恥ずかしい訳で。
 止めてと言えば止めてくれるだろう。無理強いはしない。弓場はそういう人間だ。
けれど、それはまあ、不粋というやつで。
 もう少しだけ身を委ねてもバチは当たらないだろうと、降り注ぐ甘さにナマエは静かに身を委ねた。


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