本日は広い範囲で曇りとなるでしょう。そう言っていた天気予報は大きく外れ、バケツをひっくり返したような雨が二人を襲ったのは、正午を過ぎた辺りだった。
運がいいのか悪いのか、その時いた場所はちょうど盧笙の自宅から数分の所で。大慌てで駆け込み、風邪を引いてはことだからとびしょ濡れのナマエを風呂場に押し込んで、続くように盧笙自身も身体を温めに入りようやく一息ついた時。部屋の奥から感極まった様子のナマエの声が聞こえた。
ああそういえば、彼女には言うのを忘れていた。
「わ、ふわふわ…か、可愛い〜」
可愛いのはお前や。自身の性格的に面と向かってそう言えるわけではないけれど、そう思わずにはいられないほど、目の前に広がる光景に盧笙は胸を打たれていた。
玄関に入るや否や風呂場に押し込んだため、奥にいる存在には気づいていなかったらしい。濡れた髪もそのままに小さな鳴き声をあげる存在を抱き寄せると、キラキラと瞳を輝かせてナマエは盧笙を見上げる。
「盧笙先生、どうしたんですかこの子」
「里親探してますいう貼り紙が商店街にあってな。なんとなく見てたら、飼い主さんに声かけられた」
貼り紙を見つめたのは何となくだった。写真の中の暗いグレーの毛並みと大きな瞳が、どこか似ているなと思っただけ。まさか貼った本人に声を掛けられるとは思ってもいなかったが。
「で、勢いに負けてあれよあれよという間に貰ってきてしまったと」
「…言うな」
図星を突かれて気不味いらしく、逃げるように盧笙はにやつくナマエから目を逸らす。「先生押しに弱いからなあ」「にゃー」なんてなぜか噛み合う会話がさらに恥ずかしい。
構って貰えて嬉しいのか、子猫はナマエの細い指先を小さな手でぺしぺしと叩いて遊んでいる。その仕草にまた心を奪われたらしく「どうしたの〜?」なんて高い声で呼びかけている。
久しぶりのデートが早々に中断されて少し拗ねるかと思っていたが、すっかり目の前の存在に心奪われたらしく、えらくご機嫌だ。これはこれである意味良かったのかもしれない。
「はは、くすぐったい」
「………」
床に伏せ目線を同じ高さにして遊ぶ背中を見つめ、今更ではあるが貸した物を間違えた感覚に盧笙は襲われる。
少しとはいえ慌てていたため、タンスからよく見ずに引っ掴んできたスウェットは、ゆっくりできるようにと買った、それなりに大きいサイズの物で。盧笙にとってそれなりに大きいということは、ナマエにとってはかなり大きい物ということで。
つまり何が言いたいかというと。肩や太ももが動く度にちらちら見え隠れして、えろい。
とはいえさすがに性欲旺盛な思春期男子ではないのだから、我慢ぐらいはできる。というかすべきだ。とりあえずはこの光景を楽しもうと、冷蔵庫で冷やしていた麦茶を片手に一人と一匹を眺める。そんなんだからムッツリなんやでお前は、と。脳内に響くやかましい声を振り払いながら。
「あ、」
存分に撫でられて満足したのか、子猫はナマエの膝から飛び降りると自らの寝床で丸まり眠り始めてしまった。時計へ視線を向ければ、針は4を指していて。そういえばいつものお昼寝タイムかと、普段通りの行動に気付かされる。
「あー、寝ちゃった…」
「お昼寝タイムやな。ほら、お前もちゃんと服着な風邪引くで…ああもう、髪も乾かさんと遊んで…」
「んん、」
肩にかけていたタオルで艶のある髪を絡まぬよう拭いてやれば、気持ちよさそうに瞳を閉じ身を委ねる。
「ほら、髪乾かしたるからこっち来い」
ソファへ腰かけ呼べば、まるで定位置だと言わんばかりに足の間に納まる。「せんせー」と気の抜けた声で小さな頭を自らの膝に預け擦り寄る姿は、先ほどといいまるで猫のようだ。
「なんや、ずいぶん甘えたやな」
「んー…」
どこか上の空な返事の後、期待するような瞳がじっと盧笙を見上げる。ああこれは、言葉通り甘えたい時のサインだ。おもむろに手を広げれば、予想通り。ぱっと笑顔になり勢いよく胸へと飛び込んできた。
「先生、おでこ可愛い」
ぶかぶかの袖から見え隠れする細い指が、濡れて下りた髪の隙間で嬉しそうに遊ぶ。くすくすと小さな笑い声を響かせながら互いの赤い瞳がふっと細められたと、吸い寄せられるように唇が重なる。
「こら、ストップ」
「わぷっ、」
はずだった。けれどそんな甘い雰囲気を振り払うように、盧笙は近づいた小さな鼻をきゅっと摘まんでしまう。
「なんでですかあ」
「あかん。まずは髪乾かしてからや」
「ええー…」
「こんなんで風邪ひいたら本末転倒やろ。ほら、そこ座り」
「んー…」
納得いかないけれど、盧笙の言葉は最もだ。
しぶしぶといった様子は隠さないものの、素直に元の位置へ座れば、大きな手と柔らかな風が頭を包む。
なんだかんだ触れてもらえるのならばまあいいのか。ゆっくり目を閉じ身を委ねれば、小さな声で「ナマエ」と名前を呼ばれる。
なんですか。そう続け振り向くはずだった。
「いい子やから、終わるまで大人しゅうできるよな?」
言い聞かせるように、盧笙は髪をかき分け現れた白いうなじに小さく唇を落とした。
突然の感覚にびくりと肩を跳ねさせるナマエのそこを指先で軽く撫でれば、ぞわり。肌を粟立てながら顔を真っ赤にさせる。
ようやく頭が付いてきたのか、勢いよく振り向いた瞳には、若干の涙が浮かんでいた。
「せ、先生のえっち…!」
「なんやそれ」
少しだけ悔しそうな言葉とは裏腹に、響いたのはひどく甘ったるい声で。もう!とそっぽを向いた髪の間から覗く耳が、期待するように熱を帯びていた。
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