「あれ?ナマエお前…そんな目の色だったっか?」

 俯いて落ちる柔らかな髪の隙間から見えた色は、記憶の中のものとは少し違い、紫がかっているように思えた。
 ──人ならざるものが揃うこの本丸内では、おおよそ日本という場所では出会わないであろう瞳の色も特段珍しいものではなかった。最初こそその美しさに見惚れはしたもののそれも数十振り目ともなれば、言葉は悪いが見慣れるというもので。神様なのだからとあっさり飲み込めるようにはなっていた。
 しかしそれを差し引いてもナマエの瞳は美しく、それでいてどこか懐かしさを感じさせるものだった。現代の言葉で言えばそう、まるでどこまでも広がる空と深く落ちる海が閉じ込められたような、そんな色。宝石だと言われたら信じてしまいそうなほど惹かれたそれだからこそ、ほんの少しの変化も気付けるのは、決して贔屓をしているからとかではなく。ナマエは他より少し特殊な立ち位置だから、尚のことだった。
 審神者の言葉にナマエも「え?」と声を漏らしたものの、思い当たる節があるのか上げられた目線はすぐに逸らされ、何も写さぬと言いたげに伏せられてしまう。
 そういえば、元が刀な以上人の身に慣れず体調を崩すといったことは、聞く限りよくあるらしかった。ナマエは特にその影響が出やすいらしく、季節の変わり目などはまるで人の子のように体調を崩していた記憶がある。

「体調悪いとかか?だったら休んだ方が…」
「う、うん、そうだ、ね。休ませてもらおうかな、」

 これ以上は止めてくれ。まるでそんな風に話を逸らし、逃げるように広間から出ていく背中を呆然と眺めていると、あらあらと背後から声が響く。

「主、野暮なこと聞くねえ」
「野暮なこと?」

 女士会…もとい、のんびり乙女な会話でお茶を飲もうの会と称して、加州、乱、次郎太刀、ナマエの四振りはよく集まりを開いていた。
 遠征で不在の加州を除き、今日も今日とて会を開いていたところへ執務の休憩だと飛び入りで参加した審神者を加え、どの刀がどうだの、万事屋の商人が変わったなどと世間話をしていたのだ。その矢先、ずいぶんと様変わりした瞳に気が付いたのだった。
 頭上に疑問符を浮かべる審神者を「分からないのかい」とからかうような目で、乱と次郎太刀がくすくす笑みを溢す。

「瞳の色さ。あれに触れたら、そりゃナマエも恥ずかしくなっちまうってもんよ」
「え、あれ恥ずかしがってたのか?」
「気付いてなかったの?顔真っ赤だったじゃん」
「いやあ…というか、何で目の色のこと言われて恥ずかしがるんだ?」
「…そもそも主さん、ナマエさんの瞳の色が何で変わってるのか分かる?」
「…分からない」

 それこそ刀自体が審神者にとっては大昔の物もいいところで。人ならざるもの故とか、本体に刻まれた刃文のせいで、と言われたなら、こうして人の身を与え顕現させることができるぐらいだから、まあそういう事もあり得るのだろうと納得もできた。
 しかし彼女はそう言わなかった。むしろ恥ずかしい、照れるような理由なのだと体現するかのようだった。つまりは、彼女の歴史に関係のある事ではないのだろう。それぐらいまでは想像できるが。

「ナマエさんって、元は号すらない刀で、なおかつ人の語りの集合体でしょう?だからまあ、私達みたいに実物がある刀より、ほんの少し神気が弱いんだよ」
「ああ…確かにあの子そんなこと言ってたな」
「そう。だからなのか、良くも悪くも周囲の強い付喪神に影響されやすいらしいんだよね」
「へえ…でもそれと瞳の色にどんな関係があるんだ?」
「うーん、そうだね例えば、」

 親しく、深く接している相手の神気の影響を色濃く受けやすい、とか。
 乱のその言葉に、いくら鈍くてもさすがに気付く。同時に、ああやってしまったのだと思った。


 大慌てで障子を閉め、ずるずるとその場にへたり込む。薄々感じていたが、あえて周囲の刀達が触れてくれなかったことを、悪気がないとはいえ指摘されてしまうというものは想像以上に恥ずかしいものだった。
 思わず頭を抱え込み床を叩いてしまいそうになる衝動を必死に抑え、鏡の前まで這い寄る。覗き込んだ先に見えた瞳は、今朝見た時よりもずっと強い紫になっていた。しかもよく見れば、紫といってもだいぶ赤味を帯びた色となっている。
 このままだと、完全に青から赤へと変わるのにそう時間はかからないだろう。失礼だとは分かっていたが、自身より体躯の大きい刀が多く揃うこの本丸では少し伏し目がちに話せば、覗き込まれない限り光の角度で色が変わって見えるのだと誤魔化せる。
 しかし赤という完全に真逆にも近い色に変わったともなれば、ほんの一瞬でも彼らは見つけるだろう。そしてその理由にも気付くはずだ。妙に生暖かい視線を向けられるのは、ものすごく、そう。恥ずかしいことこの上ない。
 かといってこの現状を変えられるかと言われれば、それは否。決してできないと分かっているからこそ、どうしようもないことに悶えるしかできないのだ。

「雛鳥」

 この人は、気配もなく背後に立つのが趣味なのだろうか。
 壊れた玩具のような音を立てて振り向けば、あの日と同じ。煤色を光に透かしながら、重い赤がナマエを見下ろしていた。

「さ、んちょうもう、さん…」
「慌てた様子で部屋に戻るのが見えたのでな…どうした?」

 今なら、怯える南泉の気持ちが分かる。といっても、彼の怯えるとは少し意味合いが違うものだけれど。

「な、何もない、です…」

 わざとらしく視線を逸らしながら何もないというのは苦しすぎるだろう。けれどそれ以外にいい方法も言葉も咄嗟に思い浮かばなかったのもまた事実だ。
 そんなナマエの様子に小さく笑みを浮かべると、山鳥毛は俯く身体へ覆い被さり耳元で囁いた。

「…小鳥達と話していただろう。瞳の色が変わったようだな」

 驚いて顔を上げる。しまったと思った時には、もう遅かった。
 目の前の男を映し出す瞳は、部屋に差し込む陽の光を受けはっきりとその色を映し出していて。気付いてたんですか。小さく吐き出した言葉に、何を今更と言いたげに目を細める。

「毎日ずっと見ているんだ、気が付かないはずがないだろう」

 覗き込む赤から、今度は逃げ出すことが出来なかった。
 いつもしているはずの冷たい皮の手袋が外された、予想よりもずっと温かな手が頬を撫で、流れるように後頭部へ回される。髪が絡まぬようにと気を使いながらも性急な動きで引き寄せられると、薄い唇がまるで噛み付くように重ねられた。

「あ、山鳥毛さ、っ」

 じわりと広がる熱にナマエが脚を擦り合わせれば、山鳥毛はさらに笑みを零す。
 その笑みに、ああまた色濃くなったのだと否が応でも自覚させられさらに恥ずかしくなってしまう。

「愛しい私の番。早く全て染まってくれると…私も安心できるのだがな」

 軽く肩を押された身体は、覆い被さるそれともつれるように倒れ込む。畳と布の擦れる音に混じり、低くくぐもった艶かしい声が耳元で響いた。

 その後、完全に赤色へと変わった瞳を皮切りに、髪も僅かに煤色を帯び、些か鈍い審神者にさえも纏う空気の変化を感じ取られるまでになってしまうのだが、それはまだ先の話である。


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