「やあ、ナマエ」
「ひっ!」

 天気のいい日だった。朝方のまだ人通りも少ない静かな廊下の窓からは暖かな陽が差し込んでいて。立ち止まり外を眺め、暖かさに目を細めゆったりとした雰囲気に浸っていると、突如尻を撫でられる感覚に襲われた。反射的に撫でたであろう人物に回し蹴りを食らわせようと体が動くが、難なく止められてしまう。そこでようやく、それが誰かを理解した。

「災藤さん!?」
「相変わらずいい回し蹴りだね」
「あ、どうも…じゃなくて!」

 なんか普通に会話しちゃったけど。そもそも何故災藤さんがここにいるんだ。たしか閻魔庁に呼ばれていて帰りは数日後になるって、一昨日出て行ったばかりのはずなのに。

「なんでここにいるんですか」
「仕事が思ったよりも早く片付いてね」
「それならそうと連絡くださいよ」
「ナマエを驚かせようと思って黙って帰ってきたんだ」
「それなら普通に出てきてください。わざわざ尻触る必要無かったですよね?」
「こらこらナマエ、女の子が尻だなんて言っちゃ駄目だよ」
「私の話聞いてます!?」

 災藤さんと話すのが何と無く疲れるのは、きっとこうやって話を他所に持っていこうとするところにあるんだと思う。こんな人でも一応上司なので、出てきそうになった溜め息を飲み込む。代わりに深呼吸に変え、とりあえず今一番の問題点を指摘する。

「災藤さん」
「ん?」
「足、離してもらえませんか」

 蹴りを止められた。そこで終わるはずなのに、何故か未だに離してもらえない私の足。災藤さんの胸の高さまで上げているせいでスカートが大変な事になっている。あと少しでも足を上げたら見えてしまいそうだ。今日はタイトスカートじゃなくてよかった。
 私のその考えに気付いている筈なのに、災藤さんは未だに手を離す気は無いらしい。それどころかにこにこしながらゆっくりと、その時を思わせるような手付きでふくらはぎを撫でてきた。

「っ、」
「おや、どうしたんだい?」
「止めてくださいっ、セクハラで訴えますよ!?」
「それは困るな」
「そう思うならっ、」
「ナマエの尻が触れなくなるのは」
「……………」

 残念なイケメンって言葉はこの人の為にあるんじゃないかと心底思う。しかも困る理由が尻を触れ無くなるからなのか。なんて人だ。黙っていればスマートだし仕事は出来るのに口を開くとこれだ。勿体無い。

「もう!とにかく離しっ、いっ!?」

 失礼だとは思うけれど少し怒鳴る様に言うと、漸く足を解放してもらえた。よかったと安堵した次の瞬間、体ごと抱き寄せられる。勢いが良すぎて胸に思いっきり鼻をぶつけてしまったけれど、今はそんな事気にしていられない。

「さ、さささ災藤さん!」
「ん?」
「ん?じゃないですよ!ここ廊下ですよ!?」
「そうだね」

 そうだねじゃない!本当何考えてるんだこの人!いくら朝早いとはいえいつ人が通るか分からないこんな廊下で男女が抱き合ってるところなんて見られたら、それこそ公私混同をよく思わない肋角さんに何て言われるか。特に谷裂には見つかりたくない。けれどいくら慌てても、災藤さんは解放してくれない。それどころか腰に回された腕に更に力が込められた。

「…今から書類整理をしなくちゃいけないんだ」
「え?は、はあ」
「あの方と話すのは肩が凝って仕方ない。しかも三日も向こうにいさせられるとは思わなかった」
「…………」
「ナマエに会えなかったからかな。こんなに疲れているのは」
「……災藤さん」

 ずるい。こんな風に言われたら拒める訳ないじゃないか。私の肩に額を乗せて弱々しく呟く災藤さんの背に、同じ様に腕を回す。軽く撫でると頬に擦り寄られ小さくキスをされた。

「私今日非番なんで、書類整理お手伝いします。だから早く終わらせてゆっくりしましょう?」
「…ああ」

 私の言葉にまたいつもの様な笑顔に戻った災藤さん。けれどその中に少しだけ嬉しさが含まれているのに気付くのは、きっと私だけ。この笑顔を見るとこちらまで嬉しくなってくる。これだからこの人のやる事を本気で拒めないんだ。つくづくこの人に甘いなと思う。
かと言って人前でセクハラされるのを許す訳ではないので、とりあえず再び尻を撫で始めた手を叩いておこうと思う。



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