あいつ昔は結構なヘビースモーカーでな。いくら止めろ言うても聞かへんから、俺もいい加減無駄やって諦めてたんだけど、最近は吸う姿全然見なくなってな。急にどうしたんやって思っとったんやけど…ミョウジさんに会って、その理由がようやく分かったわ。
「なんやえらい嬉しそうやな」
「え、」
ぱきん。突然投げ掛けられた言葉に、舐め始めたばかりの飴が砕ける音が、まるで返事のように響いた。
「何か良いことでもあったん?」
「そ、んなことないですけど…」
あからさまな動揺を見せてしまったせいか、少しだけ訝しげに見つめる簓から、逃げるように視線を逸らす。
数日前。久しぶりに三人で飯でも行こうやという簓に連れて行かれた喫茶店で盧笙から言われた言葉が、ナマエの頭の中に居座り続けていた。
居座り続けていた、というと少し厄介なものという認識にはなるが、見方を変えればあの発言のおかげで常にそわそわしてしまうようになったのだから、意味合い的には合ってるのだろうと思う。
ナマエに会ったから、中毒状態だった煙草を止められた。長いこと共に過ごしてきた元相方でもある盧笙の目から見てそうだということは、それはもう確固たる事実なのだろう。
たしかに思い返してみれば、出会った頃少しだけしていた煙草の香りはめっきりしなくなった。さらに言えば同棲が始まった頃には既に部屋に置かれていた灰皿はもう長らく使っていないのか、とても綺麗だったのだ。
そんな自らの目で見た主観的事実、盧笙に言われた客観的事実。その二つが改まって認識できたということに、なんというか、悪い気はしない。というか、他人に言われると嬉しいやら恥ずかしいやら、照れ臭い。
要するに今更ながらその事実を自覚をし、脳内で一人浮かれて惚気ている状態ということだ。
そんな恥ずかしいこと張本人に言えるわけもなく。咄嗟に誤魔化してしまったが、それがかえって簓の不信感を買ったということに、ナマエは気付けていない。
「怪しい…」
「え…」
「何やナマエちゃん秘密にしとるな。簓さんはよーく分かるで」
「いやいや、秘密なんかありませんよ…」
「ほおー…」
あ、この反応はまずいやつ。そう思うが早いか、隣に座っていた簓は一気に距離を詰めると若干逃げ腰であったナマエを勢いよく抱き締めた。いや、正しく言えば、逃げられないようがっちり捕まえた。
「っわー!な、なに、なんですか!」
「そうやってはぐらかす悪い子にはお仕置きや!ちゅー1000万回の刑や!」
「や、やだやだ待ってください!」
「え、ちゅーするの嫌なん…?」
「いやそういう意味じゃなくて…っ!」
何が怖いって、この人なら本当にその回数をやりかねないからだ。すっかりソファの端に追い詰められたナマエが逃げ出そうともがくも解放する気はないらしく。相変わらずぎゅうぎゅうと抱きしめながら「なー、何を秘密にしとるんやー」と、茶化しながらも少し甘えたような、秘密にされたことを拗ねているような声色に罪悪感が生まれる。
「…つ、」
「つ?」
「躑躅森さんが…」
「…盧笙が?」
「この間、お会いした時に、簓さんが何で禁煙できたのか、私に会ってようやく分かったって、言ってて…」
その後ははっきりと言えなかった。けれど簓は良くも悪くも勘のいい男だ。ナマエの言わんとしていることは、徐々に顔を真っ赤にしていく彼女を見ていればすぐに分かった。
同時に、自身の頬が熱くなっていくことも。
恋人の影響で煙草止めました、なんて。そんな初々しいこと、この歳で自覚するほど恥ずかしいものはない。ましてや中毒患者並とまで言われていたことを、たった一人のために変えられたと、親友に指摘されるだなんて。
「あ、んのアホんだら、余計なこと言いよって…」
「さ、簓さん」
「…ん?」
「その、もし私に気を遣ってくれているんだったら、気にしないで吸って下さい。無理してまで禁煙してほしくないというか…」
「…そこは、禁煙できて偉いですね!じゃないん?」
「う…た、たしかに吸いすぎはよくないですけど…無理して止めてストレス溜まるぐらいだったら、もっとゆっくり減らしていった方がいいんじゃないかと思って…」
盧笙から聞いた内容から察するに、本数を減らして徐々にといった形でもなかったように思う。百害あって一利なしとは言うけれど、そもそも喫煙をストレス発散の一つとしている人もいる中でとも言われている中でそんな急に止めては、むしろ精神面で害が出るのではないかと心配だったのだ。
もごもご口籠る様子に首を傾げ考えるような素振りを見せた後「そうやなあ」といつもの様子でナマエの頬に手を添え顔を覗き込んだ。
「たしかに止めたのは急やしきつかったけど、それでも止められたのはきちんと理由があるからやで」
「理由ってなん、むっ」
ナマエが視線を上げた瞬間、言葉を遮るように唇を落とす。ほんの一瞬触れるだけだったそれは、離れる間際に口端を舐めナマエの肩を跳ねさせた。
「きゅ、急にどうしたんですか……」
「あれ、分からんかった?」
「え?」
「煙草止めた理由」
「え、いや全く分からないです」
「ほんならもう一回…」
「いいですっ、いいですから!止めた理由教えて下さい!」
再び顔を近付けてくる簓を慌てて止め腰を仰け反らせなんとか顔が見えるぐらいまで離れれば、わざとらしく口を尖らせる。
「なんかなあ、聞いた話やけど」
「は、はい」
「煙草吸ってない人にとっては、吸ってる人とのちゅーは苦く感じるらしくてなあ」
「え、あ、そうなんですか?」
「え、そうじゃないん?」
「や、簓さんとしかしたことないんで分からな…」
「…ほーん」
「い、まのなしでお願いします…」
「いやいやいやそんな可愛い発言見逃すわけないやろ。何なんもー、ナマエちゃんは簓さんをキュン死させる気なんか」
やだもう恥ずかしさで死ねる。顔をさらに真っ赤にしながら顔を逸らすナマエの姿に簓は楽し気に口の端を釣り上げながら、薄い唇を重ねる。
「まあとにかくな」
「ん、ちょ、簓さ、っ」
「ナマエちゃんとの大切なちゅうを、毎回苦いとか思われてたら嫌やなあって思ったんよ」
「っ、んん」
「簓さんちゅう大好きやから何度もするしなあ。それ全部、ナマエちゃんにとって大切なものになってほしいねん」
頬から鼻先、そして唇へ。次々とキスの雨を降らせながら、甘ったるい言葉たちを乗せた舌がゆるりとナマエの口内へ侵入を果たす。
「っふ、う、あ」
逃げる小さな舌を慣れた様子で絡め取り、ほとんどカケラになっていた飴を溶かすように転がす。声を漏らすナマエをよそにわざとらしく音を立てながら甘くなった唾液を送り込めば、飲みきれなかったものがナマエの口端から零れ落ちた。
「簓さっ、」
「んー…?」
「ふっ、んあ、っ」
時折漏れる簓の吐息に身体が崩れそうになりながらも、息が出来ないと訴えるようになんとか胸を叩いた。そんなナマエの様子にさすがにこれ以上はまずいと察したのか、渋々とはいった様子ではあったがようやく唇を解放した。
途端に喉奥へと流れ込んでくる空気に案の定咽てしまうナマエの背を、労わりつつも楽し気に撫でながら、簓は「それに」と呟く。
「口寂しくなった時、つまらなーく飴ちゃん舐めてるより、ナマエちゃんとちゅうしとる方がええって思ったんよ」
「う…そ、そんなこと思わなくていいんですけど…」
「冷たいこと言いっこなしやで」
猫のようにすりすり頬を寄せながら上機嫌な様子に一瞬絆されそうになるも、こんなキスを毎回されてはたまったものではないと、後日大量の飴を購入しようと密かに心に誓ったナマエであった。
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