梅雨も明け本格的に夏に入るという頃は、窓を開ければまだそれなりに快適に過ごせる日というのが、ほんの数日だけ存在する。クーラーなどの家電を動かす必要がない、つまりは余計な光熱費がかからないこの日を、恭二は"当たり日"と呼んでおり、一人暮らしの身にはとても有り難い日だった。
 そして今日がまさしくその当たり日で。開け放った窓から入り込む。そよそよと心地よい風に頬を撫でられ、恭二は思わず大口を開けてあくびをしてしまった。

「ただいまあ」

 滲んだ涙を数度の瞬きで無くしていると、気の抜けた声が部屋へと響いた。
 同棲しているわけでもないのに、ナマエから当たり前のようにその言葉が出てきたことに嬉しさを感じつつ。恭二は見ていたテレビから視線を玄関へと移す。

「おかえり……ずいぶん沢山買ってきたな」
「ふふふ」

 数十分前。恭二のパーカーを引っ掴み、「コンビニ行ってきます!」と元気よく出て行ったナマエは、予想よりも大きなレジ袋を持って帰って来た。てっきり小腹を満たすために少し買い物を、程度かと思っていただけに、予想外の量に驚く。
 コンビニバイトをしていた身だからこそ分かることだが、あれは上から二つ目の大きさのレジ袋だ。それがぱんぱんになっているのだから、相当な量を買ってきたのだと一目で理解できる。
 なに買ってきたんだ、という恭二の言葉にナマエは待ってましたとばかりに笑みを浮かべると、どこか得意げに答える。

「幸せアイスの材料を買ってきました」
「…幸せアイス?」
「そう。幸せなアイス、です」

 なんの答えにもなっていない回答も、もはや恒例のようなもので。こんな時はナマエの言葉でなく行動を見た方が答えとなることが多いため、恭二は「…そうか」と曖昧な返事をしておく。
 案の定ナマエは嬉々とした様子で恭二の隣へ座ると、ローテーブルの上に中身を次々取り出し始める。
 カラースプレーに、アラザン。チョコチップに、ハート形の砂糖菓子、なぜか細かく砕かれたクッキーまで。バイト時代、バレンタインの時期になると店頭に並べていた製菓用の飾りがたくさん入っていた。

「あとは、これ!」

 じゃーん!とこれまでで一番楽しそうに取り出したのは、有名なお菓子メーカーのバニラアイスだった。
 大げさに出すものだから高いと有名なものかと思ったらそうでなく。ワンコインあればお釣りがくる程のもので。これまた意表を突かれた気持ちのまま、机いっぱいに置かれたそれらに、恭二はようやく"幸せアイス"とやらがなにを指すのかを理解する。

「…ずいぶん簡単な幸せだな」
「なに言ってるんですか。こーんなに沢山トッピングがあるんですよ。自分の好きな分だけ乗せられるなんて、中々できないでしょ」

 中々できないのではなく、大人だからやらないのでは。そう思ったものの、次々と袋を開封していくナマエの顔は言葉の通り幸せそうだったから、野暮なことは言うまいとその言葉を飲み込んだ。
 鷹城恭二という男の中のアイスの記憶といえば、豪勢な食事の後に口直しとして出される、おそらくコンビニでは絶対売られていないような物ばかりで。件のことで家を出た後もアイスを買おうという気も特に起きず、しいてあげるとすればバイト終わり、気が向いた時にピエールやみのりと食べる程度のものだった。
 そういえば、ナマエと付き合い始めてからアイスを食べるのは初めてな気がする。アイスといえば真夏というイメージがあっただけに、まだ夏がきていないこの時期食べるのは、少しだけ違和感を感じた。
 どうぞと手渡されたものの、元々そんな気分でもなかっただけにどうしたものかと悩む恭二をよそに、ナマエはお菓子の袋を開け、新しい器にアイスと共に次々と放り込んでいく。あっという間にいっぱいになった器の中は、なるほど確かに幸せと呼ぶのも頷ける色をしていた。
 カラフルなハートに、きらりと光るアラザン。さらには甘い、ときたものだ。見た目にも味にも、賑やかなことが好きなナマエにぴったりだった。

「恭二さん」
「ん?」
「はい、あーん」

 さも当たり前のように差し出されたスプーンに、恭二は顔を引きつらせた。同時に、バイト時代深夜にやって来た派手なカップルが外で同じようなことをしていた光景を思い出す。
 その時はなんて人前で恥ずかしいことをと冷めた目で見ていたのだが、まさか自分が同じ場面に立たされるとは。どこか期待を込めた瞳とカラフルなそれの間で、羞恥と戦いながら何度も視線をあちらこちらに彷徨わせていると、呆れたような声で再び名前を呼ばれる。

「きょーじさーん。早くー、溶けちゃいますよ」
「う…」

 あの馬鹿なカップルとは違い、誰に見られているというわけでもないのにこんなにも恥ずかしいのはなぜだろうか。そもそもナマエとはもっと恥ずかしいことだってしているはずなのに、なにが。
 なんの脈絡もなく邪な方向に行こうとした思考を引き戻すように、なるようになれと、恭二は半ば勢いに任せかぶりついた。
 瞬間、一気に口内を支配した冷たさに眉間にしわを寄せるが、一番心配だった甘さが暴れ回ることはなく。むしろ広がるのは、ほんのりと懐かしさを感じるような妙な感覚だった。

「………」
「ね?美味しいでしょ?」

 ナマエは得意げに笑うと、小さな口をめいいっぱい開きアイスを頬張る。
 テレビもついていない静かな部屋にざくざくと響く小気味良い音に、なぜだか心が落ち着いた気がした。

「私、良いこととか、楽しいことがあると絶対これを食べてたんです。だから恭二さんにも食べて欲しくて」

 そういえば、幸せアイスなんて名前だった。てっきりたくさん乗せられるから"幸せ"なのだと思っていたが、本当の由来は違ったらしい。若干頭から消えそうだった内容に今更な納得をしつつ、恭二は今日一日を思い出してみる。
 昨晩から泊まっていたナマエと昼前にほぼ同時に起きて、その後、冷蔵庫の残り物で作ったご飯を食べて、仕事で溜まっていた洗濯物をナマエが干して、部屋の掃除をして、終わったら、再び布団を敷いて、時折寝転がりながら、なんとなしにゆっくりして。
 起きてから数時間しか経っていないとあって、思い出すのは容易だった。だからこそ、当たり前のように疑問が生まれる。

「…今日、なにかいいことあったか?」

 よく言えば平和、悪く言えば平凡。なにもない、ただありふれた一日を過ごしただけ。ナマエがわざわざ"幸せ"と呼ぶようなことはなに一つ思い当たらなかった。
 しかし、恭二のそんな反応は予想通りだったらしく。すくったスプーンの先をカラフルにしながら、ナマエは分かりやすく「もー」とため息をつく。

「休みの日に、なにもせず恭二さんとゆっくり過ごす。これ以上の幸せはないでしょう」

 ね?なんて。同意を求めつつも答えは分かりきってるといった、自信を含む声色に、恭二は瞳を瞬かせた。
 そうか、そういうことか。──およそ人には見せられないだろうと自覚できるぐらいどんどんと口元がゆるんでいくのを感じ、恭二は慌てて、きゅっと唇を結び直す。

「それじゃ毎日幸せになっちまうぞ」
「…たしかに。盲点でした」

 本心からそう思っているらしく、なぜか少し慌てながら「でも、それなら毎日食べられますね」なんてすぐに笑顔になる様子に、いよいよもう何も隠しきれないと悟る。

「…ナマエ、もう一口くれ」
「いいですよー。どーぞ」

 今度は自らカラフルなハートを口内へ招けば、途端に全身へと信じられないほどの甘さが広がる。
 なるほど自分もひどく単純なのだと、これから先何度も食べることになるであろう幸せを、ゆっくりと飲み込んだ。




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