ピピピ。聞き慣れたアラームに呼び戻され、まだ眠りたいとぐずる身体を鼓舞し、ナマエは身体を起こす。隣で眠る人物を起こさぬようゆっくりとベッドから抜け出すと、寝起きの温まった素足で歩くと少し冷たく感じるようになってきたフローリングを、跳ねるようにキッチンへと向かった。
 コンセントを繋いだままだった電気ケトルのスイッチを入れる。湯を沸かしている間に身支度を整えれば、終わった頃には温かい紅茶を淹れられる。熱々のお湯では美味しさが損なわれるよ、なんて。同じ事務所の神谷に聞いて以来、時間の有効活用も含めた朝の日課であった。

「えーっと、類さんの…あ、あった」

 とりあえず歯磨きと洗顔、それにスキンケア。最低限を終えキッチンに戻り、戸棚から揃いのマグカップを取り出す。片方にはティーバッグを、もう片方にはインスタントコーヒーの粉を入れる。お湯を注げば、瞬く間にタイプの違う香りが広がった。
 熱いものが少し苦手な舞田のために、毎朝声をかける少し前にコーヒーを入れるようにしている。そうすれば舞田が最低限の身支度を整える頃には、調度飲みやすい温度になっているからだ。

「類さん、起きてください…類さん?」

 カップをテーブルに置き、未だ静かに眠る舞田へと声をかけるも、返事はない。普段なら物音がすれば、すぐにのそのそと起きだす舞田にしては珍しいなと不思議に思いつつ。ナマエはベッドのすぐ横にしゃがみ込み、再び声をかける。

「類さーん?」

 うつ伏せの顔を覗き込めば、間髪入れずもぞもぞと動き出す。やはり起きてはいたらしい。それを証明するように、明るい金色の隙間から、眠たげだけれど、はっきりと意志を持った瞳が覗いた。

「おはようございます。やっぱり起きてたんですね」

 なかなか起きられなかったのは、連日の疲れのせいだろう。前職ゆえ朝には強い舞田だが、それでも不規則な生活にはさすがに抗えない眠気がきたらしい。休日だからそのまま寝かしておいてもよかったのだが、前日の夜に「絶対に起こしてね!」と言われていたからこそ何度も声をかけたのだ。まあ結果として起きてはいたようだが。

「Good morning、ナマエ…ん、」
「…ん?」

 言葉と共に上体をゆったり起こした舞田は、顔をこちらに向け、ゆっくりと瞳を閉じた。そのまま無言で数秒。その意味不明な突然の行動に、ナマエは疑問の声を漏らす。
 長い睫毛を伏せたままの舞田とは対照的に、ぱちくりと瞬きを繰り返すナマエ。妙な構図で固まった状態にしびれを切らしたのか、「もー」と不満げな声を漏らしながら、舞田の瞳が開かれた。

「いつもの、kissはしてくれないのかい?」

 むっと口を尖らせ、頬を膨らます仕草はさすがというかなんというか。寝癖があるせいかとても可愛らしいが、それはとりあえず置いておいて。

「いや…そもそも、いつもしてないですよね」

 まるで日課であるかのような口ぶりだけれど、そもそもナマエと舞田の間に、寝起きでキスなんて習慣は一切なかった。強いて言うならば、そういうことをした翌日、ナマエが舞田と同じくらいに起きた時に軽くするぐらいであろう。
 突然出された意味の分からない日課とやらに、ナマエは戸惑いを隠せないでいた。

「じゃあ今日からしよう!」

 いつもよりは若干テンションと声が低めだが、それでも起きて数分とは思えないほどの元気さに、すでに起きて数十分は経っているはずのナマエの方が圧倒されているのはなぜなのか。
 明らかに呆れた雰囲気を醸し出すナマエを気にすることなく、舞田は子供のようにキスを強請る。

「ほら、早く」
「え、しかも私からするんですか」
「Of course。俺は今布団という魔物に捕まってるからさ」
「ええ…もう起きて欲しいんですけど…」
「じゃあなおさら早く!」

 どうやら引く気は一切ないらしい。舞田という人間が柔軟と見せかけて変に頑固だということは、付き合うようになってから知ったことだった。
 このままお互い固まっていても仕方がないと、ナマエは瞳を閉じて未だ待ち続ける舞田の頬に、軽く触れるだけのキスをした。

「…Cheekかい?」
「…口は歯磨きしてからです」
「んふふ、それもそうだネ。Thanks」

 唇ではなかったことに少し不満を漏らしながらも、とりあえず納得はしたらしい。お礼としてなのか、結局ナマエの頬へと自ら唇を落とすと、頑なに抜け出さなかった布団からあっさり身体を起こした。

「…結局類さんもしてるじゃないですか」
「だって今very happyだから。そういう気持ちは態度で示すのがimportantだからね!」

 示すのが大切、ね。普段恥ずかしいからとあまり態度で示さない自覚があるだけに、舞田の言葉にナマエは妙な引っ掛かりを覚えてしまう。
 類さん。小さく呼んだ名前はきちんと聞こえていたらしく。「ん?」と振り向いた舞田の頬に、柔らかく、啄ばむように唇を落とした。

「え…」
「…態度で示すのが大切、なんですよね……」

 だからしました。小さく呟き舞田の肩に頭をもたれる。顔を見られないようにとした行動だったが、突然静かになった空間と、てっきり「ナマエからkissしてくれるなんて!」というリアクションが返ってくると思っていただけに、まさかの無言という反応にじわじわと羞恥が込み上げてくる。
 ついに舞田が口を開こうとした瞬間、いよいよ駄目だと勢いよく立ち上がった。

「っちょ、ま、待って!」

 このままではナマエが逃げ出すと瞬間的に察知したらしく。舞田は慌ててナマエの腰を掴み、離れぬようにとがっちりホールドしてしまう。

「や、は、離してください!恥ずかしさで死ぬ!」
「ダメダメ絶対ダメ!なんだい今の!?かっ、可愛すぎるから今すぐキスさせて!」
「かっ!?な、なおさら無理!」

 珍しく慌てているのかすっかり流暢な英語が抜け落ちている舞田と、耳まで真っ赤にし大声で離してほしいと訴えるナマエという、なんともシュールな絵面が生み出される。
 結局、男性の力に敵うわけもなく。離す離さないの攻防の末ナマエは布団の中へと引きずり戻され。「ナマエの顔、strawberryみたいに真っ赤だ」と上機嫌な舞田に、これでもかというほど顔中にキスをされることになるのだった。





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