「なあナマエ!手貸して!」

 お風呂にも入り後は寝るだけと自室で寛いでいた時、どたどたと大きな音を立てて人の部屋に入って来たと思ったら、平腹は満面の笑みでそう言った。

「…お帰り平腹。人の部屋に入る時はまずノックしてって言ったよね?」
「そうだな!」

 うん。そうだなじゃなくてね。実行しなさいよ。言うだけ無駄だろうから言わないけど。平腹は今日任務だったから、さっき帰ってきてそのまま私の部屋に来たのだろう。その証拠に、まだ制服を着ていた。

「で、何だっけ。手貸して欲しいんだっけ?」
「おう!」
「…どうしよう。貸しても平腹ちゃんと返さないからなあ」
「その貸してじゃねえ!」
「はいはい分かってるよ。ん、」

 差し出した掌に、ほい!と勢いよく置かれた、というか叩きつけられたのは、正直目の前の人物からは到底想像出来ない代物だった。

「…練香水じゃん。どうしたのこれ」
「っていうのか?」
「あんた分からずに買ってきたの?」

 平腹もこんな物買ってこれるんだと妙な感心をしてしまったけれど、どうやらそうでは無かったらしい。まあ平腹が、女が喜ぶからとかいうのを考えているとは到底思えないし、当たり前か。

「そもそも何でこんなの買ってきたの?」
「帰りに商店寄ったらあったから!」
「ふーん…くれるの?」
「おう!」
「ありがとう」

 まあ理由は何であれ、あの平腹が私にこんな小洒落た物を買ってきてくれたのだ。一応は恋人として傍にいる訳だから、嬉しくないはずはない。もしかしたらこんな事この先無いかもしれないから、大切に使わせてもらおう。

「なあなあ、付けてみて」
「え、今?」
「今!」
「えー…もうお風呂はいっちゃったんだけど…」
「いいから!」

 何が良いんだ、何が。本当は休日とか出かける時に付けたかったのだけれど、平腹は一度言い出したら聞かないし、何よりここで付けなければ後々不機嫌になった奴の相手をする事になる。そっちの方が面倒臭い。渋々蓋を開ければ、ふわりと匂いが鼻を掠めた。

「いい匂い…何の香り?」
「んーっと……はく…はくちょーげ?」
「ああ、白丁花ね」
「そう!それ!」

 名前も覚えられないのに買ってきたのかと若干呆れてしまうが、まあいつもの事なので何も言わないでおく。しかし白丁花の香りなんて、また珍しいものを買ってきたな。指先で少量手に取り耳の後ろや手首に塗れば、一気に花の香りが広がった。

「…練り香水って、普通の香水よりあんまり匂いが強く無いんだよ」
「ほ?そうなのか?」
「うん。だから自分の近くだけでさり気なく楽しめるの」
「ふーん」

 犬のようにすんすんと鼻を動かしながら私の周囲を嗅ぐ平腹。その距離は段々近づいてきて、終いには耳の裏に鼻をくっ付けてきた。これには思わず肩が跳ねる。

「ちょっ、平腹、近い」
「んー…」
「?」
「やっぱダメだ!それ付けると我慢出来なくなる!」
「は?…っ!?」

 離れるようにと平腹の肩を押していたはずの手が掴まれたと思ったら、次の瞬間にはベッドへと押し倒されていた。背中に感じるシーツの感触と、視界に映る見慣れた天井。それと、酷く興奮した、黄色い瞳。

「な、んで、っ」

 首筋に顔を埋められ、びくりと体が跳ねる。せめてもの抵抗で掴まれた腕を動かすけれど、びくともしない。それどころか、折れるんじゃないかってぐらい力を込められた。

「ひら、はらっいきなり何、」
「その匂いすげー興奮する」
「はあっ!?あんたが買ってきたんで、っう…」
「だからだろ」

 生暖かい何かが首筋を這う。すぐにそれが舌だと分かり、ぞわぞわと背中を駆け上がる感覚に体から力が抜けるのか分かった。

「俺があげたものの匂いつけてるって思うと、やばい」

 言い終わるや否や、荒々しく塞がれた唇の隙間から差し込まれた生暖かさに、もはや抵抗する気も失せてしまった。とりあえず平腹の前では二度とこの香りをさせないようにしようと誓った。



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