※個人カラー企画で書いたもの
漣→パーソナルカラー:スカーレット・緋色


「おかえりー、漣くん。遅かったね」

 日付も変わろうかという頃。がちゃがちゃと遠慮なく扉を開ける音に気付いたナマエが玄関へと向かえば、そこには脱いだ靴を乱雑に放る漣の姿があった。
 ナマエの自宅に漣が訪れるようになったのは、恋人となってから三ヶ月ほど経った頃だった。元々自由奔放な漣ではあったが、住所は地球ととんでもないことを大真面目に言ってのけるぐらいには神出鬼没で。酷い時には公園のベンチで寝ているところを、同事務所に所属している握野に発見されたほどだ。
 アイドルとしての自覚が足りないと石川も頭を抱えていたが、当の本人はさして気にする様子もなく。それが漣のいいところではあるが、同時に悪いところでもあった。
 そんな中、最後の砦として期待を寄せられたのがナマエであった。あの漣が惚れた、気を許した相手なら、なんとかできるのでは、と。
 そんなまさか、あの漣が素直に言うことを聞くなんて。ナマエは石川らの言葉に苦笑いしかできなかったが、実際のところ、蓋を開けてみればまさしくその通りで。
 そもそも、自らのパーソナルスペースに他人を入れるなどほとんどしない漣が誰かと恋人になったいうだけでも周囲の人間からしたらだいぶ驚くべき事案なのだが、当人であるナマエにはその自覚が一切ないらしく。
 漣も漣で。全てではないにしろ、ナマエの言うことだけは素直に聞いているこの状況に対し苛立ちを見せることもないのだから、もはや結ばれるのは必然だったのだと言えるぐらいには、二人は理想的な関係だった。

「ご飯食べる?一応作ってあるけど」
「いらね」
「そっか。じゃあ明日の朝だね」

 投げ捨てられそうになった上着を慌てて受け取りハンガーにかけようとした時、ナマエはそれが初めて見る物だということに気が付いた。
 そういえば、今日は出かける際に上着を着ていなかったはずだ。ということは誰かに借りた物なのだろう。確認のために広げてみれば、ある匂いが鼻をくすぐった。その覚えのある香りにもしやと思い顔を押し付け、めいいっぱい息を吸い込む。それは確信へと変わった。

「…なにやってんだオマエ」
「あ、いや。これ誰のかなって思ったんだけど…道流さんの?」
「…なんでんなことわかんだ」
「あ、やっぱり。だってこの匂い、道流さんが時々つけてる香水の匂いだもん」
「……」
「なんだっけ、これ。結構有名なところのやつ…」

 予感が的中したことに満足しつつ、ナマエは再び上着に鼻を埋める。うん、やっぱりそうだ。爽やかなシトラスの香りは、明るい彼によく似合うと思っていたのだ。
 すんすん、と。犬のようにしつこく嗅ぎ続けるナマエを怪しいものを見るような目で見ていた漣であったが、不意に奪うように上着を引っ掴むと、後ろのソファへと投げ捨ててしまった。

「あ!こら何してるの!」
「うるせー」
「だめだよせっかく道流さんが貸してくれたのに、て、っえ!?」

 しかしながら、漣の機嫌がころころと変わるのはナマエにとってはいつものことで。慣れた様子で軽く叱りつつ、捨てられたそれを拾おうと手を伸ばした瞬間。なにを思ったか、漣はナマエの襟首を掴むとそのまま、上着のごとく投げてみせた。

「いっ、たあ!?」

 背中から勢いよくソファへと飛び込んだナマエの視界の端で、畳んだ洗濯物が散らばるのが見えた。
 なにが起きたと状況を理解する前に、漣はナマエに馬乗りになると、胸ぐらを掴み、その首元へと顔を埋めた。

「えっ、ちょ、れ、漣くっ、なに…!?」

 理解もできぬまま、まるで情事の時のような状況になったことに明らかな戸惑いを見せるも、漣は構う様子もなく。先ほどまでのナマエと同じように鼻を、くんくんと鳴らしている。
 なんだ、今までのなにがスイッチだったんだ。無意味なことは分かっているものの、戸惑いながらほとんど無意識のうちに目の前の体を押し返す。
 そんなナマエの様子に漣は一つ舌打ちをすると、まるで獲物を喰らう獣のように、その細い首筋に思い切り噛み付いた。

「っい、!?」

 いきなり急所を噛まれたことで色気もへったくれもない声が出てしまうも、もはやそんなことはどうでもいい。
 甘噛みだとかそんな可愛らしいものじゃない、本気で殺されるのではと脳裏をよぎった死のイメージに、動物としての本能的な部分が震え上がる。
 漣くん。消えそうな声で静止の意味を込めた名を呼ぶと、鋭い痛みが走ったそこへ、今度は生温かいものがぬるりと触れた。その瞬間、思い出したように身体が跳ねる。驚きでなく、これは、そう。夜の、あの時の感覚。

「なっ、にするの…!」
「ウルセー」

 背筋を駆け上がる感覚に本格的にまずいと察知したナマエは、先ほどよりも強い力で抵抗をする。しかし押し倒されている方が力を込めにくいこともあり、やはりあまり意味を成さなかった。それどころか二度の抵抗が漣に火をつけたのか、舐めるのに加え甘噛みまで始めるものだから、ナマエの身体からはいよいよ力が抜けてしまう。
 静かな部屋に濡れた音が小さく響く。耳からも入り込む羞恥に必死に声を抑え耐えていると、それまで頑なだった漣の身体から、不意に力が抜ける。そうして数度くんくんと鼻を鳴らしたと思ったら、満足気に離れていった。

「おい、ぼけっとしてんな」

 柔く頬を叩かれ、飛んでいきそうになっていた意識が寸前のところで呼び戻される。覚醒した瞬間ナマエは勢いよく後ずさり、ソファから落ちぬよう気を付けながら、できうる限り漣から距離を取った。

「っ漣くんさぁ…!」
「あ?」
「あ?じゃないよ!なにするのいきなり!めちゃくちゃ痛かったんだけど…!?」
「痛えわけねえだろ、ンな顔して」
「わー!もうっ、うるさい!」

 毛を逆立てた猫のように警戒心丸出しで睨みつけるも、真っ赤な顔は隠しきれておらず。そんなナマエの様子に、漣は普段の人を小馬鹿にするような、それでいてどこか嬉しそうに笑うと、鼻先が触れそうになるぐらいまでぐっと距離を詰めた。

「他の匂いつけてんじゃねえよ、バァーカ」

 そう言いながら、ほとんど反射的に肩を跳ねさせたナマエの唇をさらうと、そのまま畳んであったタオルをひっ掴み、風呂場へと向かってしまった。

「…えええ…」

 嵐のごとく過ぎ去っていた出来事と吐き捨てるような最後の言葉に、落ち着くどころか、混乱は増す一方で。
 元々自身の感情をあまり隠さない漣ではあるが、ああもストレートな発言は初めてだった。噛まれたというのに胸が高鳴ってしまうのは、決して嬉しかったとかそういった被虐的な意味ではない…ん?噛まれた?
 瞬間、ナマエは血の気が引いていくのを感じた。
 件の場所へ手を伸ばせば、ぬるりとした感触が指先に触れる。舐められたといっても唾液であればすぐに乾くはずのそれに、まさかと思いおそるおそる指先を確認すれば、予感は的中。濃い赤が、わずかではあるが付着していた。

「っ〜、漣くん!」

 明後日からの撮影どうしてくれるんだ。小さいとはいえ一日で治るとは思えない傷跡ができてしまったこと、せっかく畳んだ洗濯物が崩れたこと。そしてなにより、妙にじわりと熱を持ったまま放置されたこと。様々入り混じった感情を吐き出すように、全ての元凶である漣の名を呼ぶと、ナマエは夜中ということも気にせず大股で風呂場へ向かった。




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