「は、山鳥毛が怖い?」

 審神者の言葉に、ナマエは眉間にしわを寄せながら戸惑うように頷いた。

 ある晴れた日の午後。長期遠征に赴いていた全部隊が昨晩帰ってきたということもあり、今日は全刀剣男士に休暇が与えられ、各々自由な時間を過ごしていた。
 かくいう審神者も、政府への報告をあらかた終え近侍であるナマエと一息つこうかと話していたのだが、二人分のお茶を入れながら呟かれた「主に少し相談が…」という不安げな声に、休憩を急遽相談へと変えていたところだった。
 しかし心配する審神者に反してその内容がかなり斜め上のものだったため、思わず素っ頓狂な声が出てしまったのだ。

「えーっと…何かあったのか?」

 山鳥毛。──ついこの間本丸に顕現した刀剣だ。一文字一家の長としての貫録と落ち着きを持ち合わせた彼は、初対面で感じる見た目のちょっとした威圧感とは裏腹に、その柔らかな物腰からすぐに周囲とも馴染んでいった。だからこそ、そんな彼をナマエがはっきりと怖いと言ったのが俄かに信じがたかったのだ。
 とはいえナマエが嘘をついている様子もない。無意味にそんなことをいう子ではないと審神者自身が一番よく分かっているだけに、様々な意味を込めて「何か」と、そう聞いたのだった。

「ごめん、怖いっていうのは少し語弊があったかも…でもそれ以外うまい言葉が見当たらなくて…」
「いやまあ、表現はとりあえずいいよ。でもそう考えるに至った何かがあったんだろ?」
「…別に、嫌なことをされた訳ではないの。でも、なんて言うか、その…」
「うん」
「言葉とか、立ち居振る舞い?が…」

 もごもご。どちらかといえばはっきり自分の意見を言うタイプのナマエにしては珍しく戸惑っているようで。視線を数回逸らした後、意を決したように声を絞り出した。

「む、むず痒いの……」
「…ごめん、どういう意味?」

 これまたさらに予想外の単語が飛び出たことで、審神者の脳内はますます混乱をきたす。
 これまでの山鳥毛の様子を思い返してみるも、そんなに気になる点があっただろうかと思う。むしろ分け隔てなく接する姿は、良い意味で皆の期待を裏切ってるのではないだろうか。
 そんな審神者の様子に耐え切れなかったらしく、ナマエは小さな口を大きく開け「だって!」と叫ぶ。

「あ、朝の挨拶とか、おはようの後に『今日も可愛らしいな』とか言いながら、や、優しく髪をすいてくるし、出陣の時も、その…必ず見送りも、出迎えもしてくれて『無事で何よりだ』って頭を…撫でられるし……な、名前だって、主が付けてくれたんだって言ったら、凄く優しく呼んでくれて……私、あんな風に言われて…ど、どうすればいいの……」
「…そんなの、」

 山鳥毛が、お前のこと。そう言いかけて審神者は口を閉ざした。同時に、なるほど彼女の言うむず痒い姿を見たことがなかったのは、彼女に対してだけだったからかと思い至った。
 そもそも、ナマエはこの本丸内で唯一の刀剣女士である。ゆえに扱われ方もやはりどことなく違いがあって、可愛がられるのはもはや日常茶飯事と言ってもいいほどだった。
 ナマエもナマエで。そういった、例えば短刀達を可愛がるそれとはまた違ったある意味の特別扱いも分かり切った上で彼らと接しているのだと、見ている限りでは思っていた。
だがしかし。何度も言われて慣れていたであろうその言葉が、山鳥毛に言われると何故かむず痒いと感じるとは、これつまり。
 そこまで勘の鈍い子ではないのだけれど、自身の考えと言葉がどういう意味を持ってしまっているのかは、どうやらまだ気付いていないらしい。
 本刃に気付かせるべきなのか、それとも少し背中を押してやるべきなのか。人間の色恋とは少し違うものなだけに決めあぐねていると「小鳥」と、不意に低い音が響いた。

「…山鳥毛、どうした?」

 びくりと、目に見えて跳ね上がったナマエの肩越しに見えたのは、光に透けた煤色と燃えるように赤い瞳で。しかしその意識は、審神者と会話をしつつも確実にナマエだけに注がれていた。

「いやなに…彼女を少しお借りしてもいいだろうか」

 いいだろうか。そう言いつつも有無を言わさぬ雰囲気を纏っていることに苦笑しながら、話の中心人物であるナマエへちらりと視線を向ける。助けてくれと込められる意思をひしひしと感じながらも、審神者の口から出たのは真逆の言葉だった。

「ああ…構わないよ」
「そうか、ありがとう」
「ナマエ、その話はまた後で…どうなったか詳しく聞かせてくれ」

 なんで、とでも言いたげな視線が審神者に向けられる。海を閉じ込めたような鮮やかな青がゆるりと滲んでいたが、こうなってしまってはもはや強硬手段に出なければ進展しないだろう。あそこまで直接的にアピールをしても報われない彼と、なにより彼女自身の今後のためにも悪いがここは頑張ってもらわなければ。
 すっかり縮こまったナマエの腕を掴むと、山鳥毛は少しだけ乱暴に彼女を立ち上がらせた。彼にしては珍しいその行動に驚きつつも、表情を見ればその理由はすぐに分かった。といっても、きっと必死に顔を逸らすナマエにはただ怒っている、という雰囲気しか感じられていないのだろうけれど。
 あの山鳥毛にも、中々に煮え切れないことがあるのだと思った。声に感情を含めるくせに肝心なことをきちんと言わないから、ナマエがその思いに名前を付けられず結果、よく分からないから怖いと言う結論に至ってしまったのだ。
 色恋とは無縁の刀故なのか、それとも単に二振りが不器用なだけなのか。どちらにしてもとりあえずは良い方向に転がるだろうと、慌ただしく出て行った二つの背中に向けて心の中でエールを送った。


所変わって。ナマエが連れて来られたのは、山鳥毛の自室だった。

「あ、あの、山鳥毛さ、う、腕…」
「ああ…そうだな、すまない」

 痛いですと続ければ、力が少しだけ弱まる。しかし謝りつつも離れされることはなく再び引かれると、部屋の奥に座らされた。自然と逃げられないような状態に持っていかれたことに、彼が本気で逃す気はないと言っているようで。ナマエは喉に何かが詰まるような感覚さえ覚えた。

「無理に連れてきてしまってすまなかったな」
「い、え…」
「さて…」

 固まるナマエの目の前へ座ると、山鳥毛は黒い革手袋をした手を滑らせ、柔らかな頬を撫でた。驚きか恐怖か、はたまた別の意味なのか。思わず逃げ出そうと身体が反応するが、掴まれたままの腕がそれを許してはくれなかった。
 せめてもの抵抗で俯き顔を逸らすも、ゆるりと顎へ添えられた手に、少し乱暴に上を向かされる。赤い瞳に見下ろされ、いよいよ身体は動かなくなってしまう。
 腕を掴んでいた手が離れていく。そうしてそのまま、ナマエに向けてゆっくりと広げられた。

「ナマエ、おいで」

 あまりに直接的な言葉に、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。今度こそ、腕も手も離れ、身体的にはようやく解放されたはずなのに。確率は非常に低いが、機動力でいえばナマエの方が確実に速い。逃げ出そうと思えば逃げ出せなくもないはず、なのに。
 甘く優しい響きで名前を呼ばれると、身体の何処かがぐずりと溶ける音がする。

「ナマエ」

辛うじて形を保っていた心臓が、崩れて落ちて、

「来なさい」

 ああもう、駄目だ。腕を引かれ雪崩れ込むようにその胸元へ飛び込めば、鳥籠のごとく背中に腕が回される。隙間なく密着した身体は互いの熱で溶けてしまいそうなほど熱く、脈打つ鼓動が響き渡っていた。

「やっと触れることができた…雛鳥はすぐに私から逃げるからな」

 少しだけ拗ねたような、それでいて安心したような口調で吐息混じりに囁かれる。低く重たい声はぞくぞくと背筋をなぞり、身体から力を抜いていってしまう。

「悪いがもう逃さないぞ。さあ、きちんと聞かせてもらおうか」
「っ、な、にを…」
「私を怖いと…避けた理由だ」

 密着していた身体が少しだけ離される。それでも少し動けば鼻先が触れ合うようなその距離に、やはり目線だけでもと必死に逸らす。

「ご、ごめんなさい…」
「…それは、私の想いを受け取れないと、そういう意味か?」
「ち、ちがっ……なんで笑ってるんですか」
「おっと、すまない。抑え切れなかったようだ」
「わっ、分かってて言ってましたね…!?」
「いやいや、そんなことはないさ」

 言いつつもナマエの頭を撫でる様子から、怒っていない、むしろ楽しんでいるというのは火を見るより明らかで。からかわれたのだとナマエが理解するのに、そう時間はかからなかった。

「そう拗ねないでくれ。雛鳥の口から聞きたかったんだ」
「聞きたいって…あっ、」
「言葉にしてくれないか?」
「そ、んな、の…っ」
「頼む」

 もう全部分かっているくせに、ずるい。
 少しだけカサついた親指がナマエの唇をなぞる。きゅっと細められた瞳は、早くしろと急かすように燃えていて。もう何度目か、開けては閉めてを繰り返す唇を、ようやく音が出るくらいまで開く。

「す、好いております……あなたのこと、を…」

 しりすぼみになってしまった言葉たちは、最後まで聞こえたかどうか分からない。けれど少なくとも音にした瞬間、目の前の男の雰囲気がひどく甘ったるいものに変わったことだけは、恥ずかしさで消えてしまいそうなナマエにも分かった。
 知っている。そう小さく呟くと、山鳥毛は期待するように艶めく唇に、己のそれを重ねた。


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