厳しい残暑もようやく終わり、肌を撫でる風の温度が心地よくなってきた頃。数年前に僧侶となってからというもの、この時期空劫は暇さえあれば縁側で過ごすことが日課となっていた。


「空却さーん…」

 困ったような声色に呼ばれ、空却は閉じていた瞳を開く。入り込んできた明るさに数度瞬かせ声の主であるナマエを見上げれば、案の定眉を下げこちらを見つめていた。

「…なんだ」
「いや、何だじゃなくて…足痺れました…」

 眠りに落ちる前、自宅で灼空の手伝いをしていたナマエを呼び出し膝を強制的に借りた記憶がうっすらと蘇る。あれはまだ昼前だったけれど、この陽の角度ならおそらく正午はとっくに過ぎているだろう。少なくとも一時間は拘束していたにも拘らず、空却は特に気にする様子もなく。むしろ動けないなら好都合と言わんばかりに身体の向きを変えると、ナマエの腹へ顔を埋めた。

「あっ、もー空却さんっ」

 嗜めるように名前を呼ぶが、一歩も動かない。もごもごとお腹の辺りで何か言っていたが聞こえず、寝起きの呼吸でほのかに温かくなる。
 この前も駄目だと思ったのに、また負けてしまった。もう何度目かもわからない反省を脳内でしつつ、ナマエは空却の頭を撫でる。固そうに見えて意外とふわふわしている短い髪の毛から覗く耳は、自宅だからとピアスの数がいつもより少ない。
 何気なく確認するように穴をなぞれば「くすぐってえ」と笑いながら、今度はナマエの左手を掴み、代わりとばかりに指一本一本の形を確かめるようになぞり始めた。手持無沙汰になるとナマエで遊び始めるのはいつものことだと、彼女も慣れた様子でその姿を見つめる。
 黒い指先が丸い爪を柔く撫で、細い輪郭をなぞる。一本一本確かめるように下りていき、小指の付け根まで到達すると、少しカサついた掌で包み込んでしまう。
 あ、豆ができてる。重なった瞬間感じた硬さにナマエがそう思うや否や、空却は手をあっさり離すと、おもむろに自身の左手に付けたシルバーの指輪を外し始めた。そしてそのまま躊躇することなくナマエの人差し指、薬指、小指と、自身と同じ指へ嵌めていく。当たり前だがサイズは合わず、どの指にどの指輪を嵌めてもずるずると落ちていき根元で空間を残してしまう。

「え、どうしたんですか…」
「いや…」
「………」
「…相変わらず指細っせえなあ。ちゃんと肉食え」
「肉限定ですか。というか、指の太さはあまり関係ないんじゃ…」

 いかつい指輪が似合わない小さな手をじっと見つめる。どうしたのかと不思議そうな顔のナマエに「何でもねえ」と、何かを飲み込むように言葉を詰まらせた。
 そんな空却の様子にナマエは少し考えた後、話題を変えるように「…そういえば」と口を開く。

「さっき、裏手のおじいさんが来てましたよ」
「あ?ああ…あの爺さんまた来たのか。今度は何だって?」
「いえ、この前空却さんにお話聞いてもらったから、そのお礼だって柿を持って来てくれたんです。今冷やしてるんで、後でおやつにしましょう」
「おお…」
「あ、それとお義父さんが、話があるから夜ご飯の後部屋に来いって言ってましたよ。確認したい事があるとかで…」
「…やっぱお前よお、」
「はい?」
「寺の嫁になる気ねえか?」
「…え、」

 握られた手が、きゅっと軽く引き寄せられた。一体どういうことかと目に見えて動揺するナマエの姿に、空却は楽しげに吹き出す。

「んな驚くことかあ?」
「い、や、驚きますよ…!」
「拙僧は最初っからお前以外を嫁に貰う気はねえぞ」

 もしかして、さっきそれを考えていたのか。
 空却にしては珍しい歯切れの悪さに違和感は感じていたが、触れられたくないのかとあえて気にしないで話題を変えたというのに。
 どうしてあの流れでそう思ったんですか、あの会話のどこに。聞きたいことは山ほどあるけれど、空却がそういったことで嘘をつく人間でないということはナマエが一番よく分かっていた。分かっているからこそ、この状況がとてつもなく恥ずかしい。

「そ、そもそも…」
「ん?」
「私以外貰う気がないって、それじゃ、なる気ないかって、聞く意味なくないですか…」
「細かいことはいいんだよ…で?」

 答えなど分かっているくせに。催促するように、空却の右手がナマエの頬に触れる。指の背でするりと撫でられ、そこから熱が全身に伝わるようだった。

「…あんなに朝早く起きれますかね、私」

 ぽつりと呟いたナマエに、一瞬きょとんと目を開くものの、すぐにぎゅと細められ、八重歯を見え大きく笑う。

「ちゃんと拙僧が起こしてやるよ。どうせ一緒に寝るんだしなあ」

 ずっと繋いでいた左手。先程までいささか不恰好に見えていた薬指のシルバーが、今度はなんだかとてと似合っているように見えるのだから、なんとも現金だと、自身の思考に思わず笑ってしまった。



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