この世に四季があるように、獄都にも四季はある。春に桜が咲けば、夏には蝉が鳴く。秋には木枯らしが吹くし、冬には雪だって降る。そして今はちょうど、その雪が降る時期。息を吐けば白くなり、鼻の頭も赤くなる頃だ。

「最近さ、クリーム塗ってもすぐ手がガサガサになるんだよね」
「…そうなの?」
「そうだよ。抹本はならないの?」
「俺は…そういえばあんまりならないかも」
「ええー何でだろ。いいなあ」
「薬品扱ってるから皮膚が強くなったのかも…なんて」
「何か妙に説得力あるね、それ」

言葉通り、抹本は今日も朝から実験室に籠もりっきりだった。何やらどうしても今日中に作りたい薬があるらしく、先程からせっせと手を動かしている。実験室はもしもの時のために地下に作られており、外界の音はおろか、昼間であっても光さえほとんど届かない。だからこそここは抹本と二人でいるのには都合が良いのだ。誰にも邪魔されない、二人だけの空間。時折響く、ガラス同士がぶつかる小さな音やガスバーナーの炎が炙る音が心地良いと感じるなんて、だいぶ私も抹本に染められているなと思う。恥ずかしいから言わないけど。

「…なんか、いい香りするね」
「そ、そう…?」
「うん。なんか少し甘い香り…今日は何作ってるの?」
「あ、えっと…」
「秘密?」
「うん…」
「そっかあ」

ごめん、と小さく口にする抹本に、良いよと答える。何を作っているか聞くなんて、この状況じゃ挨拶みたいなものだ。要は会話のきっかけ、常套文句と同じ。それにきっと、聞いたところで分からないだろうし。興味ないとかそういう事じゃなくて、私の頭じゃ分からないという事だ。

「…ナマエはさ、」
「ん?」
「好きな匂いとかある?」
「匂い?」
「うん」
「匂いかあ、うーん…甘過ぎない…自然に近いものとか?石鹸とかの匂いも好きかも」
「自然に近い…」
「あ、でも、今の香りも好き。甘くても仄かに香る感じが良いね」
「っ本当!?」
「え、あ、うん…」
「良かったぁ…」

それまで、私が言葉を発する度いつも以上に眉を八の字にしていたと思ったら、途端に机に乗り上げるような勢いで食いついて来た。驚いて返事をすると、安心しきったような顔で深く息を吐く。

「何が良かったの?」
「あ、えっと…うーん……」
「?」
「もう完成したからいいかな…」

そう言うと抹本はそれまでかき混ぜていた液体を、化粧品のクリームが入っている様な小さな容器に注ぎ蓋をして渡してきた。まだ温かいそれは、容器の中で揺れている。

「何?これ」
「あ!まだそんなに固まってないから傾けないで…!」
「え!あっごめん!…固まる?」
「それ…ハンドクリームなんだ…」
「…え?」
「ごめん…実は、この前佐疫に同じ事言ってたの聞いてて…」

それを聞いてぼんやりと思い出す。そういえば佐疫と食堂で、この時期はピアノが冷たくて辛いよとか、どうしたらいいクリームが見つかるかとか、そんな会話をしてた気がする。

「え、今作ってたのってハンドクリームだったの?」
「うん…」
「わ、わざわざ作ってくれたの?」
「う、うん…」
「……………」
「……………」
「……………」
「……あ、あの、いらなかった…?」
「っそんな事ない!凄く嬉しい…」

不安そうな声で聞くものだから、思わず大きな声で否定してしまう。私の言葉に先程と同じように安堵の表情を浮かべる抹本は、嬉しそうに効能や材料について話し始めた。正直、薬ばかりで私の事なんて全く気にしてないものだと思っていたから、凄く嬉しい。あんな何気無い会話、普通なら流してしまいそうなものだけど、わざわざ覚えていて作ってくれたなんて。

「もう少し固まったら使えるようになるから…なるべく早く使い切ってね」
「え、大切に使いたいんだけど…」
「…そ、その言葉は嬉しいけど、それ防腐剤も何も入ってないから、早く使わないと駄目になっちゃう…」
「あ、そうなんだ…」
「…………言ってくれれば、また作ってあげるから」
「本当?」
「うん。次はナマエの好きな香りにしよう」

元々垂れている目尻を更に下げふにゃりと笑う抹本に、ありがとうと告げる。普段はどこか不安そうに見つめてくるその目が、そうして私を見ている時だけ安心しきったように優しくなる事に、きっと抹本は気付いていない。そしてそれを見て私の胸が高鳴っている事も、知らないんだろうな。まだ仄かに温かいそれを握り締め、私も同じように笑った。



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